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2013年2月 2日 (土)

「破壊のかまど」

シュタイナーは、『悪について』で、人間の内奥の最も深くに、「破壊のかまど」というものが見出せるという。

物質は、人間の内面においては、完全に無の中に戻されてしまい、物質の本質が完全に破壊されてしまうのです。人間のエーテル体は、記憶が映し出されるところよりも内面のもっと深いところで、物質をカオスに帰し、物質を完全に破壊することができるのです。
 内面の、記憶の鏡の奥のところに、私たちはエーテル体の途方もない破壊力を担っています。もしもこの力を担っていなかったなら、私たちは思考力を発達させることができなかったでしょう。
…何かを思い出そうとするときと同じ態度で、内面に深く沈潜していくと。存在するものを破壊し、消し去ろうとする力の働いている領分に至ります。私たちは、誰でも、まさに思考する自我を発達させるために、物質を破壊し、融解しようとする猛火を記憶の鏡の奥に担っているのです。   (60頁)

これは、物質的なものを無に帰し、破壊する、ある種の「かまど」である。人間の内奥には、外部的なものを映し出し、記憶の働きのもととなる、一種の「鏡」がある。通常、人間は、内面に、この「鏡」が映し出す外部の反映しか見ない。だから、「かまど」は、通常、この鏡のさらに奥に、隠されている。しかし、この鏡が「割れた」ときに、その奥にある「破壊のかまど」が、露になるという。

人間は、内奥に、このような、根源的ともいえる、「破壊衝動」を抱えているということである。そのような「破壊衝動」は、自覚されていないと、外部へと「持ち出さ」れ、外界、または自分自身に対する、ただの「破壊衝動」ともなる。しかし、この「破壊衝動」は、一方で、「思考を発達させる力」でもあるという。

このような、根源的な「破壊衝動」は、フロイトが無意識の最も奥にあるとみた、「死の欲動」(タナトス)、あるいは、ショーペンハウアーが、あらゆる存在の内奥に働くとみた、「盲目の意志」にも通じるものだろう。(「鏡」に映し出されたものが「表象」とすれば、その奥にあるものが「意志」)

それにしても、また、この「破壊のかまど」は、私が一連の体験の最終段階で体験した、「宇宙の死」とか、「闇」や「虚無」、さらに「クリダリニー」的体験と大きく関わるものでもある。というより、この体験を、シュタイナー的にいえば、外界を映し出す「鏡」が割れて、「破壊のかまど」が露となる体験、ということになるのだろう。

「宇宙の死」とは、「自我」が死に瀕する状況での、その外界における反映ということもいえる。が、これは、シュタイナー的にいえば、内奥にある、外界を映し出す「鏡」が割れることによって、外界のあらゆるものが「無」に帰す体験ということになるはずである。これは、実際に、「思い出す」という「記憶」の力をより深く呼び起こした先に、起こったことである。そして、その結果、外界としての、あらゆる物質世界、まさに全宇宙が「無」に帰すのを、リアルに体験するのである。

これは同時に、根源的な「闇」や「虚無」を、内部に引き寄せるものともなる。シュタイナーでは、この点が明言されていないが、後にみるように、ある程度予感されていたものと思われる。

また、この破壊作用の過程では、実際に、一種の「かまど」が露になる。「かまど」というのは、この破壊作用が、「火」の「焼き尽くす」働きであることを示している。最近の記事「アーリマン」と「火地球」(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-cb26.html )でも述べたように、実際に、「燃え盛る火」の強烈な「ビジョン」が現れたし、また、夢でも、全く暗黒の背景に「かまど」そのもののような火のビジョンも現れた。

また、記事「火」の両義性と「クンダリニー」(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-12ec.html)でも述べたように、この「火」は、同時に、眠っている「霊的エネルギー」の「開花」(急激に起これば、「爆発」)である、「クンダリニーの火」でもある。シュタイナーも、それは、巨大な「エーテル的エネルギー」であると言い、「肉体の物質素材をカオス化し、破壊する」と言っている。それが、尾骨から頭頂に向けて上昇することによって、全身を揺るがし(カオス化し)、その通り道にたまった、思考や感情の「塊」を破壊(浄化)していく。

シュタイナーも、「破壊のかまど」は、「思考の力を発達させる力」でもあると言っていたが、それは、恐らく単なる「思考」ではなく、「純粋思考」というべきものである。この破壊の力により、知覚や感情などに左右されない、思考それ自体の力が純粋に発現するということである。

また、シュタイナーは、「火地球」という、地球における「破壊のかまど」に相当するものについて語り、それは、アーリマン存在の拠点だということを述べていた。そうすると、この「破壊のかまど」も、やはり、アーリマン存在の拠点または、アーリマン存在によって植え付けられたものということに、とりあえずはなるはずである。私も、それは、実際に、感じられたことである。

しかし、シュタイナーは、この「破壊のかまど」について、アーリマン存在との関係には、何も触れていない。それは、恐らく、シュタイナーも、「アーリマン存在」との関係は当然認めつつ、さらに、それを越えたものをそこに予感していたからであろうと思う。

「あるゆる物質を無に帰す」という言い方によっても、それは、もはや「アーリマン存在」の「破壊」の性質を越えており、そこには、すべてを「無」に帰す、「闇」または「虚無」そのものの働きをみざるを得ないからである。

あるいは、「破壊のかまど」は、それを「通路」としての、「虚無へと通じる扉」という言い方もできるだろう。その意味では、この「破壊のかまど」は、人間の最も内奥に抱えられた、「虚無」そのものということもできる。

このように、シュタイナーは、(一般のイメージはそうではないかもしれないが)「闇」や「虚無」に対する視点を、かなりもっていことが分かる。その辺が、そこら辺の「スピリチュアル」とは、一線を画するところである。ただし、それは、明確なものではなく、漠然としたもので、特に、「霊的進化」という「水平的方向」とは別の、「垂直的方向」のものであるという認識は、なかったに等しい。その点が、鋭く本質に迫るものを感じさせつつ、常にどこかに「曖昧さ」もつきまとわせていたことの、大きな理由なのだと思う、

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