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2012年2月 3日 (金)

「脳内現象」や「薬」との関係

「狂気」特に「統合失調症」では、「水平的方向」と「垂直的方向」という別方向からの影響力が働く。これらの影響を、同一線上のもののようにみなせば、混乱するのみである。そこで、それらの両方向の「座標軸」を設定すると、理解がしやすくなる。その場合、「水平的方向」は「霊的」な影響、「垂直的方向」は「虚無や闇」などの影響として捉えることができることをみた。

一方、精神医学の研究では、「統合失調症」において、ドーパミンという神経伝達物質が、異常分泌されるなどの「脳内現象」の異常もみつかっている。それらは、薬の開発に役立てられ、一定の効果はあげているようである。

とすると、このようなものは、先の説明と、どういう関係にあるのか。

まず、はっきりさせておきたいことは、「座標軸」による先ほどの説明は、「狂気」特に「統合失調症」に、「直接」影響を与えるものを、大枠として捉えようとする場合の話であることである。そうした場合、このような「脳内現象」なるものは、除外される。それは、「狂気」または「統合失調症」に、「直接」影響を与えるものではないからである。

ただし、先の「座標軸」中に、それを、あえて位置づけようとするならば、それは可能である。

前に、「霊的な影響力」は、「水平的方向」の「深み」に働くものともいえると言った。それに対し、「脳内現象」のような物質的過程は、「水平的方向」の「表層」に働くものともいえる。ただし、この「表層」に働くものは、「脳内現象」に限らず、ざまざまな物質的な側面一般を含め得る。また、「狂気」または「統合失調症」に陥る「きっかけ」としての、さまざまな「出来事」も、このような「水平的方向」の「表層」にあるものといえる。 幼少期の(虐待的その他の)出来事とか、その後の人間関係や社会的トラブルとか、不適応感の増大などの心理的状況などである。

それらは、「狂気」たまは「統合失調症」という状況に陥るのに、または、その状況を促進するのに、一定の影響を与えているにしても、「直接」の影響力ではないということである。

特に、「脳内現象」ということで言うと、それは、前にもとりあげたが、「狂気」または「統合失調症」に陥り易い性質の物質的な側面を明らかにしたり、「狂気」または「統合失調症」に陥って、「妄想」や「幻覚」などの症状を生じたときの、それらの物質的な側面を明らかにするものとして、それなりに重要ではあるだろう。

「妄想」や「幻覚」などの症状は、何度もみて来たように、「直接」は、「水平的方向」の「霊的なもの」の影響、または「垂直的方向」の「虚無」や「闇」の影響で生ずるというべきである。そして、特に、「妄想」は、それらに対する「防衛反応」として生じている面が強い。

ところが、それに伴って、一旦、ある「脳内現象」が生じれば、それは、それ自体が、また新たなプロセスを展開させるということはいえる。特に、ドーパミンの異常分泌は、精神的な作用にもフィードバックされ、「妄想」や「幻覚」を促進する効果があると考えられる。

だから、薬などによって、その分泌が抑えられれば、「妄想」や「幻覚」の症状を抑えるという効果はあり得ることになる。

ただし、それは、あくまでも、「対症療法」的な効果であって、「妄想」や「幻覚」をもたらす「直接」の影響力に、働きかけるものではないということである。

これは、たとえれば、次のような場合と似ている。「風邪」の症状として、その病原に対する免疫反応が高じて炎症を起こす、「熱」がある。その「熱」を抑える解熱剤は、直接風邪の病原に働きかけるものではないが、その熱という「症状」そのものは抑えるし、その結果として、風邪そのものが治まることも多い。

しかし、これはあくまでもたとえで、「狂気」における「妄想」や「幻覚」の場合は、ことはそう単純にはいかない。

そもそも、「妄想」は、「霊的なもの」や、「虚無」や「闇」に対する「防衛反応」として生じていると言った。が、それは、風邪の場合における免疫反応の「熱」のようには、それらに対して、直接かつ有効に働きかけるものではない。だから、たとえ、それが抑えられたからといって、「狂気」の直接の影響力を鎮めることにはならない。

むしろ、「防衛反応」としての「妄想」が抑えられることは、それら直接の影響力に対する「抵抗」や「緩衝作用」を外すことにもなり、その破壊的な影響を、より直接被ることにもつながる。有効かどうかはともかく、それらの影響力を、「妄想」という精神的な抵抗によってなんとか和らげようとする行為さえ抑えられ、その破壊的な影響力に、ただ無抵抗に身をさらすしかなくなるということである。

よく、「統合失調症」の患者に、精神活動が極端に鈍くなる現象がみられるが、それには、薬の作用の影響も大きいと思われる。それは、一つには、薬が、脳や精神の活動をより広範に抑えてしまうことによるだろう。が、一方で、たとえ薬が、「妄想」のようなある症状を抑えることには効いたとしても、それが結果として、上のように、より破壊的な影響を、直接被ることにつながってしまうことにもよると思われる。

(しかも、それらは、悪いことに、「見た目」としては、「狂気」そのもののような派手な行動が抑えられるから、結果として、症状を抑えることに成功したようにみなされる可能性があるのである。だから、「狂気」または「精神的な病」の場合、「薬」の効果というものは、そう単純に決められるものではない。)

何しろ、「狂気」の結果生じている「症状」は、それが「抑えられ」れば、それで済むというものではないばかりか、むしろ、より破壊的影響を強めることにもなり得るのである。

しかし、一方で、前に述べたように、「妄想」は、その一旦できあがった「妄想」が、さらに「幻覚」をもたらし、再び「妄想」を強化するというような、「相乗効果」も生じる。また、「妄想」は、捕食者等の存在にとって、その者をさらに深くその懐に引き入れる、格好の「とっかかり」にもなる。捕食者等の存在にとっては、その者の「妄想」に「ひっかける」攻撃をしかけることによって、その者を自由に操ることが、より容易になるからである。

だから、もし薬などの作用が、「妄想」を抑えることに成功すれば、そのような「相乗効果」も抑えられ、また、捕食者のような存在との関わりが、一旦は途切れるということも考えられる。

つまり、一定の「症状」の抑制や、直接の影響力を、少なくとも一旦は断つなどの効果は、確かに、期される場合もあると解される。

「妄想」を抑えることは、このように両義的な効果をもたらし得るということである。このことは、薬が、「幻覚」に作用する場合にも言える。

しかし、繰り返すが、その場合でも、それらは、直接の影響力に働きかけるのではなく、あくまでも、「対症療法」に過ぎない。しかも、その効果は、上にみたように、さまざまな条件に左右され、非常に曖昧なものにならざるを得ない。

さらに、これらの「対症療法」で一番の問題は、たとえ、それにより、一旦は症状が治まったとしても、その者が、再び、同じ状況に陥ったときに、それらに対処する何らの手立ても学べていないことである。つまり、「再発」の可能性は大きいのにも拘わらず、それへの対処は何らなされないことである。

再び同じような状況に陥ったときに、依然それらに対処することができないなら、「狂気」に陥るという経験は何ら生かせなかったことになるし、そもそも、「免疫」にすらなっていなかったことになる。

それでは、あまりにも、「狂気」に陥るという経験が、無意味なものであり過ぎるではないか。

薬は、多くの場合、本人の意思に関わりなく、現実に、多量に施されることが運用されていることを考えると、少なくとも、より精度を上げるため、また、副作用を少なくするための研究や開発自体は、必要なことかもしれない。

しかし、所詮、薬は、「狂気をくぐり抜ける」という過程に代え得るようなものではないのである。

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