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2011年1月 8日 (土)

「怒り狂っている人」のたとえ

前に触れたとおり、「分裂病」にも、「物質的な基盤」ないし「側面」があることは確かである。それについては、最近の解説書には、かなり詳しく載っているから、それを参照にしてもらえばよい。(例えば、岡田尊司著『統合失調症』PHP新書。最新の知見が、よくまとめられて、分かりやすく述べられている。)

ここでは、これまで述べて来たことと、このような「物質的な基盤」ないし「側面」とが、どういう関係にあるかということを述べておきたい。

それには、次のような「たとえ」で理解するのが、分かりやすいと思う。

何か、非常に、「怒り狂っている人」がいるとする。血相も形相も変わり、爆発せんばかりに興奮しているのが分かる。言葉も、「しどろもどろ」で、何を言っているかよく分からない。一体、この人が「怒り狂っている」「原因」は何だろうか。

普通は、その人に、何かが起こったのだと考える。外部的なある出来事があって、それが、その人を「怒り狂わせている」と考えるのである。その人は、奥さんに浮気をされ、しかも別れ話までつきつけられたのかもしれない。あるいは、大事にしていた盆栽を、知らない間に、誰かに壊されたのかもしれない。

そのような「外部的な出来事」と、「怒り狂う」ということの結果が、一般に「了解」できることなら、それらの外部的な出来事を、「怒り狂う」ことの「原因」と言っていいはずである。少なくとも、「常識的な判断」ではそうである。別に人は、そこに、それ以上の「原因」など求めもしない。その「原因」が「分かって」しまえば、もはや、「怒り狂っている」ことがそれほど気にならなくなるし、なだめたり、慰めるなど、何らかの対処も可能である。

しかし、その人を、「怒り狂わせる」ような、外部的な出来事が、はっきりとは「見えない」とする。そうすると、その人が、なぜ「怒り狂っている」のかが、問題となってくる。最近は、理由もなく、「怒り狂う」という人もいるようだが、周りは、やはりその「原因」は何なのか、気になるところである。

「怒り狂う」ということには、身体的なレベル、特に脳の神経レベルで、「物質的なプロセス」が伴っている。ノルアドレナリンなどの神経伝達物質が、異常に分泌され、ひどい状態であれば、神経繊維にも、異常がみられるかもしれない。この人が、特に「理由」も見当たらないのに、「怒り狂っている」のは、これらの、脳の「異常な反応」が「原因」とみることができるかもしれない。神経伝達物質の分泌や神経繊維に異常があるので、特に「理由」がなくとも、「怒り狂う」という反応をしてしまうのである。

実際、そのような「脳の反応」を抑える薬(精神安定剤など)を与えれば、とりあえず、その人の興奮状態は、治まることだろう。そうすれば、やはり、それは、「脳の反応」が「原因」であったということで、少なくとも、周りは、円く収まるはずである。あえて、他に「原因」を模索するなどということは、なされる必要がなくなる。

あるいは、その人は、もともと「切れやすい」性格なのであり、神経的にも、そのような特殊の傾向を持っているのかもしれない。だから、特にはっきりとした「外部的原因」はなく、普通は何でもない些細なことでも、「怒り狂って」しまうのである。何らかの「外部的原因」はあったかもしれないが、それは一般に、「怒り狂う」ことの「原因」として、「了解可能」なものではない。だから、その場合の「原因」は、その者自身の、元々の「傾向」の方なのであり、いわば、「神経の過敏さ」や「脆弱性」が「原因」なのである。

このようにして、「外部的な原因」が「見当たらない」場合には、「原因」を「内部的」なものに求めるしかなく、しかも、「物質的なプロセス」という「目に見える」ものに求めることが行われる。それで、「原因」としては、「分かった」ことにされるのである。

このたとえで、「怒り狂っている人」を、「<CIAにつけ狙われている>と言って、警察に駆け込んで来た人」に置き変えてみれば、ほぼ、そのまま「分裂病」の場合にも、あてはまるはずである。

そこに、はっきりとした、「外部的原因」が見当たるなら、やはり、特に他に「原因」などは、問題とならないはずである。「怒り狂う」ことの、「外部的な原因」が、はっきりみえる場合と同じである。たとえば、普通はあり得ないとしても、実際に、まかり間違って、CIAにつけ狙われていたとか、CIAではなくとも、何らかの「組織」に、間違って狙われるということが起こってしまった場合などである。その場合は、その奇妙な行動にも、とりあえず、本人の言っているとおり、またはそれに類する「原因」があるので、周りも一応、「了解」がつく。だから、特に「原因」も求められないし、それに、「分裂病」などと「病名」をつける必要もない。

逆に言えば、「分裂病」の場合、「怒り狂う」以上の常軌を逸した行動をし、周りを困惑させるにも拘らず、そこに、「外部的な原因」が「見当たらない」ことが問題なのである。本人は、あくまで、その「外部的な原因」を主張するが、それが、少なくとも、周りには、とても「了解」できる代物ではない。だからこそ、それは、「病気」とみなされるのである。

後は、明確な理由が見当たらないのに、「怒り狂っている人」の場合と同じである。そうだとすれば、もはや、「内部」に目をつけるしかない。そこで、そこに起こっている、身体的または神経的な「プロセス」が注目される。そこには、「怒り狂っている人」の場合と同様、あるいはそれ以上の、「神経伝達物質の分泌の異常」または「神経繊維の異常」がみつかるかもしれない。そうすると、それ自体が、そういった反応を引き起こしている「原因」という風にみなされる。

あるいは、その者は、「切れやすい」人と同様、元々、神経的に「過敏」または「脆弱」な傾向をもっていて、些細なストレスによって、「発狂」しやすいのかもしれない。それで、そのような反応が引き起こされるものとみなされる。

しかし、そのような「物質的プロセス」とは、本来、たとえ、「外部的な原因」があろうがなかろうが、そこに、明らかに、「異常」な「興奮」状態が生じている以上、それに伴って、生じていること自体は、変わらないものであるはずである。つまり、「怒り狂っている」人は、たとえ、「奥さんに浮気され」て怒っているのであろうが、「原因」も見当たらずに、怒っているのであろうが、そこに、ある「異常」な「物質的なプロセス」を伴っていること自体は、変わらないはずである。

しかし、「外部的な原因」がある場合には、その「プロセス」は、特に問題ともされない。それどころか、むしろ、そのような「物質的なプロセス」は、「外部的な原因」のために生じた、「怒り」という「結果」の一側面とみなされるのが普通である。

ところが、ただ、そのような「外部的な原因」がみつからないときは、「物質的なプロセス」が、あえて、「原因」の位置に、持ち上げられているのである。本来は、「結果」であるはずのものが、「原因」にすり替えられている、と言ってもいい。


あるいは、「切れやすい」人の場合のように、もともと神経に「過敏性」「脆弱性」がある場合には、確かに、一定の「物質的基盤」があるということは言える。しかし、それでも、「怒り狂う」ことに、一般に「了解」されるような「外部的原因」が、はっきりとあるのであれば、あえて、そのような「基盤」が問題となることも、多くはないであろう。それは、分裂病の場合に、「親和性」がある人(「分裂気質」の人)の場合にも、同じことがいえるはずである。

さらに、「分裂病」の場合には、このような「内部的」な「物質的プロセス」を「原因」とすることは、「怒り狂っている人」の場合以上に、一般にも、納得し難い面を残すはずである。「怒り狂う」ということが、ある「物質的なプロセス」の「反映」ということなら、まだ理解しやすい。しかし、CIAにつけ狙われる>とか、<神や宇宙人に監視される>、<思考を盗まれる>などという、突飛で、奇妙なことがらを確信することが、単に、ある「物質的なプロセス」の「反映」ということで、本当に納得できるかどうかは、疑わしいからである。

私がこれまで述べて来たことは、「分裂病」の場合にも、「怒り狂っている」人の例と同じような、「外部的な原因」に相当するものはある
、とうことである。ただ、残念ながら、それは、一般に、「目に見える」レベルのものなのではない。もちろん、それは、分裂病者が、「文字通り」に主張するとおりのものというのではない。分裂病者本人も、その「見えない」ものに対しては、十分に把握しかねており、また強い「恐れ」を抱いていて、正面から認めること自体困難なのである。だから、とても、一般に「分かる」ようなし方で、それが表現されることはない。

そのように、それは、「見えない」レベルのことなので、「怒り狂っている人」の場合のように、誰にも、明確なものとして把握できるものでないのは確かである。しかし、それは、その者に、「外部的」に、働きかけるものであることに違いなく、また、そのような働きかけが、先にみたような、分裂病的な反応の「原因」として、大きく影響していることが(そのようなものが認められる限り)、一般に「了解」され得るだけのものである。

だから、それが、一般に「了解」される限り、他に「原因」を求める必要がないか、少なくとも、それらは、さほど重要なものではなくなるばすのものである。


そもそも、「外部的な原因」が「見当たらない」からこそ、そこに「原因」を求めるしかなかったものなのだから、それは当然である。

そのような、「見えない」「外部的原因」とは、これまで述べて来たとおり、「霊的なもの」であり、「外部」から、「意図」的な「働きかけ」をする、「非人間的」な「霊的存在」である。そのような「外部的」働きかけに対する、「反応」として、「混乱」や「妄想」などの、「分裂病的反応」が生じている、ということである。実際には、そこには、その者自身の、様々な「心理的要因」も絡んでいる。が、やはり、そこで大きく主導権を握るものは、そのような「霊的存在」の「働きかけ」というべきなのである。

このような、「霊的存在」の外部的な働きかけを抜きにしては、分裂病にみられる、尋常でない、「恐怖」や「混乱」。また、その状況に対する、ぎりぎりの「解釈」として生ずる、<CIAにつけ狙われる>とか、<神や宇宙人に監視される>などの、「突飛」な「妄想」を、本当の意味で「了解」することは、不可能というべきである。

そのような、「妄想」は、いわば、はた目にも際立つ、まさに、最も「分裂病らしい」反応である。そのようなものこそを、「了解」させ得るものでなければ、「分裂病」の「原因」と呼ぶには、ふさわしくないはずである。

そのようなものに目を向けず、「内部」的な 「プロセス」をいくら「解明」しようとしても、それは、「怒り狂っている」人を、一般的な意味で、「了解」させるようには、人を「了解」させることなど、とてもできないのである。

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