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2014年6月12日 (木)

「アンビリーバー」としての「ビリーバー」

超能力や心霊、UFOなどについて,その存在を信じるものを、「ビリーバー」などと言って、揶揄したり、軽蔑したりすることがある。

しかし、実は、そのように、「信じる」者を「ビリーバー」などと言っている者は、その者こそ、「アンビリーバー」としての「ビリーバー」であることに、気づいてもいないようだ。「ビリーバー」が、一応、「信じる」ものや、「信じる」という態度を自覚しているのに対して、「アンビリーバー」としての「ビリーバー」は、自分の「信じる」ものや、「信じる」という態度を自覚してもいないとすれば、こちらの方が余計たちが悪い。       

まず、本当に、客観的かつ科学的に、これらの存在について言うなら、「ある」とも「ない」とも決められないというのが、実際のところである。超能力に関しては、超心理学の統計的手法によって、存在が「証明されている」とみることも可能だが、「再現性」という厳密な物質科学的方法を重視する限り、そこまで言うことは、無理ということにもなる。

そもそも、このような「物質科学」的方法で証明されるものとは、「物質」という概念に則るものだけであるとすれば、超能力や心霊、UFOなど、その範疇に収まらないものの影響を前提とするものを、「物質科学」的方法で証明すること自体が、無理のあることになる。しかし、このような方法では、逆に、超能力や心霊、UFOなどが「ない」ことも証明できないわけで、そうである限り、超能力や心霊、UFOなどがない、とも決められないわけである。

                                              
どちらにも決められないということは、どちらの可能性もあるということで、私は、本当に、どちらの可能性にも本当に開かれている、中立的態度を保てる人がいるとすれば、その人は尊敬に値すると思う(※)。しかし、残念ながら、そういう人は、今までにいた試しがなく、どちらかはっきり分からない、と思っている人も、大抵は、どちらかに重心をかけていて、片方の可能性には、多かれ少なかれ、心を閉ざしているものである。人間は、生きている限り、何ものかを「信じる」ものであり、何ものかを「信じる」以上は、それと抵触する見方は、「信じない」ものである、ということだ。

信じる者を「ビリーバー」などと言う者は、自分は、「信じない」者なのだと思っている。しかし、実際には、自分は、何ものかを「信じている」からこそ、その見方とは抵触する、超能力や心霊、UFOなどが「信じられない」のである。

それらの者は、自分は、「科学」を「信じている」と言うだろう。しかし、既にみたように、科学そのものは、これらのものを、あるともないとも決められない。だから、実際には、「科学」を「信じている」のではなくて、「(物質)科学の方法によって証明できるものだけが、存在するものである」ということを「信じている」のである。言い換えれば、「宇宙」には、「(物質)科学の方法によって証明できないものなど、存在しない」と「信じている」ということである。

端的に言えば、「唯物論」を「信じている」ということであり、さらに言うなら、「宇宙は、人間の頭によって、共通の理解と操作のできるように、人間の都合に合わせてできている」と「信じている」ということにもなる。(実際には、このように言うことによって、いかにそんなことが、「ありそうもない」ことであるかが、明らかになるはずなのだが)

結局は、「アンビリーバー」も、何かを「信じる」という点では、「ビリーバー」と、「同じ穴のムジナ」なわけである。そして、既に述べたように、それは、自分が、何を「信じている」かを自覚しない点において、あるいは、自分は「信じない」者であるかような「幻想」を抱いている点において、「ビリーバー」よりたちが悪い

私自身は、これまでの記事をみても分かるとおり、超能力や心霊、UFOどころか、人間以外の「精霊」や「捕食者」のような「悪魔的存在」も、存在するのが「当たり前」のこととしているわけだから、当然「ビリーバー」に入るのだろう。これらは、私にとっては、「体験的事実」そのものなわけだが、これを、「科学的に証明」することはできない以上、一般的、客観的には、「信じる」者ということになっても、仕方がない。

ただし、これは、「存在する」とはどういうことか、「ある」とはどういうことか、という問題になるが、さらに、本質的に問い詰めたとき、それらが「存在するとは言えない」、という視点もまた、同時にもっている

つまり、もし、物質的なものが存在する、と言うなら、それと同じレベルにおいて、超能力や心霊、UFOさらに、人間を食べる「捕食者」も、「存在する」と言わざるを得ない。しかし、物質的なものも、本質的には、「存在するとは言えない」、という視点に立つなら、また、超能力や心霊、UFOさらに、人間を食べる「捕食者」も、本質的には、「存在するとは言えない」ということになる。

昔、テレビで、「マジカルバナナ」というクイズ番組があって、それに「ある」「なし」クイズというのがあった。これは、「何々にはある」「何々にはない」という例示を順次出していって、では、何々には?「ある」か「ない」かを当てるものである。

「ある」とされているものと、「ない」とされているものの共通の性質を探していって、それを、問題の「何々」に当てはめることによって、「ある」か「ない」かの正解が出る。

これを見て、私は、このクイズは、実に、「ある」とか「ない」とか言うときの、本質をついているなと思った。つまり、「ある」とか「ない」とかは、絶対的に言えるものではなくて、常に「ある観点」から、「相対的」にしか、言えないのである。その「ある観点」(共通の性質)を、見い出すというのが、このクイズの意図となっているわけである。

もし、「絶対的観点」というのがあるとしたら、それは「空」(「虚無」)の観点というしかなく、その観点からは、「ある」「なし」クイズそのものが成り立たなくなる。つまり、すべては「ある」とも「ない」とも、言えないものになってしまうのである。

※ これ(http://www.skept.org/yota/psk2.html)などは、「懐疑論」に立つことを明らかにしているが、肯定的な実験や議論を公平に検討したうえでのものであり、かなり「尊敬に値する」ものの例だと思う。決して、本音の部分で「中立的立場」に立つとは言っておらず、「否定」の方に傾きつつも、感情論ではなく、あくまで理性的に「真実」を追及していきたいが故に、「肯定」の立場にも十分な目を向ける、というものである。しかし、このようなものにお目にかかることは、非常にまれである。

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コメント

私は不思議なものに対して許容範囲が人より広いのだと思っています。それは不思議な体験をしたことからそうなったわけで、かつては唯物論的な考えを持っていた時期もありましたね。

私の友人にも統合失調症になった人がいるのですが、生霊を飛ばすことができると言ってきたことがありました。私は少し驚いたものの否定はしませんでした。それは相手を気遣った面もありますが、そういうことも有り得るかもという考えが働いたからです。自分の中では有り得ないと言ってしまうのは簡単だと思うのですが、なにか消化不良な気持ちになるんです。本人がそう感じたことは事実なわけで、それに対して原因なり理屈があるはずだと考えるほうが私にとっては普通なことです。しかし、不思議なことに対して有り得ないとバッサリ切り捨てる人は精神病にはなりにくいとも思います。アンビリーバーの方が日常を生きやすいとも思います。前提条件を拡張した結果、妄想に繋がる危険性というのもあります。

最近は小さいおじさんを見たとか、座敷童子を見たとか言う人が増えてきているように思うので、集団意識が高まり、より不思議な現象が起きやすくなるものと思われます。そうなったときアンビリーバーがどこまでアンビリーバーでいられるか分かりません。
そういえばNHKで超常現象の特集をやってました。集団の思念が物理的な影響を及ぼす可能性を示唆する実験を行ってました。
http://kyouki.hatenablog.com/entry/2014/03/24/081805

トシさんありがとうございます。

私も、NHKの番組見ました。「NHKスペシャル」と、「サイエンスゼロ」(https://www.youtube.com/watch?v=opi8SJso_rE)でやってましたね。「サイエンスゼロ」では、多数の者の意識が、量子レベルでの乱数発生機の発生の確率に影響を与えるという、興味深い実験を紹介していましたね。一方、NHKは、「幻解!超常ファイル」という「アンビリーバー」による「アンピリーバー」のための番組もやっており、これって、会長の「バランスをとる」という意向の反映なのですかね(笑)。いずれにしても、超常現象のような領域についても、もはや一方的な見方は通らず、どこか政治のように、両論を併記せざるを得ない状態になってきてはいるのでしょうね。

「統合失調症になった人がいるのですが、生霊を飛ばすことができると言ってきたことがありました」

私ももちろん否定しませんが、「生霊を飛ばす」というような、抽象的で概念化された言い方をしないで、「自分の思いが、空間を漂って、相手の体や意識に届き、影響を与えるのを、体感することができる」とか、もっと具体的に、自分の感覚に沿った言い方をすればいいと思いますね。その方が、意味も伝わりやすく、納得もれやすいでしょうに。

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