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2012年1月13日 (金)

「水平的方向」と「垂直的方向」という「座標軸」

私の「狂気」、特に「統合失調症」についてのこのブログの特徴は、1つは、私自身の「体験」に基づくものであることである。それも、単に、一時的や、浅いものではなく、まさに「くぐり抜ける」といえるような、「深み」をも通り抜けて来たものであることである。そして、それは、(表面的にはかなり危うい面もあったが)根底的には、はっきりと明晰な意識を保ち続けて、通り抜けられたものなので、その状態を、意識によって、それなりに明確に捉えられるということがある。

「狂気」ないし「統合失調症」について、それなりに、深く鋭く迫った研究や書物は様々にある。が、やはり、そこに決定的に欠けていると思われるのは、自分自身の体験がないために、思弁や推測、思い込みによって、それに迫るしかない面があり、体験者からすれば、どうしても、「的外れ」と言わざるを得ないものが多いことである。この点には、やはり、「体験」の壁という、いかんともしがたいものが、厳としてある。

私の、このブログでの考察は、一貫して、私自身の「体験」に基づいているため、こういったことは免れているはずである。

しかし、もう一つは、だからと言って、決して「主観」に走らずに、そういった「客観的」な研究や、一般的な見解とも、それなりに照らし合わせた考察がなされていることである。

狂気または統合失調症の体験者の書いた手記とか、ネット上の記事などもまた、様々に多く存在している。それらには、体験者ならではの、「迫力」や「深み」、鋭い「洞察」が感じられるものも多く、やはり、そこには、「体験者」にしか醸し出せないものがあることは確かである。

しかし、一方で、そのような体験者は、その「体験世界」にはまり込みやすく、どうしても、「主観的」な視点に凝り固まりがちである。というよりも、もはや、その者にとって、それ以外に「世界」は存在しないのだから、それ以外の「視点」を持ちうる余地もないという場合も多いであろう。だから、「客観的」または「一般的」な視点を持てなくなることが多いのも、致し方がない。

私は、そのような「体験世界」そのものからは、もはや解放されていることもあり、「体験者」のそのような「欠点」は意識したうえで、一応とも、「客観的」な視点にも気を配って、考察を進めることができる。あるいは、あえて、意識して、そのようにするようにしているということである。

つまり、一言で言うと、私のこのブログは、「狂気」または「統合失調症」について、「体験者」として「体験」そのものに基づきつつ、「客観的」な視点も重視しつつ、考察がなされているところに意義があるということになる。

しかし、もっと具体的に、私のこの「狂気」に関する考察で、最も意義のある点を端的に示すと、それは、「水平的方向」と「垂直的方向」という「座標軸」を明確に打ち出している、ということにあると思う。

実際、「狂気」特に「統合失調症」では、「水平的方向」と「垂直的方向」の両方向に、いわば「引き裂か」れ、それがゆえに、混沌とした、「訳のわからない」状態へと陥り、そこをいつまても、彷徨い続けることになるのである。つまり、自分の陥った状況や、自分に降りかかる現象を、どのようなものとして「位置」づけてよいのか、全く指標のない状態が続くのである。それは、たとえ、「水平的方向」または「垂直的方向」という、一方向の視点だけを持ち合わせていたとしても、決して解消されることはない。実際には、その両方向の視点を、一種の「座標軸」のようなものとして設定できたときに、初めて、それなりに、「位置づけ」られるものとなるからである。

「水平的方向」と「垂直的方向」の意味については、このブログの『用語集』の該当項目を参照してほしいが、私は、基本的に、「水平的」、「垂直的」の対置は、「時間」またぱ「空間」的な推移ないし移行のある方向と、それのない方向という意味でなした。つまり、「水平的方向」は、時間的、空間的な推移ないし移動のある方向で、「垂直的方向」は、時間的、空間的な推移や移動ではなく、いわば、「いま、ここ」の「根底」に直に下降(見方によっては「上昇」)する方向である。

しかし、「狂気」特に「統合失調症」では、「水平的方向」として特に問題になるのは、「霊的な領域」の存在や現象である。つまり、一般的には、「見えない」ものであり、「未知」のものである。それらが、その状況に陥った者の、「混乱」の多くをもたらすのである。しかし、「霊的」なものといえども、「空間性」や「時間性」の中に存在しているものであり、「水平的方向」にあるものであることに変わりはない。あるいは、それらは、「水平的な方向」にあるもののうち、表面には「見えない」、より「深み」にあるものという言い方もできる。

そこで、ごく単純化するなら、狂気に関しては、「水平的方向」とは、「霊的な」領域や存在に関わる方向としてもよい。

それに対して、「垂直的方向」とは、「ある」ということそのものの根底に関わる問題の露わとなる方向ともいえる。具体的には、「虚無」や「闇」の関わる方向である。「狂気」特に「統合失調症」では、これら「虚無」や「闇」などの「垂直的方向」からの影響も多分に受けるのである。

これらは、「闇」のように、一種の「実体性」を孕んでいることもあるが、「霊的」なもののようには、「時間的、空間的」なものとして規定することはできない。それらが、また、そのような状況にある者の、「現実」や自己の「あり様」を、根底から脅かし、覆すのである。

この「垂直的方向」も、単純化して言うならば、「実存的」な方向とすることもできよう。

そして、これら両方向の一方向の視点から、「狂気」をみるというものは、それなりに存在しているのである。

たとえば、『関連書籍の抜粋』でも挙げたが、ダスカロスやシュタイナーは、「水平的方向」(霊的視点)から、「狂気」または「統合失調症」について、かなり詳しく解説している。それらは、「狂気」または「統合失調症」についての、「水平的方向」に関する「混乱」については、多くの説明や、対処の仕方をもたらしてくれる。非常に、貴重なものであることは間違いない。しかし、それらは、やはり、「水平的方向」一辺倒のもので、「垂直的方向」という視点は、全く欠いているといえるのである。それらでは、「垂直的方向」に関する問題については、何らの理解も対処もできるものではないということである。

一方、「垂直的方向」に関しては、実は、一般の「精神医学」の一流派である「精神病理学」にも、ハイデッガーなどの実存哲学に依拠して、鋭く迫ったものは見受けられるのである。それらには、「水平的方向」では決してたどれない、「狂気」の本質に、鋭く迫るものがある。しかし、それらにほぼ共通して言えるのは、抽象的な思弁が多く、ことさら「難解」で、実際には、多くの者に「理解」される余地などほとんどないということである。

また、「水平的方向」に関しては、何らの知見もなく、本来、「水平的方向」に関するものまで、「垂直的方向」から迫ろうとするため、ことさら、ややこしく、難解になっていると思われることである。

「水平的方向」に関するものは、実際に、それなりの知識や経験、対処法を身につけることによって、対処できるはずのものが多いのだが、このような「精神病理学」では、具体的に、何らの対処法も育まれようがない。

そういうわけで、「狂気」または「統合失調症」の「理解」には、その一方ではなく、「水平的方向」と「垂直的方向」という両視点からの「座標軸」のようなものが、是非とも必要なのである。ところが、このような視点をもった研究やネット上の記事などは、驚くほどないのである。少なくとも、私は、今までに見たことがない。

かろうじて、R.D.レインの『経験の政治学』などには、その両視点が一応垣間見られるが、明確な「座標軸」のようなものとはとても言えない。

あるいは、やはり『関連書籍』にあげた、カスタネダの『無限の本質』などには、この両視点が混在しているのが見られる。しかし、ドンファンはともかく、カスタネダは、そのような両視点をはっきりと意識していたとは、とても思えない。それで、それは「理解」の困難なものともなっているし、むしろ、その両方向の「混在」は、「狂気」そのものとも似た、「混沌」たる様相を呈しているともいえるのである。

いずれにしても、ここで、このブログにおける「狂気」の考察についての、最大の意義は、「水平的方向」と「垂直的方向」という「座標軸」の明確な提示だということを、改めて確認しておきたい。

そして、そのような両方向の「座標軸」は、「狂気をくぐり抜ける」ということの、実質的な意味を、深浅さまざまなレベルにおいて明らかにする。記事では、『「イニシエーション」と「垂直的方向」』において、深浅さまざまなレベルにおける「死と再生」』として明らかにしたものだが、そのことは次回に述べよう。

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