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2013年1月24日 (木)

「霊界のつまみ食い」とアーリマン/「境域」の重要性

「統合失調」的状況に陥る者は、「霊界の境域」に望まずして入り込んで、そこに住まう「精霊」や「捕食者」から、様々な攻撃や仕掛けを受ける。それにより、「霊界の境域」に特有の、通常の「日常性」からは逸脱した「未知」のものを、何ほどか意識するに至る。それが、その者の「恐怖」と「想像力」を大きく膨らませ、「日常性」を逸脱した、「妄想」や「幻覚」を生み出す。そのようにして、「精霊」や「捕食者」の餌食になる、ということを述べてきた。

シュタイナーも、また、『悪について』で、「霊界の境域」で何事かを体験した者が、それを日常世界に無反省に持ち込むことを「霊界のつまみ食い」と呼び、その者は、アーリマンの格好の餌食になるということを述べている。

霊界でつまみ食いをすると、その例はまれではないのですが、霊界で体験したことを感覚世界の中に持ち込んでしまうのです。
…物質的、感覚的世界の中で見たり考えたりするだけでなく、身体の中に戻って来ても、イメージの中では霊界の影響を保ち続けるのです。しかもそのとき保っているイメージは、感覚世界にそっくりなのです。ただ、現実に対応しているのではなく、幻想であり、夢想なのですけども。
 正しく霊視することのできる人は、霊界においても、現実と想像とを取り違えることはありません。しかしただ霊界でつまみ食いしかしなかった人は、妄想と現実を混同することから守られていません。イメージを濃縮して、その単なるイメージを現実だと思ってしまいます。
 このように霊界でつまみ食いをした人は、アーリマンの格好の獲物なのです。アーリマンは通常の人間の思考からは、つまらない影しか手に入れられませんが、霊界のつまみ食いによって生じた、間違った妄想からは、卑俗な言い方をすれば、あぶらののった、おいしい影と図式を手に入れることができるのです。(103頁)

つまり、霊界でつまみ食いをした人は、感覚世界の中に、そのイメージを「投影」して、それを感覚世界で生じている出来事そのものとして受け取ってしまう。それで、「現実」と「想像」(イメージ)を混同してしまう、ということである。

また、通常の「日常性」においては、型にはまった感覚や思考が支配しているので、そこからもたらされる「感情的振幅」も、大したものではない。しかし、「霊界のつまみ食い」をした者は、その体験から、日常性を逸脱する、様々な要素を「感覚世界」に持ち込んで、イメージや妄想を膨らませるので、その「感情的振幅」も大きなものとなる。その結果、アーリマンに、格好の「うまみ」のある、獲物を提供するということである。

これなどは、まさに、「統合失調」的状況に陥る者そのもののことを述べていると言ってもいいほどである。

また、私は、「霊界の境域」は、現代では、見逃すことのできないほど重要なものとなっている、というより、もはや、この「感覚世界」に多分に侵入していて、ある意味、この「感覚世界」そのものが、「霊界の境域」と化しているということを述べた。

シュタイナーもまた、一方では、現代においては、「霊界の境域」に注目することが何よりも重要なこととして、次のように言う。

私たちは今、私たちの物質的=感覚的な世界と霊界との間のいわば<境界領域>にすぐにでも目を向けなければならないのです。私たちは、霊界とのこの境界領域に一歩足を踏み入れると、物質的=感覚的な世界とは様相が一変します。弱いまなざしでは見ることのできない本性たちが現れてきます。
…ではなぜ、後アトランティス期(アトランティス期以後の現代に通じる時代)において、これまで境界領域のことが隠され続けてきたのでしょうか。なぜなら、霊界におけるこの境界領域には、多種多様な境界存在たちがいるのですが、その中にはこれまで一定の条件内でしか人間に知らされていなかった存在たち、特定の使命をもっている存在たち、特に人間自身の進化のための使命をもっている存在たちがいるからなのです。…宇宙との関連の中で人間の誕生と死に関わる使命をもった存在たちです。

…私たちの世界に直接境を接している霊的世界は、日々、時々刻々、私たちの世界に関与しています。なぜなら地上では日々、時々刻々、誕生と死の経過が生じているのですから。
 そして私たちが境域の世界に足を踏み入れる瞬間に、人間の通常の物質世界に破壊的に作用しようとする存在たちの活発ないとなみの中に入っていくのです。(133、135頁)

前回もみたように、「アーリマン存在」の「霊界の境域」での活動は、近代から現代にかけて、非常に活性化しており、人間への影響を強めている。それは、誕生の瞬間から、人間の間近に寄り添うようにして働き、人間の「この世の生と死」に直接関わるものとなっている。そして、人間社会そのものも、「アーリマン化」していると言えるほどになっている。

このような状況においては、「霊界の境域」に目を向けること、さらに、そこから人間に働きかける、「アーリマン存在」のことを知ることは必要である。そして、その影響により、社会あるいは文明が破壊へと向かっていくことを、意識している必要がある。そのようにして、それらが引き起こす様々な事柄を、「眠り込んだ」まま通り過ぎるのではなく、「覚めた目」で、しっかりと見つめながら、通り過ぎることが重要なのだという。

注意すべきは、シュタイナーが言っているのは、何も、これらの存在のことを知ることで、それらの、社会における「破壊的な働きかけ」を阻止できるということではないことである。既にみたように、シュタイナーは、それらの存在が現代社会を徹底的に破壊すること自体は、避けようもないし、また、そうなることは、一種の必然(「鉄の必然」という)とみていた。

シュタイナーは、あくまで、そのような存在の働きについて、人間が「眠った」まま通り過ぎることで、魂まで「巻き込まれ」てしまうことを避けようというのである。シュタイナーは、「物質的なもの」を重視してはいるが、それは、あくまで「霊的なもの」に従属する限りでである。本当に問題となるのは、「物質的なものの破壊」なのではなく、「魂の破壊」なのだということである。

あるいはそれらアーリマン存在の破壊的な働きを認識し、しっかりと受け止めて生きることで、魂を強固にすることこそが重要なのだという。「霊界」に、「つまみ食い」ではなく、本当に、自覚的に参入するには、そのような強固な魂を必要とするからである。

このように、アーリマン存在は、人間の魂を鍛え、強固にする存在として、必要なものとされている。誤解されがちだが、シュタイナーは、「アーリマン」という存在自体が「悪」というのではない。ただ、それから、もっぱらこの世のために、自己主義(利己主義)を受けとることが、「悪」なのだとみていた。

これらのことは、「霊界のつまみ食い」との関係で言うと、「霊界のつま食い」がいけないからと言って、それをシャットアウトするのがよいということではなく、「霊界」を、できる限り「ちゃんと食べる」こと、そして、しっかりと「消化」することが必要ということなのである。

そのようなことは、私も述べてきたように、「霊界の境域」の影響が強まっている現代において、この「感覚的世界」と「霊界」とを区別し、混同しないためにも必要である。また、そこに住まう、アーリマン存在(捕食者)の特性や人間に対する戦略を知ることは、その餌食にならないためにも、必要である。しかし、さらに、現代の社会自体に現れているアーリマンの破壊的影響を知ることは、もっと誰にも「身近」で、「現実的」なレベルで、魂を強固に鍛える機会として必要、あるいはむしろ、「チャンス」ということなのである。

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