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2013年4月18日 (木)

「疎外」からの「逸脱」/『経験の政治学』

R.D.レインの『経験の政治学』(みすず書房)は、講演をもとにしたもので、『ひき裂かれた自己』のような、緻密で詳細な記述はない。しかし、前回みたような、『ひき裂かれた自己』の不十分な点は大きく修正されて、新たな視点がはっきりと打ち出されている。これは、大枠としてだが、真に「分裂病的状況」の「概観」を示しているといえ、「分裂病的状況」についての「理解」に、最も近づいた書の一つといえると思う。

私も、その内容には、ほぼ全面的に頷くことができる。特に、5章「分裂病的体験」以降で、「分裂病的状況」が、正面から扱われている。

この書によって、新たに打ち出された点は、大きく次の2つである。

1  「分裂病」なる「病気」が存在するわけではないということ。「分裂病的体験」は、家族や社会によって、「共謀的」に陥れられ、「作られた」状況である。

2  「分裂病的体験」は、通常の者が、そこから「疎外」されている、「内面」の「もうひとつの世界」の「旅」である。それは、「自己」(「自我」)を崩壊に導くことがあるが、それだけでなく、新たな「自己」を生み出す契機ともなる。

レインは、これらの前提として、「正常」と「異常」ということ、あるいは、「健康(適応)」と「狂気(逸脱)」ということについて、はっきりとした視点を示している。それは、現代の社会において、「正常」または「適応状態」とは、望ましい状態などではなく、「経験」から「疎外」された状態というのである。

「経験」というのは、本来、それ自体で、「明証的」なものである。他人の経験は、類推するしかないとしても、それも、そのような自己の「経験の明証性」が元になる。しかし、現代人は、生み落とされた瞬間から、家族や社会によって張りめぐらされた、「暴力的」ともいえる、意図や信念の網の目にからめとられて成長し、直接の「経験」からは「疎外」されていく。だから、そこに築かれる「自己」に、本当には確かな基盤もなく、「自己と他者」の関係にも確かな基盤などはない。ただ、それを覆い隠すべく、不確かなものを積み重ねていくだけである。

『ひき裂かれた自己』では、「分裂病質者」は、根底に「存在論的不安定」を抱えていることをみたが、そこには、一般の多くの者との対比はなかった。しかし、ここでは、一般の多くの者の場合がはっきりと示されており、それは、みかけ上、社会の中で「安定」しているとしても、真に確かなものでも、安定的なものでもないことが、明らかにされているのである。

「正常」というのがこのようなものだとすれば、「狂気」の意味合いも、自ずと変わってくる。「狂気」とは何よりも、そのような意味での、「正常」な状態からの「逸脱」である。つまり、「適応」はしているが、「経験」から「疎外」された状態から、「逸脱」したものである。もちろん、だからと言って、その「逸脱」は、直ちに、「経験」から「疎外」されていないことを意味しはしない。それは、「経験」からの、さらなる「疎外」でもあり得る。しかし、それは、もはや、単純に「否定的」なものとは言えなくなる。そればかりか、それは、少なくとも、「経験」から「疎外」された状態を抜け出させ、または越え出る契機とはなり得るものとなる。

レインは、このように、「正常」ということの意味をはっきりと見定めたことから、それとの関連で、「狂気」の意味合いも修正したのだといえる。

こうしてみると、レインが1にあげたように、「分裂病」なる「病気」が存在しないというのは、もっとものことのはずである。このことは、次のように、端的に述べられている。

「分裂病」という「状態」など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、この社会的事実とは一つの<政治的出来事>なのです。社会における市民的秩序のなかでおこっている、この政治的出来事は、レッテルを貼られた人間の上に定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、彼に対して責任をもつべく法律的に是認され医学的に権能を与えられ道義的に義務づけられている他者の監督下におかれますが、こういった一連の社会的行為を正当化しているのは、社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は、家庭、家庭医、精神衛生関係官、精神科医、看護婦、ソーシャルワーカー、そしてしばしば仲間の患者たちまで加わっての一致した連携(「共謀」)行為によって、患者という役割のみならず、患者としての人生の道程を歩みはじめさせられるのです。                 (p.128)

それは、他のどのような「レッテル」よりも、その者の「経験」を、「破壊」するものということができる。それは、その者の「経験」そのものを、無意味なものとして、取り除くべきものとして、なきものとして、奪い去ろうとするものだからである。

しかし、レインは、単に、「分裂病」という「レッテル」だけをとらえて、それが社会によって、「作り出される」と言っているのではなく、前回みたような、分裂病質者が分裂病に陥る過程全体が、そのように家族や社会によって、共謀的に追いやられて、「作られたもの」と言っているようである。

つまり、分裂病質者が「分裂病」に陥る原因としての「存在論的不安定」は、家族や社会によって、「作り出され」たものということである。それは、家族や社会が、(本当には基盤がないからこそ)、自らが「主体」として立って行くために、その者を「主体なき対象」として、追いやったということで、一種の「スケープゴート」ということでもある。

前回も述べたが、このように、レインは、「分裂病質者」というのが、家族や社会の「犠牲者」であるという見方を崩してはいない。それは、確かに、真実というべきで、「分裂病」の理解から、この面を抜き去ることはできない。しかし、それだけでは、「分裂病質者」の性質が、「否定的」なものに固定されてしまい、結果として、全体としての「理解」を阻むことにもなるはずである。

レイン自身、その面もみているはずだが、「分裂病質者」の性質には、「先天的」な面も多く、否定的な面(または「否定的な反応」を誘発する面)があるのは、確かとしても、前回も述べたように、「肯定的」な面もある。むしろ、「犠牲者」であることを強調することよりも、この「肯定的」な面もしっかりみていくことの方が、否定に偏った見方を緩和し、全体としての「理解」に資するはずである。また、肯定的な面をみないと、次の2のような面とのつながりも、スムーズにいかないはずなのである。

2では、「分裂病的体験」は、通常の者が、そこから「疎外」されている、「内面」の「もうひとつの世界」の「旅」であることが明示されている。このような、「内面の世界」は、通常、社会的には「疎外」され、顧みられてもいない。まさに、「経験」として、「疎外」されているのだといえる。

ところが、「分裂病質者」は、その入り口としての契機は、「否定的」なもので、いわば、「ひき裂かれた亀裂」からだとしても、そのような「世界」へ侵入し、「旅」をする機会を得るのである。「分裂病質者」が、「分裂病的状況」に入っていくこと自体には、「否定的契機」が大きく影響している。それは、概ね、『ひき裂かれた自己』に述べられたとおりとみていいと思う。しかし、この社会に「適応」していたとしたら、ますます「疎外」は深まり、そのような機会はないに等しいのである。

また、先に述べたように、「分裂病質者」は、もともと「内面世界」への親和性があるために、そのような世界へと引き寄せられやすいということもあるのである。

レインは、『ひき裂かれた自己』では、「分裂病的状況」は、「存在論的不安定」を抱えた自己が、ただ崩壊していく過程に過ぎないかのようにみていたのだった。しかし、ここでは、この「状況」そのものが、一つの「旅」として、意味をもつことを認めたのであり、大きく修正したことになる。

その「世界の旅」とは、次のように端的に述べられている。

この旅は次のようなものとして経験されます。つまり「内」へ向かっての絶えざる進行、人間の個人の生活を貫いての遡行、そしてすべての人類の、原初的人間のアダムの経験への、そしてまたおそらく動物植物鉱物であることへの遡行貫通超越として経験されます。
 この旅には、しかし、行くべき道を見失う可能性も多くあります。混乱したり、部分的な失敗をしたり、そして結局最後に難破したりする可能性があります。多くの怖ろしい怪物や霊魂や悪魔に出会わなければなりません。そしてそれらにうちかつこともあるし、うちかてないこともあるのです。        (p.133)

私の場合も、この「旅」では、記事にも書いたように、幼年期にまで遡るいくつかの体験の追体験だったり、蛇や鳥と「一体」となったり、地球や太陽と「一体」となるなどの、まさに「遡行的貫通超越」の体験が多くあった。また、文字通り、「多くの怖ろしい怪物や霊魂や悪魔に出会わなければなら」なかった。要するに、「圧倒的な他者」との遭遇を多くし、それに翻弄されるということである。ただでさえ、不安定な「自己」がである。「混乱したり、部分的な失敗をしたり、そして結局最後に難破したりする可能性がある」のは、当然のことである。

レインが、これらの「内面世界」の「存在」を、文字通り実在的なものとみていたのか、たとえば、ユング風の「元型的なもの」とみていたのかは分からない。しかし、どちらにしても、そこで出会われる「(圧倒的な)他者」というものを認めたことは確かであり、もはや、分裂病的状況は、単純に、虚しく自己が崩壊するだけの過程ではなくなったのである。「妄想」や「幻覚」の意味合いも、大きく変わったはずである。

そして、そのような過程は、記事『分裂病を通しての「超越」体験の例』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-e5ce.html )でも、詳しく解説したように、自我を崩壊させることがあるにしても、新たな、より大きな「自己」を生み出す契機になることもはっきり打ち出される。「死と再生」の「イニシエーション」であり、「全体」として、より「大きな自己」として「生まれ変わる」ということである。

それは、この「世界」ではなく、「もう一つの世界」に入り、自己を超える「圧倒的な他者」と出会ったからこそ、可能になったことなのである。

ただし、レインは、その例を認めるけれども、狂気の多くの場合は、そうはならないことの方を重視していた。全体としての言い方も、
狂気というのは全面的な崩壊である必要はありません。それはまた、ある突破かもしれないのです。狂気は隷属であり実存的死であると同じくらいに、潜在的には解放であり更生でもあるのです。」
と言うに止まっている。

それは、多くの場合、そのような体験の「粗雑な模倣」であり、「グロテスクな戯画」にしかならないという。そして、その大きな理由として、「治療」ということが、そのような過程の発現を妨げることをあげている。

そもそも、「分裂病」という「レッテル」そのものが、そのような自然の発現過程に、大きく影響するはずである。しかし、「治療」とは、もっと具体的レベルで、そのような発現過程に介入し、それを強引に抑え込むものである。それ自体が、「狂気の乗り越え」を難しく、さらには、「グロテスク」なものにしていることは、間違いないはずである。

ただ、レインは、やはり、『ひき裂かれた自己』以来持ち続けていた、「分裂病質者」の「自己の脆弱性」という「否定性」の影響も、決して忘れている訳ではない。その「否定性」は、やはり、容易に、「旅」を肯定的なものとして超え出させることにはつながらないものとみていた。ただ、その「否定性」は、家族や社会の「否定性」の反映でもあるから、今の社会の「疎外」状況では、このようなことは容易には起こらないということでもある。

このあたりの、「冷徹」な見方は、彼の追随者や多くのニューエイジの思想家とは大きく異なるところである。

レインは、他の「反精神医学者」たちとも組んで、キングスレイ・ホールという、精神病患者や他の一般参加者たちも含めての、自由な共同生活という実験もしている。これは、必ずしも、患者の自然な回復のみを目指したものというよりも、対抗文化的な、社会へのアピールという面も強かったと思う。精神医学内部では、この実験を「失敗」と揶揄するようだが、門という精神科医も言っているように( 「キングスレイ・ホール異聞」http://www.eonet.ne.jp/~skado/book1/kingsley.pdf )、そう単純な評価は下せない。

少なくとも、実験的な意義はあったはずだし、今後も、もし似たような試みをするとするならば、第一に参照とされるべきもののはずである。

(ちなみに、精神医学が、「反精神医学」の取り入れるところは取り入れたから、これにはもはや「用無し」などというのも、全くの「大ウソ」である。)

レインは、「分裂気質」であったと思われ、身近に「分裂病」とされる者に寄り添い、共感的に多くのことを観察してきた。そして、これだけ、「分裂病的状況」の何たるかを明らかにすることができた。しかし、ただ、彼自身は「分裂病的体験」をしたわけではなく、「分裂病者」の「世界」について、あと一歩手が届きそうで、それができないという、もどかしさのようなものも感じ続けていたのではないかと思う。

レインが今度この世に生まれるとしたら、「分裂病的体験」をすることを決意して生まれてくるのではないかという気がする。

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