内海医師の「アホ」論
内海医師の、このブログの記事(http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-324.html)は、傑作でした。これだけ、「アホ」連発してウケるのは、アホの坂田以来のことではないでしょうか♪もちろん、面白いだけでなくて、ちゃんと、一級の「アホ」論になっています。
私も、「フーミン」は嫌いではないですが、「グーミン」は嫌いだし、「ユーミン」もあまり好きではありません。フーミンのバスロマンのCMはよくても、あの色はあまりに毒々しいと思っています。そんなこんな(?)で、「自分はアホではない」と思っている「アホ」は嫌いですが、「同じアホなら踊らにゃそんそん」的なノリで踊っちゃう人は、憎めません。
統合失調状況というのは、「愚かさの集大成」であるということを、かつて私は述べました。それは、これ以上ないというほど、人間が「アホ」になる状況ということです。むしろ、追い詰められて、本性の「アホさ加減」が、いやというほど出てしまう状況ともいえます。それは、単なる「アホ」というより、「ドアホウ」と言ってもよく、普通の「アホ」には、とても理解できない、輪をかけた「アホさ加減」です。
この「ドアホウ」には、内海医師のいう「大アホ」にみるような、反転した意味合いは、ほとんどなく、本当にただの「ドアホウ」なのです。が、もし、その「ドアホウ」が、その「底」から、「くぐり抜け」られた場合には、それは「大アホ」へと、さらには「大大アホ」へと反転し得るような、要素は秘めています。やはり、「アホ」は「死ななきゃ治らない」のです。
しかし、人は、統合失調状況にまでいたらなければ、「アホ」にならないのでは、決してありません。それは、現に多くの人が、証明してくれています。「アホではない」と思っている「アホ」が多い状況では、人びとのあいさつは、こうするのがいいでしょう。「あんたかてアホやろ、うちかてアホや、ほなさいなら !」
※もちろん、分かる人には分かると思うが、自分自身の「アホ」さ加減と、総体としての人間の「アホさ」加減を肌身にしみて理解していないと、「変わる」などということはあり得ないということです。
統合失調状況は、この「アホさ」加減をいやというほど思い知るいい機会ですが、必ずしも、誰もが通らなければならないということではありません。それは、気質にもよりますので。しかし、何かしら、類似の状況を通らずして、本当に「アホさ」加減を知るということもまた、あり得ないことのばすです。ある意味で、統合失調状況こそ、「アホにとっての最後の希望」とも言えるわけです。
« 「物語としての精神分裂病」他 | トップページ | 「現場の医師へのインタビュー」との対比 »
「その他」カテゴリの記事
- 本年の情勢他/「幻」という意味(2020.01.13)
- UFOと人工衛星または火球の目撃(2019.02.14)
- ムクドリの「乱舞」(2018.11.11)
- 「知ってはいけない」ことの危急版(2017.10.03)
- 最近のコメントの掲載(2016.12.10)
ティエム様
「ドアホウ」の響きが心地よいであります。「男ドアホウ甲子園」を思い出しました。「ドアホウ」は引き出しやおもちゃ箱を、けつまづいてひっくり返したような感じで、もうごっちゃごちゃのメッチャクチャであります。誰がこんなとこに石を置いたんや転んだやないか!いしのせいにしてはいけません、自分で何とかしてください。あなたそんなご無体な、ごみばこに引き出しごと放り込んでは困ります。業者にやらせるなどもっての外でしょう。必然性と共にけつまづき、あっぱれ全てぶちまけたならば、自分で、アホやなあしゃあないなあ言いながら、正面からくぐり抜けていきましょう。
これだけアホアホ言っても文章冴えかえってる内海医師は、「大大大アホ様」でございます。そして日々貴重な発信をくださるティエム様には、「アホンダラア様」の称号を謹呈致します。ありがたやありがたやm(__)mまだまだ小アホの私も、尊敬する皆様にあやかり「千のアホになって」になりたいですm(__)m
短い文章でしたが、最後に、
多分一年半位前に内海先生のブログに載りました、「応援するなバカ」「人間は地球のクズ」
も甚だ素晴らしいと思います。「バカ論」読むと冬でも沸騰しますし、「クズ論」は暑い夏にじんわり冷や汗出ます。
投稿: みるくゆがふ | 2014年8月 7日 (木) 03時30分
「バカ」や「クズ」に比べると、「アホ」は柔らかい響きで、多分、いくらか受け入れやすい言葉だと思います。一般に通りやすい、「戦略」としては、こちらの方がいいでしょう。まずは、多くの人に、「アホ」を認めてもらわない限り、何も、変わり様はないわけですから。ただ、これでは、ときに攻撃的なインパクトには欠けるかもしれません。頑なに「アホ」を認めない人、上っ面でしか認めるフリをしない人に対しては、「バカ」や「クズ」の方がふさわしいかもしれないですね。
統合失調状況をくぐり抜けても、「アホ」がなくなるわけではないので、自分の中の「アホ」とは、やはりつき合っていかなくてはなりません。ただ、それはもはや、その中に巻き込まれてしまうようなものにはなりません。また、カスタネダのドンファンは、「管理された愚かさ」ということを言いますが、ある意味それ自体、人と接する「接点」として、「使える」ものになります。このあたりは、また、記事にでもしたいと思います。
内海医師も、決して、「アホ」を完全に乗り越え、「大アホ道」「大大アホ道」を楽に歩んでいるわけではないと察しますが…。「アホンダラア様」の称号、謹んで、お受けしたいと思います(笑)。
投稿: ティエム | 2014年8月 7日 (木) 21時58分
アホと別の土俵にいる内海医師の考えは、高学歴の方ほど理解不能らしいところが、日本の救いようのなさを痛感します…。
投稿: is | 2014年8月13日 (水) 10時16分
やはり、実質的な知識からかけ離れた、受験勉強というのは、人を歪ませると思います。あと、苦労したからには、「おいしい汁を吸いたい」という思いも、強くなるのでしょうね。
投稿: ティエム | 2014年9月 4日 (木) 21時09分