「発達障害と社会」の図
「統合失調」については、社会全体との関係を分かりやすく図にしていた(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-5717.html、なお、端的に「統合失調状況」そのものを示した図はこちら http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-f18a.html)ので、「発達障害」といわれるものについても、社会全体との関係を図にしてみた。
精神医学に限らず、医学というのも、(もちろん他のあらゆる学問も)この社会の全体構造の中に組み込まれてあるので、社会との関係抜きに、「病気」というものを考えることは、無意味である。ましてや、精神医学は、単に社会の全体構造に組み込まれているだけでなく、この社会を、逸脱する者から守り、裏から支える重要な役目を果たしている。(記事「精神科に「やりたい放題」にさせた「システム」 http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-107d.html 、 「精神医学」と「オカルト」的なもの http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-6b32.html 参照)いわば、「社会の番人」である。
それ故、社会との関係という視点は、むしろ不可欠のものである。社会との関係という視点こそ、「すべて」といえるものである。
図そのものは、これまで述べて来たことからも、明白なので、説明はほとんど不要であろう。
「発達障害」といわれる枠組みが、この社会への「適応」、というより、むしろ「隷属」ということを指標に、立てられた発達の基準から、「逸脱」する者に与えられる。ただし、この「逸脱」は、「統合失調」を代表とする「病気」の場合ほどのものではなく、いわば「病気」との中間段階を、さまようものである。
そのさまよう行き先は、いろいろある。社会の側は、それらの者を、まず「定型発達」へと「取り込も」うとし、「支援」という名の、聞こえのいい、抱え込みの試みをする。しかし、それでも、功を奏しない者、乗らない者は、「不適応者」として、「病気」の方へと、押しやられる(つまり、病院にまわされる)可能性が高い。(図の右側の「病気」というのは、まさに、最初にリンクした「統合失調」の場合の図の「病気」と重なるものである。)
このような「取り込み」や「不適応」のほかにも、うまくいけば、その方向性のまま、社会の中で、才能を発揮しつつ成功したり、社会の中というよりも、その周辺辺りで、独自の生き方を貫いたりする場合もあるだろう。そのような場合こそ、望ましいことだが、それには、社会の側の、「支援」というより、最低限の「理解」は、必要になることも多いであろう。
しかし、そのようなことは、なかなか期待し得ない。むしろ、「発達障害」とされる者が、「定型発達」なるものが、必ずしも優れたものでも、望ましいものでもないことを、自らの生き方で「証明」し、社会に何らかのインパクトを与えるぐらいでないと、そのような「理解」も得られ難い。また、そのような、いい意味での「理解」が得られれば、自然と、押し付け的でない、「支援」のようなことも、ついて来ることになるはずである。
そのように、現在のところ、「発達障害」とされる者は、「狭い道」を苦労して進みつつ、社会に何らかのインパクトを与えて、変革的な方向づけを与える役割を、果たして行くしかないのだろう。
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シュタイナーばかりですみませんけど、
もしかしたら唯物的な社会だから病気になるってのもありそうだと思いました。
アーリマンの時代なのでアーリマン的なものに近い傾向のある人は普通の人々になりやすく、ルシファー的な傾向にある人々は病気になりやすい?
シュタイナーの社会三層論ありますよね。あれは人間の身体の中で活動している器官を社会に作り出す、その結果、社会が人間の身体になる。人間の身体の中で生きるということは人間を生かす内部の力を社会という外部に作り出して生きること、つまり社会を人間を生かすことができるようにするものです。
投稿: のめーる | 2015年5月15日 (金) 01時15分
シュタイナーばかりですみませんけど、
もしかしたら唯物的な社会だから病気になるってのもありそうだと思いました。
アーリマンの時代なのでアーリマン的なものに近い傾向のある人は普通の人々になりやすく、ルシファー的な傾向にある人々は病気になりやすい?
シュタイナーの社会三層論ありますよね。あれは人間の身体の中で活動している器官を社会に作り出す、その結果、社会が人間の身体になる。人間の身体の中で生きるということは人間を生かす内部の力を社会という外部に作り出して生きること、つまり社会を人間を生かすことができるようにするものです。
これで病気がへるかも
投稿: のめーる | 2015年5月15日 (金) 01時15分