用語集
注)「用語」は、今後、増やしていく可能性があります。
〇「霊界の境域」
ルドルフ・シュタイナーの用語で、感覚的世界と霊的世界との「境界領域」を意味する。霊的領域として、初めに、入って行かれやすい領域である。しかし、秩序づけがたい、「混沌」とした領域で、破壊的な「力」をもった「存在」も多く、様々な「破壊的」な現象も起こりやすい。
「分裂病的(統合失調症的)状況」とは、まさに、このような領域に入って行くことなので、この言葉を使っている。ただし、シュタイナーは、水平的な「進化」の観点からしか、この領域をみていない。私は、「虚無」や「闇」など、「垂直的方向」の根源的なものが浮上しやすい領域としても重視している。
記事; 「霊界の境域」を超える二方向性
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post-7797.html
「霊界の境域」の「図」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-fb4c.html
〇「境域の守護霊」
やはり、ルドルフ・シュタイナーの用語で、「境界の領域」で出会われる可能性のある「存在」の一つ。ただし、「守護霊」というよりも、一種の「監視者」である。初め、「身の毛もよだつような恐ろしい」姿で出会われるというが、自己の「ドッペルゲンガー」(生き霊)から発展したもので、全体としての「自己」から切り離されたものといえる。「捕食者」と混同されやすいという意味でも、重要である。
記事; 「境域の守護霊」とは
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post-2336.html
「境域の守護霊との出会い」まとめ
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post-262b.html
〇「捕食者」
やはり、「霊界の境域」で出会われる可能性のある「存在」の一つ。カスタネダのドンファンが使っていた言葉で、古代トルテックでは、「主題中の主題」とされた。人間の意識や感情的エネルギー、特に「恐怖」を「栄養源」として「捕食」する「霊的存在」。かつて「悪魔」や「鬼」として呼ばれて来たものと、基本的には重なるが、「善悪」の観念から自由で、人間との関係の実質を端的に言い表すこの言葉の方がふさわしいので使っている。「分裂病的(統合失調症的)状況」でも、この存在の破壊的な面が、何らかの形で関与していると思われるゆえ、重要である。
記事; ドンファンの「捕食者」論について
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post-f8c3.html
「捕食者」という理由
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-b27f.html
〇「分裂病的(統合失調症的)状況」
一般には、このような、何らの客観的な「状況」がないにも拘わらず、「妄想」や「幻覚」などの「反応」を生じるのが、「分裂病(統合失調症)」だと思われている。しかし、実際には、そういった「状況」は、「見えない」領域ではあっても、厳として存在し、それらは、そのような「状況」に対する「反応」なのだ、ということを強調する意味で、特にこう呼ぶ。それは、最初の項でみたとおり、基本的には、「霊界の境域」に入っていくことを意味する。
記事; 「分裂病的状況」の場合
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post-1072.html
〇「水平的方向」と「垂直的方向」
「水平的方向」は、時間的または空間的、領域的な「移行」または「進化」の意味合いをもった方向性。「垂直的方向」は、無時間的、無領域的な、「現在」の瞬間の根底に向かって下降する方向性である。一般に、「霊的進化」は「水平的方向」、「悟り」は「垂直的方向」に関わる。水平的観点からは、垂直的方向が、見落とされることが多いが、それは、時間的、領域的に枠づけられないものゆえ、仕方のない面がある。しかし、「分裂病(統合失調症)」では、このような方向の「破壊的」影響も強く受けるので、抜かすことはできない。
記事; 「イニシエーション」と「垂直的方向」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-e8a1.html
〇「虚無」または「闇」
「垂直的方向」の根底で出会われるもので、決して、「抽象的な観念」ではなく、ある種の「実在」である。が、「枠」づけられぬ、または「限定」づけられらぬものゆえ、当然、「理性」によって、捉えられるものではない。仏教で「空」といわれるものに、相当するともいえるが、私は、その「無」の面を際立たせるため、「虚無」と呼ぶ。「分裂病的(統合失調症的)状況」では、ますます、その「無」としての破壊的な面が、前面に現れるので、こう呼ぶことが適当である。「闇」は、その「虚無」の「実体的な面」というべきもので、その「実体性」は、はっきりと把握できる。「光」と「闇」という対置された形での「闇」は、抽象的なもので、この「闇」そのものを捉えるものとはいえない。
記事; 「虚無」・「闇」あるいは「無限」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post-6f09.html
「闇」ないし「虚無」との接触
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/22-163c.html
〇「イニシエーション」
ある集団への「加入式」を意味したり、オカルト的に特殊な意味をもたされたりする。が、実質的には、何らかの「超越的な存在」が関わる、「成長」または「変容」のための「試練」という意味である。その過程は、端的には、「死と再生」の過程で表される。「分裂病(統合失調症)」も、一つの「イニシエーション」といえるのだが、それは、「再生」へと至らないで、「死」の「破壊的」側面のみが、際立ってしまうことが多い。
記事; 「イニシエーション」と「分裂病」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post-f0c6.html
「成人儀礼」としての分裂病
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5f1f.html
〇「アーリマン(的)」と「ルシファー(的)」
ルドルフ・シュタイナーの「悪魔論」では、「アーリマン」存在と「ルシファー」存在の二系統の存在を区別し、それらの、人間を舞台としてなされる、ダイナミックな闘争的関わりを明らかにしている。私も、分裂病(統合失調症)的体験で、ほぼシュタイナーの言うとおりの二系統の存在を確認している。どちらも「捕食者」的だが、「アーリマン」存在の方が、より「捕食者」的である。人間は、進化史的にどちらの性質も受け継いでいるので、人間の中には、「アーリマン(的)」性質と「ルシファー(的)」性質が共存し、格闘、葛藤を生む。シュタイナーでは、それらの「均衡」が目指される。
記事; 「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post-f9e6.html
〇「実体的意識性」
ヤスパースの用語で、知覚以前の直感的な感覚として、そこにありありと、ある「実体」を感じ取ること。「解離性障害」に伴って言われることが多いが、「統合失調症」においても、重要である。というより、「統合失調症」における、圧倒的な恐怖は、これから来るのであり、「幻覚」や「妄想」の元にも、これがある。だから、この「実体的意識性」を抜きにした論議は、無意味と言ってもいいくらいである。
記事; 「知覚のリアリティ」と「実体的意識性」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-68c0.html
「実体的意識性」と「オルラ」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-b854.html
〇「中間的現象」
「物理的現実」と「非物理的現実」の「中間領域」に起こる現象のこと。多くの者に目撃され得るなど、「物理的現実」と同様の要素を含むが、「物理的現実」そのもののように、固定的、客観的な現象として、確認できるものではない。いわゆる「UFO」や「ネッシー」などの珍獣、妖怪なども、この種の現象の一つと解される。統合失調症の「幻覚」にも、このような現象があり得るので、厄介である。
記事; 幻覚的現実と物質化現象の「中間的現象」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-0f93.html
〇「解離」
広くは、通常の意識状態が変容される場合を、広く含むようであるが、普通は、ストレスや虐待等の状況で、意識を分離ないし引っ込ませ、その状況の影響を全面的に被らないようにする対処の仕方を意味している。それ自体は、「自己」を崩壊させないための、防衛方法の一つだが、それが度重なると、「解離性障害」という病的状況を招くことになる。その激しい場合が、「多重人格障害」である。この「解離」は、「分裂病」の「分裂」または「統合失調症」の「統合失調」ということと、紛らわしいために、混同される可能性があるという意味でも、重要な概念である。
記事; 「解離」について
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post-343d.html
「人格解離」
« バックナンバーについて | トップページ | 「許して前を向く日本人」 »
はじめまして。神秘学概論の「魂」の意味を用語集のところに追加してもらえないでしょうか。
悟性魂や心情魂やら書いているのですが「意識を永続的にするのが魂なのである。」と書いてるところがどうにもわかりません。もしよろしければぜひ教えていただきたいのです。
投稿: わんわん | 2013年1月 5日 (土) 04時38分
このブログに関する用語として、特に必要とは思われないので、コメントにて私なりの回答をしておくにとどめます。
確かに、シュタイナーの神秘学に関する用語はややこしいものが多いです。ただ、人間の構成要素を、「体-魂-霊」に分けるのは、西洋の神秘学の伝統でもあり、「魂」は、「体」と「霊」をつなぐ中間的な要素と考えると分かりやすくなると思います。シュタイナーは、人間の構成要素を「肉体」「エーテル体」「アストラル体」「自我」の四つに分けますが、それを伝統的な、「体-魂-霊」に分ける観点からみると、どうなるかを関連付けて説明しているのです。
『神秘学概論』では、「体」的なものと「魂」的なものの区別について、人間の「記憶」の働きを例にとって説明しています。ある対象を対象から離れた時でも、印象に呼び起こす(意識化する)ことのできる働きは、「アストラル体」によるものだが、それを生き生きと保つ(永続化する)のは、「自我」の働きによるものである。その、「意識を永続的なものにする」ものこそが、「体」的なものと区別される意味での、「魂」的なものだというのです。
「魂」は、「体的なもの」と「霊的なもの」の中間にあって、両方の働きをつなぐ、あるいは両方の要素を包み込んでいるので、分かりにくい面がありますが、シュタイナーは、単に「体的」な観点から捉えられた「アストラル体」と区別する意味で、「魂」という観点から捉えるならば、それらを「感覚魂」や「悟性魂」などという概念として説明できるとしています。しかし、基本的には、「アストラル体」と「魂」は結びついているもので、それは、あくまで、そのような観点からする、「概念的」な区別(抽出)です。
「霊」については、潜在的には、「隠されたもの」としてあるものですが、それを「自我」(といっても、それは通常の「自我」ではなく、「高次の自我」になりますが)の働きによって、「意識的」に顕現させるという観点から、つまり「進化」の観点から捉えているのがシュタイナーの特徴といえるかもしれません。
なお、本については、もし『神秘学概論』がとっつきにくいようであれば、『薔薇十字会の神智学』(平河出版社)の方が、講演による『神秘学』全体の俯瞰のようなところがあるので、より分かりやすく、説明も簡明でいいと思います。
私も、最近またシュタイナーの本を読んでいますが、改めて啓発される面が多くあるとともに、独特の「曖昧さ」が常につきまとう点に、いらだったりもしています。この辺りは、どういうことなのか、今後、もう少し体験を深めて、自分なりに詰めて行きたいと思っているところです。
投稿: ティエム | 2013年1月 5日 (土) 14時54分
ありがとう御座います。参考になります。普段はいかして超感覚的な認識を獲得するかを読んでいるのですが薔薇十字会の神智学を読んでみようと思います。
投稿: わんわん | 2013年1月 7日 (月) 04時09分