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2013年12月31日 (火)

「病気作り」のパターン 2

人が、不安や不眠、その他の何らかの不調を訴えるとき、もっとも処方されやすい精神薬が、「ベンゾジアゼピン」である。「抗不安薬」であり、「精神安定剤」、「睡眠導入剤」とも呼ばれる。しかし、これは、SSRIにも増して、たちの悪い「病気作り」の元であり、次のようなパターンをみることができる

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ベンゾジアゼピンは、GABAと呼ばれる抑制系の伝達物質の受容体に結合して、神経活動の抑制効果を高める。それが、不安を抑え、睡眠を導入するとされるわけである。確かに、一時的な効果は高いとされているが、しかし、それだけに、その依存性、中毒性は強く、副作用や、薬を減らしたり、止めたときの「離脱症状」も強烈である。要するに、効果から言っても、麻薬と同様の作用である。

脳は、GABAの受容体の密度を下げるなどの対抗措置をとるので、薬を止めると、GABAの抑制作用が効かなくなり、異常な神経活動が生じる。それが、不安発作、抑うつ、非現実感、幻覚、妄想、けいれんなどの「離脱症状」を生じる。さらに長期的には、GABAの抑制作用の摩耗、崩壊が起こり、「認知障害」つまり、前回みた「陰性症状」と同様の荒廃した状態をもたらす。

このように、この精神薬は、イメージ的には、「軽く」「気軽に服用できる」精神薬のようであるが、実際には、依存性、中毒性も高く、その副作用と離脱症状により、ほとんどどのような「症状」をももたらし得るほど、たちの悪いものである。つまり一度、依存すれば、容易には抜け出ることができず、自ら「病気作り」のパターンにはまってしまう。いわば、「病気作りの万能薬」なのである

実際、図にみるように、それから生じる症状で、「パニック障害」や「うつ病」または「双極性障害」、「統合失調症」などが、容易に認定される状態になってしまう。さらに、前回みたように、新たな治療薬の投与と、症状の拡大により、一層荒廃は推し進められるのである。

この薬は、単剤で処方されるだけでなく、うつ病や双極性障害などの治療薬にも併用される。つまり、どのような「病気治療」にも、「病気作りの万能薬」が紛れ込んでいるのも同然なわけである。

さすがに、ある時期から、このベンゾジアゼピンの依存性や中毒性も注目されるようになって、イメージはダウンしている。しかし、ちょうど、それに呼応するように、この精神薬の「病気作り」の役割にとって変わるような、「軽く」「よい」イメージのSSRIのような精神薬が開発されたのだとみられる。そして、そのどさくさに紛れるようにして、ベンゾジアゼピンも、精神安定剤として、相変わらず投与され続けているのである。

現在、大きくイメージダウンしたSSRIが、「うつ」を初め、多くの病気に、相変わらず処方されさ続けているのと同様である。こういった、便利な「病気作り」の元は、そう簡単には、手放せないないものとみられる。

そして、最後に、これらの精神薬は、子供、場合により乳幼児にも投与さていることこそ、真に「恐ろしい」事実である。

子供にも、「うつ病」や「双極性障害」などの精神疾患は認定されるし、SSRIのような「抗うつ薬」や、双極性障害では、多様な「薬剤カクテル」が投与されている。そして、子供の「発達障害」の一つとして、「ADHD(注意欠陥多動性障害)」があるが、これに対しては、「メチルフェニデート」と呼ばれる精神薬が、投与される。これもまた、次のように、「病気作り」のパターンを生み出す、強力な「精神薬」なのである

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メチルフェニデートは、「精神刺激薬」とも呼ばれ、伝達前ニューロンの受容体によるドーパミンの再取り込みを防ぎ、ドーパミンの活動を高めるものとされる。それが、ADHDの者の、注意や集中力を高めるとされるのである。これは、要するに、「覚せい剤」と同じ作用であり、実際、アンフェタミンのような覚せい剤と類似の構造をしている。商品名としては、「リタリン」が有名である。

かつて、うつ病の治療薬して使われたが、依存性や危険性のため使われなくなった。そんなものを、子供の治療薬として使っていること自体が、大きな驚きである。

これも、確かに一時的には、注意力や集中を高める効果はあるようだが、依存性が強く、SSRIのセロトニンの場合と同様、脳のドーパミン代謝機能の異常をもたらす。その結果、さまさま副作用と、精神的「症状」がたもらされる。

一つに、興奮性、衝動性の高まりと不安との交代ということが起こる。これは、双極性障害の「症状」そのものであり、実際、子供にも「双極性障害」が認定され、近年急激に増えたとされる。が、それは、SSRIとメチルフェニデートによってこそ、もたらされたものというべきなのである。

さらに、「昆虫や蛇、芋虫などの視覚性幻覚や触覚性幻覚」が生じるとされる。これも、「統合失調症」と認定される症状になっている。しかし、これらの症状は、要するに、「覚せい剤中毒」あるいは「幻覚性薬物中毒」の症状そのものにほかならない

そして、この場合もやはり、最終的には、「認知障害」とされる、感情の鈍った、無気力で、荒廃した状態をもたらすことになる。

そもそも、「注意欠陥」とか「多動性」というのは、親や学校の先生、施設の管理者など、「大人の都合どおりに動いてくれない」ということを意味している。それが、メチルフェニデートによって、一時的には、「大人の都合に沿う」という意味で、「大人しく」なる効果があるとされることから、子供に「覚せい剤」同様の薬を飲ませているのである。しかし、その当然の結果として、長期的には、「覚せい剤」中毒と同様の、荒廃した状態をもたらすことになる。このようなことが、実際に、行われているのである。

メチルフェニデートに限らないが、大人ですら危険で有害な精神薬を、子供に飲ませるということは、信じ難いことである。そこには、製薬会社や精神医療ビジネスの、商戦拡大という意図の巧みな実現があるのは確かだろう。しかし、それを成り立たせているのは、「大人」一般の、(いうことを聞かない)「子供」を従順にさせたいという、強い「願望」であることも疑いない。そうでなければ、たとえ精神薬についての「無知」があるにしても、子供に精神薬か処方されるなどということが、ここまで、まかり通るはずがないのである。

そして、もちろん、そういったことは、将来に向けて、支配体制から逸脱する、あるいは、その恐れのある子供を、「排除」しようという「支配層」の意図に、十分過ぎるほど貢献しているのである。

今度は、「麻薬」一般についても、述べてみたい。

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コメント

ひどいものです。

大人も勿論ですが、子供へのベンゾジアゼピンやコンサータ投薬について、医師と親の「共同虐待」とU医師のお言葉にありますが、その通りだと思います。

子供はどの子も必ず育ちます。時期や有り様もさまざまに、あたかも銀杏の種が銀杏の木になり、朝顔の種が朝顔の花を咲かせるように。

身近な例で話します、うちの息子は幼少から面白い行動が絶えず、いくら教えても見せても片付けや整理整頓が出来ず、宿題も度々忘れ、集中すると何もかも見聞きできなくなる。

「自分もすごかったが、さらに上を行く」と主人は嬉しそうでした。反面、息子が人を意味なくからかったり、要領よく立ち回ったりした時は厳しく叱ったものです。

学校の机やロッカーはミキサーかけたようにごちゃごちゃ、見たこともない数字が並んだ通知票

中学になり教師から「何十人もが通院して、学業が格段に良くなりました。将来の為です」と何度も受診を勧められて、本人考えたあけく、一度だけ精神科に行きました。しかし薬を一回飲んで激しい違和感を感じると言い、私も賛成し病院とは縁を切りました。

その後高校入学後キャンプ場のバイトに精勸し、心身成長、みるみるうちに掃除上手整理上手になり、段々に自己を確立し、卒業後は自分で決めた進路へと飛び立ち、今2000キロ離れた地で自分の道を奮闘しております。

先日かつての担任に経過を話したら、信じられないという驚きようでした。無理もありません。

文科省指導要項的メガネから見れば異常に見えても、「彼には彼の人生航路がある」と楽しみつつ伸ばしてくれた主人、周囲の理解ある大人や子供達に感謝です。

同じ教師に同様に勧められ受診した一学年上の子供さんがおられることを最近知りました。三年経った現在も、何らかの理由で通院しているらしいです。(近々連絡したいと思っています)

あまり好きでない例えですが、学校で例えるなら、毎回平均70~80点タイプもいるし、20点とって、奮起していきなり150点、また怠けて30点とるタイプ、なにやっても30点だけど、くさらず真面目に取り組むタイプ、色んな子供がいて当然です。

「150点、すごい、羨ましい!」「努力かー、ああいう人には勝てんなー」「なにげに、あの人は信用できる」など、どの子も感じ考え年月をかけて苦労して成長するから人生面白いのであって、

毒でも何でも、他力本願の異物によって人間の質や性格を変えようとするとは、何事でありますか。(治療、と言った瞬間から本人の人格を全否定していると私は思う)

生まれおちた日から十年二十年、人に鍛えられ、人に教わり、人に可愛がられ、人に泣かされ、勿論自らも人に影響を与えながら、無数の経験を糧として、一人の人となる。

それこそが生きることそのものだと思います。その人生航路を、言葉巧みに信用させ、甘い毒薬で分断し、じわじわと喪失させ無価値化させていくことは許されません。

「人殺しと金儲け」向精神薬製造販売の目的はこう言われても仕方ないところです。きれいごとをあとから沢山付けたして分からなくしているだけ。

しかし、この先「あり得ない詐欺行為をなくするため」行動はしても、心中私には精神医療も製薬会社も裁くことは出来ません。騙されるだけの根深い原因が、当然自分にあるからです。

楽して心を変えようとする醜さはいまだに自分の内に根強く、苦い思いで省みております。

みるくゆがふさん、お子さんの例もあげながら率直に述べて頂いてありがとうございます。

通知表には、「みたこともない数字」が並びましたか(笑)。私も、ブログにも書きましたが、幼稚園の頃から「自閉症」の傾向があり、それは小学校低学年頃まで続きました。通知表には、毎回「作業が遅い」と書かれていたようです。何もしなかった幼稚園の頃に比べれば、「進歩」でしょうが、明らかに周りの作業からは遅れていたのでしょう。

母親にも、よく「グズ」と言われていましたから、みるくゆがふさんやご主人のように、暖かく見守られるということはなかったです。また、母親は、次の日の時間割の準備など、私がしないことを代わりにやってしまうこともあったようです。これも、よくないことですよね。自分の「行い」は、やはり自分にちゃんと帰ってくるようなことは、身をもって体験させなくてはならないと思います。

それでも、私も、小学校高学年から中学の頃には、ほとんど「自閉症」の見る影もなく
変わりました。「集団行動」に適応できないという感覚は、その後もずっと残ってますが、まあ自分なりに、何らかの対応をすることをおぼえたのだと思います。スポーツ(体育)が好きで、得意だったことも、それこそ「生きる意欲」を高めて、積極的になることに影響したのでしょう。

思えば、周りを見ていても、子供の頃の「性格」というか「習性」は、思春期の頃またはその後には、本当に変わってしまうものです。大人しかった人が、信じられないくらい積極的になったり、いじめられっ子が、「わる」になって恐れられたりします。逆に、いつも怒られていたいたずらっ子が、いかにも大人しく、まじめな生徒になってたりします。

それが、面白くもあり、不思議でもありますが、そのような「性格」や「習性」を、「脳の病気」などとして、一生続くことのように固定し、精神薬を一生飲み続けなければいならないものにするというのは、信じ難いことです。もちろん、子供の頃から一生飲み続けさせることは、製薬会社にとってこのうえなく儲かることでしょうが。仰るとおり、「治療」と言った時点で、子供の「人格全否定」だと思います。それは、一定の年齢に達した子供なら、間違いなく「受け取る」ことでもあります。つまり、「人格の否定」という痛手を背負って生きていくことになり、それを変えるような意欲やモチベーションも失うことになります。それは、あらゆる精神疾患についても言えることです。

こういった精神薬は、麻薬と通じる、あるいは麻薬そのものというものが多いですが、近いうちに、この麻薬についても、少し突っ込んで述べてみたいと思います。

幼稚園門前での必死の抵抗、実は既に半年前に延々ブログで興味深く読みました(笑)今回もティエム様のコメントにうなずかされます。連綿とつながるテーマ、来年もどうぞ宜しくお願い致します。

ティエム様、読者の皆様に、ブログという学びの場を頂き感謝しております。2013年も残りわずか、こちら賑やかな年越しです。虚無というには、虚偽というには、生はほっと暖かくいとおしいです。

BGMは「愛しき日々」…どうぞ良い御年をお迎えくださいませ。

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