「うつ」と「プラシーボ」
「プラシーボ」とは、「偽薬」のことである。薬の臨床試験などでは、砂糖、生理食塩水などを用いた、「プラシーボ」との効果の違いがはっきりと証明されなければならないとされる。しかし、逆に、このような「プラシーボ」も、ある病気に効く薬として与えると、一定の治療効果が現れることがある。それを、「プラシーボ効果」という。
要するに、治療効果を期待してプラシーボを服用すると、その主観的な影響により、薬と同様の効果が一定の割合で認められるのである。治療というものが、いかに主観的な「思い」に左右されるかということを示している。
また、特に薬のような物質を媒介せずとも、言葉や暗示だけでも、一定の効果を及ぼすことがある。それも広い意味の「プラシーボ効果」といえる。
催眠状態で、鉛筆などを、焼けた火鉢だと暗示を与えて皮膚に触れると、実際に水ぶくれを生じることがあるのはその一例である。あるいは、最も強烈な例としては、「ブードゥー死」というのがある。未開社会などで、自分が呪術師に「呪われ」ていることを知ると、そう知っただけで、本当に衰弱死してしまう現象である。
このように、治療というのは、本来、主観的な「思い」に左右されるわけだが、それは、もともと、「自然治癒力」というものが、いかに大きく影響するかということの表れとも言える。主観的な思いが、「自然治癒力」を引き出しているとみなせるからである。
最近、記事でも採り上げている抗うつ剤、「SSRI」についてだが、最近の研究では、プラシーボとの効果の相違は、2割ほどしかないという。(冨高辰一郎著『なぜうつ病の人が増えたのか』p.174以下参照)つまり、プラシーボではないという形で、薬の効果がはっきりと認められる場合は、2割ほどしかないということである。
この数字は、少ないと驚く人が多いかと思うが、逆に、2割ほどでも、実際に薬が効くという効果があるということになるなら、そのことの方に、驚きが伴うとの見方もできるだろう。
何しろ、実際に、「抗うつ剤」が効いて、うつ病が治ったという人は、かなりの程度いることは確かであろう。もっとも、民間療法や心霊治療、カルト的な治療法でも、治ったという人は、常に一定の程度いるのである。そして、恐らく、これらには、どちらにも、前述の「プラシーボ効果」が相当影響していると考えられる。
「うつ」という状態自体が、主観的、感情的な思いの影響を強く受けやすいはずで、この薬は効くというプラスの思いは、その解消に、相当影響するはずである。また、前回みたように、躁鬱気質の人は、医者の権威や世間一般の見方を素直に受け入れやすい面が強いから、「抗うつ剤」の効果を医者や世間一般の見方が補強すれば、余計に「プラシーボ効果」は高まると思われる。
この点は、「統合失調症」の場合とは多いに異なる。「統合失調症」では、あまり主観的、感情的な思いに左右されるとは考えにくいし、また、「病識がない」などと言われるが、そもそも、自分の状態を単純に「病気に過ぎない」と認識することはほとんどないので、その状態が、薬で治るなどと信じることは、あまり考えられない。だから、「統合失調症」の場合、薬の「プラシーボ効果」などは、あまりないと思われる。
ところが、「うつ」の場合は、「プラシーボ効果」の影響が相当見込まれるのである。
「SSRI」などは、製薬会社の啓発活動に基づくものとは言え、当初は、世間もその効果を後押ししていたから、相当「プラシーボ効果」の影響もあったと思われる。しかし、ここに来て、前々回もみたように、本当は、「大して効かない」こと。また、副作用も「少なくない」こと。自殺や他者に対する攻撃性などの衝動性も高まること。薬を止めたときの離脱症状(一種の中断症状)も激しいことなどが、一般に知られるようになって来た。そうすると、今後は、そのような「プラシーボ効果」の影響も大きく減退するであろう。あるいは、ろしろ、マイナスの「プラシーボ効果」が高まることも考えられる。つまり、実際にも、「抗うつ剤」は効かなくなる可能性が高いということである。
しかし、だからと言って、そのような否定的な「事実」は、隠した方がいいということにはならないはずである。薬に「プラシーボ効果」が見込まれるのであれば、実際に生じる「害悪」を無視してよいことにはならないからである。そうであれば、民間療法や心霊治療、カルト的な治療法と何ら変わらないことになる。
「プラシーボ」効果そのものは、「暗示」の力であり、その「暗示」の力が、生理的、身体的に、いかにバカにできないものかを示すものである。そして、そのこと自体は、今後の治療でも、多いに意識され、利用されてよい。しかし、本来、「プラシーボ効果」は、その効果そのものよりも、そのもとにある、「自然治癒力」が重要なのであり、もっとそちらの方に、注目されてしかるべきである。
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修行中と申します。
「心の病に専門家はいない」というヤフーブログをやっております。
ブログリンクさせていただければ幸いです。
よろしくお願いします。
投稿: 修行中 | 2012年7月 1日 (日) 20時23分
コメントありがとうございます。ブログざっとですが、拝見させていただきました。抗うつ剤に限らず、精神薬の減薬、断薬がいかに大変なことか、最近の精神科医のいい加減な診断ぶりがよく分かります。医師により、いろいろあるのでしょうが、基本、「病気」というものが実際に存在し、「薬」はそれを治すものだという「思いこみ」だけでやっていて、それから一歩も離れることができないのだと感じました。「悪意」以前の、どうしようもない「無知」「無能」と感じます。今後、薬の害悪が知れわたるようになると、こういう医師はどういう反応をするか、(まっとうであれば、多くの医師が「うつ」にならなければならないと思います)興味あるところです。
私のブログでは、ベタでオカルト的な内容を扱っていますが、差支えなければ、リンクしていただいて結構です。もちろん、私が体験したり、考えていることを本気で述べているものです。
投稿: ティエム | 2012年7月 2日 (月) 00時50分