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2013年9月10日 (火)

クンの「癒し」と「西洋医学」

前回言ったように、クン族の「ヒーリング・ダンス」という「癒し」は、単に、個々の者の病気を治癒するというだけでなく、共同体全体の「癒し」も含んでいる。

さらに、それだけでなく、この「癒し」は、彼らを取り巻く、人や環境との関係での、「不均衡」を回復するというような意味合いも含んでいる。特に、彼らにとって、「病気」や天災のような災害も、神々との関係で生じるものなので、「神々との関係」を調整する(ときに闘う)というのが、重要な位置を占めている。要するに、彼らの「癒し」とは、生きるうえでの、あらゆる側面に関わる、まさに「全体的」な「癒し」なのである。

さらに、このダンスには、前回みたように、癒し手として「キア」という変性意識状態に入るために、日常的自我を超えて、自己超越を果たすという意味合いもあるので、一種の宗教的な修練でもある。また、当然ながら、単純に、芸能としての「踊り」や「音楽」として、楽しまれるものでもある。

著者も、このダンスや「癒し」に込められた、多様な意味合いについて、次のように言っている。

クンの人びとにとって、癒しとは、単なる治療や医療をこえている。たしかな健康をもたらし、身体的、精神的、社会的、霊的レベルの向上を目ざすものだ。癒しは、個人、集団、周囲の環境、さらに宇宙の全体にかかわる行為なのである。癒しは、すべてを根底から統合し、増進する力であり、クンの文化に広くいきわたっている。       60ページ

クンの癒しは、人間のあらゆる側面、状況を踏まえ、その全体に取り組む。癒しの目的には、病人の身体的苦痛を和らげること、癒し手自身が学ぶこと、キャンプのもめごとを解消すること、神々と世界のあいだに正しい関係を打ち立てることが含まれている。どれか一つを特に目指していたとしても、じっさいには、癒しはすべてに影響する。クンにとって問題なのは、ただの「治療」ではなく、「癒す」かどうか、「疾患」だけでなく、「病」も癒せるか、ということだ。      84ページ

このようなものに比すれば、西洋医学などというものは、くそみたいなものであることが明らかであろう。「くそ」と言って悪ければ、全く部分的で、皮相なもの、小手先のものである。

もちろん、この「癒し」は、西洋医学でいうような「治療」という意味合いも含んではいる。ただ、疾患とは、「患者が環境のなかで生きるうえで生じた、不調和のあらわれに過ぎない」から、そのような環境との全体的な調和の回復をはかる「癒し」によって、解消されると考えられているのである。

そして、実際に、ヒーリング・ダンスによって、結核や感染症のような疾患も、治ってしまうことがあるのを著者も確認している。このヒーリング・ダンスとは別に、薬草やマッサージといった治療法も副次的には使われることがある。さらに、当時、既に、抗生物質のような、西洋医学の治療法もいくらかもたらされてはいた。しかし、彼らにとって、治癒の中核にあるのは、あくまでも、共同体全員で行うヒーリング・ダンスなのである。

西洋医学では、感染症などを「病気」の代表として恐れ、「治療」や「予防」に血眼になる。しかし、クンのある癒し手は、指の傷の感染症についてだが、「そんなものはほうっておいても治る」ので、特に「癒し」で「抜いた」りはしないという。現に、クン族は、このような対応や、ヒーリング・ダンスを中核とする「癒し」によって、一万年以上続く文化を存続させてきたわけだから、この言葉は重い。

しかし、このヒーリング・ダンスも、もちろん万能なわけではない。というよりも、むしろ、「癒し」というのには、「患者の死」も含まれる、といわれることに注目される。「癒し」とは、「死」によって新しい調和がもたらされるということも、含んでいるのである。もちろん、癒し手は、治癒に最善を尽くすが、「死ぬべきものは死ぬ」こと、死期が来て、「神々がその世界へ引きとっていく」こともまた、調和のある事実として、受けとられている。クンが言うには、「癒して、神が助けることもある。癒し、癒し、癒しても、患者が死んでしまうこともある。」

この点は、前回みたように、癒し手は、「キア」という意識状態に入る時点で、既に「死」を受け入れ、克服していることも大いに関係しているだろう。これは、「死と再生」の意味合いのある儀式をもつ「未開民族」すべてに言えるわけだが、彼らの多くは、「死」に慣れ親しんでいる訳で、近代人のように「死」を忌避しているわけではない。だから、「治療」といっても、「死」そのものが、敵視されたり、失敗とみなされているわけではないのである。

西洋医学との関係では、先にみたように、当時既に抗生物質などの治療薬も入っていて、ヒーリング・ダンスと併行して使われることもあるという。著者は、これは、西洋医学の効果もある程度認めたうえで、彼らのヒーリング・ダンスに融合して取り込んでいるというようなことを言っている。

しかし、私は、この点は疑問である。著者も、彼らの文化にとって、贈り物の交換である「互酬性」が、互いを支える重要なシステムとして働いていることを指摘している、贈り物は、それ自体に重要な意味があるので、拒んではならないのである。恐らく、西洋人がもたらした、というより、強く「押し付け」た抗生物質などの治療薬は、異民族による「贈り物」として、意味を認められているのだと思う。つまり、それ自体の効果がどうこうというよりも、贈り物として、敬意を表されているということである。

それは、彼らからすれば、「対等の関係」を前提とした敬意の表明である。彼らも、初めは、西洋人が、彼らより優れているとの独断的な思想をもち、一方的にものごとを「押し付け」てくることなどは、思いもよらなかったであろう。

しかし、結局、西洋文明は、そうやって、遂には彼らの文化を駆逐するまでにいたったのである。ヒーリング・ダンスなどの伝統的な「癒し」の力によって、感染症には、敗れることのなかった彼らも、西洋文明という破壊力には、無残にも打ち破られたわけである。

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コメント

今回の記事は改めて言葉で言い表せないほどの未開社会の深さが伝わってきますね。西洋文明、西洋医学がいかに表面的で部分的な見方に根付いているか痛感してしまいます。法律で規制し、経済が生活の原動力になっている文明社会がいかに不自然なもので、それによってもたらされる弊害が今あらゆるところで表面化してます。自然、宇宙、生命、その中で生かされている人間、そうした基本的な認識のもと調和を重んじる社会を、自分達が理解できないという理由だけで野蛮として排除してきた文明人はどちらが本当に野蛮なのか反省すべきです。

生死、調和を受け入れてる文明よりも、西洋文明のほうが打ち勝つ力を持っていたということが興味深いです。しかし、暴力性排除性により成り立っているものはいずれ同じものによって淘汰されると考えています。

トシさん。ありがとうございます。

よく伝わってよかったです。

かもめさん。コメントありがとうございます。

物質性の破壊性というものは、それだけ凄まじいものがあるということですね。
「核」に代表されますように。

「疾患だけでなく、病も癒せること」この洞察を何度も読み返しております。

以前別のブログのコメントで、「私の故郷では、お年寄りが危篤になったら家族は、一度めはお医者様を(往診で)お呼びする、二度めは、もう呼ばないで、家族皆で旅立ちを見送る。

二度めにお医者様に電話したら、『もう、引き留めなくて、いいんじゃない…』と優しく諭してくださる」話を書きました。

この記事を読み、改めてその意味を思いました。3、40年前にはそんな暮らしが身近にありました。

深いです。良い記事を有難うございます。

ティエムさま

FC2ブログで「宙から宙へ」というブログを書いております
リンク貼らせていただいてもよろしいでしょうか?

ブログひと通り読ませてもらいましたが、なかなか面白いですね。

「パニック障害」なる診断名あるいは医学概念は無意味と思いますが、その状態そのものに何らかの「原因」または「理由」があることも確かはずで、その「源泉」に徐々に迫ろうとしているのが伝わります。ぜひ、焦らないで、自分のペースでされて下さい。

私のプログのリンクは構わないですよ。

ありがとうございます<(--)>

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