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2013年1月 9日 (水)

「精神医学」と「もともとの問題」

精神医学は、「もともとの問題」を、何ら解決したのではなく、ただそれをすり替え、誤魔化し、みかけ上、葬り去ったに過ぎない。むしろ、実質的には、それを拡大し、新たに生み出し、広めたのである。だから、精神医学という発想そのものを問い直し、その問題を本当に認識したら、それを(少なくとも一旦は)、「なきもの」にすることは、必要ということになるはずである。

しかし、たとえ、それにより精神医学がなくなったとしても、それによって、もともとの問題がなくなるわけではない。ただ、もともとの問題が、改めて浮上するだけであり、誤魔化しがなくなった分、それと正面から向き合うことができるようになるというだけである。

かつての「反精神医学」または「反精神医学運動」には、「精神病」は社会または精神医学が作り出したものだから、それをなくすことができれば、その問題そのものが解消するというような発想に立つものもあった。しかし、そんな単純なことではないのは明らかというべきである。

そのような、「もともとの問題」の重要な一つとして、これまでも何度かみてきたように、「魔女狩り」問題がある。これは、「異質なもの」の「排除」の問題と言ってもいいし、その背後にあるものに着目すれば、「オカルト的なもの」の「排除」の問題とも言える。

「精神医学」は、これらの問題を解決するどころか、むしろ覆い隠し、あいいは、形を変えて承継し、拡大したのである。「魔女」を「狂気」さらには「精神病」に置き換え、「オカルト的なもの」を「反理性」と置き換えて、より「合理的」に「排除」したに過ぎないからである。(記事「精神科に「やりたい放題」にさせたシステム」  http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-107d.html  、「精神医学」と「オカルト」的なもの http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-6b32.html 参照)

その意味では、単に「もともとの問題」が改めて浮上するというよりは、より複雑な形となって、立ち現れるのである。また、それは、いわば、「精神医学問題」と「込み」で現れるということにもなる。

それにしても、そうすると、一体、これまで、「精神医学」などという、何と無意味で、迂遠な道をたどったのかということにもなってしまう。

しかし、それは、ある意味で、「必然」だったともいえるだろう。「魔女狩り」の沸騰した当時、その問題に、正面から向き合うことなど、とてもかなわなかったはずだからである。そして、それは、未だに、十分可能なほどに、熟しているとは思われない。ただ、そのような「排除」の情熱が、あらゆる人間を「排除」するまでに、突き進みかねない事態となったので、それをくい止めるだけの、「合理的なシステム」が必要とされたということなのである。

言い換えれば、それだけ、当時の、「異質なもの」、特に「オカルト的なもの」の「排除」へ向けられた情熱は、半端なものではなかったということである。そして、それは今も、それほどあからさまな形ではないにしても、引き継がれているのである。

記事、『日本人が「霊的なもの」を認めない理由』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-f6e0.html)では、日本人が、明治維新以来、そのような「オカルト的なもの」を徹底して否定して来たことを述べたが、それはもともと、西洋にあっても同じであり、むしろ、そこにこそ発しているのである。だから、それが、覆されるのは、容易なことではない。

ただ、今後、「精神医学」が、問題として俎上に登ることが多くなるのは、間違いないことである。その場合、初めは、精神薬の害悪という「目に見える」ものが問われることになるだろう。しかし、さらにそれが進んで、「精神医学」という発想そのものが問われるようになったとき、それに伴って、もともとの問題である、「異質なもの」の「排除」、あるいは「オカルト的なもの」の「排除」という問題も、何らかの形で、浮上せざるを得ないはずである。「精神医学」という発想こそが、それらの問題を覆い隠し、継承したのだから、それを問うことは、必ず、そのもともとの問題を、裏から照らし出すことになるからである。

そのようにして、精神医学というベールと誤魔化しを、取り外すことができるようになったとき、初めて、もともとの問題を正面から見据える可能性も出てくることになる。すると、こうなるには、「精神医学」という迂遠な道をたどる必要があった、ということにもなるのだろう。

精神医学がなきものとなることによって、直接に浮上する「もともとの問題」は、もちろん、精神医学が病気という名をつけて治療の対象としようとした「狂気」に、社会として、個人として、どのように対処すかるかという問題である。「精神医学」というシステムに委ねることなく、これにどのように対処できるかということである。そこで、「精神医学」に対して、根本的な見直しがなされていないと、結局は、これに対処できずに、また精神医学と同じようなものを作り出してしまうことにもなるだろう。

個人として、どのように対処するかについては、既に多くのことを述べて来た。社会として、どのように対処するかというのは、ここで述べた、「異質なもの」の「排除」、あるいは「オカルト的なもの」の「排除」という問題とも密接にからむ問題である。

ただ、この点について、一つ言えるのは、「病院」に変わる、「療養施設」のようなものは、必要になるだろうということである。もちろん、それは、「治療施設」ではなく、本人が「療養」しながら、「狂気」と向き合うための、環境を提供する、施設である。そのような試みを補助する者として、「霊能者」や「カウンセラー」、「体験者」などが関わってもよい。もし、本当に、精神医学の根本的な反省が経られているなら、最小限、医師を関わらせてもよい。ただし、それらの者は、積極的な働きかけをするのではなく、あくまでも、必要とされた場合に、補助をするだけである。主体となるのは、あくまで、狂気に陥った本人ということである。

それは、もちろん、精神医学という方法を放棄して始める以上、様々なリスクを負ったものとなる。

今のところ、このようなものは、ほとんど、「夢物語」にしか聞こえないものだろう。しかし、もし、「精神医学」に対して、根本的な見直しがなされ、もともとの問題まで十分認識されるなら、そうするしかないはずのものだし、決して、不可能なことでもないはずである。

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コメント

2ちゃんねるから拾ったが、
289:名無しピーポ君 :2013/01/02(水) 07:15:26.39
>>281そうやって周りのせいにしてりゃあいいんだもの、楽でいいですね。
まああんたがナマポ受け続けようがどうしようが勝手だが。
俺なら自殺するなあ。
鬱持ちで肉も魚も野菜も食えない病気なのに無理やり
肉体労働なんかやってる自分が馬鹿か蛆虫にしか思えないわ。
359:名無しピーポ君 :2013/01/12(土) 00:48:10.16
誰それが悪い。
親が悪い。
世の中が(以下略)

・・・こんなのがいるから「いじめはいじめに遭う方が悪い」
なんて考えが出てくるのもうなずける。
それまで物事に立ち向かってこなかったツケがまわってきた、ってこと
だけじゃんよ。
俺はナマポ叩くつもりはないけどなw
ホリエモンも似たようなこと言ってたらしいが、
無能な人間には国がある程度の金を与えて、遊んでもらってた方がいいだろうな(笑)
いっそ月三十万ぐらい渡して、散々飲み食いさせて
糖尿病にでもさせればいいよ。


こんな自分ができた人間だからと人格攻撃する脳みそ金肉気違い猿は抗精神薬漬けにしてしても罰は当たらないね。
こいつ見ているとチョンや湯田公と変わらないし。
2ちゃんねるにはこいつみたいな気違い欝野郎がたくさん。
2ちゃんねるなんかネット規制でつぶれればいいよ。

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