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2013年11月21日 (木)

「うつ」と「自殺」の問題

野田正彰著『うつに非ず』でもとりあげられていたが、「執病化」(医療化)の大きな問題の一つとして、<「自殺」の問題が「うつ」の問題にすり替えられる>ということがある。この問題は、様々に複雑な問題をはらんでいるのみならず、「狂気」一般についての、根本的な問題にも通じている、重要なものというべきである。

「自殺が増える」という問題がある。そこには、さまざまな原因があるだろう。その多くは、社会的、経済的な原因だろうし、そのほかにも、様々な個人的な事情があるだろう。あいるは、それは、もっと根本的な、「実存的」な問題だったのかもしれない。こういったことが、「うつ」の状態をもたらすこと自体は、当然あるだろう。しかし、そのような状態をもたらすこともなく、自殺が決行される こともある。いずれにせよ、「うつ」ということ自体が、「原因」などと言えるものではない。

しかし、精神医学の発想では、この「自殺が増える」ということと、「うつが増える」ということが、いつのまにか結びつけられている。つまり、「自殺」の原因は、「うつ」という「病気」であることが、当然のことのようにみなされる。それで、「自殺」を減らすためにも、「うつ」を治療することが大事である、という風にもっていかれる

この発想では、「自殺」が増えれば、当然、「うつ」も増えたことになる。「うつが増える」といわれることの重要な一因が、ここにもあることが分かる。

「自殺」の問題を「うつ」の問題にすり替えることには、一つには、まさにそのような、製薬会社や精神医学の側の商戦の拡大戦略という意図があるだろう。「自殺」予防のためには、「うつ」の早期治療が大事というアピールである。

しかし、『うつに非ず』でも明らかにされているように、「自殺」は、実際には、SSRIを始めとする「抗うつ薬」の「副作用」により喚起されていることが多いのである。「抗うつ薬」が、脳を撹乱し、興奮させ、「抑制」を取り払うものとすれば、このような衝動的行動を誘発することは、当然考えられる。実際、最近では、薬の添付文書にも、このことを書くことが義務づけられている。

さらに、「抗うつ薬」による「離脱症状」(禁断症状)があまりに辛いために、それに耐え切れずに自殺する場合も多いであろう。

こういったことは、いかにも、皮肉な結果である。「自殺」予防のための手段であるはずの薬が、むしろ自殺を促しているのであるから。こうなると、「自殺」は、「うつ」が原因なのではなく、「投薬」が原因なのである、と言ってもいいはずである。

あるいは、そのような結果も、始めから見込まれたうえで、それを覆い隠すために、「自殺」は「うつ」が原因と、ことさら「強調」されていたものとも勘ぐりたくなる。

しかし、いずれにしても、<「自殺」は「うつ」という「病気」が原因で起こる>などとは言えないことは、はっきりしている

そして、このような「執病化」(医療化)の問題も、また、「自殺」という「厄介な問題」を、我々や社会が正面から問うことをしないで、精神医学に「丸投げ」し、安易に「片付け」ようとしたことに基づく、と言わざるを得ない。「自殺」が「うつ」を原因として起こるなら、それは、「病気の治療」の問題であり、それ以上に原因を問うたり、追及する必要はない。それは、要するに、「病気」のせいなのであって、後に残された者は、誰もそのことで頭を悩ますこともない。特に、身近な者は、自分の何らかの振る舞いが影響したなどという、思いを抱く必要もない。ある意味で、最も手っ取り早く、「平和的」な解決方法なのである。

そして、ここには、自殺という形で「死」が関わっていることも大きなポイントである。記事、『精神科に「やりたい放題」にさせた「システム」 』( http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-107d.html )でも述べたように、「死」と「狂気」には、独特のタブー意識がからまっており、それを正面から言挙げすることは忌避され、「厄介払い」への指向が強い。だから、精神医学のような特殊の業種に「丸投げ」され、その「対価」ではないが、ある意味当然の結果として、「好き放題」される基盤にもなっている。

「自殺」と「うつ」の問題は、この「死」と「狂気」のどちらにも関わるだけに、本質的なものがある。

さらに、『うつに非ず』でも、いかに「自殺」ということが、日本社会で、一般に、忌み嫌われているかを明らかにしている。たとえば、自殺者の遺族は、自殺者がアパートに住んでいた場合に、家主や不動産業者から、慰謝料を含めて、法外な損害賠償をとられるらしい。なんと、「お払い料」までとられることがある。

そこには、もちろん「死」ということ自体が、忌み嫌われることがある。しかし、事故であれ、他殺であれ、病死、老衰であれ、他の死因であれば、まだそこには、納得をもたらすもの、仕方がないと思わせるものがある。しかし、自ら命を断つという自殺は、「理由」の分からないもので、納得できず、はた目にも、理不尽で、気味の悪いものである。そして、周りや、身内の者にとっては、さまざまな思いと感情的遺恨を残すものとなる。自殺の場合、本人も「浮かばれないだろう」との意識が、どこかに働くのでもあろう。

そのように、自殺ということ自体が、何か、非常に「悪い」もので、「穢れ」たもののようにみなされる。それは、(どこかおどろおどろしい、その意味で自殺にも通じる)「狂気」に対する、反応とも、似通っている。それは誰もが、口を突っ込みたくない問題であり、目を伏せたい問題である。しかし、それが、「病気」ということで、一応の「理由」がつき、精神医療による治療の問題として、「片がつく」ならば、とりあえず「丸く収まる」のである。

自殺の場合に、そのような「執病化」(医療化)が行われることに鑑みると、実は、「狂気」の場合にも、同じことが行われていることに気づくはずである。つまり、同じように忌み嫌われる「狂気」もまた、その本当の原因なり理由が模索されることもなく、「病気」(特に「脳の病気」)ということにして、精神医学に「厄介払い」することが、とりあえずの解決方法として、行われているのである。そもそも、「精神病」ということ自体が、「執病化」(医療化)の結果なのだ、と言って来たとおりである。

要するに、簡単に言ってしまうと、これらの全体が、「死や狂気から逃げ惑うためのシステム」として機能しているということである。

もちろん、だからと言って、そこにつけ込んだ、精神医学や製薬会社、さらに「支配層」も絡む、好き放題のやり方が許される訳ではない。が、結局は、我々自身が、「自殺」あるいは、その根底にある「死」そのもの、さらに「狂気」というもの、について正面から受け止めない限り、これらに、何らの解決ということもあり得ないのである。

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コメント

ティエムさま こんばんは

わたしが「発狂」を初めて経験したのは真っ白なゲレンデの中でした
右も左も上も下も空間の区切りのない中でじわじわと「狂気」に占領されて・・
「うつ病」の状態もベンゾジアゼピンの離脱、禁断症状として経験し
「生」の機能がストップし コントロールを失った
最も「死」に近かった状況からの脱出方法が精神薬でした
無知であったが故の選択ですが二度目の断薬を終えた今もあの時の脱出方法の正解が何であるのか分かりません
「生きる」ための最低限のコントロールを失った状況からの脱出法はあるのでしょうか?
ティエムさまのご意見を聞かせていただけたら幸いでございます<(--)>

千里さん。ありがとうございます。

『「生きる」ための最低限のコントロールを失った状況』というのが、「狂気」そのもののプロセスから生まれた場合、私は、その「状況」に身を任せるというのが、最善の脱出方法になるのではないかと思います。ただし、私の場合は、そうしようとしたのではなくて、もうそれしか手立てがなかったわけで、そうしたら、結果的に脱出していたのですが。

千里さんのように、「狂気」において、ベンゾジアゼピンの離脱、禁断症状というのが入り込んでいたという場合は、事情が違ってくると思います。その状況に身を任せることで、そこから脱出できるとも思えないからです。

「精神薬で脱出する」ということの意味がよく分かりませんが、「精神薬」を媒介することで、離脱症状を軽減しつつ脱出したということでしたら、それはあり得ることと思うし、また望ましい方法なのだろうとも思います。

ただし、私は、精神薬については、経験的にはよく分かりません。最近勉強した限りでは、思っていた以上に酷いもので、多くの「病気」はこれによってこそ作られていると思っています。ただ、人間にはもともと「脳内麻薬」ともいわれるような物質が埋め込まれているわけで、そのことの意味なんかも考えなければならないとは思っています。

ティエムさま ありがとうございます<(--)>

「精神薬で脱出する」ということの意味がよく分かりませんが、「精神薬」を媒介することで、離脱症状を軽減しつつ脱出したということでしたら、それはあり得ることと思うし、また望ましい方法なのだろうとも思います。

わたしに起こったことを傍でずっと見てきた主人と同じ意見でした

「うつ病」の状態は薬によって起きたものですが
「発狂」においては服用前に経験したことです
ティエムさまが使われている言葉をお借りするならば「狂気をくぐりぬける」体験は服用以前にもわたしは経験しているのだと思います
「精神科医療」「精神薬」についてはわたしだけでなく主人も一緒に深く理解しています
だからこそあの状況からの脱出法が分からないのです
私個人としてはもう精神科医療にかかわる気は全くありません
万人が思う「うつ病」と生死にかかわる「うつ病」は全く違うものですね
そこをくぐってみて分かりました
悲しいとかつらいとか逆に全く感じず「無」の状態でした

もともとある「脳内麻薬」の分量も個人差があって
そこがタミフルによって起こされる「発狂」の有無につながってくるのではないでしょうか?
またこれに関してもいつかティエムさまの意見を聞かせていただけたら幸いでございます<(--)>

『宙から宙へ』の最新記事も読ませてもらったので、それとの関連で少し感想を述べます。

「ある内科医」(K…じゃなくてU医師)が「うつ病などない」と言っていたことが腑に落ちなかったということ、私もよく分かります。初め本を読んだとき、やはり「統合失調症という病気はない」と言っていたことが、引っかかりました。しかし、それは、「病気」に重点があるので、「統合失調」とよばれるような状況がないと言っているのではないことが分かり、理解しました。今はむしろ、私自身、「統合失調症」なる「病気」はないということを強く押し出しています。これを「病気」と捉える見方こそが、問題を引き起こしているとみるからです。

ここでいう「病気」とは、精神医学でいう「病気」であり、「精神医療において(つまりは精神薬で)治療すべき病気」ということてす。一般に、普通にいわれるときの「病気」とは、少し違っていると思います。

それはともかく、「うつ」にもまた、「統合失調」の場合と類似の「死そのものへの接近」があることはよく分かります。やはり、「統合失調」も「うつ」もよってくる根源は、同じなのだと思います(私は、「虚無」とか「闇」と呼んでますが)。ただ、千里さんの場合は、単純に「うつ」という言い方ではくくれないものかとも思います。別に病名の問題ではないのだから、「くくる」必要もないわけですが。

ただ、やはり気になるのは、そこに、精神薬の離脱症状のような影響がもし絡んでいるとすると、その状態における「死の衝動」のようなものが、果たして純粋に「うつ」的な状況からもたらされたのか、精神薬による作用なのか判然としないということがあると思います。そうすると、やはり、「その状況に身を任す」というようなことは、(単に薬の作用に乗ることにもなってしまうので)とれないということになると思います。離脱症状のような強烈な精神的、身体的状況があるとすれば、あえて精神薬を使うことでその状態を緩和する必要がある場合も出てくるかと思います。

いずれにしても、精神薬の問題は、そのようにもともとの「狂気」の状態にも混乱をもたらして、より「酷い」状態、または対処の難しい状態をもたらすことにあると思います。精神薬の作用がなければ、「うつ的な状況」が「死そのものへ接近」するときの状況がどのようなものか、もっと純粋に明らかにできたことを思うと、残念な面があります。

先のコメントに追加します。

質問ですが、「発狂」という言い方で、服用前に起こったこととして言われていることが、「死そのもの(虚無または闇)への接近」(ブログで「死への衝動が止めようもなく起こった」と言われていることと関連すること)なのでしょうか。もしそうだとすれば、それは、確かに精神薬の影響ではなくて、状況そのものから生じた反応ということになりますね。そうだとすれば、その部分については、先のコメントで言ったことは、あてはまらなくなります。

そうとすると、その後、そのような死に接近した状況から、初めて精神薬を使うことになり、精神薬でその状況を脱することになったということなのでしょうか。私は、ベンゾジアゼピンの離脱、禁断症状から脱するのに、精神薬を使ったという風に理解したので、そうすると、その点も違ってくることになりますね。

もし、これらの点をもう一度コメントしてもらえたら、また私なりに考えを述べますが、よろしいですか。

お久しぶりです。
ティエムさんと千里さんのコメントを拝見しました。私は統合失調症と診断されていますが、現在投薬しながら日常生活に支障ないほど回復しています。新しい就職先も見つかり、やっと止まっていた時間が動き出したように思います。
私のことを少し書きますと、病気が発症したのは2009年の夏です。リーマンショックでリストラに会い
一人暮らしで社会と接点がないときに、妄想気分が起こり闇の組織に狙われていると思うようになり錯乱状態になったのが始まりでした。

私が病気になってからは、スピリチュアル、精神医学、占星術、魔術、数学、などの分野の本を読み
自分の病気の根本の原因がなんなのか自分なりに突き止めました。

結論から言うと闇の組織に狙われていたのは、妄想ではなく事実であり、幻覚や幻聴を引き起こすことは闇の住人にとってはたやすいということでした。
私の考えでは闇の住人は『真理』に気付かれることをもっとも恐れています。
恐れる理由はここでは省略しますが、一般人が真理に気付かれると闇の住人とって都合が悪いのです。闇の住人は黒魔術を使ってあらゆる手段を使って人間を恐怖におとしいれます。

それは人間の心の隙を利用し、心理戦、知能戦を使ってしかけてきますので、私も2009年の夏には、このために錯乱しました。その後クンダリニーと呼ばれる現象が起き、魂の死というものも経験しました。この辺は説明するのが難しいので説明は省略しますが、その経験があるからこそ今があると思っています。

私の経験からこの狂気に襲われる状態から抜け出す道は、自分自身の欠点を洗い出し、改善していくことです。闇の住人、ティエムさんのブログでは捕食者と呼ばれる存在は、人間の欠点を利用をして攻撃をしかけてきます。捕食者にとって一番都合のいい相手は恐怖や不安に満ちている人です。こういう人達のネガティブな想念を利用して攻撃をしかけてくるので、まず自分の心を乱されないように注意深く生きることが私の取った手段でした。しかしながら、注意深く生きていると緊張してしまうものなので楽天的になることも大事です。この心のバランスをとるのは難しいですが、あとは訓練です。処方された薬はとりあえずきちんと飲んで(私も正直薬の効果はほとんどないと思っていますが、社会のルールに合わせてきちんと服薬しています)前向きに好きな音楽でも聴き、ユーモアを持ちながら生きていけば回復は早いと思います。

勝手に割り込んでコメントしてしまいましたが、千里さんの回復のお役に立てればと思いました。
それではまたコメントするかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします。

ティエムさま こんにちは

質問ですが、「発狂」という言い方で、服用前に起こったこととして言われていることが、「死そのもの(虚無または闇)への接近」(ブログで「死への衝動が止めようもなく起こった」と言われていることと関連すること)なのでしょうか

はい
服用前のことです
その原因の一つにおそらく歯科でのアマルガムの除去が考えられます
ブログにも書いた「死にたくない」のにベランダから飛び降りる行動に出る「狂気」の状態です
その時は不眠には陥りましたが精神薬が絡んだ時のように絶食状態(摂食障害)には陥らなかったのです
ですが あの「狂気」は身体をくくりつけてもらうか、力のある人に押さえつけてもらうかしか
「死」を免れる方法がありません
精神科はどうしても抵抗があったので内科を受診し そこで初めて安定剤(ベンゾジアゼピン)を処方されました
そこから3年後 何の知識もないまま その安定剤の服用を止めたことから
不眠、絶食の状態に陥り 衰弱が進み「死」に近づく結果になりました
なので わたしの例というのはおそらくものすごく少ない例であって
なかなかに理解されにくく わたし自身理解するのにかなり時間がかかりました
この「狂気」を経験し 精神薬の服用なしで生き抜いてきた人との意見交換はわたしにとって貴重な意味を持ちます
ティエムさまともうお一人(ティエムさまのブログを教えていただきました)出会うことができました

方法が分からなかったとはいえ 本能で理解していた精神科医療に足を突っ込んでしまったことは本当に残念なことです

トシさま
お心遣い感謝いたします
トシさんがおっしゃっていることはよく分かります
こうやってここでお話しすることも危険が伴うことですよね
本当に危険なのは表だって活躍してる人たちではないんですよね
10年前まではおっしゃるとおりユーモアですり抜けてきたように思います
コメントありがとうございました<(--)>

追伸

再度確認のため追記します
一度目の意図しない「死」をもたらす発狂は服用なしで起こったことで
二度目の意図しない「死」をもたらす衰弱はベンゾジアゼピンの服用、断薬後に起こったことです
この二度目のときに自ら精神科医を受診しました
言葉足らずで理解しにくく申し訳ありません<(--)>

トシさん。ありがとうございます。

とてもよくまとまっていると思います。

「私の経験からこの狂気に襲われる状態から抜け出す道は、自分自身の欠点を洗い出し、改善していくことです。闇の住人、ティエムさんのブログでは捕食者と呼ばれる存在は、人間の欠点を利用をして攻撃をしかけてきます。捕食者にとって一番都合のいい相手は恐怖や不安に満ちている人です。こういう人達のネガティブな想念を利用して攻撃をしかけてくるので、まず自分の心を乱されないように注意深く生きることが私の取った手段でした。」

統合失調状況の場合、このような外部的存在の攻撃という面が明確なので、それに対処することがやはり第一の課題と思います。薬などでは、あるいはその攻撃を「ごまかせる」ことはあるかもしれませんが、対処法や学びは絶対に身につけることのできないものです。何ら根本的な解決にはなるはずがありません。「捕食者」は、その攻撃対象から生じる「ネガティブな想念」を「栄養源」にもしていますので、本当に、信じ難いほどの執拗さをもって徹底的に攻めてきますね。こういった、「敵」の性質を知ることもまた対処法の重要な一部ですね。

千里さん。返答ありがとうございます。

服用以前と服用後と両方があったわけですね。ややこしいといえば、ややこしいですね(笑)。

「アマルガム」ありましたね。これも酷い話ですね。ただ、そうすると、これに含まれる水銀などが、脳または精神に影響して「死の衝動」のようなものを生んだという可能性も、あることはあるわけですね。考えてみると、私も、ブログにも書きましたが、ワクチンは受けているし、チクロその他の有害添加物出回り放題のときに育ってますので、そういった物質の蓄積が脳の脆弱性を形成したのが影響したという可能性はあるわけです。そうすると、薬の作用とそれ以前の「狂気」を純粋に分けるのも難しいのかなという気もします。また、薬の作用といっても、それが全く新たに作られるというよりは、もともと隠れていた衝動に火をつける、またはもともとの傾向を表に表出させるという面もあるかもしれません。

そういうわけで、服用前の「狂気」については、直接の「原因」は、私も分からないのが本当のところです。ただ、千里さんのブログを読んで、「闇」または「虚無」を身近に感じている(または見ている)ことは、私にも十分感じとられました。だから、直接の「原因」は何であれ、それはやはり、根底的には、「闇」またば「虚無」によって生じているという発想をした方がいいのかもしれません。特に、服用前の「狂気」については、それが言えるかと思います。

ただし、「闇」や「虚無」は、「狂気」をもたらす状況の根底にあるものだとしても、「狂気」そのものではありません。「狂気」とは、あくまでも、それらに対する(多くの場合ネガティブな)「反応」のことです。抑えようもなく「死の行動」をとるというのも、そのような「狂気」の一つでしょう。もちろんですが、私が「身を任す」と言ったのは、そのような「狂気」の行動にではなくて、それをもたらす状況に対してです。つまり、この場合には、身に迫ってきている、「闇」や「虚無」に対してです。それは、結局、それらに対して、もはや「反応」というものをしないこと、つまり、ただ静かに、「受け入れる」ということを意味します。といっても、実際には、積極的に「受け入れる」ことなどは無理なので、実際には、多少ネガティブな感じはつきまといますが、「降参する」とか「諦め切る」といった感じになります。(私の場合、「宇宙の死」ということを「受け入れる」(受け入れざるを得ない)ということが、そのような結果を招来しました)恐らく、「死の衝動」が抑え難く出たというのは、「闇」や「虚無」に「降参する」「身を任す」というよりは、それに対する拒否の反応が出たのだと思います。それ自体、人間として、当然の反応といえるものですが、やはり、その状況では、「狂気」に違いはありません。

もし、そのような反応もさらに「通り越し」て行った場合には、最終的には、「闇」や「虚無」を「受け入れる」ところまでいっていたかもしれません。それは、最終的な「脱出」につながったと思います。

しかし、現実的に言って、「死の衝動」は抑えなければ死んでいたわけで、それが結局ベンゾジアゼピンなどの「精神薬」によって抑えられたのか、力づくによって抑えられたのか分かりませんが、やはりそれ自体は必要なことだと思います。「精神薬」も一時的に目的を絞ってならば、そのような手段として「あり」だと私は思います。(統合失調状況で自他に危害を加えるなどの危険な状態についてもそれは言えます)

ただ、ベンゾジアゼピンというのは本当にたちが悪いようで、長期間服用すれば、副作用、中毒症状その他「酷い」ですね。それで、また「死への接近」が起こったのは、やはりその中毒症状がもたらした面が強いと思います。「病気」を作られてしまったということですね。薬またはその離脱症状が、さらに「狂気」を「かく乱」するので、そこでは、ちょっともはや、「闇」や「虚無」に身を任すなどのことは期待できないことだと思います。その状況も、「精神薬」を媒介にして、結局断薬にいたり、脱出したと私は理解しましたが、そのことも前回述べたように、やむを得ない手立てだったと思います。

このように、千里さんも、「闇」や「虚無」に接近しているので、その「摩訶不思議」の感覚は、強烈に今にも残っていることと思います。ただ、それと一体になり、それに包まれるといったところまでは、いっていなかったものと思います。

やはり、薬は「狂気」をかく乱しますので、極力控えた方がいいということ、本当に必要なときに、目的を絞ってのみ使うべきだということになると思います。

とりあえず、今はこんなところですが、また、新たに考えついたことがあったら、述べさせてもらいたいと思います。

おはようございます。
私がいろいろと調査した先に行き着いた人物がいます。
サマエル・アウン・べオールという人物なのですが、彼の書籍はティエムさん並びに狂気に苦しむ人にとって
役に立つと思い、以下にサイトのURLを記載しておきます。
http://minby.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/12/post_a64a.html
サイトにはPDFファイルのリンクが張ってありますので、それを一読してもらえればと思います。

それではまたコメントするかもしれませんが、よろしくお願いします。

ノーシス関連書の説明をざっと読んでみました。仏教、キノスト教、ヨガ、タントラなどを寄せ集め、現代的に改変したものという感じですが、内容的には興味深いものはあります。組織に関わらない限り、参考になるものはいろいろあるかと思います。

トシさんは、もちろん理解していると思いますが、他の特にこういったものに初めて触れる若い人のためにも一応述べておきます。特に、分裂気質の人は、なまじっか霊的な体験をしやすいために、こういったものに惹かれる傾向は強いので、注意が必要です。

魔術、秘教、(宗教的)真理などを探究するとき、特定の人物の「教え」というものに、どのように関わるかということも、一つの大きな問題として出てきます。これには、徹頭徹尾、「自分自身で考える」べきであり、他人の教えには一切関わるな、という立場もあるでしょう。が、探求の過程で何かしらこういったものに触れ、啓発されたり、心を振り動かされるということは、当然あるはずのことです。何か、特定の教えに惹かれて、入れ込んでしまうということもあることでしょう。私も、やはり何度かそのようなことがあります。今は、こういったものすべてには距離をとっていますが、一時かなり入れ込んだようなものもあることはあります。何かの現代的教えというよりは、もともとの仏教そのものに対して一番入れ込んだので、そのことから来る被害のようなものはありませんでした。が、もし何か特定の「カルト」のようなものに惹かれれて、そこに関われば、そこから離れることも難しくなり、人間関係にも支障を来たし、探求も偏ることになり、結果として大きな被害を被ることになります。

「一度もそのような経験がない」というのも、探求のうえでどうかと思いますし、本当に心底「これだ」という思いが生じたなら、とことんやってみるという一徹な態度も、探求にとっては、必要なことがあるでしょう。

そのあたりは、最終的には一人一人の選択、自覚の問題になりますが、安易にこういったものに惹かれて、入れ込んでしまったり、即座の行動に出たりしないよう、注意は喚起しておきます。

ティエムさん、注意喚起代弁してくれてありがとうございます。
確かにこの手の本を読むと日常生活とのバランスが取りにくくなるという特徴があると思います。
私は統合失調症に対する根本的な原因を知りたいという渇望があり、それが絶望の淵で
自分を動かす唯一の原動力であったように思います。少なくとも自分の中で、納得できる答えという
ものを必死で探していたように思います。

私の場合、過去に錯乱状態に陥ったときに法律を破るという過ちを犯したために、日常生活に軸をおいてスピリチュアル、魔術、宗教などの関連本を読んでいました。最近はスピリチュアルな考え(前世、あの世、カルマなど)も一般的に浸透してきていると思いますが、そのことばかり、例えば自分の前世ばかり気にしているような人もたまに見かけますが、そういう態度は望ましくないように思います。

スピリチュアルに限らず、あらゆる教えというものはその情報発信者の主観というものが少なからず入っているものなので、その点を自分なりに消化(昇華)してこそ本物の教えとなるはずです。

あと私としては精神病を患った方は病気にのみフォーカスを当てがちになりますが、いろんな分野の本を読むことでうまくバランスがとれるかなと思っています。要は気分転換を上手く取り入れて欲しいですね。

それではまた。

ティエムさま お返事ありがとうございます<(--)>

この2年でいろいろなことを学び理解しました
おそらく精神薬にはひっかからないであろう人種(笑)の主人に改めて学ぶことも多く
そしてたどりついた答えがティエムさまが書いてくださったお返事の中にちりばめられておりました
ただ質問した「死」をもたらす「発狂」や「衰弱」時にどう対処すればいいか・・・の答えは明確に分からなかったのです
私個人としてはベンゾにしろ他の精神薬にしろ選択することはありません
代替えでしかなかろうとサプリメントを含む栄養学を選択肢の一つとします
精神薬を十分熟知した医師のもとでの一時的な使用は緊急を要したときにのみ「あり」だと私も思います
しかしながら熟知した医師がなかなかにいないのも現状です(ある内科医のみではないでしょうか)
精神薬に引っかからない人種は自立した人種です
きっと分裂気性であろうとなかろうとそこがすごく大事なことも分かりました


もし、そのような反応もさらに「通り越し」て行った場合には、最終的には、「闇」や「虚無」を「受け入れる」ところまでいっていたかもしれません。それは、最終的な「脱出」につながったと思います。

おそらくベンゾの離脱で起こった衰弱時「受け入れる」ところまではいったように認識しております
ただ薬が絡んだ状況で「脱出」ができないと判断し(息子がいなかったら「死」をも受け入れていたと思います)
恐ろしいと理解しているテリトリーへ足を踏み入れました

こうしてやりとりができたこと 本当にありがたく感じております

貴重なご意見を聞かせていただいてありがとうございました<(--)>

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