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2013年6月18日 (火)

「あり得ない」という言葉も死語

昔は、「絶対あり得ない」ということが、結構本気で信じられていた。そのような言葉が、日常使われることもよくあった。もちろん、これは、文字通り「存在しない」、「起こり得ない」ということを意味し、法則や論理に照らして、そのような事柄が「あり得ない」ことを意味している。

たとえば、超能力や幽霊などは、「絶対あり得ない」など。しかも、これは、「科学的にあり得ない」という言い方が、よくされた。この言い方で、十分、意味をなしたし、説得力ももったのである。だが、実際には、ちょっと考えれば分かることだが、これは、「唯物論という発想に照らせばあり得ない」ということであり、「唯物論」と「科学」が取り違えられている。

科学そのものは、超能力や幽霊を肯定することも否定することもできない。(現在では、「超心理学」などにより、むしろ科学的に肯定できるという見方の方が真実に近いが)だから、それを「あり得ない」というのは、科学そのものによって、言えることではない。それは、あくまで、科学的観測手段によって測定可能な「物質」というものだけが存在するという、「唯物論」的な発想に立つならば、そのようなものは存在し得ないということでしかない。つまり、それは、一種の「見方」であり「思想」であり、あるいは、それが疑いもなく信じられ、他の可能性が顧みられないならば、まさに「信仰」そのものである。

しかし、実は、私自身、10代の頃は、このように信じていたのだし、他の多くの者も、このように信じていることが多かった。それは、超能力や幽霊に限らず、かなり多くの事柄について、言えることだった。当時は、そのような「発想」または「信仰」に、それなりに強固なリアリティがあったのである。

ところが、ある時期から、特に若者の間で、「あり得ない(ねえ)」という言葉が、違う意味で使われだした。実際には、「起こっている」ことに対して、それが非常にレアであり、信じ難いことだということを強調する意味で、使われだしたのだ。たとえば、「(落ちないことで有名な)うわさのあの娘に誘いのメールしたら、何とOKの返事が来たんだよ」、「あり得ねえ!」みたいな感じ。

ここでは、「あり得ない」は、もはや「絶対あり得ない」ことではなくなっている。言い換えると、「あり得ない」と言っても、もはや「絶対あり得ない」などということは、「あり得ない」ので、「あり得ない」という言葉が、実際には、「あり得る」ことに対して使われているのである。それは、反語的な強調の意味だとしても、そこには、「あり得ない」ということの、それ自体の「危うさ」、「相対性」のようなものが、はっきりと塗りこめられている。つまり、この世代の若者にとって、「あり得ない」という感覚は、もはや「自明」のものではなく、「あやふや」なもの、「みかけ」上のものでしかなくなっているのである。

それは、明確に意識されたものではないにしても、かつて、「絶対あり得ない」などということが、容易に信じられたことからすれば、むしろ、真をついた、一つの感性的な「進化」といえる。

ただし、ここでは、まだ一応、「あり得ない」という言葉が使われてはいる。それは、もはや、「揺ら」ぎ、「あやふや」なものにはなっているけれども、「あり得ない」という感覚自体は、まだ「あり得る」かのように使われているのだ。

しかし、その後最近は、もはやこの「あり得ない」という言葉自体が使われることもなくなった。ほとんど死語になったと言ってもいい。

つまり、この流れは、ここに至って、ついに、「あり得ない」などということ自体が、「あり得ない」ことになったのだ。言い換えれば、「どんなことでもあり得る」という感覚の方が、現在では、むしろ、多くの若者の感覚に沿うものになっているのだ。

そこには、恐らく、9・11のテロや、3・11の震災、原発の事故などの影響もあるだろう。子供のころから、このような、「想定外」で「あり得ない」出来事を目の当たりにしていれば、そのような発想になってもおかしくはない。

また、最近は、一般に、「都市伝説」として語られるような、「あり得ない」話も、ごく自然に、当たり前の出来事のように語られる。かつても、「口裂け女」とか「トイレの花子さん」とか、伝えられる、面白い話はいろいろあった。しかし、どこか、不自然で、おどろおどろしかったり、効果を狙ったような、「いかにも」という面が濃くあった。しかし、最近は、釈由美子さんも「お友達」で有名な、「小さいおじさん」とか、身近で、親しみ易い話になっている。また、より具体的で、視覚的な要素が強くなっている。つまり、このような話に、「レア」であるとか、「あり得ない」という感覚は、ほとんどみられなくなっている。

ちなみに、私の場合も、「境域の守護霊」などは、「小さなおじさん」として現れたりもした。ただ、普通言われるほと小さくはなくて、80㎝から1mほどだったけれども。

時代は、確実に、「絶対あり得ない」という狭窄な感覚からは、掛け離れ始めている。それは、「世界観」というよりも、「現実」そのものが揺らいでいることにもつながっている。そのようなことは、今後、「統合失調的状況」が多くの者に理解されるためにも、望ましい状況だ。

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コメント

小さなおじさんの話はよく聞きます。
インターネットが普及したことにより、今までは自分だけの体験だと思い込んでいたことが、
意外と多くの人が同じ体験をしていると分かってきたのも「あり得ない」が死語になってきた原因
かもしれませんね

何かを信仰するというのは自己を安定させる面もあると思っています。
自己を安定させるために何かを信仰しているとも言えるかもしれません。
無神論者もある種の信仰を持っていることには変わりありませんし。
「なんでもあり得る」という状況は、それまで強固な信仰を持っていた人にとってはけっこう危うい
段階で、今まで自分が信じたものに対するものへの疑いが生じてきます。実は私が統合失調症になったのは、それまで自分が信じていたものは実は嘘(正確には真実の中に嘘が混じっている)と
考えるようになったからでした。まさに妄想が始まった段階でした。

ティエムさんが最後に締めくくったように、「統合失調的状況」が多くの者に理解されるためにも、望ましい状況であると同時に、現実が揺らぐことはこれから統合失調症的状況になる人も増えるかもしれないと感じました。

占星学などの本を見ると、約2000年ほどで時代の意識改革が起きると言われています。
今から約2000年ほど前にキリストやブッタが現れ、集団の意識が変わってきたように、
今の時期もちょうど目に見えない世界に対しての考えが変わってきているのかもしれません。

トシさん。ありがとうございます。

まったくそのとおりで、「現実そのものが揺らいでいる」というのは、「現実」を現実として成り立たせる「枠組み」(集合的な世界観)が揺らぎ、「境界」が揺らいでいるということなので、「霊界の境域」が侵入しやすくなっているということでもあります。つまり、多くの人が、「統合失調的状況」に陥りやすくなっているということです。

それは、多くの人が、「統合失調的状況」に目を向けざるを得ない状況ということでもあり、「統合失調的状況」を理解する可能性が高まる状況ということでもあります。

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