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2013年6月28日 (金)

『「呪い」を解く』

鎌田東二著「呪い」を解く』(文春文庫)は、旧『呪殺・魔境論』の文庫版で、最近出されたもの。前の「日記」でも、とり上げたが、文庫化の機会に読み直してみたので、改めてとりあげる。

この書は、一応?知られた学者が、正面から、「呪い」や「魔境」、「(悪)魔」を論じたものである。それも、単なる観念や、文化現象としてではなく、それらが「実在」することを前提としたもので、著者自身の「魔」の体験にも基づいている。文章も読み易く、明解で説得的なものである。

「捕食者」(当時は、やはり「魔」と呼んでいた)と身近に接し、それについて述べていた私としても、こういったものを正面から論じているものはまったくと言っていいほどなかったので、当時待望のものであった。

「精神医学」(の背景の問題)もそうだが、こういったことには、それ以上のタブーの感覚がつきまとっている。それを、誤解や偏見を恐れず、ごまかさず、「ベタ」なくらいに、正面から論じてくれたのは、うれしかったし、驚きもあった。

しかし、著者も、それなりの覚悟で出したものなのに、ほとんど反響がなかったのは、肩透かしを食らったようだと言っていた。アマゾンの書評の少なさを見てもそれは分かる。やはり、多くの者にとっては、このようなことを正面から問題にするのは、「タブー」そのものだったとしか言いようがない。そういうものを、潜在的に漠然と感じとる人はかなりいたと思うが、正面から意識を向けるとなると、まだ難しかったのだろう。今は、少なくとも前よりは、こういったことも、受け入れ易くなっていると信じたい。

内容としても、十分濃いものがあって、私も参照にするところが大分あった。オウムの麻原や酒鬼薔薇事件の酒鬼薔薇の体験した「魔」や「魔境」について、詳しく検討し、それらが、実在的な「魔」や「魔境」によってもたらされた可能性を論じている。麻原は、自ら「魔境」に陥って、それを克服したことを述べているが、実際にはそう思うことで、より深く「魔」ないし「魔境」に捉えられていったということである。私自身、当時知らなくて驚いたが、禅学者鈴木大拙の鋭い「悪魔論」をとりあげ、「(悪)魔」の一般的な性質を論じ、それへの対処の仕方も検討している。

鈴木大拙の「悪魔論」は、『霊性的日本の建設』という本にあって、今回の戦争(第二次大戦)は悪魔自身が、自分が起こしたことを告白するというスタイルで述べられている(「戦争礼讚」(魔王の宣言))。やはり、実際に、「悪魔」を体験していなければ、とても述べられないような、具体的で鋭い内容のものである。もっとも、鈴木大拙は、スウェデンボルグについて本を書いたりもしているから、こういった霊的なものにも、かなりの理解や体験があったのだろうと思う。

悪魔(魔王)の性質としては、次のようなこととが述べられる

〇自分の使命は、「折さえあれば人間世界を混乱の極みに導いて、人類を滅亡せんとする」ことである。
〇人間は自分を了解しないように振る舞っているが、「人間が今少し深く考えてくれると、自分と人間とは、元来一つのものだということがわかる。」
〇自分の本性は、「力」である。「力が向こう見ずに、自由自在に躍動するところには、必ず自分がいる。」
〇人間は自分らの「仕事場」である。自分らは、「人間共の最も雄弁なとき、密かに彼らの「無意識」内に入り込む。そうしてそこに本来あるものを揺り動かして見せる。それは自分等の影である。」
〇自分らの戦略は、「力、無意識、耽溺、陶酔、狂信、陰謀、うそ、恨み、驕りにつけ込むことである。」
〇「生きるとは殺すことである」というのが、自分らの哲学である。全ての動物がそうだが、人間の殺しはその中でも、「計画的」で、「大量生産的」、「組織的、科学的」である。戦争はその典型である。
(鎌田は、医学や新薬の開発、さらに文明そのものも、このような「大量殺戮体制」の別名だというが、その最も典型的なのが、言うまでもなく「精神医学」だ。)

しかし、一方で、悪魔は、最後に、ご丁寧にも、自分自身の弱みを告白してくれている。

〇「大地の懐から太陽の光を仰いで出てくる不思議な力」は、自分の力より強いものだ。不思議に自分の力を無力にしてしまう。人間は、これを「霊性」と言っている。自分と同じく「無意識」に生きているようだが、自分の力ではそれをつきとめられない。自分を打ちひしぐかもしれない大敵ではあるが、自分としては、できるだけの魔神力でこれに抵抗する。

先の対処法というのは、要は、「悪魔」のこのような性質を認識したうえで、それにのっからないようにすること。弱点とされる、「霊性」を発達させることしかない。

「呪い」という現象についても、「イメージまたは想像力の物質化」という観点から、その実在性と重要性が述べられる。既に、そこに、現実化する潜勢力としての「暴力性」が働いているということであり、もちろん、「魔境」や「悪魔」の力とも関わっている。

この「イメージまたは想像力の物質化」というのは、「霊界の境域」では、即座の現実として、体感されるものである。また、「呪い」というのは、たとえば、「魔女狩り」の問題を考えるのにも、それを抜きにしては、かなわないことのはずである。

ただ、本当は、「狂気」についても、「魔境論」や「悪魔論」を抜きにしては、理解できないものなので、少しは触れてほしかったところだ。

私自身は、今は、「捕食者」という捉え方をしているから、必ずしも、このような「魔境論」や「悪魔論」と、同じ考えではなくなっている。(記事『「捕食者」という理由』http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-b27f.html参照)しかし、多くの点で重なるし、何よりも、このような捉え方くらいは、(「捕食者」という捉え方より一般性があるので)多くの人に浸透してほしいと思う。

私のブログ記事の前提となるところも多いので、興味のある方は、ぜひ読んでほしいと思う。

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コメント

お久しぶりです。
記事で紹介された『「呪い」を解く』にさっそく目を通してみました。
個人的に興味深かったのは魔境に遭遇しやすいのはクンダリニーの直後だということです。
これは自分の実体験と重なりました。
本の中でクンダリニーについての表記がされていましたが、私も体が振動するような感覚と
宇宙、生命が一つに感じると言った一体感を全身で感じるという体験をしました。
その直後に魔の存在に目をつけられたような気がして、恐怖心に襲われました。
そして家族から様子がおかしいということで病院に入院させられました。
入院中もクンダリニーのときのボワンボワンとした感覚(うまく表現できませんが)が残っており、
そのとき不可解な体験もしました。

・看護士が突然4、5人部屋に入ってきて紙コップを渡し、「この紙コップに水を入れると溶けます」と言われ、実際に水を入れると紙コップがふにゃふにゃになるということがあった。後にこのできごとを看護士に話すと、そんな紙コップは無いということだった。

・看護士の中に瞳孔が正方形の女性を見た。

・私がある看護士と言い合いになった後、部屋で一人になった私は頭にきていたので、言い合いとなった看護士をこらしめようと思った。そのとき使った方法が妄想で考えたオリジナルの呪いである。その呪いをかけてる途中に二人の看護士があわてて私の部屋に入ってきて、「○○さん!落ち着いてください!」と言ってきた。私は大声を出していたわけではなく落ち着いていたので、もしかしたら呪いが何かしら影響を与えたのかと思った。(今では呪いをかけた行為に対して反省している)

この他にも不可解なことは病院にいたとき起きました。私は病院関係者の中に魔と通じている者がいるのでは?という考えを抱き状態が悪くなりました。

神秘体験などすると自分が悟ったような気がしますが、この体験は物質世界以外にもう一つ別の世界があるということに気付くだけのことだと思います。それを悟ることだという人もいますが。

私は統合失調症になって学んだことは人間にとって危険なものは「優越感」だと気づいたことでした。魔というのは非常にしたたかで、人間の弱点につけこんできます。
魔境に遭遇したときは特に自分の心をチェックする姿勢が大切だと体験から思いました。


トシさん。ありがとうございます。

やはりトシさんも、そのような領域にまで入りこんでいたのですね。「そのような領域」というのは、単に「幻聴」が聞こえるなど、日常の世界に「異質」なもの(「もう一つの現実」)が入りこんだという程度ではなく、「視覚」的な幻覚が中心になり、「世界」、「現実」そのものが大きく変容してしまったというもののことです。森山著『統合失調症』では、「夢幻様状態」として、最後の段階とされています。

私もそうでしたが、クンダリニーが覚醒し、活性化することは、確かにこのような「幻覚」世界を引き起こすようです。私も視覚的幻覚が多く起こり、自分を取り巻く存在の姿を見たり、「火」に関するビジョンを多く見、テレビの中にもそのようなビジョンを見ました。「火」のビジョンは明らかに、クンダリニーと関わっていると思います。トシさんの場合、「水を入れるコップが溶ける」というビジョンは、自分という「器」あるいは「境界」が「溶けてなくなる」ということを象徴しているようで、興味深いですね。あるいは、活性化している「火」をおさめるのに、「水」を必要としているということを、表わしているのかもしれません。

このような世界にいたると、普段一応、それまでの「日常世界」は残ってはいるのですが、何か起こり、少し深く入り込むと、もはや全く「世界」そのものが様変わりしてしまった感覚になります。つまり、「現実」そのものが「変容」してしまうということですね。こうなると、単に「現実」という(何か確たる)ものがあることを前提にした、「もう一つの現実」での「現象」ということでは、理解しにくくなるのも事実です。むしろ、そこでは、「現実」というものを成り立たせる、「根底」そのものが問われるようになっているということです。私は、「霊界の境域」という言い方をしてしますが、これは「物質世界」と「霊的世界」の「境界」というだけでなくて、そのようなそれぞれの「枠組み」を取り払ったときに現れる、より根底的な世界ということでもあります。クリダリニーの覚醒は、そのような「根底的」なものを浮かび上がらせることにもなります。それは、それまでの「現実世界」なるものを、「破壊」してしまうということでもあります。

「魔境」というと、「魔」なるものが作りだした「悪魔的な世界」、または妄想が作りだした一種の「幻想世界」というイメージにもなってしまいます。確かに、そういう一面はありますが、それは、また、そのような「現実」そのものの「根底」が浮かび上がってくる状態でもあります。「現実」とは何かということを露わにするという意味で、より「現実的な」体験ともいえます。だから、本当は、「魔境」という言葉は適当ではないものです。そして、(自己という枠組みにとって)本当の「怖さ」は、そこにあるともいえます。それを本当に捉えられるかどうかが、その「魔境」を超えるということの大きな分かれ目になると思います。

ブッダなども、そのような「魔境」は、「幻想」であると身切ったわけですが、それは、「日常的な現実」というものに対して「幻想」だというのではなく、「日常的現実」を含めて、あらゆる「現実」は、「幻想」と身切ったわけです。それは、外部的な「現実」だけではなく、内部的な「私」なるものも、また「幻想」であるということです。つまり、全ては「空(くう)」ということです。

オウムの麻原に決定的に欠けていたのは、このような「空」の理解だと思います。特に、「最終解脱者」などと自分を規定してからは、もはやこのような「空性」の理解は、完全に欠落していったと思います。ある意味からすると、それこそが「魔境」の本当の恐ろしさということにもなりますが。

「幻聴」を聴くなどの体験の場合、「もう一つの現実」が入り込んでいるのだという「理解」が是非とも必要ですが、「夢幻様状態」のような状況までいった場合、もはや、「もう一つの現実」での出来事というだけでは、なかなか「理解」ができないと思われるので、「現実」そのものの「根底」が問題になっているのだということを、あえてお話しました。

それに、、囚われないようにするには、あるいは超えようとすれば、「空」(私は、「虚無」とか「闇」という言い方で言っていますが)という理解も必要になってくるかと思います。それは、もちろん、「魔」そのものをも超えるものです。また、トシさんのいうような、「優越感」や「自分の重大視」を抑えてくれる働きもします。

トシさんだけでなく、この問題に興味ある人のため、前のコメントに少し補足しておきます。
できる限り、分かりやすく述べます。

「夢幻様状態」の「幻覚世界」について、どのように理解してよいかというのは、相当に悩むところと思います。「現実同様」、あるいはそれ以上のリアリティのある「知覚世界」が、全体として「ただ」の「幻覚」などということは、受け入れられないいことです。一方、「もう一つの現実」といっても、それはまさに「夢幻的」な「イリュージョン」のような「世界」で、どう理解してよいかとてもつかめません。まさに、「何が何だか分からない」と表現するしかない状況です。

このような「世界」は、もはや、ある「現実」の世界の現れというよりは、「現実」という枠組みそのものが壊れてしまったということに着目するしかない面があります。「現実」という枠組みに枠付けられない、より「根底的」なものが露わになっているということです。それは、初め、「夢幻的なもの」として現れるとしても、結局は、「闇」とか「虚無」というべきものにいたります。そのように、体験そのもがいきつくところまでいって、自然に「闇」や「虚無」を体験できれば、全体の認識が得られ、「全ては幻想であった」ということが、必ずしも「否定的」な意味でなく、肌で感じとることができます。

しかし、そこまでいかなくとも、そのような「夢幻的なもの」を受け止めるためには、その根底が「空なるもの」であるという認識は、やはり必要になると思います。そうでなけれぱ、そのような「夢幻的」な世界は、「幻聴」に基づく「妄想世界」以上に抜け出し難いものともなり得ます。

なお、私が、「空」といわす「闇」や「虚無」という理由は、これまでにも述べていますが、改めて記事で述べておこうと思います。

トシです。返答ありがとうございます。

私自信は捕食者との接触は体験したものの、虚無や闇の存在を体験することはありませんでした。しかし根源的な闇の存在は意識していました。私は「神との対話」という本を読んでいて、そこには全能である神は自分を体験するために、自己分裂をし相対性を創り出したと記述されていました。そこには虚無や闇と言った記述はありませんでした。むしろ全ては根源的な光であると表現されていたのでティエムさんの過去記事にあった、闇の宇宙空間、太陽、地球と言った世界観とは異なるものでした。

私は「神との対話」の影響があったので、当初、全ては一つで愛が全てをつなぐエネルギーであるという世界観をもっていました。しかし全能である神は分裂する前に孤独を無意識にでも感じていたのではないかと疑問に思いました。「全て一つであること(All one)」は「孤独(Alone)」であることの裏返しであると思ったのです。その孤独(Alone)が神から分離し根本的な闇として、神の外側に存在し得るのでないかとイメージしました。結果として光の世界の外側に闇が存在するという構造を自分の中で抱き、この根源的な闇(私はアローンと名付けていました)をどうしたものかと頭を悩ましていました。その結果、愛をもって統合するしかないという考えに至りました。

不思議なことにこの時期、やたらと漫画と自分の思考が一致する現象が起きました。
自分の思考が漫画家のインスピレーションに影響を与えているのではと考えるほどでした。
『聖闘士星矢-THE LOST CANVAS-』というのがあったのですが、アローンという少年が冥界の王ハーディスになるという話を見て、漫画と自分の思考が一致すると思うようになりました。

このように漫画と自分の思考が一致すると感じる人は、入院中に出会った患者の中にもいて、
自分はドラゴンボールの孫悟空と一致するという人もいました。その人とはいくつか私と同じ思考が見られました。文字(シンボル)にエネルギーが込められている、もしくはエネルギーを感じるという考えも共通していました。私の場合「M」という文字にネガティブなエネルギーが込められているような気がして、それはMの形が閉じ込めるように覆いかぶさっており、真ん中のVの形で刺すイメージを受け、物質界(Matter)に人間を閉じ込め刺すことを現しているような印象を受けます。逆に「W」とか「ω」は力強く、エネルギーを開放しているインプレッションを受けます。人間が両手でガッツポーズするとき腕の形がWになるのもこの形を現しているからだと思っています。最近日本ではメールやネットなので、(笑)を表すのにwwwなどで表現したり顔文字で(。・ω・。)などでωを使ったりするのはこの文字がエネルギーが強いからだと思っています。

話が脱線しましたが、虚無や闇の理解は私もまだ不十分なので勉強したいと思います。
過去の記事で「無償の愛」の獲得が重要であることが述べられていたように記憶してますが、
なんとなく私もそれがポイントになるような気がしています。

「神」と「虚無」または「闇」の問題は、「究極の問題」といってもいいほどの問題で、人それぞれに考えがあると思います。

ただ、「虚無」または「闇」というのは、「光」に対立するものという誤解を受けがちですが、私としては、「光」をも超える、最も「根源的なもの」という意味で使っています。あえて、この言葉を使う理由については、次回にでも記事にしたいと思います。


ご紹介のあった『「呪い」を解く』を読みました。とても興味深かったです。
私自身宗教と精神世界のどちらにもトラウマがありまして、どうしても真を知りたく過ごしていました。
宗教書などは、いいことが書いてあっても、どうしてもひとりよがりの側面を感じざるを得ず、
世に出ている精神医は的外れなコメントばかりを発言するのを、もどかしい気持ちで聞いていました。
宗教と精神世界のことをこんなに深く考察する方が居るなんてと感動の気持ちで、というより流れるように頭に入ってきて一気に読んでしまいました。

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