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2011年8月

2011年8月31日 (水)

「キツネの家畜化」と「原人間の人間化」

いのちドラマチックスペシャル オオカミはこうしてイヌになった~いま変わる遺伝の常識~』(BSプレミアム 8月26日午後7時)を見た。

カカオミは、人間に飼い馴らされることにより、1万5000年という比較的短い間に犬へと進化した、と考えられる。これまで、一般に、「進化」とは「遺伝子」の「変化」であり、それは、「突然変異」によって生じる、と考えられて来た。しかし、「突然変異」は稀な現象であり、このような短い期間にそれが積み重なって「進化」が起こるということは、考えにくいことでもあった。

番組では、キツネを飼育し、家畜化することを通して、カカオミが犬へと「進化」する過程を「再現」し、そのメカニズムを解き明かそうという、ロシアの研究が紹介されていた。

その研究により、初めは、人間に警戒心を示すキツネの中にも、人間に警戒心を示さないものが出で来て、さらに、そのようなキツネを掛け合わせると、何世代か後には、生まれたときから人間への警戒心を示さないのみならず、ほとんど、犬同様、柔順なペット同様の態度を示すものが現れた。さらに、それらの中には、耳が垂れ下がったり、白い斑点が現れたりなど、「形態的変化」を示すものも現れた。これらは、本来、子供期に見られる特徴で、要するに、「子供期」が異常に長くなったような変化を示すものである。

これらの結果は、オオカミから犬への「進化」についても、示唆するところが大である。

このような、キツネの家畜化によって生じた「変化」は、「突然変異」による「遺伝子の変化」に基づくものではない。しかし、それにより、「形態の変化」を伴うような、顕著な変化が生じている。だから、オオカミから犬への「進化」についても、このような「遺伝子的変化」ではない「変化」(「エピジェネティック」ともいわれる )であったことが予想される。

番組では、それは、遺伝子の発現のタイミングや順序をコントロールする何らかのシステムと言われていた。が、それが具体的にどのようなメカニズムでなされるのかは、明らかにされていない。恐らく、それは、物理的なレベルのみで、完全に明らかにすることはできないものであろう。

また、この「変化」は、子供期が異常に長くなったことを示すものだが、それは、知識を吸収し、賢くなるために、好都合であることが言われていた。

しかし、それは、言い換えれば、野生の本能を失うということであり、無力で、依存的な状態を長引かせるということである。大きな「リスク」と裏腹のものであるのが明らかである。しかし、このキツネたちは、確かに、そのように、生きて行くうえで、「野生」を捨て、人間に「依存する」という方向を、「選択」したのだろうし、その「選択」が、形態的な変化ともなって現れているのであろう。(耳が垂れ下がったり、白い斑点が現れたりなどの「形態的変化」は、より人間に「かわいがって」もらううえで、都合の良い変化ともいえる。)

今西錦司は、突然変異説に異を唱え、他の種や環境との全体的な関係において、「種は進化すべきときには(みずから)進化する」という、「主体性の進化論」ともいわれる説を立てた。先の、遺伝子の発現のタイミングや順序をコントロールするシステムというのは、そのような「進化」を、物理的なレベルで可能にするシステムとして、有力なものともなろう。ただ、このキツネの場合は、「主体的」などというよりは、ほとんど、半強制的な「選択」を迫られたに等しいものである。もともと、「家畜化」という方向が設定されているため、仕方のないことではあるが。

また、この「子供期(幼児期)の長期化」というのは、実は人間にみられる性質でもある。人間は、他の動物に比べても、幼児期が異常に長く、無力で、依存的な状態を長く過ごす。それが、人間に、親などを通して、「文化」を吸収される基ともなるわけだが、ラカンも言うように、それは人間に、生物としての「本能」や「現実」を失わせることになり、人間は、「言語」を通して、「現実」または「意味」を、(恣意的に)構築して行かなければ、生きていけないものとなった。

この番組のコメンテーター生物学者福岡伸一も、このキツネの「家畜化」は、人間の場合にも当てはまるとし、それは「文明化」ということでくくれるだろうという。つまり、人間も、このキツネの「家畜化」にみられるような過程を、人間自ら、人間に対して、施したのであり、それが「文明化」ということに、つながったということである。

具体的には、オオカミを犬として「家畜化」する過程で、オオカミが、いかに柔順で、人間に従いやすく「変化」するかを見て来たので、そのノウハウを、人間そのものにも応用するようになって、いわば人間の「家畜化」=「文明化」ということも成し遂げられたということであろう。

確かに、「文明化」によって、そのようなことが、飛躍的に助長されたことは想像できる。しかし、「子供期の長期化」その他、キツネの「家畜化」にみられる「変化」というのは、実は、人間の場合、既に、「人間」が「人間」となったときから、みられるものと言わねばならない。人間が、オオカミを「家畜化」することができたのも、既に、人間が、そういったものを持ち合わせていたからこそである。いわば、「原人間」から「人間」へと「進化」すること、そのものの中に、既に、キツネの「家畜化」にみられる過程と類似のものが、現れ出ていたと言わねばならない。

番組でも、人間とチンパンジーの遺伝子の違いは、2%に過ぎないことが言われていたが、この「原人間」の「人間化」という「変化」は、必ずしも、「遺伝子的な変化」が主体となるものではなかった可能性もある。

そうすると、人間の場合について、このキツネの「家畜化」という研究から、類推されることとは、本来、次のような明白な可能性以外ではあり得ないはずである。それは、人間もまた、人間の飼育した、あのオリの中の「キツネ」であった可能性がある、ということである。つまり、人間の、人間への「進化」にも、他の存在が、「家畜化」すべく関与し、様々な方向づけを行い、それが、子供時代の長期化その他の現象として、「エピジェネティック」な変化をもたらした可能性がある、ということである。

2011年8月25日 (木)

「日月神示」の言葉2

全体の本筋からは、多少外れることだろうが、私は、次のような言葉も、特に印象に残った。

せわしくさせているのざぞ。せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら、臣民くさって了うぞ。せわしく働けよ。    

今の世の人々は、何かと忙しくしているが、それは、「神の恵み」によりそうさせているのだという。そうしなければ、今の人々は、「腐って」しまうから、と言うのである。

私は元来、怠惰で、あまり動かない方だが、昔から、よく、周りの人を見ていて、「何を、(必要以上に)そんなに忙しくしているのか」と思ったものだった。しかし、最近は、そうしていなければ、「危ない」というか、そうしている限り、なんとか、「まとも」でいられるのだなあということを、実感することが多い。

つまり、「忙しく」していることで、一種の「安定」を保っていることが明らかである。その「安定」している間は、確かに、「まとも」で、「害」もない感じである。しかし、それは、いかにも、「危なっかしい」もので、それを取り払ってしまったら、容易に崩れてしまうような感じである。そうなったら、それは、周りの者をも巻き込むような、「害」ともなりかねない。

だから、この言葉には、深く納得せざるを得ないものがある。

確かに、「忙しくする」ということ、そうできるということ、そのものが、一種の「救い」のようになっているのである

「忙しく」することで、自分の抱えている、様々な「問題」や、焦燥感などの感情に囚われずに済み、また、無為にボッーとしたりしないで済んでいるのである。つまりは、何とか、「腐らず」に済んでいるわけである。言い換えれば、「忙しく」していない状態、本来のあるがままの状態の方が、かえって、「耐え難い」状態となっているのである。

とりあえず、それを取り払うことなど、とてもできそうもないほど、「危なっかしい」人が多いのである。

「神示」が、「忙しく」させるのは、「神の恵み」と言うのは、一方で、「神の御用」とも言われるような、特別の「役目」を負わせているという意味もあるようである。

しかし、これは、もっと一般的な意味で言われていることも明らかである。つまり、特に積極的な意味合いではなく、あえて、一見「無意味」のような「仕事」や「やること」を、奪わずにやらせているという、「消極的」な意味合いもあると思われる。

つまり、「神の恵み」とは、一種の「皮肉」交じりの「恩情」でもあるわけである

さらに、「忙しく」させるということでは、前に、「怠け者を懲らしめるスネカ」(このブログに転載はしていない)という、「なまはげ」の地方的バリエーションを紹介した。これは、「なまはげ」同様、「鬼」のような存在だが、子供が「怠けている」のを脅かし、叱責して、「忙しく」働かせようとするである。このように、「捕食者」的な存在の一つの役目としては、人を「怠け」、「止まら」せないように、「忙しく」、「動かせ続ける」というのがある。集団的な管理のうえで、必要なことだし、それにより発するものが、霊的、エネルギー的な意味で、資源や食糧になるからである。

「神示」も、「悪にも役目がある」というように、この点では、「捕食者」もまた、「神」の「裏面」として、「神」の「意図」に貢献しているものと言わねばならない。

だから、「神示」が、「忙しくさせる」というのは、実際には、文字通り「恵み」や「恩情」に尽きるものではなく、神の「意図」または「都合」そのものなのだということも言えるのである。もちろん、「神示」では、一切、そんなことには触れられてはいない。

「神」の側から一方的に下される、「神示」や「預言」というものは、そういうものでもあろう。

その意味では、この言葉は、確かに、「真実」であると同時に、二重に「皮肉」のようなものも感じさせる。                            

ところで、「統合失調症的状況」というのは、まさに、上にみたような、人を「忙しく」させる「恵み」や「システム」から、逸脱してしまうことだともいえる。良くも悪くも、統合失調症的傾向のある者は、このような「システム」に、うまく乗れないのである。そして、それは、言い換えれば、「忙しく」している限り、逃れていられるようなものが、いずれは眼前に迫り、いやでも、向き合わなければならない状況を迎えるということでもある。「神示」が言うように、それは、人を「腐らせる」ような状況でもあろう。

とはいえ、「忙しく」していなければ、そうなるというのであれば、本来、それは、元々そうなるしかなかったということである。だから、「忙しく」させることは、本当の意味では、何ら「救い」になるはずもない。言わば、「対症療法」のようなものである。しかし、「神示」が言うのは、それでも、今の世の人には、この「対症療法」を外すことはできないということであろう。

実際、今後も、当分の間は、人々は、このように「忙しく」していることによってこそ、何とか「腐らず」に済んでいるいるという状況が、まだまだ続くと思わざるを得ない。

2011年8月15日 (月)

「日月神示」の言葉

日月神示」(ひふみ神示)というのは、岡本天明という人物に自動書記によって下ったという「神示」で、「お筆書き」とも言われる。このような「神示」は、これまでにもいろいろあって、出口なおに下りた「大本神諭」が有名である。「日月神示」は、それらを受け継ぐ形で、新たに下りたものたが、これまで下りたのは「筆先」で、今回のは、「筆の元」だという「面白い」言葉もある。

中矢伸一という人の分かりやすい解説書(「日月神示」徳間書店)もあるが、今回、「神示」の抜粋である『ひふみ新世紀』(岡本天明著  太陽出版)をざっと読んでみた。

「大本神諭」もそうだが、独特の、強烈で、力強く、リズミカルな表現が特徴で、内容的にも、確かに、人間を越えたところからのものであることを、感じさせるものがある。その「強烈さ」は、多分に、「押し付けがましい」ほどで、ある意味、私が接していた「捕食者」とも共通する面がある。あるいは、モーゼに下りたユダヤの神との共通性も感じる。

ただし、それは、内容が「正しい」かどうかとは、また別の問題である。

内容的には、要するに、全体として、かつて「みろくの世」といわれた「世の立替、立て直し」が、近くに迫っていることを、強く訴えかけているのである。それが、今回のは、人間界だけではなく、神々の世界も含めた「三千世界」の「立替、立て直し」であることが、強調されている。

スウェデンボルグなどでも、かつて「霊界の審判」ということが、何度か行われたことが言われているが、それは、いわば「悪の排除」という面か強かった。それに対して、「神示」では、今回のは、「悪を排除」するのではなく、「悪をも抱き参らせる」というこが強調されている。このように、「善悪」(「高低」でもある)を越えた視点が、全体を通して、強く貫かれているのも特徴である。

悪を悪と見るのが悪」とか「罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方。神のやり方はその罪をも憎まず」という、「激しい」言葉もある。

この「物質世界」と「霊界」(神界)の仕組みが全体として組み替えられ、「半霊半物質」の世界となるということも言われる。

また、「天災」については、「海のつなみ気をつけてくれ。石流れて、木の葉沈むと申してあろうが。今がその世ざぞ。」とか「天災や地変は大き肉体の応急措置の現れであるぞ。部分的に、人間苦しめるように思うてはならん。」という言葉もある。

「大き肉体」とは、もちろん地球のことであろう。実際に、「応急措置」が必要なほど、地球の(内部)状態が、人間によって大きくかき乱されたとことは間違いないと思われる。私の「統合失調症的状況」でも、「地球」と一体になるかのような状況があったが、そこでも、地球の状態は大きく危惧されたことだった。(記事としては、<16 「夢幻的世界」へ> http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/16-6c47.html

まあ、何しろ、言ってしまえば、最近流行の「宇宙人」系統ではなく、日本または地球古来の「神々」から下された、「アセンション」の啓示ということになろうが。

これだけを捉えれば、むしろ、警戒心を強める人も多いだろうが、個々の「言葉」には、それら「チャネリング」系のものと比べても、印象深く、納得できるものも多い。

そんな中に、次のような言葉がある。

自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我を張って居るなれど、それは只一方的の真実であるぞ。独断は役に立たんぞと申してあろうが。見極めたうえにも見極めねばならんぞ。霊の目も一方しか見えんぞ。霊人には何でも判っていると思ふと、大変な間違い起こるぞ。一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは一方が違うぞ。

これは、まさに、前回示したような、「霊界の境域」に入ったときに、どのようなことが生じるのか、また、どのように振る舞ったらよいのか、ということを述べたものとしても読める。

「霊界の境域」では、これまでの経験からすれば、「未知」の現象に多く見舞われることになる。多くの者は、そこで「起こる」ことを判断するのに、これまでの経験によって、慣れ親しんで来た、「知覚」の「リアリティ」ということに頼る。つまり、「自分の目で見た」(耳で聞いた)ことが、そのまま「真実」であるという視点に拘る。「統合失調症的状況」でも同じで、「自分の目で見、自分の耳で聞いたこと」)を、それまでの経験と全く同じに、そのままの「真実」と判断することから、「幻覚」の問題が生じる。

「妄想」でも、「CIAにつけねらわれる」とか、「現実の誰かや組織に迫害を受けている」というのは、そのような「幻覚」をもとに、それを、それまでの経験の延長上に引き寄せて、「解釈」しているのである。つまり、自分がこれまで「見たり」「聞いたり」してきたことによって、構成された「世界観」、神示のいう「現界」という一方的な視点で、解釈しているのである。

ところが、「霊界の境域」では、ある時点まで来ると、もはや、それらこれまでの経験に照らした解釈は、成り立たないというところに追い込まれる。何らかの、「未知」の現象、それも、「目に見えない」または「霊的」というべき、これまでの経験からかけ離れた現象が生じているということを、認めざるを得なくなるのである。

そうなると、「妄想」でも、「神」や「宇宙人」に監視または操作されているといった内容が、出てくることになる。それは、これまでの「自分の目で見たもの」、「現界」の視点が通用しなくなっているので、今度は、神示のいう、「霊の目」の視点が、極端に持ち上げられているのである。そして、そこで出会われる「霊人」(これには、「人間の霊」のほか、「精霊」、「神々」などを含む)の言うことや、なすことを、極端に真に受けて、それに振り回されるということが起こるのである。

実際に「霊界の境域」に入ると、自分は、「霊的」な面に関して、いかに「無知」で、「無力」であるかを思い知らされるので、このような領域で目の前にする、「霊人」に対して、必要以上に、恐怖心や依存心が生じるのは、致し方のないことではある。

しかし、「神示」が言うように、「霊人」だからと言って、「何でも判っている」かのように思うと、「大変な間違いが起こる」。むしろ、「霊人」には、人間を惑わすだけの存在も多いし、そうでなくとも、我々が思う以上に、多くのことを「判っている」わけではないのである。

「現実の目」という視点のみで見ても「誤る」が、「霊的な目」という視点のみで見ても、また誤る。要は、「現実の目」にも、「霊的な目」にも頼らず、偏らず、ただ「見極めて行く」しか手はない、ということになる。

ところが、「神示」では、「立替、立て直し」ということで、前回の図で示した、「感覚的領域」とか「霊的領域」という、これまでの枠組そのものが、これからは大きく揺らぎ、または取り払われるということが、言われているのでもある。つまり、それらの世界は、混交し、「境界」を失って、いたるところが、ある意味、ことごとく、「霊界の境域」そのものになるということである。「霊界の境域」は、もはや、特殊のものではなく、この世界そのものが、「霊界の境域」と化すということである。

そして、その兆候は、確かに、十分現れているとみることができる。(神示では、「神がかり」の多さなどが、兆候としてあげられている。)

その意味では、「神示」で言われていることは、もちろん、単に「統合失調症的状況」という特別な状況に対して言われてるのではなく、今後この世界で生きていく、多くの者が、まさに直面にする状況を先取りして、言われていることなのである。

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