「精神医学」と「精神薬」の一般への浸透/「捕食者」の「黄昏」
前回、「精神医学」と「オカルト」的なもので述べた、「排除」すべき「狂気」というのは、「統合失調症」を中心にしたもので、一般には、特殊とみられるものでもあった。しかし、前回は、はしょって飛ばしたが、「精神薬」の開発は、そのような流れも変えた。その後、ほどなくして、「精神医学」は、「精神医学」と「精神薬」の一般への浸透ということを図るようになる。つまり、特殊の者だけでなく、一般の者の懐にも深く入り込み、多くの者に「精神的な病い」を広め、「精神薬」を処方することを図るのである。
これは、「精神医学」にとっても、大きな方向転換で、単にこれまでの、特殊な「はみ出し者」を「管理」ないし「厄介払い」するという役割を、大きく越え出るものである。それは、もちろん、産業社会の発展と、大量生産可能な「精神薬」の製造ということが可能にしたもので、そこには、単純な資本の論理、「利潤の追求」ということがある。
ただ、記事『精神科をやりたい放題にさせたシステム』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-107d.html)でも述べたように、そこには、「魔女狩り」の対象が、初め特殊の者に始まりながら、やがて多くの者に拡大されたのと同じ構造が働いていたともいえる。「精神医学」だけでなく、多くの者もまた、「厄介払い」すべき「狂気」を、これまで以上に多くの者に、拡大する衝動を抱いていたということである。(単に、「他人」に「狂気」をみるというだけでなく、自分自身の「狂気」も、精神薬により、簡単に「厄介払い」できるとの発想も含む)
それはそうなのだが、「精神薬」は本来、「依存性」の強い「麻薬」または「覚醒剤」紛いの「劇薬」である。また、当然ながら、ここに来て、その大きな薬害も明らかになってきている。それを考えると、そこには、単なる「金儲け」や、「狂気」を「厄介払い」するということ以上に、「悪意」ある「意図」が働いていたとみなければならないとも思うのである。
私は、精神薬の薬害については、記事『「脳内現象」や「薬」との関係 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-14b1.html)を書いた時点では、認識が甘かったと認めざるを得ない。もちろん、精神薬により「精神的な病い」の治療が可能などと思ったことはないが、症状を緩和すること自体はあるはずだし、現状としては、それが使用されるのも仕方のないことと思っていた。また、最近の薬は、少なくともかつてのものよりは、副作用が少なくなっているはずと、漠然と思っていた。
しかし、いろいろ調べたり読んだりしていると、決してそうではないことが分かってきた。「精神薬」の依存性や害悪がこれだけ大きいもので、しかも、日本のように、「薬信仰」が行き渡っているところでは、たとえ、一時的な症状の緩和策としても、薬は使うべきではないと、今は考えるようになった。
さらに、このような「精神薬」の、脳や精神に及ぼす作用は、単にはっきりと目に見える「害悪」だけではないと思われる。目に見えない形で、徐々に蝕まれていくということである。これが、さまざまな、勝手な「病名」が作られるともに、子供まで含めて、当たり前のように、広く処方されることには、「陰謀論」めくけども、やはり、単に巨大製薬会社(ビッグ・ファーマ)や精神科の「金儲け」や「影響力の拡大」というだけのことではない、「意図」をみないわけにはいかないのである。
前にも採り上げた、デーヴィッド・アイクは、ちょうど、『ムーンマトリックス』の[ゲームプラン篇1]で、この問題を扱っている。
つまり、爬虫類人や人間の支配層は、医療や医薬品、ワクチンなどを通して、人類の弱体化と人口削減を図っているというのである。爬虫類人と人間の支配層は、あえて意図して、害悪と死の危険あるこれらの薬剤を、一般に浸透させているということである。かなり「グロテスク」な内容だが、その記述には、これまでのものと比べても、かなり説得的なものがある。一定の「真実」は、含まれているとみざるを得ないのである。
そのような意図は、本当に、あらかじめ、薬の作用を十分認識し得るような(たとえば、秘密裏の人体実験などを通して)、特殊な立場にある少数の者に始まるものだろう。恐らくは、精神医学やビッグ・ファーマの上層部をも巻き込んでいるだろうが、一般の精神科医や製薬会社の社員などは、まさに、そのようにしてでき上がったシステムを動かす歯車の一つに過ぎない。
そもそも、「精神医学」には、捕食者や人間の支配層が、「巣くい」やすい構造があるのは、これまでみて来たところからも、明らかのはずである。
「精神医学」は、もともと、「はみ出し者」の「管理」、「矯正」のために作られているのだから、 これは、「捕食者」の管理上意図するところと、全くと言っていいほど重なる。言わば、捕食者の「出先機関」のようなものである。あるいは、前に言ったように、「なまはげ」と同様、恐怖をもって、子供に親や世間の言うことを聞かせる役割としても重なる。
また、「精神医学」には、人間の狂気や病気に対する不安・恐怖のため、タブー意識のからむ「アンタッチャブル」な面がつきまとう。つまり、心理的に逆らいがたい影響力を発揮する面があり、「捕食者」や人間の支配層にとって、またとない、つけ込みどころなのである。
だから、それが利用され、それを通して、広く一般への浸透と影響力の拡大を図るのは、よく分かる。
ただ、人間の支配層が、支配や管理の合理化のため、人口の削減や弱体化を図るというのはまだ分かるが、このようなことは、決して、「捕食者」の本来の意図ではないはずなのである。「捕食者」は、人間の管理・支配も意図してはいるが、それは、本来、人間から発散される「エネルギー」を食糧源とするためである。人口の削減や弱体化は、管理のためには適当と言えても、決して、良質の「感情的エネルギー」採取のためには適当とは言えない。
また、人間の支配層にとっても、人口の削減や弱体化を図るなら、手は他にもあり得るはずだし、食品添加物やうわさされる「ケムトレイル」(化学物質の空中散布)なども含めて、自分たちにも、被害が及び得るような手をとるだろうかと思う。これらの支配層は、こういったものの影響を受けない環境を確立しているのかもしれないが、この地球に生きている以上、全く無害でいることはあり得ないはずだからである。(あるいは火星等への移住を計画?)
いずれにしても、全くそのままでは、受け入れ難いものだが、しかし、『ムーンマトリックス』の[ゲームプラン篇3]を読むと、その疑問も大分解消する。
アイクは、支配層による現在のこのような惨状も、今後は、意識に目覚める者、またはそのような支配体制の存在に気づく者が増えることによって、大きく変容するものとみている。支配層の連中もそのことには気づいていて、窮地に追い込まれている。だから、このような人類の人口の削減や弱体化、あるいは、今後の人類を担う子供を狙った弱体化や取り込みは、彼らの支配体制を強めるためというよりも、これまでの支配体制を何とか維持しようとする、窮余の策というのである。
実際、それなら、自分らへの危害の可能性も顧みずに、自暴自棄的にそのようなことを行うことも理解できなくはない。
また、私も、「捕食者」についてだが、既に一連の体験時に、彼らが、彼らの支配と捕食のあり様に、非常な「限界」を感じて、行き詰まっているらしいことを感じ取っている。(記事『「捕食者」(アーリマン存在)の限界性』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post-d262.html)にも述べている)「恐怖」のエネルギーを吸い取ったときには、ガソリンを補給された車のように、活気づくが、そうでないときは、哀れなぐらいに、疲弊し切っている感じなのである。
そして、むしろ、そのような「捕食者」が、自暴自棄になったら、何をしでかすか分からないという意味で、「怖い」という思いを抱いていた。が、実際に、そのような状況になって来たということが言えそうである。彼らも、良質の「エネルギー」の「獲得」という本来の目的を犠牲にして(諦めて)、ほとんど無益な、自暴自棄的な「破壊」の途にあえて出ているらしく思われる。その、陰湿なやり口も、いかにも彼ららしいし、さらに彼らは、どこかで、自分らがやっていることを気づいて欲しいとも思っているはずである。それが、彼らの、せめてもの「存在主張」なのである。
この「自暴自棄さ」は、恐ろしいことでもあるが、しかし、それだけ彼らが、行き詰まっていて、どうしようもなくなっていることの証しでもある。つまり、今後は、アイクもいうように、流れが、大きく変わって行く可能性はあるということである。
何しろ、この点については、今後も追求を続けていきたいと思う。
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