「分裂」から「統合失調」へ
「統合失調」という言葉と「分裂」という言葉については、何度か述べた。(たとえば、『「統合失調症」という名称』 http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-e246.html)「統合失調」という言葉は、本来、人格が「解離」した状態、つまり、外部的に現れたものであれ、内在的なものであれ、多数の解離した人格に分断している状態をいうのにふさわしい。
その意味では、人間は、すべて「統合失調症」である。「統合」された唯一の人格ではなく、解離した人格をもっているのは明らかだからである。
その「統合失調」が、一時的にではなく、真に「回復」され、「統合」されるには、人間は「分裂」を通り越さなければならない。「分裂」は、「統合失調」より、さらに深く「分裂」を来たした状態である。それは、確かに、より「病的」であり得る。しかし、それが通り越され、「くぐり抜け」られるなら、それはより深いところから、真の「統合」をもたらす可能性がある。すなわち、そうして初めて、人間の通常の状態である「統合失調」から、抜け出す可能性がある。
しかし、現実の医療の場において、「分裂病」から「統合失調症」へと名称が変わったことは、「統合失調症」という診断の手軽な適用と、精神薬の拡張しか生まなかった。それは、「分裂」や「統合失調」ということの意味を、何ら再考させるものではない。ただ、「レッテル」としての病気の枠組みを、事実上広げたというだけである。(図参照)
ただ、それも、本来、人間は「統合失調」であることを考えれば、ある意味、「必然」の成り行きと言えなくもない。そのようにして、皮肉な形で、人間の実情が露わにされているとも言えるわけである。
図) 「分裂病」から「統失」へ
« クンの「癒し」と「西洋医学」 | トップページ | 「狐に化かされる」こと/一時的な「幻覚」「妄想」状態 »
「精神医学」カテゴリの記事
- 自我が外れたときの状況と、オルダス・ハクスリーの分裂病論の「意訳」(2024.10.24)
- ビンスワンガー、木村敏の例を通して具体的にみる(2024.04.07)
- 「精神病理学」と、結局は「了解」の問題であること 2(2024.03.24)
- 「精神病理学」と、結局は「了解」の問題であること 1(2024.03.02)
- 「シャーマン的巫病」と「統合失調」の相違 まとめ(2024.02.09)
このブログをたまたま見つけ拝見させていただきました。
私も3年ほど前、診断されたことはありませんが 統合のような症状にかかりました。
身近にその後、1カ月後には学校へも復帰し休まず行くことができ 現在はそのような症状なく日々を過ごしています。
このブログを読み、共感した記事は「幻聴」についてのものです。
統合のような症状に陥った際のことは、自分でも通常の思考ができていなかったと分析できてはいますが、では具体的にどのような状況だったか ということを思い出しては思い出しては探っていました。
が、「幻聴」がどのようなものであるかを知ることが大事である というような内容は そのモヤモヤを解消するものでした。
ぜひこれからも読ませていただきます。
19才 女 東京より
投稿: 19才 | 2013年9月25日 (水) 09時56分
19才さん。ありがとうございます。
お名前が、正確にお年を表しているのか分かりませんが‥、ちょうど次回、思春期の頃によく起こる、本格的なものに比べて一時的なものとして通過し得る、「幻覚」「妄想」状態について述べようかと思っていたところです。どうぞそちらも参照ください。
投稿: ティエム | 2013年9月25日 (水) 17時59分