「あと10年!」という言葉と「41才寿命説」
記事「「あと10年!」という言葉に絡めて 」(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-b708.html)では、「捕食者」の「あと10年!」という言葉に、様々に振り回されたことを述べた。これは、始め、自分の寿命のことを言っていると思われたわけだか、それには次のような理由もある。
当時、西丸震哉という人の『41才寿命説』というのが話題になっていた。確か本は読んでいなかったと思うが、どのような内容かはある程度知っていた。要するに、食事や環境等により様々な化学的害毒物質を蓄積している、私たちの世代以降の人は、(平均)寿命が41才になるという説だ。
一連の体験をしているときの私は、ちょうど30才で、「あと10年」後というのは、まさに41才になる年を意味していた。そんなことも、「あと10年」という言葉が、寿命と結びつけられて受け取られた一つの理由になっている。
私たちの世代が、食事や環境等により様々な害毒物質を蓄積しているということには、疑いがないし、実感もある。我々の前の世代も、化学的害毒物質を蓄積していることには違いないだろうが、それらが技術的に大量生産されるのは、ちょうど我々が生まれて以降くらいであり、幼児のときから大量にさらされていたのは、やはり我々の世代以降のことである。いわば、「化学物質漬け」の始まった最初の世代なのである。しかも、この時期は、危険を理由とする規制も少なく、それ以前に危険自体よく認識されていなかったこともあり、その後禁止された物質も、多く出回っていた。
その代表が「チクロ」という甘味料で、私たちも子供心に、それが毒であることはよく知っていて、「チクロ」入りのジュースを、「毒入りジュース」とか「ドクロジュース」などと呼んでいた。どぎつい着色料の色、また石油のしみ出しそうなポリ製品の袋を口でチューチュー吸って飲むという飲み方など、それは、「毒入り」ジュースというよりは、「毒」そのものジュースという感じだった。私は、本能的に、あまり飲む気にはならなかったが、周りの者たちは、何だかんだ言って、結構気に入って飲んでいた。これは、あくまで代表であり、ほかにも、似たようなものは、いろいろあった。
また、我々の世代は、多くのワクチンが普及し、学校で集団的に予防接種を受けることの一番多かった世代だった。インフルエンザを始め、チフスや日本脳炎その他、ほとんどの感染症のワクチンは、受けていたはずである。小学低学年、中学年頃には、学校で何を教わったかなどほとんど覚えてないが、このような感染症の恐ろしさだけは、刷り込まれるように教わっていたのを覚えている。ワクチンの普及(布教)は、教育とワンセットになっていたのである。
また、健康診断、歯科検診、眼科検診、耳鼻科検診などが、執拗に繰り返され、ちょっとでも引っ掛かった者は、医者に行かされた。私は、幸い健康診断、歯科検診では引っ掛かったことはないが、何か、どの医科にも罹らせないことは許されぬことであるかのように、眼科検診、耳鼻科検診で何の自覚症状もないのに引っ掛かり、かなりの期間医者に通わされた。
病気のときに飲む薬なども、今以上に、副作用への警戒、配慮はなく、かなりきつい薬が当たり前に処方されていたはずである。
また、学校では、給食がある。漂白剤や保存剤たっぷりのパンに、マーガリンを塗って、牛乳で口に押し込む。クーラーなどはなく、夏の暑いときでも、一応溶けずにいるマーガリンには、トランス脂肪酸がたっぷり浮いている。こんな食事が、毎日のように続くのである。
また、環境では、中学から東京だったが、スモッグが毎日のように出て、雨が降れば酸性雨となって体を襲った。東京湾は、ヘドロだらけだった。
「なんて日だ!」どころじゃなくて、こんなのが毎日のように続くのである。「なんて世代だ!」とは、間違いなく言えるだろう。もっとも、当時の自分らは、感覚も既にマヒしていたか、あまり深刻にも受け取らず、当たり前のように日々を過ごしていた。
この「あと10年!」という言葉を受けたときには、「41才寿命説」のことを思い浮かべ、かつての自分らのこんな食生活や環境生活を思い出し、改めて、いかに毒が溜まっているかに思いを馳せた。それを抜きにしても、ただでさえ、様々な「声」や幻覚の攻撃にさらされて、脳や身体は、疲弊し切っている状態である。こんなので、あと10年以上もまともに生き続けられる訳がないと改めて感じられた。「あと10年!」という言葉には、強い「説得力」が加算されてしまったのだ。(前も言ったように、実際には、その後、もはや、「即」死ぬというところまで追い込まれたから、「後10年」などは、まだ「かわいい」ものだったわけだが)
実際のところ、もちろん、文字通りの意味では、「41才寿命説」は実現していない。しかし、我々以降の世代も、表向き、規制が厳しくなって、禁止されたり、実行されなくなったものはあるが、巧妙な形でより広まったものも多く、実質的には、我々以上に害毒が減少している保証は何もない。つまり、このまま蓄積が続けば、何世代か後には、「41才寿命説」が実現する可能性は十分ある。
また、「41才寿命説」は、文字通りの意味ではなくとも、一種の「象徴」として受け取ることもできる。「41才」は、肉体的には一応生き続けるにしても、精神的に、または「実質的」に、「死んでしまう」年として受け取ることもできるのである。そして、だとすれば、これはもはや、とっくに実現しているとみることもできる。
「41才」というのは、「生きる屍」と化す年齢の象徴ということである。そこには、様々な精神的、社会的理由もあるだろうが、化学的害毒物質の蓄積などの身体的理由も大きく作用している。
そうだとすると、「あと10年!」といいう言葉には、やはり、かなり大きな意味合いがあったと言わねばならない。
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