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2010年2月12日 (金)

チャネラー、ジーナ・レイクの「悟り」論

私は、「チャネリング」関係の本も何冊かは読んだが、手元に残っているのは、ジーナ・レイクの3冊と、リサ・ロイサルの『プリズム・オブ・リラ』だけである。(ジーナ・レイクの3冊とは『テオドールから地球へ』、『地球の目覚め』、『アセンションへの道』)

ジーナ・レイクは、「テオドール」と呼ばれる宇宙の「集合的意識体」をチャネルしているのだが、「宇宙人」や地球との関係について、細部やセンセーショナルな部分に走らず、基本的な情報がしっかり述べられ、落ち着いた語り口で、簡明に述べられている。内容も、その割に深く、実践を意識したもので、心によく届くものがある。

特に、「宇宙人」との遭遇に関しては、必ず取り沙汰される、「ポジティブ」系宇宙人と「ネガティブ」系宇宙人の説明は、非常に分かりやすく、説得力がある。もちろん、単純な「善悪二元論」ではなくて、「ネガティブ」存在の「宇宙的」意味も十分踏まえて、述べられている。このような「二分化」の発想自体が、かなり「単純化」の嫌いはあるが、基本的な「目安」としては、十分有効と思う。

出版は、もはや大分前になるが、これだけ読んで、その内容をしっかり受け止めていれば、最近の2012年「問題」などには、惑わされないで済む、といえるだけのものがある。

そのようなことから、ジーナ・レイクには「魅力」を感じ、注目していたのだが、最近久しぶりに、邦訳本『根本的な幸せへの道』(ナチュラルスピリット)が出た。それを読んで、このような彼女の特質は、彼女の「悟り」から来るものであることがはっきりした。

この本は、チャネリング本ではなく、「悟り」について述べたものなのである。「悟り」といっても、B.ロバーツのいうような「自己喪失」ではなく、あくまで、通常の「自我」を超えた「大いなる自己」(または「一なるもの」、「意識」)に「目覚める」という、その前段階的なことである。

「内容」としても、さほど「目新しい」ものがある訳ではないが、相変わらずの、シンプルで、分かりやすいながらも、味のある語り口で、明快に「悟り」について語っている。

内容としても、分かりやすさも、エックハルト・トールによく似ているが、かなり「思考」的な要素の強いトールに対して、女性らしく、「直観」や「ハート」にうったえかける要素も多く、全体としての「魅力」は、トールより上と、私は思う。

また、これまであまり注目されなかったり、誤解されがちな点にも、注意が配られていて、特に、「自我」と「大いなる自己」との関係には、よく踏み込んで、述べられている。

たとえば、「自我」なるものは、一個の「幻想」であることには違いないが、単純に「否定」される(できる)ものではなくて、それ自体を、本当に「理解」することから、自ずと「超える」ことも可能になるという視点である。もちろん、それには、それが生み出す「苦悩」こそが、推進力になっているである。

また、「自我」というのも、「大いなる自己」が、「個別性」や「独自性」なるものを通して、自らを「経験」したり「表現」したりする一つの「道具」として、宇宙的意図のもとに、「創造」されたものであることが、チャネラーらしい視点から、述べられたりしている。

特に私が興味深かったのは、「目覚め」たからと言って、「自我」が即座になくなったり、「死ん」だりするものではないということが、強調されている点である。そして、それを踏まえて、「目覚め」以降も続く、「自我」との関わり方についても、かなり詳しく述べられている。

前に、R.D.レインの取り上げていた「超越の体験」を詳しく紹介したが、その者も、一旦は失った「個人的自己」が、後に再び「できあがる」ということを経験していた。しかし、それは、もはや以前のような「力」をもたず、「仮のもの」のようになるということを述べていた。それと、似たような状況といえる。「自我」が「なくなる」のではなく、それへの「同一化」が外れ、あるいは圧倒的に、減少するという風に捉えられる。

ただ、B.ロバーツも明らかにするように、「垂直的方向」というものは、レイクのいうそのような「大いなる自己」すら、最終的には「喪失」させるに至るものである。

「分裂病的状況」というのも、そのような「垂直的方向」(あるいは「虚無」)を、根底に含み持っている。だから、その意味では、通常いう「悟り」よりも、ロバーツ的な「喪失」の方向に「近い」面をもつ。ただし、「準備」の整っていない(早く言えば、「大いなる自己」すら実現できていない)「分裂病的状況」では、それが結果として、「自己喪失」をもたらすことなどは、ほとんどないと言うべきである。つまり、「垂直的方向」による「破壊」の面のみが前面に出やすい訳だが、しかし、それは、ただ単に、「分裂」ないし「崩壊」という、「病的結果」をもたらすだけのものでもない。レインのとりあげる「超越の体験」者のように、通常の「自我」の「喪失」、あるいは少なくとも、「脱同一化」をもたらすことは、ままあると言うべきである。(この点は、いずれもう少し、詳しく述べる)

あるいは、本当に、「分裂病的状況」が、その「深み」から「くぐり抜け」られる限り、それに近い状態をもたらさない方が、おかしいともいえる。

そこで、そのような者にとっては、むしろ、レイクのいうような、「大いなる自己」への「目覚め」から、さらに、それを「深め」て行くという方向性も、重要なものとなってくるだろう。

※Youtubeに,レイクの「エゴ」に関するちょっとした講話の動画がある。(http://www.youtube.com/watch?v=hrzpNLnNb1I

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