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2013年12月10日 (火)

どぶろっくと「妄想」

もてない男の妄想を歌にして、ウケているどぶろっくだが、この妄想を借りて、統合失調性の「妄想」とどう違うのか明らかにしてみるのも、面白いかもしれない。

「電車に乗って席についたら、正面にいた女が後ろを振り向いたんだ。もしかしてだけど~、もしかしてだけど~、それって背中に「好き」って書いてほしいんじゃないの~?♪♪」

ずこい妄想だが、それだけに統合失調性の「妄想」とも通じるところがある。要するに、この妄想で、肝心の「もしかしてだけど」が抜け落ちちゃったのが、統合失調性の「妄想」なのだ。この歌から、この部分を抜け落としたら、「しゃれ」にもならないし、ウケもしないだろうが、本当にそうなってしまっているのが、統合失調性の「妄想」なのだ。

しかし、どうして抜け落ちちゃうかと言うと、それは、思考能力がないからでも、思い上がりが強い(それは多少あるかも)からでもない。

この歌では、

正面にいる女が後ろを振り向いた→自分を意識しての行動に違いない→何か自分にアピールしたいのだ→そうか「好き」っ書いてほしいんだ

という勝手な思考というか想像の連鎖が、このような妄想を導いている。かなり強引な、根拠の薄いものなので、さすがに「もしかしてだけど」という仮定の意識が入っている。

ところが、統合失調性の「妄想」は、このような思考または想像の連鎖だけで成り立っているのではない。そこには、「私の背中に好きって書いて」という「声」が、はっきりまたは無意識下に、聞えてしまっているのだ。つまり、その「妄想」は、思考の連鎖があるにしても、「知覚」というものに基づいて、出てきているのだ。傍からみたら、「とんでもない」「妄想」でも、本人には、はっきりした、または無意識下の「知覚」という根拠があるわけである。だから、「もしかしでけたど」という仮定が抜け落ちてしまうのだ。

しかし、たとえはっきり「声」が聞えたといっても、電車で会った女が、いきなり「背中に好きって書いて」なんて言うことがあるはずがない。たとえほんとに言ったのだとしても、本気のはずがない。そういう、常識的判断が働かないのは、やはり「おかしい」、と人は言うかもしれない。

それは確かにそうだが、この者は、たまたまそのときだけ、このような「声」を聞いたのではない。そのような「声」にしっちゅうさらされているから、混乱し、通常の判断能力は働きにくくなっている。それに、そのような「声」の世界が、その者の「日常的現実」に浸食し、その「現実」を切り崩しかかっているから、「現実」そのものの基準が変わってきてしまっている。

さらに、この「声」というのが曲者で、「ガチでリアルにヤバイ」のだ。つまり、それは、心の琴線に触れる、強烈な印象を残すもので、とらわれないとうことの難しいものだ。そんなことをしたら、警察に突き出され、精神病院に連れて行かれること請け合いだが、ほんとに「背中に好きって書いてしまいたくなる」ような性質の「声」なのだ。

だから、この者は、本当は、そのような強烈な「声」は、普通の女の子が出せるようなものじゃない、ということにこそ気づくべきだった。一見、その女の子が言っているようでも、それは何か違うところから来るものだ。

そんな、素性の知れない「声」を真に受けてはいけないし、振り回されてもいけない。そうできれば、それでことは解決だ。何も「病気」だの、何だのと言う必要もない。

でも、それを「真に受け」てしまうことには、この歌の妄想の場合と同様、どうしようもない、愚かな「欲望」が働いているのは確かなことだ。そればかりは、誰であれ、容易には振り払えない、ということになってしまうのかもしれない。

「そういうことだろう?♪♪」

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