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2014年1月28日 (火)

支配の道具としての「麻薬」

「精神薬」というのは、麻薬や覚せい剤と同様のものなのであった。要は、神経の働きを抑制し、沈静させる(麻薬、ダウナー系)か、神経を興奮させ、意欲を高める(覚せい剤、アッパー系)かによって、精神状態の不具合に対抗しようとするものである。

これは、一時的には、効くというより、「ごまかし」の効果があるかもしれないが、長期的には、依存性、中毒性を生じ、脳の機能を麻痺させ、精神状態の荒廃をもたらす。本来、「麻薬」や「覚せい剤」にほかならないのであるから、当然といえば当然である。

そこで、改めて、「麻薬」というのは、一体何なのか。どのように、使われているのか。さらに、そもそも、人間の脳内には、βエンドルフィンのような、「脳内麻薬」とも称される物質があるが、そういうものがあるとは、どういうことなのか。などのことが、問われてくる。

船山信次著『麻薬のすべて』(講談社現代新書)によれば、「麻薬」なるものは、容易に定義できるものではなく、かなり曖昧な概念である。作用としても、「抑制剤(ダウナー系)」もあれば、「興奮剤(アッパー系)」もあり、「幻覚剤(サイケデリック系)」もある。依存性や中毒性の程度も様々であり、成分としても一定していない。

事実上、法的な規制の必要などから、その都度規定されているが、何が麻薬であるかのはっきりした科学的基準というものがあるわけではない。

要は、「麻薬か否か」というよりも、「麻薬的なもの」が、ある範囲にわたってあり、それを全体として押えたうえで、規制の必要などから、事実上、その都度、範囲を確定していくしかないことになるだろう

向精神薬は、麻薬より程度は弱いとされているが、麻薬の一種とみなされる。マリファナやある種のハーブは、麻薬か否かという議論があるが、それも、単純に決められることではない。ただ、それらが「麻薬」と類似の性質をもつのは、明らかであって、規制という観点から言うなら、どのレベルまでの「麻薬的なもの」を規制するかという、社会的な判断によるしかない、ということである。

もちろん、「規制」ということには、それによってこその「価値」の高まりや、支配層」などによる、「独占」という問題も絡むから、規制すればいいという単純な問題ではない。

ただ、この本の著者もそうだし、他の薬の一般的な解説書でもそうだが、「薬は本来毒だが、使いようで薬になる」とか、「麻薬も恐れるだけではなく、うまく使うことが重要」などという言葉が、安易に出て来る。

「使いよう」とか「うまく使う」というのは、どういうことか。具体的に示されなければ、単に現状の使用方法が、なし崩しに肯定されることにしかならないだろう。また、「恐れない」などというのも、その本当の「怖さ」を、自ら体験してでもいない限り、説得力に欠く。

私も、「うまく使う」こと自体は、何も否定しないし、うまく使える場合はあると思うが、これについては、またいずれ述べ、今回は、「麻薬」というものの「使われ方」の、本質的な面を、ざっと概観しておきたい。

それは、一言で言うと、「支配の道具」ということに尽きる。麻薬は、快感をもたらし、苦痛を減らす。あるいは、覚せい剤のように、精神を高揚させ、生きる意欲を高める。それは、人を依存させ、中毒にする。それを止めれば、禁断症状が現れ、それなしには、いられなくする。いきおい、それを得るためなら、言うことも聞き、何でもするようになる。そういったことが、それを「提供」し、「使用」する側にとって、支配の道具に結びつくのは、みえやすいことである。

マフィアややくざにとっては、麻薬は、商売の道具として、資金源でもあるが、組織として、下部の者を奴隷的に働かせるときの、道具として、常套手段でもある。それを使うものが、使われるものに対して、優位な立場に立つのである。それは、精神薬を使う、精神科医と患者の関係にも、当てはまる。精神科医は、精神薬を使うことによって、患者に対し、事実上優位な立場に立つということもまた、精神科医が、精神薬を投与することに固執する理由にもなっている、とみられる。

また、麻薬は、そのように人を依存、中毒に陥らせることによって、脳の活動を麻痺させ、精神活動を、荒廃させる。それが多くの者(集団)に対してなされるとき、その集団は全体として、弱体化する。それは、批判精神や改革への意欲、真実への探求欲などを失わしめる。だから、その集団に敵対する側にとって、あるいは、その集団を支配する側にとって、これを使うことは、都合の良いことである。

典型的なのが、「阿片戦争」で、イギリスは、アヘン貿易の利益を護る名目で、清にアヘンを浸透させることで、民衆を全体して弱体化させ、戦争を有利に運び、支配を及ぼそうとした。

同じことは、現代の社会の「支配層」にもいえる。もはや、「麻薬」そのものは、その「害」があまりに知れ渡っているので、あからさまには使えないにしても、類似のものは、いくらでも、使える余地がある。「麻薬」の概念または範囲は、曖昧なことを述べたが、それが逆に、明白に「麻薬として」規制されていないものは、「麻薬」でないかのようなイメージを行き渡らせることにもつながる。精神薬が典型的なものであり、様々な食品添加物や、砂糖、嗜好品などもそうである。

これらは、麻薬そのものより、効果が強力でないとされる(そうとも限らないはずだが)が、むしろ、支配される側の弱体化を図るという、支配層の側の意図には、より沿うものである。あまりに強力なもので、弱体化または荒廃が行き過ぎることは、支配する側にとっても、得策ではない。最低限、今のシステムを維持するだけの仕事は、支配される側にも、こなしてもらわねばならないのである。ただし、そういったことも、結局は、支配層の意図次第である。最終的には、単純に、大量の命を奪うことも、いくらでも意図され得るということである。

さらに、LSDなど「幻覚剤」といわれるものは、リアリティある「幻覚」をもたらすことから、日常的な感覚からはかけ離れた、特異な「信念」を植え付けることを可能にする。オウムで、「イニシエーション」に使われ、教祖への帰依を強める「マインドコントロール」に、利用されたことは有名である。統合失調症の者が、「幻覚」においてこそ、特異な「妄想」を形成するのも、似たようなことである。

このような「幻覚」から生まれる「信念」は、単に「非日常的」というだけでなく、ある種の「宗教性」や「超越性」をはらんだ、強固なものともなるので、一旦形成されると、容易には崩れない。それは、人を深いところからつき動かす、原動力ともなるのである。つまり、支配層の側からは、単なる「マインドコントロール」という以上に、人格を彼らの都合のよいように変える、強力な「人格変換」の道具となるということである。

このように、「麻薬」と称されるものは、支配層にとって、「支配の道具」となる要素に満ちている。そして、実際に、そうであるからこそ、大量に収穫、精製され、一方で規制しつつ、独占的に利用されている。精神薬もまた、その一つということである

ところが、人間の脳内には、そもそも、βエンドルフィンのような、「脳内麻薬」と呼ばれる物質、また、トーパミンのような「快感物質」と呼ばれる物質が存在している。それらが、苦痛を和らげたり、快感を高めて、人間の感情や意欲をつき動かしている。「麻薬」のような外部から与えられる物質が、効果を発揮するのも、そもそも内部に、そのような脳内物質が働く機構があるからである。

これらの脳内物質が、人間にあるということは、どういうことなのか。その問題を抜きに、「麻薬」の問題の本質は、語れないはずである。

そして、それは、これまでみてきたように、「麻薬」が、支配層にとって「支配の道具」となるということと、ある種、並行してある現象とみなければならない。つまり、これらの脳内物質もまた、「支配の道具」として植え付けられ、利用されている可能性がある、ということである

一般の「進化論」的発想によれば、それらもまた、「自然淘汰」の結果、人間が自ら身につけたものということになるのだろう。確かに、苦痛の軽減や快感をもたらす物質の獲得は、結果論的には、一応、生き延びるのに都合のよい条件ということは、言えそうである。しかし、人間が、バイオテクノロジーによって、他の生命をいくらでも、人間の都合に合わせて操作できるようになった今日、人間を越える生命体が、人間に対して、そのような「操作」をしていないと考えることの方が、難しい。また、人間が「新しい」生物を作り出すように、そもそも、人間というものも、そのようにして、「作られた」ものである可能性はいくらもある。

ここでは、このことには、これ以上立ち入らないが、いずれにしても、「麻薬」が、苦痛を軽減したり、快感を高めることによって、人を依存させ、行動をコントロールするように、人間の脳内に埋め込まれた、「脳内物質」は、「苦痛を和らげたり、快感を高めて、人間の感情や意欲をつき動す」ということによって、人間の行動を支配していることは、疑うべくもない。

もし、人間が多くの生命を支配しようとするように、人間もまた、その上に立つ生命によって支配されているのだとすれば、このような「脳内物質」を植え込み、それによって意欲や感情を操作することほど、目的に適うことはないのである。

要するに、これらは、「苦痛を避ける」とか「快感を高める」ということによって、行動の方向性が予め設定されているということであり、まさに、フロイトのいう「快感原則」である

人間のあらゆる行動が、この原理により、方向づけられているといえる訳だが、この観点からは、学問とか思想というのも、同じように方向づけられる。ニーチェは、「あらゆる学問は虚偽への意志から生ずる」、と言ったが、それも、「生あるもの」として、このような方向性が植え付けられているからといえる。「真実」ではなく、「生きるのに都合のよいこと」、「苦痛ではなく快感をもたらすもの」が、「正しい」ものとして、築き上げられ、行き渡るのである。

この観点からは、「神秘体験」とか、臨死体験にもよく出て来る「光の体験」なども、快感を高め、生存欲を高める、「報酬」ということがいえる。実際、それに伴って、βエンドルフィンのような、「脳内麻薬」が分泌されているはずである。

さらに、広く「幻覚」なども、「幻覚剤」を使用する場合と同様、生存欲や、行動、思想を支配する重要な道具となっている。側頭葉を電気刺激すると、さまざまな幻覚を見るという実験があるが、人間はそのように、もともと、幻覚を見るようなシステムを植え付けられているということである。

このような、脳内物質の設定は、基本的に、人間の生きる意欲を高め、活動的にさせるように働く。人間が生きて、活動することとは、実際は、支配する側にとって、都合の良いことをなさせるということである。たとえば、それは、感情の振幅を高めることにより、「捕食者」的な存在にとっての食糧を生み出すし、また、宇宙を動かし続ける燃料(ルーシュ)を生み出す

さらに、「捕食者」などの存在によって、直接「幻覚」がもたらされる場合もある。それは、幻覚剤などよりも、人間の内面の動きに沿った、より直接的で効果的な幻覚をもたらすことができる。それによって、混乱や苦痛も深められる訳だが、それも結局は、彼らにとっての「食糧」や「ルーシュ」の生産に資すことになる。統合失調状況にみられるものが、その典型である。

このように、「麻薬」の問題は、突き詰めていくと、人間という存在そのものに対する、「支配の構造」をも、浮き彫りにすることになる。というよりも、むしろ、「麻薬による支配」というものは、人間を支配する存在による、人間支配の構造を、人間の支配層が、さらにたちの悪い仕方で真似て、人間の被支配層に対して、適用したものというべきなのである

そうしてみると、麻薬や精神薬というものには、人間という存在そのものに絡む、一筋縄ではいかない、根源的な問題が、潜んでいることが分かる。精神薬の問題が、いろいろ取り沙汰されつつも、そう簡単には、止められたり、解決がもたらされたりしないのも、そのような根源的な問題に関わっているからだろう。

それは、単に、利用されている側の多くの者が、それが、本来「麻薬」であることを知れば、解決するなどという、単純な問題とはならないということである。だから、このように、「麻薬」とは何かということを、本質的なレベルで考えるということも、必要になってくるだろう。

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