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2012年3月 4日 (日)

捕食者の弱点と「ユーモア」

前回、「幻覚」(幻聴)や「妄想」に対しては、「ユーモアでくるむ」ことが有力な対処法だと述べた。

それは、要するに、「幻覚」(幻聴)や「妄想」は、それを「まとも」に受け取り、それについてさらに「想像力」や「思考」を膨らませることから、止めなく発展していく性質のものだからである。

どんなに強烈で、「リアル」なものであっても、「幻覚」(幻聴)や「妄想」を、「まとも」に受け取らないことが、対処法の始めの一歩なのである。つまり、それらに即座に反応せず、「突き放す」ような、距離のとれる視点をもつことが重要なのである。そして、それには、「ユーモア」をもって、それらを、「くるみ込む」というのは、非常に有効なやり方である。

しかし、ただそれだけのことではない。一見何のことはないような、このやり方は、もっと本質的な意味で、統合失調症的状況における、強力な対処法といえるのである。

それは、統合失調症的状況に関わる、「捕食者」の「弱点」をつくものがあるからである。

一般に、「精霊」は、ユーモアに長けているものが多い。茶化したり、からかったり、シュールな演出をしたりと、様々な仕方で、人間にユーモアをもって関わるものが多い。ただし、それは、「しゃれ」にならないくらい、強烈に「シニカル」なことも多く、人間の「ユーモア」のセンスとは、また異質のものである。

しかし、「捕食者」について言うと、彼らは、そのような「ユーモア」のかけらもみせたことがない。こちらの「ユーモア」に対しても、何らの反応をみせたこともなく、笑ったことや、「精霊」がときにするような、「嘲笑」すらみせたことがない。「ユーモア」に対しては、どう対処していいか分からなくなるようで、いわば「きょとん」とするのである。要するに、「捕食者」は「笑い」とは無縁の存在のようである。

言い換えれば、彼らは、ある意味「きまじめ」なのであり、「堅物」なのである。そして、そのように「きまじめ」だからこそ、状況の一切を、管理し、支配しないと気が済まないのではないかと思われる。そのような性質が、「捕食者」の、強力で、戦略的な、「管理」と「支配」の志向に通じているようなのである。しかし、それは、逆に言えば、彼ら自身が、「恐怖」や「不安」に支配されているということであり、「ユーモア」をもって、物事に関わることができないということである。

「捕食者」のこのような性質は、強力な攻撃性の元ではあるが、やはり、「弱点」なのだと言わざるを得ない。

だから、「捕食者」や、「捕食者」が操る「エレメンタル」などの攻撃的な「声」に対しても、それに「乗る」のではなく、「ユーモア」をもって対処することは、彼らの弱点を、強力につくことになる。それは、彼らの、攻撃の意表をつくことにもなり、更なる攻撃を牽制することにもなる。たとえ、一瞬であっても、彼らが、狼狽することは請け合いである。

しかし、実際の状況では、それができにくいのも事実である。それは、そもそも、彼らの攻撃が、我々の弱点(コンプレックスやトラウマなど)をついた、強力なもので、戦略的に優れたものであることにもよる。

しかし、もう一つは、我々自身が、統合失調症的状況では、「捕食者」の影響を受けて、先のような捕食者の性質と、ある意味近づいていることにもよる。つまり、この状況では、我々自身が、恐怖と不安に強く支配され、細部に拘り、とてもユーモアの感覚などをもてなくなるのである。

一般に、分裂気質の者というのは、特に周りの者からは、「きまじめ」などとはみなされない者であることが多い。実際、普段は、怠惰で無頓着なところがあり、ある意味そのとおりなのだが、しかし、一面では、神経質で、きまじめな部分も持ち合わせている。統合失調症的状況では、「捕食者」の影響を受けて、そのような面が、極端に表面化するわけである。

しかし、そのような状況にあっても、というか、そのような状況にあるからこそ、何とかユーモアを持とうとすることで、統合失調症者自身のそのような「否定的な流れ」を断ち切ることがてきる。ユーモアは、相手の弱点をつくたでけでなく、こちらの否定的な流れをも変え得るのである。

具体的には、ユーモアと言っても、何も、相手を「笑わせる」ことが目的ではないので、特別のセンスが求められるわけではない。要するに、幻聴の「声」や、自分自身の「妄想」に対して、即座に巻き込まれてしまわずに、「ワンクッション」おく余地が生まれればいいのである。

私は、幻聴の「声」や、自分自身の「妄想」に対しては、軽く「つっこみ」を入れてやるのが、一つの手だと思う。それも、関東風の攻撃的なものより、関西風の茶化すような、包み込むようなものがよい。

たとえば、「なんでやねん」(別に、裏拳でどつく必要はない)とか、「あるかー、そんなもん」とか、「それ、おかしいでしょー」などである。

こんなものでも、自分自身に対しても、相手方に対しても、かなりの効果を発揮するのである。一瞬でも、それらの影響を受けない、「間」が生まれるということである。そして、そのような、「間」の感覚をつかんで、それを広げられるようにしていけばよい。

たとえ、一旦は、感情的に巻き込まれてしまってからでも、思い出すようにして、このような対応をすることでも、決して遅くはない。一瞬でも、それらに、囚われない「間」が取り戻せれば、十分効果はあったことになるのである。

ただし、これらは、口に出して言わないで、心の中で言うように。(本当は、もう十分「危ない」のだが)周りから、「危ない人」だと思われるからである。

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コメント

アイクは捕食者を爬虫類的な存在としていますが、
私にとって彼らは昆虫的な存在に感じられました。

アリのような社会性のある昆虫が近いですね。

アリのコロニーは、まさに捕食者が地球上に形成している人間牧場に似ていると思いませんか。

昆虫系の宇宙人というのも、確かにあるようですね。地球の昆虫にも、それは何らかの形でつながるものと思われます。

アリのコロニーについては、私は、まさに典型的な「グレイ」というのが、そのままを反映しているように思われます。

ちなみにですが、最近のアイクは、レプティリアン(爬虫類系宇宙人)を、「捕食者」または「悪魔的存在」として特別視するという視点から離れ、その背後にある、「(全)宇宙的」な捕食者的な存在または原理というものに注目し、それを「アルコーン」または「デミウルゴス」と呼んでいます。それは、「無限の意識」を機械的に模倣した、グノーシス的な創造の原理で、レプティリアンというのも、その原理を体現する一存在に過ぎないという位置づけになります。(『今知っておくべき重大なはかりごと』ヒカルランド 参照)

いずれ、記事でも触れようかと思います。

『今知っておくべき重大なはかりごと』は読んでいなかったので、今度読んでみたいですね。
捕食者をより一般化してとらえるということには興味があります。

捕食者は我々人間からすると、とても不快で、
宇宙にはこれほど邪悪なものが存在しているのかと恐ろしくなります。

ただ捕食者的な闇の存在も宇宙の一部であり、宇宙の発展に貢献しているのですよね。
もちろん彼らの存在があまりにも支配的になれば宇宙そのものが死んでしまいますが。

要はバランスですね。

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