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2010年10月

2010年10月16日 (土)

公案の2「死」とは何か

既にみたように、クリシュナムルティの、「肉体の死というものはある。が、<死>とはそれをはるかに越えたものだ」という言葉に接するまでは、「死」とは何かを、分かったような気になっていた。

結局、我々は、「死とは何か」という問いを、この「私」が、「死んだらどうなるのか」という、個人的な関心で、すり替えてしまっているところがある。そうすると、唯物論的な発想では、「死んだら無になる」だけ。死後も魂が残るという発想になると、「死なるものはない」ということで、死を分かったような気になるのである。

だから、クリシュナムルティの「死」についての公案は、改めて「死そのもの」とは何かを、問い直すものとなった。それまでは、「死」について問うたときも、実際には、本当に「直視」すべきものを、素通りしていたわけで、それが、「死そのもの」であったことに、気づかされたのだ。

しかし、「観ること」と同じように、「死そのもの」とは何かも、結局は、自ら「体験」することでしか分からないものである。また、それは、「肉体の死」とは異なり、必ずしも、「肉体の死」を待たずに、体験し得るものでもある。

そして、「分裂病的状況」とは、まさに、そのような「死」の深みへと入って行く過程にほかならない。それも、単に、一気に通り過ぎていくのではなく、徐々に、一枚一枚ベールを剥ぎ取るように、その「死」が「深み」を露わにして行くのである。非常に、じわじわと、思う存分、「死」と「親しく」できる過程である。もちろん、そのどこまでの「深み」に至れるかは、それに対する「抵抗」や「あがき」との兼ね合いによる。しかし、可能性として、これ以上に、「死の全貌」を身を持って体験できる場合など、ほかには考えられないのである。

それまでの、「死なるものはない」かの発想は、要するに、「死の恐怖」を克服できたかのような、発想でもある。死んでも魂が存続するなら、別に死そのものは、怖いものではない、という発想である。しかし、「分裂病的状況」を通して、「死」が、じわじわと身に迫る過程を通して、自分が、死を克服したかのように思っていたことが、いかに「幻想」であったかを思い知らされた。それは、「恐怖」以外のなにものでもないからだ。

実際に、その過程で、「死」ということは、何度も意識させられる。「自殺」を真剣に考えたこともある。しかし、それが、本当に身に迫ると、もはや、(自殺するまでもなく)「本当に死ぬのだ」という、疑いようのない、直截な感覚となる。その頃からは、まさに「死そのもの」との、本格的な「遭遇」である。

それは、また、「宇宙の死」という形で、意識されるようにもなる。「外部世界の全体」である「宇宙」そのものが、完全に消滅するという意識が、強く襲うのである。それは、「分裂病的過程」を通して、「宇宙」が、「混沌」とした「意味」のないものに化したことの影響も大きいだろう。しかし、単に、「変容」したというのではなくて、確かに、「終わる」という意識が伴うのである。ただ、それには、「私」の「死」ということが、真に差し迫っていることの、外部的な反映という面は確かにあろう。

いずれにしても、「宇宙の死」ということは、当然「私」も「死ぬ」のだが、それは、もはや、「私」が生まれ変わるということのあり得ない「死」である。私は、当時、(理解の仕方はいろいろあるが)基本的に、「生まれ変わり」ということを受け入れていたが、この「宇宙の死」は、そのようなことも「無意味」に化すのである。もちろん、「物質的な宇宙」が死んだとしても、それで、魂としての死後の存続までが、当然になくなるわけではないだろう。しかし、「宇宙の死」ということは、たとえ何らかの魂の存続があるとしても、それを全く「無意味」ならしめるもので、事実上ないのと同じことである。

つまり、そこで、私は、何らの「留保」もない形での、「死」を迫られたということである。いったん、「死後生」などを受け入れると、そんな機会は、めったにないものとなるが、それが、実際に起こったということである。

そこで、もはや私は、抵抗の力もなくなっていたことにもよるが、これを「受け入れ」ざるを得なかった。つまり、「宇宙」とともに「自分」が完全に消滅することを、「受け入れる」しかなかったのである。

その後、前回みたように、「虚無」の実体的な面というべき「闇」が、突然、自分に差し迫り、「包み込む」ことになって、「観る」ということが起こった。それは、「死そのもの」との本格的な遭遇の過程の、いわば「クライマックス」として、起こったのである。

その差し迫った、「虚無」の実体的な面というべき「闇」は、まさに「死そのもの」の、最も「深み」で露わになった姿と思われるのである。それ自体は、視覚的に言えば、単にエネルギーに満ちた「暗黒の塊」のようなものだが、しかし、圧倒的な「意志」をもち、それまでの過程で出会ったどのようなものをも凌駕する、途方もないものと感じられた。

そして、それこそが、あらゆる「死」の背後にある、破壊的な「力」または「実体」であり、要するに「死そのもの」と思われるのである。クリシュナムルティのいう「肉体の死というものはあるが、死とはそれをはるかに越えたものだ」というときの、「死」である。我々のよく知る、「肉体の死」というのは、それが働く一場合に過ぎず、それも、比較的「浅い」死に過ぎない。クリシュナムルティは、より「深い」死として、「自我の死」や「時間の死」をあげている。そのような「死」をもたらすのは、もはや、その「深み」のレベルの「死そのもの」においてこそ、可能と思われるのである。

そして、それは実際に、私の場合にも、「一瞬」ではあったが、「見るもの」としての「私」つまり、「自我」を死に至らしめたし、さらに、「肉体」というか、一つの「個体的な枠組」をも、死に至らしめたと思われるのである。

そういうわけで、ここでも、公案として作用していた、クリシュナムルティのいう「死とは何か」ということが、一応とも「解けた」のである。

さらに、この「死」は、前回みた、「止観」の「止」に関わるものでもある。この「死」により、それまでの「世界」あるいは「自我」が「止められる」からこそ、「観ること」
が可能になるのである。

しかし、そこで、結果として起こる「観ること」は、多く、一つの「価値」として、持ち上げられるが、「止」に関わる「死」そのものが、持ち上げられ、あるいは、取り沙汰されることはほとんどない。実際、「観ること」は、「悟り」または「叡知」として、人間にとって、「役に立つ」、プラスの価値のようにみなされやすい。が、「死」そのものは、何らかの価値として、受け入れられる要素は、見いだしにくい。

しかし、クリシュナムルティが、あえて、「肉体の死というものはあるが、死とはそれをはるかに越えたものだ」と言うのは、そのような「死」の「超絶性」に、改めて、注目させるものと言える。それは、確かに、結果としての「観ること」のように、何か人間が、「取り入る」ことのできるような代物ではない。しかし、クリシュナムルティは、むしろ、そのように「人間」が、「取り入る」ことのできない、真に「超絶」したものをこそ、指し示すことを重視していたと思われるのである。

だから、クリシュナムルティは、「観ること」に至る方法を説くこともなければ、それを言葉で説明することもない。それらの「超絶性」を、人間的なものに「貶める」ことは、したくなかったと思われるのだ。それは、ある種「不親切」な態度であるのは確かで、それが、結果として、多くの者に、「取っ掛かり」を与えることかできなかった理由でもあるだろう。

ただ、私について言えば、それが「公案」として作用することによって、むしろ、大きな意義をもたらしてくれたのである。

2010年10月 9日 (土)

公案の1「観ること」とは何か

「観ること」というのは、一般の「見ること」しか知らなければ、非常に目新しいことに写る。しかし、たとえば、仏教などを勉強すると、「観ること」というのは、その根本をなすものであるのが分かる。仏教でも、「真理」は、「観る」ものとされているのである。

例えば、般若心経では、「観」自在菩薩は、五蘊は、「空」であると「照見」して、一切の苦を脱することができた、という宣言から始まる。以下は、その具体的な説明である。天台では、「止観」ということが、根本の教えとなる。これは要するに、それまでの「見ること」(精神活動)を「止め」たうえで、新たに、物事を「観ること」である。既にみたように、カスタネダのドンファンも、「世界を止め」て、「見ること」を教えたのだが、これは、まさに、「止観」そのものである。禅でも、「見性」といい、「本性」を「見ること」が「悟り」とされる。「座禅」は、そのための、「止」に関わるものといえる。

このように、仏教に限らず、真理というものは、つきつめれば、「止観」ということで尽きてしまうともいえる。次回にみる、公案の2の「死」というのも、この「止める」ことの根底に関わるものである。だから、この公案の1,2を合わせれば、結局は、「止観」とは何かということと、ほとんど同じである

そのように、「知的」なレベルでは、クリシュナムルティのいう「観ること」というのも、そう特別なものではないことが分かり、一応、方向性としては、「推察」のつくものとなる。しかし、その具体的な「観ること」そのものは、実際に「観ること」を通してしか、明らかにならないものである。

そして、それは結局、我々は通常、普通にいう「見ること」(「見るもの」と「見られるもの」が別個であるような「見ること」)によって、「世界」というものを築き、そのそれなりに安定した「世界」に「安住」しているのである以上、それが何らの形で、「壊れる」(「止まる」)ことでしか、開けてくる余地がないものである。

「分裂病的状況」というのも、まさに、そのような「見ること」によって築かれた「世界」が、大きく「揺ら」ぎ、「崩壊」する体験にほかならない。

「分裂病的状況」では、実際に、「見るもの」としての「私」と、「見られるもの」としての「外界」という区別が、「曖昧」になり、あるいはほとんど「無意味」になる。「私」と「外界」の境界は、希薄化し、外界と内界は、ある種融合する。外部にあるはずのものが、内部に侵入し、内部にあるはずのものが、外部に拡張する。従って、そこでは、それまでに築かれて来た、「私」と、私とは別のものとしてある「世界」という「対置」が、「揺ら」ぎ、「崩壊」しようとしている。

かつては、「見ること」というのが、「自明」のものであり、その「結果」としての「世界」というのも、「自明」のものだった。しかし、今や、それらは、何ら「自明」のものではなくなっている。もはや、「見ること」が何なのか、「世界」がどういうものなのか、「分からなく」なっているのである。

しかし、「分裂病的状況」にある者は、そのような「状況」に無抵抗に流されているわけではない。崩壊しかかった「私」は、さまざまに「あが」き、抵抗しようとする。「妄想」というのも、その抵抗の一つである。それは、まさに、安定性を失って、「分からなく」なった「見ること」と「世界」を、「解釈」によって、固定的、安定的なものに戻そうとする試みともいえる。また、そこには、「崩壊」の危機にある「私」の危機感を強く反映しつつも、必ず、その「私」を強化するような、内容が付け加えられる。崩れかかった「私」の「補償」である。

従って、このような状況での「見ること」の中には、さまざまな、「私」の「混乱」や「解釈」が入り込むことになる。

「分裂病的状況」では、もはや通常の「見ること」は「止ま」り、「見るもの」と「見られるもの」が、別個のものとはいえないような、あるいは、あるレベルにおいて、「見るもの」と「見られるもの」が「同一」であるような、新たな「見ること」が起こっている。つまり、クリシュナムルティのいう「観ること」の、少なくとも、ある側面を反映するものにはなっている。しかし、それは「純粋」な「観ること」そのものからは、大きく掛け離れているのである。

言わば、通常の「見ること」では、文化的、集合的、あるいは個人的に、「固定」し、「安定」した「私」の「イメージ」や「解釈」が入り込んでいる。「見ること」そのものが、安定した「知覚」として存在すること自体、その「反映」である。それに対して、「分裂病的状況」では、そのような「見ること」は、もはや「止まる」が、そこで、壊れかかった「私」の、危機感や混乱を反映する、別の「解釈」が、依然として入り込むのである。

私も、「分裂病的状況」にあるときは、もちろん、そうであった。結局、「分裂病的状況」における「混乱」や「苦悩」というものは、その状況に対する「あがき」から生まれるもの以外の何物でもない。言い換えれば、それだけ、我々は、「見ること」と、それによって生み出される、安定した「世界」に固執しているのである。普段は、外的「世界」に不適応感を示す、分裂気質の者も、その点では全く変わりはない。

しかし、そのような事態を「受け入れ」て、「あがき」さえ、取り払うことができれば、そこには、全く別のものが、開けてくる可能性がある。私は、「宇宙の死」という言い方で表したが、そのような「世界」の「崩壊」を「受け入れる」ということが起こってからは、事態がまた一変したのである。「宇宙」あるいは「世界」は「崩壊」して、それは、もはや、(まとまった)「意味」や「形」を喪失したのも同然となった。それは、ほとんど、「無」あるいは「虚無」そのもののとなったのである。私は、もはや、その状況をどうすることもできなかったし、そうする余地などなかった。

そして、その後、その「虚無」の実体的な面というべき「闇」(=暗黒のエネルギーの塊)が、急激に私に迫り、私を一瞬包み込んだのである。それが、迫る瞬間には、それまでに起こったどのようなことよりも、強い恐怖を感じたが、実際に、それが包み込んだ瞬間には、もはや、恐怖というものはなかった。それは、時間にすると、ほんの瞬間の出来事で、その一瞬後には、また、スッーと去って行くことになった。

しかし、その「闇」が包み込んだ瞬間には、まさに、クリシュナムルティのいう「観ること」が起こっていた、といえるのである。つまり、「観るもの」としての「私」はなく、「観るものと観られるもの」が「同一」であるような、純粋な「観ること」である。

具体的には、自分を包み込んだ「闇」そのものの「中」から、自分の身体を含む全体の状況を見渡していた、という感じである。それは、まさに「点」そのもののような、ある「視点」のようなものは想定でき、あえて空間的にいえば、頭部の数十センチ上方から、自分の身体と、周りの部屋を同時に観ているのである。

視覚的にいえば、それは、自分の身体も部屋も含めて、全体が、全くの「暗黒」と「白い光」に、完全にコントラストを形成して、2分された状態である。あるいは、「暗黒」というのは、実際には、「消失」とも感じられ、実際に、身体は、上半分が「消失」したと感じられた。だから、「世界」は、いわば、「存在」(=白い光の部分)と「無」(=暗黒の部分)に2分されたともいえる。

私は、これを、「太極図」に酷似することから、「タオ」(道)が顕現した状態などとも述べたが、それは、「後付け」でなされた「意味付け」の面が大きい。実際には、その瞬間には、そのような「解釈」や「判断」は一切何もなされていない。また、そこには、「感情」らしきものも、一切なかった。

何しろ、その一瞬の後には、また、「心の動き」が生じてしまったためであろうが、それは、過ぎ去ってしまった。だから、その状態は、「かいま見られた」だけであり、「一瞥」に過ぎない。

しかし、それは、「見るもの」と「見られるもの」が別ものであるような、「対象」としての「宇宙」が「崩壊」した後の、「世界」または「実在」そのものの消息が、本質的なレベルで、「観られた」ものであるのは間違いない。つまり、それまで「公案」として自分に作用していた、クリシュナムルティのいう「観ること」が、そこに実現していたわけである。

ちなみに、バーナデッド・ロバーツは、「虚無の中に溶解する」という「自己喪失」の体験が起こってからは、「観るもの」と「観られるもの」が同一となるという「知覚」の状態が、「恒常化」したという。それが本当だとすれば、「驚くべき」ことだが、恐らく、クリシュナムルティも、そのような「状態」にあったと思われる。

そういうわけで、それは、「一瞥」に過ぎなかったとしても、それまでの一連の「流れ」のすべてに、終止符を打つには、十分であった。それまでの、「見ること」に基づいていた、「私」や「世界」が「崩壊」したことも、もはや「問題」ではなくなった。すべては「終わり」、全く新しく「更新」されたからである。実際の感覚に即して言うと、それまでのすべての起こったことは、全くの「幻想」であった、という感覚である。もちろん、それは、その一瞬に顕現した、「観ること」の強烈さに比すればのことである。それらは、文字通り「夢」、「幻」のごときものと感じられたのである。だから、それに「囚われる」ということもなくなったのである。

それで、それは、一種の「治癒」的な作用を及ぼしたわけだが、しかし、「一瞥」である分、やはり、ある種の「中止半端」な「感覚」も免れなかった。それまでの「見ること」に基づく「世界」は、「崩壊」してしまったわけだが、同時に、そのとき、一瞬「顕現」した「観ること」の強烈な状態は、その後、全く同じレベルにおいては、一度も呼び起こせてはいない。瞑想などによって、それに「近い」状態が起こることはあるが、同じものではない。

だから、その後は、どちらにも、本当には「根付く」ことが難しく、「世界」との「折り合い」にはかなり苦労した。

しかし、今は、自分なりに、その両者の中間地点とも言うべき、それなりに「安定した」状態で、「折り合い」がついていると感じている。しばらくは、そのような、状態が続くこととなるだろう。

2010年10月 2日 (土)

「公案」としてのクリシュナムルティ

よく、本自体が自分を「呼んで」いたということが言われる。もちろん、単なる「比喩」なのではない。私にも、何度かそのような体験があって、よく分かる。しかし、その中でも、クリシュナムルティの生の全体性(平河出版社)という本との出会いには、かなり特別なものがあった。

もう27年ほど前になるが、今でも、この本を手に取るときの状況は、鮮明に思い出せる。本自体が、まさに全体として「光って」いたし、他の本を「地」とすれば、この本だけが、「図」のようにして、前面に押し出るように、現れ出ていた。だから、この本を手に取るのは、ほとんど「必然」だった。

私は、当時、本を読むということが、ほとんどなかったし、「精神世界」については、スピリチュアル系のものを一部受け入れてはいたが、全体としてほとんど知らなかった。クリシュナムルティなるインド出身の「覚者」も知らなかった。また、哲学書などの「堅い」本は、一冊も読んだことがなかった。ただ、この本の対談者であるデビッド・ボームについては、著名な物理学者で、ニューサイエンス系の新たな理論が注目されている人物であるということは知っていた。

この本を手に取ったときの、少なくとも表面的な意識では、著名な物理学者とインドの「哲人」との対談というのが、面白そうだというぐらいの印象だった。で、普通は、そんな理由で本を買って読むことなどなかったのに、そのときは、ほとんど躊躇なく、買って読むことになった。

そして、実際に読んでみると、ボームなどより、クリシュナムルティの、単刀直入で、分かりやすい表現ながら、これまでの常識を根底から問いただす、力強く、明晰な語りに、強く引き込まれた。それに比べれば、晦渋で、知識人ぶってはいるが、表面をこね回しているに過ぎないような、対談相手の科学者など目ではなかった。そこには、これまでに、私が触れたことも、予感したこともない、全く新たな「世界」が、開けていることを感じた。

それ以前には、「唯物論者」だった私にとって、スピリチュアリズム的な世界を知ったときも、十分衝撃的で、新たな「世界」をもたらす感覚はあった。しかし、クリシュナムルティが、今、新たに問いただし、「示唆」する「世界」というのは、そういったレベルをはるかに越える、もっと「根源的」なものであることを、強く感じた。

クリシュナムルティは、明晰な語りで、徹底的に、「思考」または「自我」こそが、「世界」のすべての「否定」的な面の原因であることを暴き出していた。そして、それを「越える」ことでしか、何らの「可能性」も開けることがないことを、解き示していた。しかし、その「思考」または「自我」を越えた「世界」とはどのようなものなのか。また、それに至る方法については、ほとんど何も語るということをしない。

それは、現実に、「思考」が終焉することでしか、開示されない「世界」であり、ただ、現に「観ること」でしか、明らかにされないものである。だから、その「世界」や「いかにして」について、「言葉=思考」で語ることは、矛盾以外の何ものでもなく、「有害」でしかないという立場を、崩そうとしない。

だから、私にとっては、この本におけるクリシュナムルティの言葉は、禅の「公案」そのもののような作用をもたらした。これまでの、常識や見方を根底から問い直すには「十分」でありながら、その先の「正解」が「見えない」、「解けない問題」をつきつけられたようなものとなったのだ。

特に、集約的に、そのような「公案」としての意味をもたらした言葉として、次の2つが挙げられる。


1 「観ること」とは何か
2 「死」とは何か



既にみたように、クリシュナムルティによれば、「思考」を越えた「世界」は、現に「観ること」でしか明らかにされない。ただ、その「観ること」のひとつの消息として、「観るもの」と「観られるもの」とが、同一であるということが挙げられる。

通常いう「見ること」というのは、「観るもの」と「観られるもの」が、主観と客体に分離していることを前提として、その主観が客体を「観察すること」(知覚すること)である。この意味での「見ること」なら、誰でもが知っている。

しかし、クリシュナムルィは、それとは全く異なる、「観ること」を、つまり、「観るもの」と「観られるもの」とが同一であるような、「観ること」というのを提示するのである。

私は、それまで、そのような、ものの「観方」なるものは、それこそ、「観たこと」も「聞いたこと」もなかった。クリシュナムルティは、通常にいう「見ること」というのが、イメージや過去、あるいは「私」に「囚われた」見方であって、大きく「限界」づけられた、「偽り」のものであることを、徹底して明らかにする。私も、クリシュナムルティの明晰な語りや、自然に自信にあふれたその態度から、それを越えた「見方」があること自体は、そのとき、既に確かなものとして「受け入れ」ざるを得なかった。しかし、それでは、その「観るもの」と「観られるもの」が「同一」であるような「観方」とは、実際にどのようなものであるのか、全く「見え」てこないのである。

だから、この「観ること」とは何か。というのは、「解けない」「公案」のごとくして、私に作用したのである。

もうひとつの、「死とは何か」というのも、クリシュナムルティの問いかけにより、改めて、根源的な「公案」として作用した。「死」というのは、常に、我々の強い関心の的なだけに、「公案」としての意義は、むしろ、こちらの方が大きいかもしれない。

「死とは何か」という問題は、別にクリシュナムルティに問われるまでもなく、人間にとって大きな問題だ、と思われるかもしれない。しかし、一方では、「死とは何か」など、改めて問うまでもなく、「分かり切った」ことだという見方もあるのである。

たとえば、「唯物論」的な見方によれば、「死」などは、要するに、「脳」の機能が停止することであり、それ以外の何ものでもない。「死ね」ば、その者の「意識」なり「私」という意識が消滅して、「無」になるだけである。別に、そこに、「問題」などあろうはずがない。

私も、唯物論者だった頃には、そう考えていた。実は、唯物論というのは、「死」に限らず、要するに、すべては「分かり切ったこと」と考えることに帰着するのである。私が、唯物論的な発想を自覚的に持ったのは、小6の頃だったと思う。その頃は、また、「宇宙」や「世界」に対する興味が、目覚める頃でもある。だから、「宇宙」や「世界」といったことに、一方では、壮大な「ロマン」や「興味」を抱くのだが、他方では、すべては「分かり切ったこと」という意識も、既に生じてしまう。

「宇宙」といっても、それは、要するに「物質の相互作用」に過ぎないのであり、物理的な法則に則って生まれた、「偶然」の産物に過ぎない。まだまだ「分からないことがある」などと言っても、それは、そのような「枠組み」の中での、具体的な要素についてであって、全体として、「宇宙」とは「何か」という問いは、唯物論的発想からすれば、要するに、「分かり切ったこと」になってしまうのである。

私は、かつて本を読まなかったと言ったが、それは、まさに、そのような唯物論的な発想によっているところが大きい。興味そのものがないない訳ではないが、一方で、その興味は大きく削がれてしまっているのである。すべては、「分かり切った」ことなので、別に、本から「学べる」ことなど、ないに等しいと思ってしまうのである。

しかし、そのような「唯物論的な発想」は、いくらかの紆余曲折を経て、19,20才の頃には覆った。「宇宙」あるいは「人間」には、「魂」という物質を越えたものがあり、その「魂」は、死んでも残ることが、ほぼ間違いないものとして受け入れられたのである。唯物論的発想の盲点は、まさに「分かり切ったこと」と思ってしまうことで、一旦、「分かり切って」しまうと、もはや、他の可能性や見方を考慮することを、止めてしまう。可能性そのものを、認めなくなるので、もはや、その可能性について、本気で、調べようとしなくなるのである。

人間の死後生存の問題なども、(当時もそうだったが、現在ではもちろん)もはや、それを、その気になって本気で調べれば、十分「肯定される」か、あるいは少なくとも、「否定できない」だけの情報は出尽くしていると言える。もはや、「まとも」に考えれば、「ない」などとは言えない状況なのである。

私は、「唯物論的発想」はもっていたが、それに凝り固まっていた訳ではなく、「真実」がもし違うところにあるなら、それを何としても知りたいという思いは、強く持っていた。それで、あるきっかけで、「唯物論的発想」が、間違っている可能性に気づくと、一応とも、本気で、十分に納得が行くまで、その可能性について調べてみた。それで、「唯物論的発想」は、覆がえることができたのである。「唯物論」には、もともと、本当に、「根拠」らしきものがある訳ではないので、その気になれば、覆るのは必然といえる。あえて言えば、いい年齢をして、いまだに「唯物論者」であるというのは、単に「怠惰」か「保身」のみで生きているということを示しているに過ぎない。

しかし、唯物論的発想が覆ったからと言って、「死」のことが、本当に分かるという訳ではない。ところが、「魂」があって、それが死後も存続するという発想になると、別の意味で、「死」のことを「分かった」ような気になるのである。それは、今度は、「死などというものはない」、という発想をもたらすのである。「死んで」も、「魂」は存続して、「生き」続けるのだから、「死」などは、単に、「肉体」という「みかけ」のことに過ぎない。だから、実際には存在しない、という発想になっても不思議はないだろう。

私も、クリシュナムルティのこの本に接するまでは、大体このような考えでいた。ところが、クリシュナムルティは、「死とは何か」と問われて、「確かに、肉体の死というものはある。しかし、死とは、そのようなものをはるかに越えたものである。」と言うのである。

「死」というものは、ないかのような発想になっていた私は、この言葉に、強く捉えられた。何か、「肉体の死」のほかに、「死」というものがあるかのようなことを言っているが、それは何なのか。そんな発想は、これまで、私は持ったことがなかった。クリシュナムルティは、「自我の死」とか「時間の死」という言い方で、そのような、「死」を暗示することを言ってはいる。それは確かに、何か「深く」、大きく物事を変えてしまうような、根源的な「出来事」であるのが、分かる。しかし、クリシュナムルティは、その、いわば「死そのもの」を、明らかに示すようなことは、何もしないのである。前に述べた、「観ること」を「言葉」で示すことはしないというのと、同じことである。

それで、私にとっても、この「死とは何か」という問いが、改めて、ひとつの「公案」のようになった。

「公案」とは、一見何でもないような、分かっている気になっていることを、根底から覆えして、新たに、真剣に問われる「問題」として身に作用してこそ、意味あるものである。その意味で、この2者は、全く「公案」と呼ぶにふさわしい作用を、私にもたらしたのである。

その後、私は、禅や、他の覚者の書物などにも興味を持ち、いろいろと勉強することになった。それで、「知的」な意味では、ある程度、これらの「公案」の回答の方向性のようなものはつけられはした。が、本当の意味では、自ら「体験」しなれけば(まさに「観ること」がなければ)、何らその「答え」にはならないことは、十分「承知」していた。それで、瞑想や座禅のようなことも始めたのだが、必ずしも、その「公案」の「答え」には届くことがなかった。

結局、この「公案」に対して、「体験的」な意味で、一応とも回答のようなものがつかめたのは、ここで述べた、一連の「分裂病的体験」を通してということになるのである。次回は、それについて述べよう。

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