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2014年1月10日 (金)

「ドーパミン仮説」について1

新年初めの記事になる。

これまで、「狂気」または「統合失調状況」の本質を中心に述べて来たわけだが、去年は、精神医学や精神薬の問題を掘り下げて述べることが多かった。「精神医学や精神薬の問題」とは、要するに、「精神医学」が、「狂気」または「統合失調状況」に関して、紡ぎ出してきた、「幻想」または「虚偽」ということである。

これらの「幻想」「虚偽」がのさばっいている限り、「狂気」または「統合失調状況」の本質ということに目が向けられ、探られることはない。だから、これらの「幻想」や「虚偽」を暴くことも、このブログの意図することの一部となる。

特に、現代の精神医学を支えている「幻想」「虚偽」の代表格が、「ドーパミン仮説」(うつ病の場合「モノアミン仮説」)と「精神薬」になると思う。これらの「「幻想」「虚偽」の背後には、「精神疾患」なる「病気」が存在するという、さらに大きな「幻想」「虚偽」がある。しかし、この背後の「幻想」「虚偽」を支えるのもまた、「ドーパミン仮説」と「精神薬」によるところが大きいので、これらの「「幻想」「虚偽」をしっかりと暴いておくことは、重要である。

「精神薬」については、既に十分述べたので、今回は、「ドーパミン仮説」について述べたい。「ドーパミン仮説」とは、統合失調症は、「ドーパミン」と呼ばれる神経伝達物質の過剰によって生じる、という仮説である。

統合失調症の治療薬は、「抗精神病薬」であり、これは、ドーパミンの受容体を塞いで、ドーパミンの活動を抑えようというものである。それにより、ドーパミンの過剰(不均衡)が抑えられ、均衡が図られるとするのである。

このような仮説と、治療方法としての「精神薬」が、互いに補い合って、現代の精神医学に、根拠や意義のようなものをもたらしている。

非常に、単純明快ではあり、これが信じられるなら、「狂気」やら「精神病」やらと言うのも、何のことはない。ただの「神経伝達物質の不均衡」に還元できるのである。それは、本来、「精神薬」の開発・発展によって、治療されるべきものとなる。精神疾患、特に統合失調症が、「治療不能の謎めいた病気」とみなされたことからすれば、大きな「進歩」であり、「恩恵」である、と思われるのも無理がない面もある。

しかし、既に述べたように、また、最近の多くの研究が明らかにするように、このような仮説にも、精神薬の治療効果にも、根拠がない。つまり、これらは、多くの者の単なる願望と、それにつけ込んだ、支配層及び、製薬会社、精神医学の複合が作り上げた、「幻想」であり、「虚偽」に過ぎない。結局は、こういった「幻想」「虚偽」が、より多くの「病気」を作り出しているのだし、精神疾患なり、精神の問題の本質を、深く追及することを阻んでいるのは、間違いない。

そこで、「ドーパミン仮説」だが、これは、もちろん何ら証明されたものではない、単なる仮説である。しかも、この仮説の根拠は、『もう少し知りたい統合失調症の薬と脳』にも述べられてるとおり、薬をいろいろ試してみた結果、たまたま、ドーパミン抑制作用を有する薬が効いたとされることから、統合失調症はドーパミンの過剰によって生じるに違いない、と推察されたものである。

そもそも、初めの出発点の、「薬が効いた」ということすら怪しいのに、その後も、論理の単純化と飛躍のみで成り立っているようなものである。

薬が効くということの論拠が怪しいことは、既に何度もみてきた。確かに、一時的には、興奮状態にある統合失調症の者を、沈静する効果はあるかもしれない。しかし、これは、ドーパミンが過剰であろうが、過剰でななかろうが、ドーパミンを抑制する薬の作用の結果として、あり得ることであって、これから直ちに、統合失調症の者はドーバミンが過剰である、などというこどか言えるはずがない。

また、長期的には、服用している薬を止めると、再発率が高まるということが、薬が効くことの根拠としてよくあげられる。しかし、この「再発」なるものも、起こっている現象を、もともとの病気に結びつけて、主観的に解釈したものに過ぎない。むしろ、これは、『心の病の流行と精神科治療薬の真実』でみたように、脳の薬に対する補償作用としての、「リバウンド効果」によるものと解した方が、よほど説得的である。また、投薬の長期的な転帰の研究によっても、薬を止めたり、飲まなかった者の方が、転帰が良いという結果が出ている。薬は、治療に効果を及ぼすというより、むしろ慢性化させ、悪化させているのである。

いずれにしても、これらは、薬が、統合失調症の者の脳の伝達物質の過剰を抑制して、均衡をもたらした、などどは信じられない結果である。むしろ、脳の伝達物質が過剰でもない者に、ドーパミンを抑制する薬を長期的に作用させた結果、脳の機能がマヒし、崩壊したものとみざるを得ない。

しかし、今後の研究によっては、統合失調症において、ドーパミンの過剰がみられるということが、はっきりと示されることは、あり得ることである。

その場合でも、「ドーパミンの過剰」なるものが、「統合失調症」という状況と関連して、見つかったというだけであって、それが、「統合失調症」という病気を生み出した「原因」などとは、とても言えない。なぜ、並行して起こっている現象を、「原因」とみなさなければならないのか。脳で生じている現象は、それに対応する「精神的現象」の「原因」いうことが、初めから決まっているのだろうか。

これは、前にも例としてあげたが、たとえば、「怒り」という現象においても、ノルアドレナリンなどの伝達物質が過剰に生じているだろうが、その「怒り」の「原因」は、ノルアドレナリンの過剰だと言うのと同じである。そこで、ノルアドレナリンの過剰を抑えることができれば、確かに、一時的には、「怒り」という身体反応は、みかけ上抑えることができるかもしれない。しかし、その「怒り」の本当の「原因」が明らかにされない限り、その「怒り」は、本当には取り除けないし、何度となく繰り返されるはずである。      

それを、ある意味の「原因」と認めるにしても、それは、せいぜい、みかけ上の、あるいは、表面的な「原因」であって、さらにより深い「原因」が探られなければ、意味のないものである。

この仮説は、先ず何よりも、精神薬の効果が、「原因」のレベルから作用すると言いたいがために提出されたもの、というのはみえやすいことである。しかし、それはおくとしても、一般に、「原因」が分からないという状態は、落ち着かないもので、それを認めることは、医学上、また治療上も望ましくないということはあるだろう。「原因」としては、できるだけ、単純明解で、対処可能な「原因」を見つけ出したい、という志向があるのも分かる。つまり、その「原因」は、扱いにくい、精神的なものなどでなく、客観的に操作可能な、「物質的なもの」であってほしいということである。しかし、それらは、単なる「願望」なのであって、根拠に基づくものではない。

もし、そのような「原因」以外、「原因」と認めたくないというなら、それは、本当に「原因」を追及することを、初めから放棄しているも同然である。

さらに言うと、たとえ、「統合失調症」という状況に関連して、「ドーパミンの過剰」なるものが、みつかったとしても、それが具体的に、どんな「症状」と関連して起こるのかは、何ら明らかでない。「統合失調症」で生じる、例えば、幻覚や妄想などの症状全般において、「ドーパミンの過剰」が起こるというのか。ある症状について、それが起こるというなら、他の症状との関連はどうなのか。それらの症状同士は、それなりに複雑な絡み合いをしているので、ある症状で「ドーパミンの過剰」が起こったとしても、他の症状ではそれが緩和されたり、あるいは他の、もっと重要な伝達物質の過剰または不足が生じているかもしれない。

あるいは、むしろ、「ドーパミンの過剰」なるものは、これら統合失調症の症状とされるものからではなく、それに対抗しようとする反応から、生じているという可能性もある。その場合には、「ドーパミンの過剰」を抑えようとすることは、むしろ、その対抗反応を台なしにしてしまうことになる。

いずれにしても、たとえ「統合失調症」に関して、「ドーパミンの過剰」か見つかったとしても、単純に、ドーパミンを抑制する作用を有する精神薬を与えれば、均衡が図られ、治療されるなどということになるものではない

私自身は、実は、統合失調状況においては、ドーパミンとは限らないが、多分「ドーパミンの過剰」が生じている、とみているのだが、この私の考えについては、次回に述べたい。

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