「陰謀論」と『アレックス・ジョーンズ・ショー』
私は、基本的に、「陰謀論」的な発想については警戒している。
理由は、大きく二つほどある。
一つは、記事『捕食者にとっての陰謀論』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-239d.html )でも述べたが、「陰謀論」は想像力によっていくらでも発展してしまうもので、それに絡め取られることは、「捕食者」の思うつぼだからである。それは、統合失調症の「妄想」とも似たもので、確かに、一定の「リアリティ」を基礎とはしている。が、それを恐怖と想像で、大きく膨らませ、新たな「現実」または「世界」を作り上げてしまっているのである。そして、結果として、「捕食者」の狙いどおりの、否定的な感情で蝕まれてしまう。
実際、統合失調症の「皆がグルになって自分を陥れようとする」という「迫害妄想」は、究極の「陰謀論」ともいえる。
もう一つは、「陰謀論」というのは、結局は、何かの「悪い」出来事の原因を、特定の誰かに帰すことによって、その「悪者」を排除しようという発想にほかならないからである。この点では、これまでみた、狂気を「厄介払い」しようとする発想と、ほとんど違わないことになる。それでは、何ら、問題の解決にならないのが明らかである。
たとえば、「ユダヤ陰謀論」であれば、「ユダヤ人」を悪者にし、責め立てめるが、この発想は、基本的に「魔女狩り」のときと変わらない。実際、「ユダヤ人」は、魔女として排除される主要な対象でもあった。ただ、現代では、「ユダヤ人」が支配的な位置についているとみられるので、かつてのような「弱い者いじめ」的な排除にはなっていないだけである。
さらに、もう一つあげると、特にハデな、人目につく内容の陰謀論というのは、それが真実でないとなると、結局「陰謀論」というのは、こういうものだということで、「陰謀論」的な発想を全否定されるネタとなりやすいということもある。実際には、あまり目立たない形で行われているかもしれない「陰謀的な事実」から、目を背けさせ、むしろ、そのようなものを否定する方向に作用するということである。
だから、「陰謀論」的な発想には、距離をとりたくなるのだが、しかし、最近は、特に欧米で、単純な「陰謀論」では済まされないだけの、説得的な内容を備えたものが大分出て来ているようである。
ときどきとりあげる、デーヴィッド・アイクもその一人と言えるだろう。
また、アメリカでは、『アレックス・ジョーンズ・ショー』というテレビ(またはラジオ)の番組があって、科学者等のゲストを交えて、陰謀的な事実を暴いていくというものがある。
たとえば、ワクチンについて、『ワクチンには何が入っているの』(http://www.youtube.com/watch?v=00CqO2z_kDI)、『ワクチンと脳疾患との繋がり』(http://www.youtube.com/watch?v=f0lbEylOvm4)など。また、ケムトレイルについて、『世界的ケムトレイルの秘密』(http://www.youtube.com/watch?v=13tmmjFbwYM)など。なお、アメリカ・メディアによる報道(http://www.youtube.com/watch?v=70iBeck35nI)。
これらは、既に3年前に放映されたものである。
ゲストの医師等は、たとえば、ワクチンに入っている水銀やアジュバント(免疫補強剤)等が神経に影響を与える危険なものであること、そもそも、ワクチンの皮下注射とウイルス等の感染経路は異なるから、ワクチンによる免疫効果は疑わしいことなどを指摘している。が、ワクチンを広めようとする連中は、そのことを知っていてあえて広めようとしているというのであり、明らかに一種の「陰謀」があることを明言している。
ケムトレイルでは、さらに有無を言わせない、強引な仕方で、危険な化学物質がばらまかれていることになる。ゲストは、それを認める政府文書が多くあることを指摘している。
司会のアレックス・ジョーンズは、多少エキセントリックな印象はあるが、こういう情報に常にさらされていれば、そうなるのも頷ける面がある。
私も、一連の体験では、心底「嫌になる」ことをとことん見せられ、体験させられたので、こういったことには「免疫」があるつもりでいる。それでも、やはりこういったことを聞くと、「嫌になっ」てしまうというのはある。
しかし、その「嫌になり方」は、それが「事実」でないからではなく(それなら、割と軽く受け流せる)、「事実」を含んでいるからこそというのも確かに感じる。
ワクチンやケムトレイルには、精神薬以上に、「強制」という要素が強く、それも弱点や盲点につけこんだ、「陰湿」なやり方であるだけに、余計そうである。
もはや現在においては、特に欧米では、このように、単なる「陰謀論」ではすまされない、具体的な議論にまで、発展して来ているということである。
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