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2010年7月 3日 (土)

「捕食者」的な「宇宙人」情報

「宇宙人」による「アブダクション(誘拐)」体験のところでも述べたが、その「体験」または「情報」そのものが、まさに「捕食者的」というほかないものがある。

「捕食者的」というのは、確かにそこには、「捕食者」を「反映」する要素があるという意味で、決して、何らの根拠もない、まるきりの「エセ」情報というのではない。しかし、それは、全体として、とても「まとも」に受け取ることなどできない。「捕食者」が、まさに「捕食者」的な「戦略」によって、「捕食者」的に、「演出」または「撒き散らし」た「体験」ないし「情報」ということである。

「捕食者的な戦略」といっても、何も、知的に入り組んだ、高度の内容があるわけではない。それは、端的に言えば、単純に、「恐怖」と「混乱」をもたらすということに尽きる。もちろん、そのために、ある程度、知的に練られた内容の体験や情報が構築されることもある。しかし、「捕食者」的には、単純に、「おどろおどろしく」、「訳が分からず」、「暗示的」で、見る者聞く者を、何とも「嫌気」のさす、救いようのない、「重い」気持ちさせるようなものが、好まれるようである。安物の「ホラー」そのもののような、内容である。むしろ、そのようなものこそ、感情的レベルでは、本当の「威力」があることを、よく分かっているのである。

既にみたように、「精霊」一般には、「訳の分からない」、「シュール」そのもののような性質が、常にまとわりついている。宮沢賢治の童話にも、そのような「シュール」さを伝えているものが多い。それは、確かに、「ホラー」にも通じる「恐怖」をもたらす。しかし、その「シュール」さには、どこか、「芸術的」で、人を「スカッ」とさせるような面がある。

「捕食者」もまた、そのような「シュール」さをもつ訳だが、「捕食者」の場合は、その「シュール」さが、いかにも、「おどろおどろし」く、「陰湿」なものを醸し出す。それは、人を、本当に、心から「嫌」な気にさせる。

この「捕食者」のもたらす独特の「感じ」は、実際に「捕食者」と接したことのある者なら、直感的に、すぐ「分かる」はずである。これらの「捕食者」的な情報からは、それのもたらす独特のものが、滲み出ているのである。それを、言葉で端的に言うとすれば、陰湿な「おどろおどろしさ」とか、「暗示的」で「威圧的」な「雰囲気」というほかないということである。

こう言うと、それは、分裂病者が体験する、「幻覚」世界そのものではないかということになろう。実際、これまでにもみて来たとおり、そのとおりである。これらの体験には、十分過ぎるほどの共通性がある。ただ、より個人を志向する分裂病の場合より、これらの体験や情報は、社会一般に向けられた、「演出」効果をねらうという面が強いといえる。

だから、「幻覚」といっても、それは、単に個人的、主観的なものではなく、既にみた「中間的現象」として、より物理的に近い次元で、ある種「普遍的」に、「創出」されている可能性が高い。実際に、体験した者は、「物理的現実」そのものとして体験したかのような、錯覚に陥って不思議ではないものである。

内容的には、それこそ、安物の「ホラー」のような「おどろおどろしい」ことが、「物理的現実」そのもののような「次元」で、実際に起こってしまう。このことほど、人を「恐怖」と「混乱」に貶めるものはない、とも言えるのである。

実際に、催眠療法などを通して、明らかになる「宇宙人」による「アブダクション」体験の一部には、明らかに、このようなものがある。

また、最近では、いわゆる「爬虫類人」(レプティリアン)と呼ばれる「宇宙人」情報が、まさにそのようなものといえる。

デーヴィッド・アイクの分厚い本を読んだ訳ではないが、かじり、聞き知る限り、これらの情報には、確かに「捕食者」を「反映」するといえる面がある。「爬虫類人」というのも、「戯画的」ではあるが、確かに、「捕食者」の性質を捉えているところがある。しかし、全体は、明らかに、ことさら、「おどろおとろし」く、「奇怪」な内容に満ちている。たとえば、アメリカの政府要人などの著名人が、「レプティリアン」に変身するところを見たとか、悪魔崇拝さながらの儀式で、「レプティリアン」に、生け贄が捧げられているなど、まさに、安物の「ホラー」そのもののようなものも多い。

しかし、これらは、まるっきりの「エセ」情報で、何もないところに作られた、「作り話」とも言えない。実際に、「目撃」した者も多く、それなりの「出所」から、情報が出ていることもある。

要するに、それらは、そのままが「真実」なのではなく、まさに「捕食者」的に「創出」ないし「演出」された、「捕食者」的な情報なのである。まるっきりの「嘘」でもなけれは、文字どおりの「真実」でもない。ある程度の「真実」が反映されるからこそ、容易には、切り捨てられない「リアリティ」や、「恐怖」、「混乱」をもたらすのである。分裂病者が、自らの体験を、「妄想」や「幻覚」として切り捨てられないのと同じである。

そして、いかに異様で、信じ難いものであっても、その「目撃」情報などのいくつかは、確かに、「捕食者」的に「演出」された、「中間的現象」である可能性があるのである。

こういったものは、すでにみたように、単純に、社会的に「恐怖」と「混乱」をもたらす「意図」に出たものと思われる。が、あるいは、最近ある程度表に出るようになった、「宇宙人」情報の「撹乱」の意味もあるかもしれない。

いずれにしても、「人と人の間」における「捕食者」の「暗躍」は、もはや「暗躍」とは言えないほど、あからさまで、「活発」になって来ているということが言える。単に、「分裂病」の場合のように、「個人」に向けられたものでなく、社会全体に訴えかけ、恐怖や混乱をまき散らすものが増えているということである。

ただ、このような「奇怪」な「出来事」というのは、何も現代に特殊的なものではなく、これまでにも、「時代の変わり目」には、いくらでもみられたものである。だから、それは、我々自身の「現実」を支えるシステムが、揺らいでいることの反映ともいえる

たとえば、江戸末期には、町の通りを、様々な姿をした大勢の妖怪や魑魅魍魎が、闊歩して歩くところが、多く目撃されたようである。それは、百鬼夜行図などとしても残されている。また、特に、時代の変わり目でなくとも、かつてから、「狐」や「狸」に「化かされる」ということは、あたり前のように、起こっていたことである。「レプティリアン」情報なども、ただ、この「狐」や「狸」が、「爬虫類」に変わったに過ぎないとも言えるのである。

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