「低次」の領域、「高次」の領域
前回の「霊界の境域」に関して、そのような領域に現れる、「混沌たる」もの、あるいは、人間にとって「破壊的」な作用をなす「魔」的なものは、({アストラル」的な)「低次」の領域に属するものであるという見方がある。あるいは、同じ意味合いにおいて、「光」に対する「闇」の領域のもの、と言われることもある。
しかし、「高次」/「低次」や「光」/「闇」などの、価値的または序列的な対立の「枠組」は、前回の図でいえば、「霊的領域」という秩序的枠組の「内部」でしか通用しないものである。つまり、それらは、「霊的領域」として示した領域の「内部」に収められるべきものである。
そこで、下の図のようになるわけだが、ただ、そうした場合でも、確かに、両者の交わる「境界領域」としての「境域」には、そのようなものは重なって存在し得る。しかし、本来、「霊界の境域」とは、そのようなものに限らず、さらにそのような秩序的枠組からは、「はみ出す」、または「超えた」ものも、入り込むということである。
そのようなものは、「水平的方向」に対して、「垂直的方向」としてみることができる。その、より「深い」ものほど、そのような、度合いを増すということがいえる。「存在」としていえば、「捕食者」などは、そのように、もはや「低次」や「高次」、「光」や「闇」という単純な対立では、くくれない要素が高くなる。さらに、垂直的方向の「根底」たる「虚無」となれば、もはや、完全に、そのような「枠組」には収まりようがないものとなる。
矢印で示したように、「水平的方向」としての、「感覚的領域」と「霊的領域」という秩序的枠組の内部を、ただ往復している限り、一つの閉じた世界で、それなりに「完結」していられるであろう。しかし、そもそも「感覚的領域」などができたのは、「霊的領域」だけでは、「完結」した領域として存続し得なかったからこそである。「感覚的領域」なる領域ができれば、そこには、「霊的領域」との間で、「境界」というものを生じる。そして、その「境界」は、一つの「溝」として作用し、「霊的領域」という秩序的枠組にとっては、「外部」的なものであった、「混沌たる」ものが入り込むことになる。
そもそも、それは、「霊的領域」という閉じた枠組に、外部から「圧力」を与えていたもので、だからこそ、「境界」という「溝」が生じれば、自ずと、そこへと「侵入」するのである。そもそも、「霊的領域」というのが、それだけでは「完結」して存続できなかったのも、そのような「外部」的な「圧力」の影響といえるのである。
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