「脳科学的精神医学」について
NHKスペシャルでもとり上げられていたが、最近のうつ病治療には脳科学的な知見に基づいて、脳の異常を特定し、その部位の電気刺激法などの療法が取り入れられているようだ。
精神薬の問題が、いろいろと取り沙汰されて来たので、精神医学も、精神薬からの脱却と移行を図っている状況が、うかがえる。それは、表向きのアピール、つまり「見せかけ」に過ぎないという可能性もあるが、しかし、本格的に移行できるなら、そうしたいと、精神医学や、特に「支配層」は思っているはずである。
しかし、このような脳科学的精神医学は、しっかりとした科学的な知見に基づいたもので、これまでみて来たような、問題が多く、「いい加減」な薬物療法に比べて、すっと望ましいものではないか、という見方もあるだろう。
そこで、まず、はっきりさせておきたいのが、脳科学的な精神医学も、その発想は、これまでの「精神医学」そのものであり、むしろ、より直接に「優生思想」的である、ということである。確かに「科学的」な装いは大幅にアップしているが、科学的であるのは、その具体的な「方法」であって、もともとの「発想」ではない。むしろ、もともとの発想を、「科学的」ということを通して、より明確な形で、固定しようとするものである。
脳科学的精神医学は、「うつ」なら「うつ」の原因を、脳の「異常」ということに特定し、それを形態的に、あるいは分子、遺伝子レベルで解明しようとする。そして、それを「取り除く」なり、あるいは「改変させる」なりして、「治療」しようとする。ところが、その前提にあるのは、「うつ」なら「うつ」という状態は、悪しき「病気」なのであり、是非とも取り除かなくてはならないという、相も変わらぬ発想である。これは、これまでの精神医学と全く同じであり、むしろ、それを脳科学的に、物質レベルで固定して、目に見える形で、はっきり取り除こうというのだから、「排除」の意図が、より明確に出ている。
それは、その対象の精密さが違うだけで、早く言えば、かつての「ロボトミー」の発想と同じである。そのような明確な「取り除き」は、一旦なされれば、薬物療法以上に、元の状態への回復などということは見込めない、決定的な措置となる。
もちろん、「うつ」その他の精神疾患が、何らかの脳の「異常」を伴うということ自体は、十分あり得ることである。しかし、この「異常」とは、「うつ」その他の精神疾患の直接の現れとは限らない。たとえば、それになりやすい「気質」のようなものの、遺伝子的な特性の現れである可能性もある。分子、遺伝子レベルという精密なレベルへの着目がなされれば、ますますそのような可能性は高まる。しかし、この脳科学的な精神医学によれば、このような「遺伝子的特性」もまた、精神疾患をもたらす異常の一つとして、取り除かれ、改変されることになるだろう。つまりは、「狂気になりやすい者」の遺伝子を、取り除き、または改変するということが、なされるわけである。その発想は、まったく「断種」にも等しい。
さらに大きな問題は、これらの一見「科学的」な研究の基礎となる概念ないし資料は、まったく現在の精神医学に依存しているということである。研究そのものは、「科学的」であり得るとしても、その基礎となる概念や資料は、現在の精神医学が作り上げた問題だらけのものということである。
たとえば、「統合失調症」や「うつ病」の患者の脳に異常があるかどうかが研究されるとして、その前提となる病気の概念は、現在の精神医学が、多分に主観的(恣意的)に作り上げたものである。それでも、脳の異常が明確に取り出せれば、そのこと自体が、その病気の概念の正しさを証明するのではないかと言うかもしれない。しかし、「統合失調症」や「うつ病」とされた患者は、多量の精神薬を処方されているのが通常であり、たとえ何らかの異常が特定されたとしても、それが、「統合失調症」や「うつ病」という状態からもたらされたのか、精神薬からもたらされたのか、明確には区別できないはずである。(初めから、病気によるものと決めつけるなどは、論外である)
もし、本当に、厳密に「統合失調症」や「うつ病」とされた患者の脳の異常を特定しようというのなら、精神薬を完全に排除した、多数の事例をもって研究がなされなければならない。が、現在のところ、そんなことは不可能であるのは明白である。
これらのことが、ネグられて、ただ現在の精神医学の知見の延長に、脳科学としての「科学的」な方法によって、脳の異常が解明されたとされるなら、それは、結局、現在の精神医学の見方を、ただ科学的な「装い」をもって、正当化し、後押しすることにしかならない。
そして、実際、そうなるであろう。
初めに述べたように、問題の取り沙汰されている精神薬からの脱却は、精神医学も、支配層も早急に図りたいことである。(ただし、精神薬の使用も、いけるところまでは押し進めるだろし、在庫は何としても売りさばこうとするだろう。)
さらに、前にみたように、支配層にとっては、人間の脳や心を操作できる精神科医というのは、この上なく「使う」のに適した職種である。が、脳科学的な精神医学ほど、さらにその目的に適ったものはないのである。これまで以上に、より、直接かつ具体的に、脳を操作できることとなるからでる。それは、また、いくらでも拡張の可能性をはらんでいる。たとえば、「病的性質」の遺伝子レベルでの「排除」は、「彼らにとって都合の悪い性質の遺伝子レベルでの排除」というものに拡張できる余地があるし、コントロールのため、何か(マイクロチップなど)を脳に埋め込むなどの措置も十分想定できる。現在の精神医学より以上に、直接に「支配」という意図にそったものに、なり得るのである。
だから、支配層は、多少の基礎固めを外しても、脳科学的な精神医学の実用化に力を注ぎ、急ぐであろう。それは、既成の精神医学にとっても、より科学的な装いを纏うことができるのみならず、これまでの様々な問題を糊塗し、実質上は、それまでやってきたことを正当化し、押し進めるものなので、望ましい限りのものである。
そういうわけで、この脳科学的な精神医学は、我々がよほど注意して、監視しない限り、前に、うつ病治療を初めとする、薬物中心の精神医療があっという間に広がったように、今後あっという間に浸透して、広まっていくことだろう。
気がついたときには、もはや、精神医療の中心になっているということにもなり得る。
そして、それは、現在の薬物投与以上に、我々に害をもたらす可能性が大である。そして、もとの状態への回復が困難なものである。改めて、注意を喚起しておきたい。
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