子供時代の「捕食者」との「出会い」
既に何度も述べたように、私と「捕食者」との「出会い」は、「統合失調症的状況」において突然、1回的に起こったのではなく、それまでにも、何度も起こっていたことだった。但し、それは、「無意識」の領域であって、「意識」されたことはなかった。「統合失調症的状況」ですら、初めは、「無意識」の領域で起こり、それが徐々に「意識化」されることによって意識に上るものとなったのだった。
その「意識化」が、進むことに伴って、過去の「無意識」領域で起こったことも、「意識化」できるようになるということが起こった。
それによって、過去にも、何度か「捕食者」との「出会い」をしており、それはそれぞれに、強烈なショックや印象を心に残していたことが分かった。
それは、「直接」的なものであることもあったが、その場合でも、初めは、誰か他の人物との確執や争いを通して、その「背後」から現れてくるということが多かった。「捕食者」は、かなり強烈な「攻撃」をしかけていたのだが、当時、そういったものには「無意識」であった私は、「統合失調症的状況」に陥るときのようには、それを「意識」することも、(一時的にはともかく)強く影響を受けることもなかったようだ。
「捕食者」の「恐ろしさ」や「衝撃」というのは、いくらかでも、「意識」を捉えることによってこそ、初めて、本当のものとして迫ってくる。しかし、「無意識」領域においても、「捕食者」の攻撃や働きかけがなされないわけではなく、それは、当然、何らかの影響は残すのである。
これは、言い換えれば、人は、「無意識」領域では、いくらでも、「捕食者」の攻撃や働きかけを受けている可能性があるということである。ただ「無意識」であるために、「統合失調症」に陥るようなことは免れている、というに過ぎない。しかし、「無意識」においては、その働きかけの「影響」も、十分に受けている可能性があるのである。
私が、記憶を溯って、「捕食者」そのものとの「出会い」として、はっきりと確認できる最初のものは、中学1年のときのものである。それは、いわゆる「金縛り」として起こった。睡眠中に、ふと覚醒意識が起こって(自分では、完全に覚醒時と同じ意識状態と思った)、何者か(姿形は漠然としていた)が、自分の上にのしかかって来た。それが、非常に有無をいわさぬ、強烈な襲いかかり方で、私は、心底脅え、何とか抵抗しようとしたのだが、体が動かない。そんな状態が、かなりの間続いた。その者は、特に、何か言いかけて来たり、特別の攻撃を仕掛けて来たわけではなかったが、その存在自体から発する強烈な「威圧感」が、十分過ぎるくらいに「恐ろし」かった。
ただ、私は、当時、この存在を、「泥棒」と思った。私は、当時、既に「唯物論的な発想」を身につけていたし、急に、自分の部屋に入って来て、こういうふうに襲うことのできる者など、「泥棒」以外には思いつかなかったのだ。ただ、後に、「金縛りが解ける」と、確かに存在したはずの、その者がいなくなっていることには、非常に驚き、不可解な思いが残った。
しかし、この「のしかかって来た者」は、後の「出会い」からみると、「捕食者」そのもであることが、明らかなのである。
これは、ほとんど、「なまはげの鬼」が、強烈な仕方で、有無をいわさず、子供に襲いかかるのと同じである。ただ、「何々をしろ(親の言うことを聞け)」など命令じみたことを何も言わなかったことが、違っている。しかし、その「存在」そのものの「恐ろしさ」は、潜在的なものとしてであれ、十分に刻みつけて行ったのである。
「捕食者」は、この時から、私に対しては、何かを働きかけるというよりも、自分の「恐ろしさ」を「植えつける」ということそのものに、重点を絞って仕掛けてきたように思う。そして、後にも、数回にわたって、かなり強烈な「攻撃」を仕掛けて来たわけだが、それにも拘わらず、私が、本当に、それを意識するには、その後、十数年も掛かっていることになる。それだけ、「無意識と意識のギャップ」というのは、深く、超えがたいのである。もっとも、これには、私が、10代の頃は、「唯物論的な発想」をしていたことも大きく影響している。自分の「信念体系」に収まらないようなものは、たとえ「出会っ」ていても、それとして認める余地がないのである。
実際には、この中1のときの「出会い」以前にも、何らかの形で、「捕食者」と「出会って」いた可能性はある。たとえば、父や母の背後に、出ていたような気もするのだが、はっきりとは「思い出せ」ない。そこには、「抑圧」も働いているのかもしれない。多くの場合は、幼児期から子供期こそ、そのような「影響」を受けるにもっともふさわしい時期であり、「なまはげ」の儀式も、それを示している。
恐らく、実際は、そうなのであり、その時期には、単に、「捕食者」の「恐怖」を植え込まれるだけでなく、いろいろと方向づけや影響も受けるのであろう。ドンファンも、「捕食者」こそが、人に「信念体系」を与えるのだという。また、「捕食者」は、全く「見えない」というわけではなく、子供の頃には、誰もが1度は見ている可能性があるが、あまりの恐怖のため、意識から締め出してしまうのだという。恐らく、私の場合にも、そのような「働きかけ」は、何度となくあったのだと思われる。
しかし、いずれにしても、私の場合、そのようなときに、「捕食者」の衝撃や影響をまともに受けていた可能性は、低いのである。ラカンが言うように、私の場合は、「父の名」(「父の権威」という意味であれば、それも確かにあてはまるが)というよりも、「捕食者」の「権威」や「恐れ」というものが、本来的に、「欠け」ていた(「排除」されていた)と思われるのである。
だから、それは、確かに、その時まで、あるいはその後もしばらくずっと、そのような「権威」と「恐怖」でこそ成り立っている、「他者」の「集団」に対する、根本的な「不理解」と「恐れ」をもたらした。私にとって、「他者」の「集団」というものが、ずっと、「謎めいた」ものであったのだ。私は、ある意味では、「恐いもの知らず」であり、「自己」を「圧倒」するような「他者」というものを「知らず」にいた。が、そのような「恐怖」で成り立っている、全く身近な、「人の集団」そのものは、謎めいた、「恐い」ものとなっていたのだ。
恐らく、「捕食者」は、中学1年の「出会い」のときから、私に対しては、「戦略」を変更し、自分という存在を知らしめること(意識させること)、その「恐さ」を「思い知らせること」に絞った仕掛けをするようになったのだと思う。つまり、「なまはげ」的に「集団的秩序」に従わせることではなく、「捕食者」的に「捕食する」方向に、戦略が絞られたということである。
そうなってからは、私も、「無意識」ながら、徐々に「彼ら」の影響を被り始めたのかもしれない。しかし、それにしても、それが本当に適うのは、それから十数年後の「統合失調症的状況」を通してであり、それも、ある意味、彼らの「涙ぐましい」努力の果てに、やっと適うことになったわけである。
私としては、ラカンの言うように、それまで私の中に「欠け」、「排除」されていた「圧倒的な他者」が、その時、まさに「回帰」したのである。ラカンは、単に、「無意識」に沈んでいたものが、意識へと「回帰」したというのだろうが、それに止まらず、文字通り、「実体」として、現前に、顕現したのである。それは、もはや、かつてのように、「金縛り」のような、半覚醒的な意識に現れたのではなかった。
それは、私としては、それまで知らずにいた、真に「恐るべきもの」の顕現であった。私は、それを通して、初めて、「恐るべきもの」を知ったのである。と同時に、それは、それまで理解できず、謎めいたものであった、「他者」の「集団」とは何であるかを、如実に、指し示すものともなった。それは、まさに、「集団」の「背後」にあるものそのものでもあったからだ。
つまり、私は、「捕食者」を「知る」ことによって、「恐るべきもの」を知り、「集団」や「世間」とは何であるかを、知ることになったのだと言える。
それに対して、多くの者は、恐らく、「捕食者」の幼少期からの働きかけの影響を受けて、意識レベルではともかく、少なくとも無意識では、これらのことを、何ほどか既に知っているのである。つまり、「他者」の「集団」というものの背後にいる、「恐るべき者」、「権威」としての「捕食者」について、何ほどかを「知って」いるのである。それゆえに、その「集団」に適応する基礎もまた、十分にできていたと言えるのである。
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