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2014年11月17日 (月)

前の記事のコメントに関して/簡単な総括

コメントありがとうございます。前の記事では、コメントが多く、長くなりましたので、記事を新たにして、簡単な総括に変えさせてもらうことにします。

みるくゆがふさんの言うとおり、私は「人格障害」(〇で字を伏せませんが、伏せたくなる気持ち分かります。名前=言葉が、実体を作り上げているようなものですから)にしても、「統合失調症」にしても、「病気」とは捉えていません。というよりも、「病気」かどうかなどということは、「無意味」ということです。「病気」であるか、ないかという発想をする時点で、既に、精神の領域に、「病気」というものが実体としてあるかのような発想を、持ち込んでいることになります。「病気」というものの見方が、実態を掛け離れて、むしろ問題を膨らませていることについては、記事「「病気」という見方が故の問題  http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-78d9.html」を参照下さい。

「人格障害」とよばれるものについて、簡単に述べますが、私の考えを一言で言うと、人格=障害というものです。「人格」といものがある限り、人は、「障害」であらざるを得ないものです。ただ、人によって、あいるは他人や社会との関係によって、それが強く出やすい場合と、そうでない場合があり、それが強く出て、社会との間に問題を起こしている状態が、事実上、「人格障害」とよばれているというだけです。「人格」が「障害」なのですから、それを、根本的に治すことなど、「人格」がなくならない限り、あるいは、もはや人格を必要としなくなるのでもない限り、あり得ません。ただ、事実上、それが強く出ないような状態に、改善するということが、あり得るというだけです。それにしても、人格そのものの問題である以上、容易にそんなことができるはずもなく、他人が安易に「助ける」などということも、できるはずのないことです。

「統合失調症」と「人格障害」の関係について、簡単に述べると、統合失調では、未知の状況に陥り、人格が崩壊しかかるような、「危機の状態」に陥ります。その局面では、まさに、人格の「障害」としての面が、いやというほど露わになります。人格が、崩壊を前にして、足掻き、そのどうしようもない面(私は、「愚かさ」とも表現しましたが)が、いやでも表に出て来るからです。だから、「統合失調症」と「人格障害」に、このような意味で、重なる面があるというのは本当です。(もちろん、他のどんな「病い」も、人格と関わる以上、「人格障害」と重なる面はあります。)しかし、それは、人格の「愚かさ」を、脱するためには、必要なプロセスと考えます。内に潜伏したまま、表に出ないことには、それが、抜けて行くこともあり得ないわけですから。ただし、その場合、それらの「愚かさ」をしっかりと自覚していることが必要で、ただ無自覚に反応しているだけでは、一旦は抜けたようにみえても、また同じように戻って来て、住み着いてしまうでしょう。

私は、「くぐり抜ける」という言い方で、これらのプロセスのことを述べていますが、それは、確かに、容易にできることではなく、またさまさまな条件が作用することでもあり、成功するという保証があるものではありません。ただし、私としては、自分の体験に即しても、このような方向での、「治癒」ということを、第一に考えないわけにはいきません。それには、そのような「障害」の状態を、無理やり押さえ込もうとしたり、改善させようとするのではなく、ただ根気強く、抜け出ていくのを、「見守る」ような態度も必要になって来ます。人が、まともに、直視するこもできないような、どうしようもない醜態を、その人が露わにしているとしてもです。これは、はっきり言って、常人には、無理なことであり、私にも、恐らく無理でしょう。(加藤清医師のすごさは、こういったことに関わります。)だから、私は、できる限り、人の手をかけないでも、そのようなプロセスに向けて、自分でできる最低限のことを、アドバイスするしかないし、それはそれで、本当に実行されるなら、相当に有用なものであることを、訴えかけていくしかないことになります。

そういうわけで、私のこのブログで述べていることは、一般の精神医学でいわれていることとは、掛け離れているし、精神医学の方からみれば、「トンデモ」か「オカルト」として、唾棄すべきものでしょう。そのことは、自覚していますので、私は、そうであっても少しも構わないし、むしろ、そうあってくれた方が、やりやすいです。たから、私のブログが、精神科医に読まれる必要というのもありませんが、ただ、精神薬に関わる精神科医は、『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』ぐらいは、読んでほしいと思います。

なお、私の、このような基本的な考え方、このブログの趣旨については、前にやっていた「日記」で、総まとめをした記事(総まとめ(旧「闇を超えて」より)http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2003/02/post-58de.htmlに、ほぼ述べられていますので、是非とも、そちらを読むようにして下さい。今後、コメントをされる方は、こちらを読んでからにしてもらうと幸いです。

※ なお、コメントでは、「人格障害」のことが話題になって、記事そのものの内容に関することには一切触れられていませんが、前回の記事も、通常の知覚と幻覚が、本質的には区別できないことを述べた重要なものですので、コメントや今回の記事とは切り離して、独立に読まれるよう望みます。

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コメント

ティエムさん、こんばんは。
取りかかりがわからず、総括をしていただき、ありがとうございます。
かつては京大の医学部卒で加藤清先生のような医師がいらっしゃったのですね。
京大の神様だとちやほやされる河合隼雄がふっとんでしまいまいた。すっきりします。
憑依の精神病学を地元の知恵で動的に捉えて治癒させた「動く東の森田正馬」に対して「静かに癒す西の加藤清」ですね。
「内なる癒しだけではなく外からの癒しからの流れ」を意識するためにも、狂気は人間が生まれ持って存在しているのだと考えられます。変にDSM分類をしても仕方がないではないかと改めて思います。隔離させてどうするのでしょうか。
ただ、懸念していたのは、「霊性が低い」から「社会的立場も低い」と勘違いしている大学教員や研究者が実際に関西を中心に多いことです。この点をわたしは非常に懸念しています。現実問題としての差別問題と繋がります。
近年、国際的な医療のポイントとして、新たに「スピリチュアルな癒し」が加わり、キリスト教関係の医療機関や大学が自分たちの社会的立場が優位になると色めき立っています。その傾向がきなくささを増長させると思うのです。
「霊性」が実は誰もが持っているように、実は「狂気」も連続して誰もが持っているのだということがわかれば、自然と受け入れられることが増えるのではないか、と思います。素朴な原点ですが、狂気の内容が社会的な価値観に影響されやすいからこそ、その特徴がつかみやすいと考えています。
ところでですが、ユングが無意識や太母の概念を考案した時は、精神病の時だったという記述を本で読んだことがあります。そのことを考えると、狂気と正気は隔離されて分断されるものではないと思います。神様扱いしたい医師や治療者が発見したものが、実は発見者がいわば狂気の時に発見したということを「神様扱いしたい人達」は思いたくないのでしょう。そこが、社会的にも個人的にも偏見や差別につながるのですが、そこを受け入れないことには、現状を受け入れることは難しいと考えます。「人間が考えている以上の「自然」からの力や知恵」が、人間が生きるためにはどれだけ重要なのか、広く考える必要があると思いました。

ティエム様、有難うございました。

「闇を超えて」「狂気をくぐり抜ける」

美しい題名です。

とりわけ「狂気をくぐり抜ける」、

宇宙に浮かぶ地球、有限の地球の上に万生があり、そのなかにひとりひとり人間が在る不可思議、

人間存在の特殊性に思いをはせ、逃避もかくれもせず正面から向き合うこと、それが「くぐり抜ける」ことなのです、と

ブログを開くたびにこの一文が力強く語りかけてくれます。

どうぞひとりでも多くの方々に読まれますように。

お久しぶりです。最近否定的な幻聴にかなりの確率で自分を肯定(遠まわしに)させたり、幻聴自身」を否定させたりする方法を見つけました。
たぶん振り回されてるだけとかおっしゃるんでしょうけど、おもしろいので紹介します。
幻聴相手に「おまえらがバカだとわかる俺はすごい」と考えたら「だれでもわかるわ」
と返ってきて、「おまえらが存在しないことがわかる俺はすごい」と考えても「だれでもわかるわ」で、
逆に「俺が世界一得が高いってわかるってすごい」って考えたら「だれでもわかるわ」と返ってきて、
さらに「俺が神より頭がいいってわかるってすごい」考えたら「だれでもわかるわ」などとバカの一つ覚えのように返ってきます。なれるとすごいだけじゃ「だれでもわかるわ」言われなくなるような気がしましたが、すごいのあと、「賢い、天才」と加えると高確率で「だれでもわかるわ」になります。
こんないじめっ子いないだろって思うくらいバカでまた存在するのか怪しいくらいバカですよね。少なくとも突っ込みどころがおかしいと思いませんか?
効くのは僕だけかもしれないけど一人でもこんな理不尽で不条理な病気に苦しむ人が減るといいと思い紹介しました。また書きたいことがあったらコメントさせていただきます。

<追記>この幻聴のバカさはたぶん経験しないとわからないでしょうね。存在否定されて「だれでもわかるわ」なんて言ういじめっ子はいるのでしょうか?俺しか得しないでしょう。ティエムさんだったら仮に死んでほしい人間に「だれでもできるわ」なんてこと言います?スピリチュアルだと100%信じている人にこれを紹介するとどんな反応するか楽しみです。

あと誤字がありました<得>が<徳>です。すいません。

前のコメントとブログの幻聴のところ、ざっと読ませてもらいました。まず、前にも言いましたが、幻聴と一口にいっても、いろいろあるので、自分の場合と人の場合を同じだと安易に思わない方でいいです。もし、精神科にかかる前に、幻聴がなかったのだとしたら、精神薬によって発生した症状である可能性もありますね。ただ、どんな幻聴でも、幻聴に振り回されないようにすることが一番肝心なのは、一緒だと思います。それが、できているようなら、私のブログを気にする必要もないと思います。

私は、幻聴を、外部の現実の声そのものと受け取っている人には、それを内面的なものか、または霊的なものである可能性があることを、指摘しますが、幻聴を幻聴と気づいている人に対しては、特にそのような必要を感じません。

要は、「幻聴」の言ってくることに、受動的に振り回されなければいいわけで、こちら側からの働きかけを通じて、相手の威力を弱めていくのはよい方法だと思います。「べてるの家」などでも、これに近いことが、試されたりしているようです。

みんな同じだと思わないほうがいいのは確かにそうかもしれないですね。だから伸びないのかもしれないなあ。
僕は精神薬でなっても本物の統合失調などにしても同じだと思ってました・・・。
幻聴を幻聴だとわからない人もいるんですね。勉強になります。
「べてるの家」ですか。べてるの家もそういうことことしてるんですね。一人で編み出した僕はすごい。(だれでもわかりません)

ともかくそういうことがわかっただけでもよかったです。

遅ればせながらになりますが、みるくゆがふさん(弥勒世果報)共感頂き、そして、風鈴被害へのアドバイスについてもありがとうございました。実は、私、あの時のペンネームの長津です(なんとなく今はタカにしています、実は周りに高橋さんがめちゃくちゃ多いのもあります)。しかも、知人と言いましたが、実の被害者は私自身でした。知人は架空です。……。いや~、私の寝室の向かいで、風鈴が窓全開室内干しでうるさかったんですよ(キーンキーンと)。


真面目な話、みるくゆがふさんのコメントを読むことで、白黒思考の石頭が、多少やわらかくなり、それぞれの人がおのずと自分なりの気づきを得ているのではと思いました。また、コメントさせて頂きます。それでは。

皆様のコメント表現を読んで、生きた言葉だなあと感じ入っております。

RF様のお言葉ーーみんな同じだと思わないほうがいいのは確かにそうかもしれないですね。


長津タカ様(笑‥季節代わってあの音とりあえず自然解決しましたね!)のお言葉ーー「それぞれの人がおのずと自分なりの気づきを得ているのではないかと思いました。」

《根源的に考えてゆく》このブログであればこその、それぞれの思索と歩みなのだなあと感じます。お蔭様で私も気づきを沢山頂いてます。

先達をゆくは、ティエム様のたしかな歩みです。その文章やコメントを読ませていただくだけで、自然と心が落ち着くのは私だけではないと思います。それはなぜでしょう、

「幅広い知識を学び深く思索する」ことと、「個人的体験を見つめ深く思索する」こととが片寄らずに、ご自身の内面で常に均衡を保っておられるからかも知れない‥‥と、いま拝察致しております。

自己バランスと調節の大切さが、ブログからも空気伝染的に伝わります。つたない我が身ながら、これからも学びつつあやかりたいです。

日頃から自己バランスと調節に努めていることが、いざ自分が何らかの霊的精神的な試練にまみえたとき、力強く対応出来る基礎になるのではないか、最近そのように思えるようになりました。

みるくゆがふさん、お褒めの言葉を頂きありがとうございます。
みるくゆがふさんの美文は、到底私などでは修得する事はできないだろうと思います。揺るぎない美文を書けるかどうかは、生まれ持った才能の面があります。


私個人としては(私だけではないと思いますが)、ティエムさんには、おおかた見抜かれているなと思っています。コメントのやりとりをしても、私の出す少ない情報で、核心を突くところは、私もまだまだ過ぎる見極め力だと思っています。

……、
そして、風鈴についてはただいま自然解決状態です(笑)。来年、今年以上にうるさかったら、ちょいと勇気を出して、大屋さんに相談してみます。


追記になります。
今日、改めて風鈴の相談のコメントを読んでみました。実のところ、私も風鈴の音に慣れていないと思い、今年の初夏に、本場岩手県、盛榮堂の南部風鈴をポチリました。そうして、寝室に南部風鈴を掛けて自然の風で鳴るのを聴いているうちに、風鈴の音も悪くないかもと思っていました(風鈴家族は去年の晩秋に引っ越してきました)(至近距離の風鈴の音に頭がPaniCrew状態だったと自己分析しています)。


……、その風鈴家族のお母さんは、車の運転もするようで、わたしの統合失調症かもしれないという予測はハズレたようです(そのお母さんが狭い路地を夜間に爆走して轢かれかけたことがありますが…笑)。


……、ティエムさんとみるくゆがふさんには、感謝しています。


さらに追記…、Googleで、“ティエム”と検索をしたら、何故かTMレボリューション(歌手の)がトップに(笑)。あと、“アホンダラア様”と検索をすると、こちらのブログ、狂気をくぐり抜けるがトップ表示される事に気がつきました。

タカ様の文章を読みいま検索しました。確かにトップでした(汗)少々浮かれコメントでした‥忘却なさってくださいませ(汗)
語尾の「ア」と「様」が効いてます。もし「様」を書いてなかったら(冷汗)

ティエム様あの時は失礼しました。調子にのりすぎてコメント削除されないよう慎みます。

どうぞ可能性千分の一でもこの検索で、関西方面に読者増えますように(少々ムリぎみな祈りです)

毎回充実した内容、勿体ない位です。師走お忙しい頃ですご無理なさらぬよう、もし更新がなかった時も、過去のページを開き学ばせて頂く機会と思える内容ばかりです。いつも有難うございます。
それでは又

みるくゆがふさん、「様」を抜くと上から3つめに表示です。「ア」はまだ確認していません(笑)。


……、あと、スパムコメント防止機能君、ゴメンね。

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