「見てしまう人びと」との対比
脳神経科医オリヴァー・サックスの『見てしまう人びと―幻覚の脳科学』(早川書房)を読んだ。さまざまな幻覚をとりあげ、脳科学的な解説をつけたものだが、残念ながら統合失調症の幻覚は、独自の考察が必要として、とりあげられていない。
しかし、幻覚の例が豊富で、非常に具体的なので、幻覚というものがどのようなものなのか、それなりによく分かるようになっている。また、著者も言っているように、これら幻覚の体験は、決して病的なものではないのに、統合失調症のような精神病と誤解され、あるいは実際に精神科医によって統合失調症と診断されてしまうことが多い。だから、こういうものが多くあることを知っておくことは重要である。また、幻覚というものを恐れず、ある程度慣れ親しんでおくという意味でも、役に立つことだろう。
視覚を失うことで、脳の反応により幻覚を生じる「シャルル・ボネ症候群」、パーキンソン病やてんかんに伴う幻覚、入眠時・出眠時の幻覚、感覚遮断、幻覚剤によるものなど、様々な幻覚で、幻覚とは、想像とは異なり、現実の知覚と同様、あるいはそれ以上に「リアル」なものであることが強調されている。また、「トップダウン」という言い方がされるが、本人の意思に拘わらず、向こうから一方的に来るものであることが強調される。この点は、統合失調の場合とも共通するもので、しっかり押さえておくことが必要だ。
実際、そのように、「リアル」なものなので、一時的に現実と混同されることもある。しかし、これらの、脳の生理的な過程によって生じる幻覚では、内容は、本人と関係しない無意味なもので、状況に沿わないものが多いので、概ね、幻覚を現実と区別することはできる。この点は、統合失調の場合と異なるもので、やはり重要なことである。
それそれの幻覚について、簡単に脳科学的な説明もされているが、それは申し訳程度であり、内容も、ほとんど通り一辺のものなので、その点については、ほとんど得るものはない。基本的には、幻覚の事例の豊富さと、具体性によって、幻覚というものがどのようなものかを、広く一般に知られるには適した本、というぐらいの感じである。
ただ、第13章「取りつかれた心」では、過去のトラウマや強烈な感情など、心理的な要因で生じる幻覚についてとりあげられている。それを、先の脳の生理的な過程によって生じる幻覚の場合と比べると、統合失調の場合の幻覚がどうなのかということも、かなりの程度、浮かび上がってくるのである。
これら、心理的な要因で生じる幻覚は、脳の生理的な過程で生じる幻覚とは異なり、本人にとって意味のある内容であり、囚われを生じやすいのである。もちろん、脳の生理的な過程で生じる幻覚も、それなりに心理的な影響を与え、心理的な反応を巻き起こすこともある。また、逆に、これら心理的な要因で生じる幻覚も、幻覚を生じている以上、脳の生理的な過程を巻き込んでいるのであり、その意味では、脳の生理的な過程によって生じるものと、厳密に区別することは難しいかもしれない。しかし、それぞれの幻覚を、主に、脳の生理的な過程によるものか、心理的な要因によるものかということで、区別することは、十分可能なことのはずである。
そうすると、意味に満ち、強度の囚われを生じる、統合失調の場合の幻覚というのは、明らかに、心理的な要因によって生じるものの方に属するはずなのである。著者は、幻覚を生じる、強烈な感情の一例として、「自我や生命を脅かすほどのひどく衝撃的な出来事による恐怖」をあげている。これは、主に、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の場合が想定されているのだろう。この「衝撃的な出来事」というのを、物理的、客観的な出来事と解するなら、確かに、その場合が多く想定できる。
しかし、この「衝撃的な出来事」を、内面的、霊的な領域で起こっている、主観的な出来事と解するとき、それは統合失調の幻覚の場合に相当するのである。さらに、統合失調の場合、そこで生じる幻覚そのものが、恐怖をもたらす「衝撃的な出来事」として、組み込まれるものともなる。その恐怖も、物理的、客観的な出来事による場合とはまた違った、独特の、強烈で、継続するものとなる。そこには、「捕食者」的な精霊などの、霊的な存在の影響も強く作用する。
そのようにして、脳の生理的な過程によって生じるものとは異なった、「意味」に満ち、恐怖に彩られる、継続的な、幻覚世界を築き上げることになる。そして、それはあくまでも、心理的な要因によって生じるものというべきなのである。
ところが、このような「出来事」を「了解」できない精神医学は、それを、心理的なものとしてではなく、脳の生理的な過程を原因とするものに引き寄せて、理解しようとするのだ。それは、原因不明の脳の病気などと捉えられ、精神薬等の様々な物質的な施術が、正当化されることにもなる。
そのように、本来心理的な要因によるものを、認めることをせず、脳の生理的な過程によるものと捉えることに、根本的な齟齬がある。統合失調症という「病気」は、そのようにして「作り出さ」れ、あるいは、初めから「ずら」されているのだ。
幻覚の例について豊富なこの著書は、そういったことを、改めて考えさせることにはなってくれ.る。
※ 前に、オルダス・ハクスレーやJ.C.リリーなどの幻覚剤の体験について述べた。実は、オリヴァー・サックスもLSDその他の幻覚剤の体験を多くしている。幻覚というものがいかにリアルなものか、また様々な幻覚体験について共感的に語ることができるのも、そのような体験が基礎にあるからである。
その中でも、アーテンという強力な幻覚剤の体験をしたときの話が面白い。サックスは、かなり強烈な変容体験が起こることを予期し、期待してもいた。しかし、予期に反して、何も起こらなかった。だた、友人がノックして部屋に入ってきたので、料理を作り、ご馳走しようとした。すると、そこには、誰もいなかった!つまり、何も起こらないどころか、現実そのままと見紛うほどのリアルな幻覚体験をしていたのである。
なお、幻覚についての簡単な講演の動画がある。http://www.youtube.com/watch?v=Urt5O_PQf6A
« その後のケム事情/『無我の体験』 | トップページ | 「見ること」(通常の知覚)の危うさ »
「精神医学」カテゴリの記事
- ビンスワンガー、木村敏の例を通して具体的にみる(2024.04.07)
- 「精神病理学」と、結局は「了解」の問題であること 2(2024.03.24)
- 「精神病理学」と、結局は「了解」の問題であること 1(2024.03.02)
- 「シャーマン的巫病」と「統合失調」の相違 まとめ(2024.02.09)
- 『病める心の記録』再読及びメモ(2023.12.24)
コメント