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2010年6月 8日 (火)

「捕食者」という理由

注) 「捕食者」という馴染みのない言葉を使う理由を明らかにする重要な記事です。

前回も触れたが、「捕食者」なる言葉は、一般的ではないし、馴染みが薄い。が、それを使う意義が大きいから、あえてこの言葉を使っているのである。

この「捕食者」なる「存在」は、これまで、伝統的には、「悪魔」とか「魔」、あるいは「鬼」や「龍」などと呼ばれて来たものと、大体において重なるとみてよい。シュタイナーの「ルシファー存在」と「アーリマン存在」の二系統の「悪魔」論でいえば、「アーリマン存在」とも大きく重なる。あるいは、最近では、「レプティリアン」など「ネガティブ系宇宙人」と言われものとも、一部重なる。

だから、これは、決して、これまでに取り上げられなかった、特殊なものなのではない。

確かに、これを具体的にイメージしようとする場合には、これら、伝統的な捉え方や、最近の具体的な「事件」を踏まえた、馴染みのある呼び方には、一定の意味がある。しかし、これらの「呼び方」は、実質的には、何も明らかにするものではなく、むしろ、混乱させる要素の方が大きいと言うべきである。

モーパッサン風に言えば、かつて、そのような「呼ばれ」方をし、さまざまなイメージは残しているが、実質的には、その「実態を暴かれず」にきたものなのである。

そこで、既に何度か述べたことだが、以下、「捕食者」という理由を、簡単にまとめてみる。

1 「人間」から発散される「感情」的エネルギーを「捕食」するという、「本質的」なあり方を、明らかにする。


「悪魔」にしろ、「鬼」にしろ、「宇宙人」にしろ、「イメージ」は「豊富」だが、その「本質」、たとえば、それらが、実質的には、何を求めて人間に関わろうとするのか、一向にはっきりしない。むしろ、「イメージ」が豊富な分、それが一人歩きして、さまざまな「想像」のみを膨らませる。また、後に見るように、これを「悪」という抽象的な観念でみることも、ほとんど「人間」の側の「投影」でしかなく、実質的な意味は乏しい。

しかし、「捕食者」という言い方は、彼らが、人間を「捕食」するものであるという「本質」を、端的に明らかにする。それは、「物質」的なものでなく、「感情」的(エーテル的)エネルギーだが、「(捕)食」の対象であることに変わりなく、むしろより「根源的」な意味で、「捕食」(エネルギーの供給源)の関係にあるといえるものである。

「分裂病的状況」のような、具体的な関わりの場面でも、(特に「恐怖」という感情を)「捕食する」という彼らの「本質」を踏まえることこそが、その影響を脱するという視点からしても、大きな意味を有するのである。

2 「飼育者」、「管理者」という副次的あり方をも明らかにする。

「捕食者」は、人間という集団全体に対しては、「飼育者」、「管理者」の関係にも立つ。「捕食」という「目的」の下に、人間を集団的に、「飼育」し(方向づけを与え)、「管理」するということである。「捕食者」という言葉から、こういったことが当然に内包される訳ではないにしても、人間という集団全体に対して、「捕食者」の立場から戦略的に関わろうとする場合、このような関係に立つことは、当然予測されるはずである。

但し、その「目的」ないし「本質」は、あくまで「捕食」ということであり、「飼育」「管理」は、副次的なものである。人間の動物に対する関係に照らして言えば、ちょうど「牧畜」のような関係に当たる。

ただし、その集団的支配から「はみ出す」個々の人間に対しては、彼らは、まさに文字通り、「捕食者」と呼ぶのがふさわしい、攻撃的な「捕食」のあり方を示す。「分裂病者」に対するものも、その一つの例である。上の「牧畜」に対して言えば、「狩猟」のようなものである。

「捕食者」という呼び方は、元々は、このような、ある集団から「はみ出す」個々の人物(たとえば、トルテックのシャーマンなど)に対する、彼らの執拗で攻撃的な特性から、「実感」としてつけられたものと思われる。

3 「善悪」の「観念」から自由な見方で、捉えられる。

日本の「鬼」には、一応両義的な面があって、一概に「悪」の性質を帯びてはいない。しかし、一神教圏の「悪魔」や「魔」は、ほとんど人間の側の「都合」の反映である、「悪」という「観念」に染められている。そのような呼び方は、むしろ、「抽象」的な「観念」への「囚われ」を生むだけで、実質的には、何も明らかにせず、彼らの本質を見逃すことになる。「悪」という観念そのものが、「想像」と「思考」の連鎖を推し進め、無用な「恐怖」の拡大をもたらしている面は大きいのである。

後にみるように、そもそも「捕食」という行為そのものは、「善悪」の問題とはいえないはずである。我々もまた、他の動物等に対しては、「捕食者」の位置に立っているのである。

現代においては、彼らを差し示すには、できる限り「善悪」の観念から自由な言葉の方が相応しい。もちろん、その「本質」を端的に示す、「捕食者」という言葉は、十分それにかなっている。

4 「食物連鎖」についての、人間の「思い上がり」ないし「盲点」をつく、「インパクト」ある言葉である。

C.カスタネダもR.モンローも、「捕食者」ないし、人間の上に位置する捕食の「システム」について、初めて聞いたとき、強い衝撃を受け、拒絶の反応を示した。特に西洋においては、一切の「生命」について、我々人間こそが、「食物連鎖」ないし「管理」の頂点に立つという、根強い「思い込み」がある。彼らの反応も、このような「思い上がり」ないし「盲点」からする、反動という面が強い。

しかし、まともに考えれば、「ありとあらゆる」「生命」について、人間が、その「食物連鎖」の頂点に立つなどということの方が、あり得べきはずもないことである。むしろ、他の何らかの「生命」が、人間に対して、「捕食者」の位置に立つということは、本来、あって然るべきことである。ただ、人間以上の「捕食」の関係は、多少とも「巧妙」化され、はっきりとは「見えない」形でなされているから、容易に「目にはつかない」というに過ぎない。

「捕食者」という言葉は、そのような「人間」の「思い上がり」ないし「盲点」をつく、「インパクト」ある言葉として意味がある。また、人間に、そのような「捕食される」側としての意識が芽生えることは、人間の動物に対する関係も含めて、改めて、「食物連鎖」の全体を、顧みさせるという効果もあるはずである。

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