« 3つの選出記事 | トップページ | 『精神科は今日も、やりたい放題』 »

2012年5月 9日 (水)

狂気(統合失調症)の「原因」

                     
「統合失調症」は原因の不明な病気という言い方がされる。確かに、「これが統合失調症の原因である」ということで、明確な何ものかが示されたことはない。しかし、本来、統合失調症は様々な面を含む、複雑な(複合的な)現象なので、その原因にも様々な要素が絡むし、様々な側面からみられ得るものである。だから、本当は、「特定の原因に絞ることができない」というのが、正しいと思われる。

ただし、「統合失調症」には、それを他の精神的な病から区別する、「統合失調症」らしい特徴というものがある。それは、はた目にも、強烈な印象をもたらすもので、不可解で、謎めいたものと思わせるものである。たとえば、激しい混乱、強力な幻覚、奇妙な妄想の確信、何か「見えざる圧倒的な他者」に支配される様子、などである。

だから、こういった「統合失調症らしい」特徴に着目し、それをもたらすものは何か、あるいは、それなしでは、このような「激しい」現象は起こらないという意味で、最も影響のある「原因」は何かということを、考えることはできる。

そうした場合、それは、「目に見えない」「不可視の領域からの影響」ということになる。あるいは、少なくとも、それ抜きには、決して、こういった強烈な現象を、本当には理解することはできないということを、これまで述べて来たのである。具体的には、「エレメンタル」や「捕食者」の影響(水平的方向)または「虚無」(垂直的方向)の影響などである。

しかし、あえて、全体として、「統合失調症」をもたらす、様々な「原因」を取り出してみること、また、それらの関係をみてみることにも意義があるだろう。そうすると、それは、次の図のようになる。

Photo
先にあげた、強烈な現象をもたらす、最も強い影響力は、「外的原因」といえる。この「外的原因」には、これまでみて来たように、「水平的方向」からのものと「垂直的方向」からのものがある。代表的なものは、「水平的方向」では「エレメンタル」(他者の生霊)や「捕食者」であり、「垂直的方向」では、「闇」や「虚無」である。

しかし、この「外的原因」は、それだけで現象を生じるというものではないのも確かである。つまり、主体の側の、何らかの「原因」との絡み合いで生じるものである。主体の側にも、そのような「外的原因」の、呼び込みやすさや、影響の受けやすさ、あるいは、つけ込まれやすさなどの「要因」があるからである。そこで、それらは、「主体的」または「内的原因」と呼ぶことができる。

このような、「主体的」または「内的原因」も、様々な面からみることができる。たとえば、物質的な面(脳や遺伝子など)や、精神的な面(心の性質やトラウマなど)、さらに両方を含めた一種の体質(分裂気質、霊媒体質など)などである。

簡単に図式化すれば、これらの「主体的」または「内的原因」によって、「霊界の境域」への陥りやすさが生じる。それには、周りの環境との不適応感の高まりや、ある(本人にとっては決定的な)外的出来事が起こることなどを、具体的なきっかけとすることも多い。それも、ある種の「外的原因」と言えるが、現象を生じる、直接的なものではなく、あくまで、「霊界の境域」へ陥る「きっかけ」としてのものである。そして、その「霊界の境域」で、水平的方向及び垂直的方向から、これまでに経験のない、「外的原因」の影響を受けることになる。それによって、具体的な、「統合失調症らしい」現象が生じるのである。

ある場合には、「主体的」または「内的原因」こそが、強い誘引力となって、そういった現象を呼び込むという意味で、より本質的な「原因」とみられる場合もあるかもしれない。そのような意味で、「主体的」または「内的原因」を重視する視点は、確かにあり得ると思う。

一般にも、このような「主体的」または「内的原因」こそが重視されている。実際には、先のような「外的原因」は、「見えない」ものであるために、全く無視され、考慮すらされていないので、それも当然といえる。そして、そのどの側面に着目するかで、さまざまな立場が生じている。一般の(生物学的)精神医学は、物質面(脳や遺伝子)に着目して、それが原因であるかのようにみなすし、精神分析などの心理学は、精神面に着目して、そこに「原因」を見出そうとする。

しかし、先にみたように、それらによっては、本当に、統合失調症らしい現象を、具体的レベルで、理解することはできないと言うべきである。要は、それの「異常」さを、「抽象的」、「観念的」に、「分かったような気になる」だけである。

先にみたような、「外的原因」がなければ、そのような「統合失調症らしい」現象は生じないという意味で、「外的原因」を抜きにして、統合失調症の原因は語れないというべきなのである。

また、そのような「外的原因」こそが、本人にとっても、とりあえず、対処すべき(必ずしも、「取り除く」という意味ではなく、現実として、「受け入れる」ことを含む)、最も身近な「とっかかり」であるという意味でも、そのような「外的原因」を抜かすことはできない。そのような「外的原因がない」ということは、その者は、「存在しない」ものと、空しく格闘を演じているということになり、何らの「とっかかり」すらなく、ただ、そのことを認めることだけが問題ということになる。しかし、ことが、そんな単純なことではないのは明らかであり、本人も、そんなことを認めるはずがない。それらを「ないもの」として扱うということは、周りが、本人から、そのような対処の「とっかかり」すらをも、奪うということを意味している。

但し、本人の側も、認めなければならないことがある。それは、その「外的原因」が、いわゆる「物理的」「客観的現実」についてのものではないということである。これを混同して、「物理的」「客観的現実」レベルで反応している限り、周りとの齟齬や混乱が拡大するのも、やむを得ないというべきである。そうしたうえで、その「見えない」「原因」に対して、何らかの対処をしていくしか、少なくとも、初めの「とっかかり」としてはないのである。

とはいえ、確かに、根本的には、そのような「外的原因」を誘発する「内的傾向」こそが問題として、それに何らかの処置が必要という見方もあり得るであろう。しかし、それは、そのような「外的原因」の影響をとりあえずは、廃し、または緩和できたうえでの話である。そのようなものを廃すために、直接また強引に、「主体の側」に働きかけるというのは、本来、筋が違っている。

それに、実際には、そのような「内的傾向」は、本来「問題」などとはいえず、また、単にその者の性質として、変えられるものでもないことが多いはずである。その点は、「外的原因」を認めず、主体の側だけを問題視するから起こるので、「外的原因」に対する自分なりの対処法を身につけることによって、大きな混乱に陥らなくなるのであれば、それで十分というべきことが多いはずである。
                                                    
さらに、この点は、このような「外的原因」を認めるにしても、それを「悪魔」などとして、「悪」の観念と結び付けたり、「低次元」の存在として、「高低」の観念と結び付けることによって、そのような存在を誘引した本人の「内的傾向」自体を、「悪」や「低次元」のものとして、矯正しなければならないもののようにみなす見方も生じる。

しかし、このような「外的原因」を「捕食者」として、「善悪」の観念や「高低」の観念から離れて、実質的に捉えられれば、こういった問題も、とりあえずは、避けることができるのである。そのような視点は、本人自身の対処の点からいっても、重要なことである。

« 3つの選出記事 | トップページ | 『精神科は今日も、やりたい放題』 »

精神医学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/575359/54666894

この記事へのトラックバック一覧です: 狂気(統合失調症)の「原因」 :

« 3つの選出記事 | トップページ | 『精神科は今日も、やりたい放題』 »

新設ページ

ガジェット時計Part11(光る玉・バージョン) - ガジェットダウンロードするなら、ガジェットギャラリー
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

コメントの投稿について

無料ブログはココログ