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2013年1月28日 (月)

「アーリマン」と「自己主義」/「利己主義」

前回、シュタイナーは、「アーリマン存在」から、もっぱらこの世のために、「自己主義(利己主義)」を受けとることが、「悪」なのだとみてたと述べた。これついて、もう少し説明してみよう。

訳者の髙橋巌は、「アーリマン存在」が人間にもたらすものを、「自己主義」という言葉で通している。しかし、これは、状況により、「自己主義」と「利己主義」で訳し分けると、より理解しやすいものとなる。

「自己主義」というのは、「アーリマン存在」が、人間の魂を鍛え、強固にするという面を捉えて、いわれている。そして、それは、「霊界」において、人間がしっかりと「自己」を保ちつつ、参入するために、必要なこととされているのである。それに対して、「アーリマン存在」から、この「自己主義」的なものを、もっぱらこの世のために受とるときは、普通にいう、「利己主義」と同じものになる。

「自己主義」というのは、「自己」という枠組みを前提に、それを育て、強化して行くことで、「魂の強化」ということにつながる。「アーリマン存在」は、「ルシファー存在」とともに、人間に、このようなものをもたらす存在として、必要なものとされているのである。

但し、これがもっばら「この世」のためになされると、それは、単なる「利己主義」となる。「自己主義」というのは、あくまで、「霊界」において必要となる、「自己」=「魂」の強化なのである。それは、肉体という固体的な枠組みをもち、また、「利己主義」を克服する可能性のある、「この世」でこそ、十分になし得るものである。しかし、もっぱらそれが、「この世」のためだけになされるなら、それはただの「利己主義」になるということである。
                              
だから、「アーリマン存在」がもたらすものは、状況と、我々の受け取り方によって、「両義的」なものとなる。「アーリマン存在」そのものが「悪」でないのはもちろん、「アーリマン存在」がもたらすものが、ただちに「悪」ということなのでもない。

「霊界」においては、「自己」=「魂」の強化が必要ということだが、「霊界」特に「霊界の境域」においては、「自己」=「魂」の強化がなされていないと、大きな混乱に陥り、抜けられなくなることは、これまでにもみて来た。

それは、「霊界」または「霊界の境域」においては、肉体のような固体的な枠組みが希薄なため、「自己」と外界の「境界」が曖昧となり、「自己」が周辺領域へと、「拡散」してしまいやすいからである。その結果、「自己」という「意識」は希薄になり、弱められる。また、本来外界にあるはずのものが、自己の内部に感じられたり、自己の内部にあるはずのものが、外界に感じられたりする。それにより、大きな混乱を来すのである。

「統合失調」的状況で、外界にあるものや他人の声などが、直接自己の内部で感じられたり、自分の内部にある思考などが、周りに漏れ出ていると感じられるのも、まさにそのような状況にあるからである。

このようなことにならないためには、「この世」において、「自己」=「魂」が強化されていなければならない。そして、それは、多分に、「自己」という「境界づけられた」「枠組み」を強化するということでもある。それは、確かに、一歩間違えば、「利己主義」へと容易に移り変わるような、一つの「自己主義」なのである。しかし、そのようなものは必要なのであり、「アーリマン」存在の強力な働きかけと、人間の側の関わり方で、身につくものとされるのである。

ところが、さらにいうと、このような「自己」を分散させる性質は、「霊界」そのものよりも、「霊界の境域」こそが、より激しいものといえるのである。「霊界」も一つの「秩序」であり、その意味では、「この世」ほどでないにしても、「自己」を保たせる性質は多くある。ところが、「霊界の境域」は、より混沌としており、また既にみたように、根底に「闇」または「虚無」が控えているために、より本来的に、「自己」という「枠組み」を圧迫し、分散させる性質があるのである。

シュタイナーでは、この点には触れられていないが、「霊界の境域」こそが、「自己」=「魂」の強化を、最も強く要請するのである。それは、「霊界の境域」に住まう、「アーリマン存在」の攻撃に対処するという、現実的な意味でも、そうである。

しかし、本来、「霊界の境域」に開けた、この「闇」または「虚無」こそが、「自己」という枠組みを分散、さらには、崩壊させる、根源的な「力」なのである。既にみたように、この「崩壊」作用は、「垂直的方向」の、様々なレベルで、「死」をもたらすものである。しかし、それは、それが十全になされるなら、同時に、「再生」への契機ともなる。それは、より深いレベルでは、「悟り」や「解脱」をもたらすものともなり得る。

しかし、「自己」=「魂」の強化ということがなされていなければ、その「死」や「再生」ということ以前に、「垂直的方向」へまともに下降することもできず、「自己」は分散して、混乱したまま、「宙づり状態」となる。多くの、「統合失調」状態が、そうであるようにである。

シュタイナー自身は、この「自己」=「魂」の強化ということは、「霊的な進化」のため必要なものとし、しかし、それは、この物質的な世界でこそ達成できるものとしていた。シュタイナーは、「物質的な世界」を通して、「霊的な世界」を、より「霊化」するのが、人間の使命であり、「進化」であるとしていたのである。

しかし、実際には、「自己」=「魂」の強化ということは、上のように、「闇」や「虚無」(垂直的方向)との関係でこそ、最も必要とされるものというべきなのである。

この点では、前にとりあげた、ブルース・モーエンの、「神」が「虚無」を前にしたときの、原初的な「物語り」(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post-3e86.html)の方が、より参考となる。

再び挙げると、

初め、「創造者」である「存在者」は、自分の回りを取り巻く、得たいの知れない「大いなる未知」(虚無)に恐れを抱いた。「存在者」は、その探索をしたいと思い、自らの一部を「分身」としてさまざまに集めたものを創造して、そこに飛び込ませた。ところが、それらは、「大いなる未知」に突入すると、崩壊してしまって、戻ってくることがなかった。

そこで、「存在者」は、さまざまな実験を繰り返すが、結局、それらの分身は、「無条件の愛」をもって、全体を「統一」していない限り、そこで崩壊せずに、帰ってくることができないことが分かったという。

ある意味で、この「神」の「虚無」を前にした、原初の「物語り」は、我々を通して、延々と繰り返され続けているわけである。「虚無」による、「自己」の分散とは、「神」に起源を発する、根源的なモチーフであり、それは単なる「進化」の問題に帰すこともできないというべきである。

ここでいわれる、「無条件の愛」というのは、分裂や葛藤を来さない、最も「統合」された「自己」の状態であり、あらゆるものを受容できる状態ということもできる。それは、「アーリマン存在」の攻撃や仕掛けによっても、分裂や葛藤を来さず、さらに、「アーリマン存在」自体をも、それとして受容できる状態なのである。

その意味では、「アーリマン存在」による「自己」=「魂」の強化ということを、含んでいるものであり、その、一つの完成の状態ということができる。

このようにして、「虚無」のただ中においても、「自己」が分散しない状態となり得るということである。

但し、それは、あくまでも、「アーリマン存在」との格闘を通しての、「自己主義」に始まるのである。

ところで、もう一方の「利己主義」についてだが、これについては、シュタイナーの『悪について』に、さらに興味深い記述がある。

自分の本能、衝動、情熱に客観的に向き合えない人びとが自分の周りにこういう破壊的な本性たちのいることを知ったなら、すぐにこの破壊的な力を利用しようとするでしょう。神がみが誕生と死に際してこれらの本性を働かせるのと違って、物質生活の中でそうしようとしたでしょう。人間があれこれの分野で破壊的に働きかける喜びをもってしまったなら、この本性たちを自分のために役立たせる機会をいくらでもみつけることができるでしょう。実際、私たちは、この本性たちを簡単に自分の使用人にすることができるのです。通常の人生が誕生と死の四大霊(アーリマン存在のこと)の破壊的な衝動から護られているためには、この本性のことが秘せられていなければならなかったのです。(136頁)

つまり、「利己主義」というのは、単に、受動的に、「アーリマン存在」の言いなりになったり、影響を受けている状態を意味するだけではない。むしろ、人間の方が、自らの欲望のために、「アーリマン存在」を、自在に「使う」ことによって、「利己主義」を強化するということである。あるいは、「アーリマン存在」が、あえて、人間の「利己主義」を強化すべく、戦略的に、そのように自ら「従者」となるということである。

これについては、カスタネダのドンファンも、「捕食者」の「支配」の性質として、より率直な説明をしている。

いまこの瞬間にも、無数の外部の力(特に「捕食者」)がお前を支配している。そいつはおまえの支配である、と同時に、そうではない。
…そいつは確実に操ることができる。もちろんどこからどこまでお前の好都合なようにだ。だが、これまた同時に、お前にとって好都合なのではなく、エネルギー体(「捕食者」)にとって好都合なのだ。   『無限の本質』(270頁)

この、「アーリマン存在」または「捕食者」を、自らの意図のもとに、自在に「使う」人間というのは、ある意味で、「呪術者」であり、「式神」を自在に操る「陰陽師」のごときものである。もちろん、それを、自覚的に行えば、本物の「呪術師」であり、「黒魔術師」だが、ここでは、あくまで、無意識的に行われることが想定されている。

つまり、このようにして、人間は、ある意味で、「呪術師」のごとく「強く」なり、他人への支配力を強めていく。デーヴィッド・アイクは、人間の「支配層」は、「捕食者」的な存在との「ハイブリッド種族」というが、そうでなくとも、「支配層」は、このようにして、「呪術的」な力を強めていったものということができる。あるいは、カルトの教祖などにも、このような力を強めた者が多くいる。

シュタイナーは、「アーリマン存在」は、このように「利用」される可能性があるゆえに、これまで秘密にされてきたという。しかし、もはや、現代では、そのような「誘惑」の危険を冒しても、この存在について知る必要があるということになる。

但し、それは、「この世」的には、確かに、「強く」なることかもしれないが、霊界への参入に必要となる、「自己」=「魂」の強化とは異なる。それは、要するに、もっぱら「この世」のための、ただの「利己主義」を押し進めたものであり、「自己主義」の退廃的な現れに過ぎない、ということである。

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コメント

ティエム様、おはようございます

人類が絶対的に救われるために一人でもできることを考えた次の夜、
幻聴状態によく似た攻撃的な夢を見ました。
それは言葉で表現すると自分が計画によって攻撃されるというものでした。
ただし、圧倒的な威圧感はなかったです。
地上のための慈善行為は全てが必要ではあるが相対的であるということも考えました。
また、霊的至福などの感覚的なものも、進化も来世利益も現世利益も俗物的なことで最終的な理想ではないということも考えました。
絶対的なものやこういうものを志向すると幻聴的な夢を見たということです 
これはアーリマン的な夢でもあるのではないですか
幻聴はやっぱりアーリマン的なものの現れではないかと直感しました

また、全てが自分と関係しているというのは、マクロコスモスとミクロコスモスの照応という視点から
考えることができるかもしれない

もしかしたら自らを真理に近づけようとすればするほど、
自我の保持が必要なことなのでアーリマンはそういう人を狙って攻撃するのかもしれない
そうすると自我が鍛えられるので

そうすると自我が鍛えられるのでを、自我が鍛えられるとすれば、に訂正

のめーるさん、ありがとうございます。

『霊的至福などの感覚的なものも、進化も来世利益も現世利益も俗物的なことで最終的な理想ではないということも考えました。』

そうですね。私も、そう思います。

シュタイナーは、多分他の誰よりも、「霊的なもの」や「霊的な進化」に関して、多く参考になることを語っていると思います。ただ、「絶対的なもの」(あるいは、私は「垂直的な方向」と言ってますが)、については、その感覚を持ち合わせてはいたようですが、明確に語ることも、自らの思想に組み入れることもなかったようです。その点に、もの足りなさは 感じます。


『絶対的なものやこういうものを志向すると幻聴的な夢を見たということです』

実は、私も、夢の中で攻撃されると感じることが、よくあります。

恐らく、起きているときの、意識のレベルでは、もはや、このような攻撃の実態について知り、それなりの対処法も身につけているので、意識の働きにくい、より無意識のレベルでの働きかけを、夢の中でなしているのだと思われます。かつて(統合失調状況に陥っている頃)は、むしろ逆で、意識のレベルこそが、攻撃の格好の対象だったわけでずが、今は事情が違って来ているのだと思います。

それはやはり、「絶対的なもの」を志向するとか、あるいは「理想」(ルシファー的なものともいえる) を志向するという、意識のあり方と関わっていて、その「意識」の、より深い部分が、「試されている」、あるいは「鍛えられている」ということになるのだと思います。


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