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2014年6月23日 (月)

ページビュー数ベスト5/「解離性幻聴」との相違について

最近、ココログの「アクセス解析」が、かなり詳しくなっていて、ある期間の「ページビュー数ランキング」なども載るようになった。それによると、ごく最近の記事は除いて、「過去28日間」(最長)のランキングのベスト5は次のようである。

1 『精神科は今日も、やりたい放題』 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-727c.html
2 「うつ」を克服して「薬を使わない精神科医」 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-dd5e.html)
3 ダスカロスの「統合失調症論」との関係 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-8fa5.html
4 『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-2e37.html
5 「人格解離」 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-5f44.html

「過去28日間」ということだが、その前も、かなり前から、大体こんな感じになっていたようた。(※)

いずれも、精神医学や精神病に関することについて、深く鋭い考察をしている、それなりに有名な医師や精神科医、ヒーラーなどの著書や動画に絡めての記事である。著作の関連で、検索にもかかりやすいのであろうし、興味が惹かれるのも頷けるものばかりである。実際、精神医学や精神病に興味を持つなら、この5つぐらいは、私の記事だけでなく、関連の著作なりネット上の記事や動画などにも、ひと通り目を通して欲しいというものだ。

そんな中、かなり前の記事で、意外に上位にあることで、目についた記事が、

解離性幻聴」との相違 (http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post-e7a3.html
である。

「幻聴」というものは、一般には、「統合失調」と結びつけられやすいが、実際には、「解離性幻聴」というものもある。そこには、「統合失調」の幻聴と似たものがありながら、かなりはっきりした相違もある。記事は、その相違を明らかにしながら、そのような違いが生じる理由も、述べているものである。

この、「統合失調的幻聴」と「解離性幻聴」の違いというのは、それを、診断する医師の側にとっても、大きな問題で、興味をひくものであるはずだが、恐らく、この記事は、実際に「幻聴」を体験したか、体験することが想定される側から、それが、「統合失調的」なものなのか、「解離性」のものなのか、という興味で読まれているのだと思う。

精神医学上は、精神病圏の「統合失調症」と、神経症圏の「解離性障害」では、大きな違いなので、その違いに、興味が集まるのも頷ける。

しかし、繰り返し言っていることだが、これは、「統合失調症」なる病気と「解離性障害」なる病気が、厳として存在し、「幻聴」という現象は、この「統合失調症」か「解離性障害」かの、いずれかの病気に分類される症状である、などということでは全くないので、改めて注意をしておく。

そもそも、「幻覚」のところ(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post-9e18.htmlhttp://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2005/11/post-437e.html)で述べたように、「幻聴」というものが、病的なものである必然性は、全くない。

特に、「幻聴」がどのような性質のものであれ、「幻聴」を「幻聴」(物理的な次元に現れた、多くの者によって共通に知覚される「音声」ではない)と理解して、それに振り回されたり、囚われたりすることがなければ、何ら病的な問題とはならない。しかし、逆に、「幻聴」という現象を、現実の人物の物理的な声と受け取って、それに対して否定的な反応をするときには、自分と周りに「病的」と言っていい事態(精神科医が病気と決めつけたり、無理やり精神薬を処方したりすることも、そのような「病的事態」に含まれる)を巻き起こすことになってしまうものである。

それを踏まえたうえで言えば、人に囚われや混乱をもたらしやすい、「幻聴」というものは確かにある。そして、その「幻聴」の現れ方や性質というものにも、一定の共通のパターンを認めることができる。特に、その「声」の主体が、明確に「他者」のものとして感じ取られ、圧倒的で、自己を翻弄し、操作するように感じられるものと、そうではなく、「他者」的ではあっても、どこか自分との関連を思わせるような、身近なものとして感じられ、その声の内容も、圧倒的で、自己を押し潰すようなものではない、というものがあるということである。

そして、前者を、「統合失調的」な「幻聴」、後者を、「解離性」の「幻聴」と、とりあえず区別しているのである。「統合失調的」な「幻聴」では、幻聴の声の「他者」性が強いということだが、それは同時に、幻聴の声の「リアリティ」も強いということである。だから、「統合失調的」な「幻聴」では、それを現実の他人の声と混同する可能性も高く、実際、そこから、先にみたような、「病的事態」を巻き起こす可能性も高い。

だから、この「区別」というより、「統合失調的」な「幻聴」というものは、現実の他人の声と区別しにくい、「リアリティ」ある幻聴である、ということを知っておくこと自体が、重要なことにもなる。

そして、上のような相違だが、なぜそれが生じるかについては、その後の記事でも、さまざまな視点を示しておいた。

たとえば、幻聴がもたらされる過程における、心理的要因(「非人間的虐待」か「人間的虐待」かなど)、防衛反応の仕方(「非解離的」か「解離」的かなど)、その者の気質や性格(「分裂気質」か「躁鬱気質」か、「内向的」か「外向的」かなど)、幻聴に関わる外部的存在(「捕食者的存在」か「自己から分離したエレメンタル的存在」かなど)などである。

これらの相違やその理由を認識することも、「幻聴」を理解するうえで、また、それに対処するうえで、大いに助けになるばずである。

しかし、それらは、記事でも述べているように、決して、厳密に区別できるものでもなければ、互いに交わらないものでもない。それは、その理由の違いが、何らかの形で反映された、「事実上の違い」にしか過ぎないのであり、そのような枠組みの、厳とした「病気」があるわけではないのである。だから、それらの違いに、拘り過ぎることもまた、無意味であり、いい結果をもたらすことはない

要は、「統合失調的幻聴」であろうが、「解離性幻聴」であろうが、それを「幻聴」として受け止めたうえで、自分なりに対処して行くしかないのである。その違いや違いの理由の認識は、あくまで、そのために、参考にできることでしかない。

記事では、その後、最近は、あまり「統合失調」と「解離」の問題について述べることはなくなっている。しかし、この問題は、私的にも興味が尽きない問題で、人間や人格の本質ということにも、つながってくるものである。いずれまた、集中的にとりあげることがあるだろう。

※ 私が使い方をよく分かってなかったため、「28日間(最長)」などと言ったが、期間区切りでそれより長い期間のランキングも見ることができるのだった。ちなみに、過去6カ月のベスト5プラス1も載せておこう。多少の入れ替わりがあるだけだが。

1   『精神科は今日も、やりたい放題』

2  「人格解離」

3  『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』

4  「うつ」を克服して「薬を使わない精神科医」

5 「ダスカロスの「統合失調症論」との関係

6  「解離性幻聴」との相違

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コメント

ご紹介ありがとうございます!早速読んでみます。加藤先生の著書は読みやすかったです。
NIGHT HEAD 借りようと楽しみにレンタルショップに行ったところ、最寄の支店では取り扱いがなく残念でした。なんとか探してみます。

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