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2012年8月

2012年8月28日 (火)

「じわじわと痛めつける」のがお好き

記事にも書いたとおり、一連の統合失調症的体験での、「捕食者」の攻め立て方は、単刀直入で、分かりやすいものなのではない。意図も理由もはっきりせず、訳の分からない攻撃に、執拗かつ継続的にさらされるのである。それは、「じわじわ」「じわじわ」と、追い詰めるようにして、痛めつけるものである。そこでは、「開き直る」ことも難しく、自ら恐怖に基づく想像力で、事態を拡大し、破滅してしまうことにもなる。

ダチョウの上島ではないが、「いっそ一思いに殺せー!」とも言いたくなる。

しかし、それこそが「捕食者」のやり方で、その間に継続的に生じる苦痛や恐怖の感情を、搾り取れるだけ、搾り取っているのである。一思いに殺すことによって生じる「死の間際の感情」も、それなりに強力ではあろうが、じわじわと「死に迫る」ことによって生じる、継続的に高められた感情には、敵わないようである。

宮沢賢治の小説『注文の多い料理店』にも、「捕食者」(この場合は、「山猫軒」の主だが)の、このじわしわと追い詰めるやり方が、よく表われている。料理店に入った人を食べる前に、執拗にいろんな注文をして、「食べられる」ことに気づかせ、恐怖感をこれでもかこれでもかと高めてから、食べようとしているのである。

最近、「精神薬」、「ワクチン」、「ケムトレイル」などの、人間の支配層による、「悪意」ある「陰謀」があることについて述べて来た。これらのやり方は、今のところ、まさに、このような「捕食者」のやり方そのものを思わせるものになっている。つまり、決して、単刀直入で、分かりやすいものではなく、「じわじわ」と、追い詰めるように、痛めつけるものになっている、ということである。

これらは、人体に危険の多い、または脳や精神状態を蝕む、化学物質が問題なのだが、それは、直接に「死」や、それが明白なほど、危険や傷害自体を目的としているような代物とは言い難い。もちろん中には、直接に「死」や「傷害」という結果をもたらす場合もあるだろう。が、多くの場合、それらは、それらの蓄積によって、初めて結果の出るものである。だから、その効果は曖昧であり、誰にも、すぐに分かるような、明白なものとはいえない。

人間の支配層としては、あるいは、「優生学」などの観点から、「人口削減」を意図しているのかもしれないが、直接にそれを意図するものとしてほど、はっきりとした狙いも効果も明確ではない。何か中止半端で、煮え切らないやり方である。

それは、直接そうと分かるようなやり方では、もはや「陰謀」とすらいえず、ただの「犯罪」であり、すぐ発覚するものなので、当然ということもできる。それを、現実に実行するのは、製薬会社や医療機関、空軍、民間の気象会社などなので、それらに一応ともまかり通る、もっともらしい理由がなければ、実行は難しいという実際的な理由もあるだろう。

何しろ、それらは、常に「大義名分」または「口実」の裏に隠れて行われるのであり、たとえ問い詰められたとしても、いくらでも「逃げ口上」が用意されているのである。

本気で、「人口削減」を意図するなら、もっと堂々と正面からそれを問えばいいものを、超エリートたる支配層のやることとしては、情けないくらいに、意気地のないことといえる。

しかし、それでも、それ自体のもたらす効果というのは、意図されたものではないにしても、結果としては、見事なくらいに、「捕食者」好みの、「じわじわと痛めつける」形の「攻撃」になっているのである。

これらの「陰謀」は、それが一般に「知られる」(と言っても、明白な事実として表に表れることはまずないから、一つの可能性として)こと自体の醸し出す効果も大きいと言わなければならない。それは、人々を、不安にさせ、疑心暗鬼にさせ、恐怖におとしめる。それも、明白なものでなく、想像力によりいくらでも拡大するものであるだけに、それらは余計に高められ、継続的なものとなる。ある意味で、「知らぬが仏」であり、へたに知って、不安に過ごすより、知らないで、気にしない方が、精神衛生上健康ということにすらなる。

これらのことも含めて、何とも、「捕食者」好みの状態になっているのである。

デーヴィッド・アイクは、人間の支配層は、爬虫類人とのハイブリッド種族として、血統を維持して来た者という。しかし、そうではなくとも、彼らが、「捕食者」の強い影響を受けている者であることは疑いがない。既にみてきたように、現代では、誰もが「捕食者」の影響を受けているが、その中でも、特に強い影響を受けているということである。

現代の産業社会を「捕食者的文明」と言ったが、彼らの間では、一般の人間に対する支配的立場が共通であるうえに、確かに、歴史的、地球史的にも、もともと何か関係があったのだろう。

だから、人間の支配層が、意識的にはどういうことを意図しようと、結果的に、「捕食者」の意図を実現するような状態になっているのは、頷けることである。人間の支配層のやり方が、消極的で、中途半端であるほど、そのような、「捕食者」の傾向が強く表れるはずである。

ただし、今後、人間の支配層が、もっと直接的で分かりやすい行動に出るようであれば、もはや「捕食者」の思惑を越えて、彼らの意図を実現することになる可能性はある。もっと、端的で分かりやすい形で、「人口削減」が目指されるということである。

しかし、いずれにしても、これらの「陰謀」は、既に、産業社会の維持にとっても、彼ら自身の生命、身体にとっても、自暴自棄的である。「捕食者」好みの状態といっても、それらは、全体としての「弱体化」をもたらし、そこで生まれる「苦痛の質」も弱められるのだから、決して、「捕食者」にとっても、積極的に望まれた状態なのではない。いわば、全員を「廃人」にしてしまうごときは、「捕食者」も、本来、望まないことなのである。

要するに、それは、一種の「自滅」への道か、「悪あがき」というほかはない。

※「ケムトレイル」?

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昨日午後5時30分頃、私の家の近くで上空を撮影したもの。

帰宅途中に車の中から、飛行機が見た目にも強烈で多量の雲を噴霧しながら飛行するのを目撃。周りにも数本の飛行機雲の軌跡がはっきり残っていた。写真で撮影できたのは、その後15分位後で、残念ながら雲ははっきり残っているものの、形はくずれ、迫力にも欠けるものになっていた。ただの飛行機雲なのかもしれないが、雲は形をはっきり残したものが、この時点でも、全天に6本ほど確認できた。

写真の下の飛行機雲が、車から現に噴霧されいるのを見た飛行機雲。その拡大写真。(※)

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写真上の残っていた飛行機雲の拡大写真。

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別の方向に出ていた飛行機雲2つ

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この後、30分位後には、全天に黒い雲が立ち込め、曇り空になる。ただし、雨は結局降らなかった。

1カ月ほど前にも、似たような平行に走る飛行機雲何本かと、上空を真白な機体の飛行機(目視でもかなり巨大であることが分かる)が現に多量の飛行機雲を噴霧しながら飛行するのを見たが、そのときも、十数分後に曇り空になり、雨が降り出した。

上空が湿っている(雨が降りそうな気象条件にある)からこそ、飛行機雲ができやすく、残りやすいのだとは言えるだろうが、やはり不自然な気がする。

今後も、少し意識して観察してみたい。

(※) 車から見えた位置は、南方向だったので、これだと思っていたが、途中の位置などからみても、現に噴霧しているのを見た飛行機雲は、写真上から4番目のものだったようだ。このように、6本も出てると、どれがどの雲かを同定するのも難しくなる。

2012年8月20日 (月)

「陰謀論」と『アレックス・ジョーンズ・ショー』

私は、基本的に、「陰謀論」的な発想については警戒している。

理由は、大きく二つほどある。

一つは、記事『捕食者にとっての陰謀論』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-239d.html  )でも述べたが、「陰謀論」は想像力によっていくらでも発展してしまうもので、それに絡め取られることは、「捕食者」の思うつぼだからである。それは、統合失調症の「妄想」とも似たもので、確かに、一定の「リアリティ」を基礎とはしている。が、それを恐怖と想像で、大きく膨らませ、新たな「現実」または「世界」を作り上げてしまっているのである。そして、結果として、「捕食者」の狙いどおりの、否定的な感情で蝕まれてしまう。

実際、統合失調症の「皆がグルになって自分を陥れようとする」という「迫害妄想」は、究極の「陰謀論」ともいえる。

もう一つは、「陰謀論」というのは、結局は、何かの「悪い」出来事の原因を、特定の誰かに帰すことによって、その「悪者」を排除しようという発想にほかならないからである。この点では、これまでみた、狂気を「厄介払い」しようとする発想と、ほとんど違わないことになる。それでは、何ら、問題の解決にならないのが明らかである。

たとえば、「ユダヤ陰謀論」であれば、「ユダヤ人」を悪者にし、責め立てめるが、この発想は、基本的に「魔女狩り」のときと変わらない。実際、「ユダヤ人」は、魔女として排除される主要な対象でもあった。ただ、現代では、「ユダヤ人」が支配的な位置についているとみられるので、かつてのような「弱い者いじめ」的な排除にはなっていないだけである。

さらに、もう一つあげると、特にハデな、人目につく内容の陰謀論というのは、それが真実でないとなると、結局「陰謀論」というのは、こういうものだということで、「陰謀論」的な発想を全否定されるネタとなりやすいということもある。実際には、あまり目立たない形で行われているかもしれない「陰謀的な事実」から、目を背けさせ、むしろ、そのようなものを否定する方向に作用するということである。

だから、「陰謀論」的な発想には、距離をとりたくなるのだが、しかし、最近は、特に欧米で、単純な「陰謀論」では済まされないだけの、説得的な内容を備えたものが大分出て来ているようである。

ときどきとりあげる、デーヴィッド・アイクもその一人と言えるだろう。

また、アメリカでは、『アレックス・ジョーンズ・ショー』というテレビ(またはラジオ)の番組があって、科学者等のゲストを交えて、陰謀的な事実を暴いていくというものがある。

たとえば、ワクチンについて、『ワクチンには何が入っているの』(http://www.youtube.com/watch?v=00CqO2z_kDI)、『ワクチンと脳疾患との繋がり』(http://www.youtube.com/watch?v=f0lbEylOvm4)など。また、ケムトレイルについて、『世界的ケムトレイルの秘密』(http://www.youtube.com/watch?v=13tmmjFbwYM)など。なお、アメリカ・メディアによる報道(http://www.youtube.com/watch?v=70iBeck35nI)。

これらは、既に3年前に放映されたものである。

ゲストの医師等は、たとえば、ワクチンに入っている水銀やアジュバント(免疫補強剤)等が神経に影響を与える危険なものであること、そもそも、ワクチンの皮下注射とウイルス等の感染経路は異なるから、ワクチンによる免疫効果は疑わしいことなどを指摘している。が、ワクチンを広めようとする連中は、そのことを知っていてあえて広めようとしているというのであり、明らかに一種の「陰謀」があることを明言している。

ケムトレイルでは、さらに有無を言わせない、強引な仕方で、危険な化学物質がばらまかれていることになる。ゲストは、それを認める政府文書が多くあることを指摘している。

司会のアレックス・ジョーンズは、多少エキセントリックな印象はあるが、こういう情報に常にさらされていれば、そうなるのも頷ける面がある。

私も、一連の体験では、心底「嫌になる」ことをとことん見せられ、体験させられたので、こういったことには「免疫」があるつもりでいる。それでも、やはりこういったことを聞くと、「嫌になっ」てしまうというのはある。

しかし、その「嫌になり方」は、それが「事実」でないからではなく(それなら、割と軽く受け流せる)、「事実」を含んでいるからこそというのも確かに感じる。

ワクチンやケムトレイルには、精神薬以上に、「強制」という要素が強く、それも弱点や盲点につけこんだ、「陰湿」なやり方であるだけに、余計そうである

もはや現在においては、特に欧米では、このように、単なる「陰謀論」ではすまされない、具体的な議論にまで、発展して来ているということである。

2012年8月11日 (土)

「ダーウィン医学」と「薬による治療」

「ダーウィン医学」というのは、進化の視点から病気の意味を探ろうという新しい試みのこと。(栃内新著『進化からみた病気―「ダーウィン医学」のすすめ』講談社ブルーバックス参照。病気のことだけでなく、細菌、ウイルスや免疫系などの進化についても、興味深い事実が知られ、面白く読める。)

「ダーウィニズム」という特定の進化論という限定のイメージを与えので、「ダーウィン医学」という言い方は、本当は好ましくない。が、進化論のさまざまな説の相違を差し引いても、「進化」という大枠的な見方から、ある程度共通の「病気」についての意味を探ることができるという意味で、あえてダーウィンに代表させて名を冠することも、悪くはないだろう。

逆に言えば、現代の一般の医学の視点が、いかに短絡的なものかが、この「ダーウィン医学」によっても、よく浮き彫りになるのである。

たとえば、病気に対する身体の防御手段は、進化の過程で獲得されたもので、「かぜ」に対する発熱や倦怠感もその例である。本来、病気(病原)と闘うためにこそ、生じている反応ということである。しかし、現代の医学は、それらも症状の一つとして扱い、「薬による治療」で抑え込もうとする。

また、ウイルスや細菌に感染することは、人間からみれば病気になることでも、ウイルスや細菌にとっては、生き残りをかけた生命活動そのものである。また、特にウイルスにとっては、宿主を殺してしまうことは、自らの生命活動の場を失ってしまうことで、致命的なことである。だから、ウイルスや細菌にとっても、感染しても死なない個体、「共存」できる個体の方が望ましいわけで、実際、そういう個体が、進化の過程を通して「選択」されてきたといえる。(「ウイルス進化論」的にいえば、まさにそのようなウイルスの「取り込み」こそが「進化」ということになる)

医学も薬もない時代から、そうやって、人間はそれらの細菌やウイルスと格闘しながら、ともに進化して来たのであり、人間は、本来、これらの病原に対する免疫や、対抗力を身に備えているのである。

だから、本来、自然状態では、「病気」とは、それほど恐れるに足りないものである。しかし、最近のエイズにしても、様々に変異したインフルエンザにしても、文明の中での人為的な働きかけによって生じたもので、「文明病」というべきものである。

要するに、現代の病気と治療は、「文明病」対「文明薬」の闘いになっているわけで、どちらが勝っても、体にとっては、不自然な結果になる。あるいは、結局、「文明病」と「文明薬」は、一見闘っているようで、実は手を組んでいるのであり、ともに体の「自然」に敵対して、蝕んでいく。

これまでみてきたように、「精神医学」の場合、「病気」とは、現代では、「薬による治療」というシステムにのせるために、貼られた「レッテル」に過ぎないものになっている。

しかし、現在では、「精神医学」に限らず、もはや「病気」とは何かという問題は、まともに追求されることはなくなっている。一般に、「病気」という枠にはめさえすれば、「薬による治療」というシステムにのせられるものとして、運用されている。

「病気」そのものよりも、「治療」が、特に「薬による治療」が重要なのである。あるいは、初めに、「薬による治療ありき」になっているのである。

「薬による治療」が目指すものは、よく言われるように、「対症療法」であり、「病気」によって生ずる「症状」を取り除くことだというのは、一応そのとおりだろう。しかし、「かぜ」の例でみたように、この言い方も適当でないことが多く、そもそも「症状」という言い方も、曖昧で、抽象的なものである。そうではなく、端的に身体的不快感や痛みを取り除くのだというのは、確かだろうが、単にそれだけが目指されているとも思えない。

結局、「薬による治療」が取り除こうとするものは、「症状」そのものというよりも、現代の「産業社会」において、「病気」にかかったことによって生じる、「不都合」なのだと思う。「薬」そのものも、「産業社会」の産物だが、結局これは、「産業社会」を回して行くうえでの、「不都合」を「取り除こう」としているのである。身体的不快感や、痛みを取り除くというのは、むしろ、その副次的な効果といえる。

たとえば、かぜやインフルエンザというのは、何もしないでも、2,3日、遅くとも1週間ほど寝ていれば、治ってしまうものである。しかし、普通は、社会的に、このような悠長なことは許されないし、本人も、そんなことを望まない。学校でも職場でも、休みをとれば、なんとなく後ろめたい気にさせられるし、何か遅れをとったような気にもされられる。医師にかかり、薬を飲めば、もっと短い期間で治ると、一般には思われているからである。

要するに、「薬による治療」が目指すのは、「病気」そのものを「治す」ことではなく、ただ、それによって生じた、「不都合」の期間を、強引に縮めることによって、一刻も早く、産業社会の「歯車」として、復帰させることである。つまり、ゆっくりと、「病気」そのものと向き合ったり、本当に療養することを許さず、ただ産業社会の「歯車」の一つとして、それまで通り、動き続けさせるための、応急処置である。

この目的からすると、「病気」そのものを、「掘り下げ」たり、向き合ったりすることは、望ましいことではない。ただ、「産業社会」を「回して行く」「日常」の流れが止まらないことが、重要なのである。

しかし、このような応急的な処置が、いつまでも、本当に「不都合」を来さずに続くわけがないのも明らかである。これは、要するに、「産業社会」を回している個々の「歯車」が故障しても、本当に原因を調べもせずに、ただ、応急の処置だけして、回し続けているようなものである。だから、必ず、どこかにガタが来るに決まっている。つまり、いずれは、産業社会自体を、回し続けられないような事態に至るのが目に見えている。

さらに、「薬」は、その蓄積により、さまざまな点で、「弱体化」を促進するものである。だから、そのような応急措置の積み重ねは、「歯車」の弱体化を促進しているようなものである

これは、決して、不要な、役立たずの「歯車」だけを抜き去ることではない。全体しての、「歯車」を弱体化しているのである。

前々回みたように、人間の「支配層」は、意図して、これらの「歯車」を、「弱体化」しようと図っているかのごとくである。しかし、人間の「支配層」とは、この「産業社会」から、莫大な利益を吸い上げている者たちである。だから、このような「弱体化」を図ることは、「自暴自棄」以外の何ものでもないと言うのである。

あるいは、「支配層」も、もはや「産業社会」が、これ以上立ちいって行かない限界に達していることは、十分認識しているのかもしれず、「製薬会社」と「医療」を中心に据えた吸い上げは、いわば、最後の「搾り取り」の意味なのかもしれない。ダメになることを承知のうえ、搾り取れるだけ絞り取ろうという魂胆である。

ただ、「支配層」は、現代のこのようなシステムが、今後別の方向に変わり得ることを、 どうやら、我々以上に、(彼ら独自の情報に基づいて)認識し、恐れているようにも思われる。そこで、そのような変化を恐れるがゆえに、「自暴自棄」的な暴挙に出ているとも思われるのである。この点は、いずれもう少し詳しく述べよう。

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