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2009年10月

2009年10月25日 (日)

「分裂病」と「憑依霊」

カール・A・ウィックランド著『医師の心霊研究30年』という本を、古本で手に入れて、読んだ。(『迷える霊(スピリット)との対話』(ハート出版)というタイトルで、入手の容易な新訳本も出ている。)

著者は、アメリカの精神科医で、奥さんが霊媒能力者である。精神病の患者に憑依している霊を奥さんに転移することで、その霊と対話し、諭すなどの方法により、その霊を去らせ、結果として患者の病気を治癒または好転させることができたということである。

この本では、そのような事例が多く紹介され、憑依している霊と著者とのやり取りが、詳しく載せられている。

「憑依霊」というのは、人間の「地縛霊」と呼ばれるもので、死んだ後も、死の自覚ができずに、この世をさまよい続ける「迷える霊」のことである。これらの霊は、死んだ後も、意識や肉体類似の「体」があることから、自分が死んだと自覚できないのだが、一様に、「死んだのだ」と言われると、強い拒否の反応を示すことが印象的である。「死」について、いくらかの知識を得る機会も、受け入れる機会もなく、死んでしまっている訳である。

そのようにして、訳が分からなくなった、迷える「霊」が、人間に取り憑いて、その者の人格を変え、または精神的に混乱させて、「病気」に追い込んでいるのである。

その「憑依霊」は、本人の知らない言語をしゃべったり、その霊の語ることから、その霊の生前の身元が、はっきりと判明する例もある。霊が語る内容にも、十分の「リアリティ」がある。確かに、このような「憑依霊」が、精神的な病いの原因になっている場合は、かなりあると思われる。これはアメリカの例だが、おそらく、現代の日本でも、まさるとも劣らないくらい多いはずである。

(アメリカの場合は、教会によって教えられた、死んだら「天国」にいくとか、その日まで墓場で待っているなどの、現実と大きく食い違う死のイメージが、死の自覚を阻んでいる面もあるようだ。それに対して、現代の日本では、明らかに、死んだら「無」になるというイメージが、死の自覚を阻むはずである。)

しかし、「分裂病」について言うと、私がみる限り、その多くの詳しい事例には、典型的な「分裂病」といえるものは、一つも見い出せなかった。

著者自身は、「分裂病」とされるものにも、このような「憑依霊」が原因とされるものが、多くあったと述べている。ただし、これらは、80年以上も前のものであり、当時は、「精神病」もさほど細分化されてなく、多くのものが「分裂病」として括られていた可能性がある。現代では、多重人格障害や、解離性障害など、他の病名がつく可能性が高いものが多く含まれていると考えられるのである。

確かに、現在でも、分裂病とその周辺的な病気との境界は、必ずしも明確とは言えないから、厳密に区分することには、あまり意味がないとも言える。

しかし、私は、基本的には、「分裂病」と、これらの「人間」の「憑依霊」が原因と考えられるものとは、十分区別できるし、また、すべきものと考える。

これまで述べて来たように、要するに、分裂病の特徴は、「非人間的」なものである。それが、生きている人間であれ、死んだ霊であれ、「人間」的なものによっては、理解できないという面が、必ず含まれるのである。(現象面としては、例えば、他者の「生き霊」の影響というのは、少なからずあり得るが、その場合でも、人を分裂病に追い込むのに本当に作用しているのは、その背後にある、非人間的な「捕食者」というべきである。)

分裂病が「非人間的」であるということは、最も典型的には、その「恐怖」が、「人間」的でないものからこそ発しているということである。言い換えれば、それまでの体験の延長上にはない、「未知」のものに対する恐怖ということである。また、そのような恐怖は、たとえば、「恨み」や「妬み」などの、「人間的な感情」によって生み出されるものとは、性質を異にするということである。それこそが、分裂病の、傍目にも「異様」といえる、恐怖や混乱のもとなのである。

但し、これも何度も述べて来たように、実際には、そのような者は、その「恐怖」を、何とか、人間的なものに引き寄せて理解しようとする。一種の「防衛反応」である。それが、CIAによる迫害など、明らかに無理のある「妄想」の元になる訳だが、しかし、そのような者も、いずれ、その「無理」に気づけば、「宇宙人」や「神」など、文字通り、「非人間的」なものを、持ち出さざるを得なくなる。そのように、いずれは、必ず、何らかの形で、「非人間的」な要素が、立ち現れざるを得ないのである。

また、「非人間的」な存在は、憑依する人間の「霊」とは違って、その本人を、訳も分からずに「乗っ取る」ことで、「狂わ」せている訳ではない。あくまで、自らは冷静に、本人そのものに、巧みに働きかけることで、本人そのものを、「狂わ」せているのである。

だから、その「憑依霊」を去らせれば、単純に、本人が回復するというものではないのである。


このように、分裂病の場合に、「非人間的」なものであることを強調するのは、それが「人間的」なものやその延長上に理解されようとする限り、むしろ、事態は、混乱するばかりだからである。

逆に、その「非人間的」な存在の、分裂病者に対する働きかけは、要するに、「戦略的」なものであることが分かれば、実は、事態も対処の仕方も、見えて来るものなのである。この本の例でもそうだが、ごたごたした、人間的、感情的な要素を恐れなくて済む分、対処の仕方は、より明快であるとすら言える。

その「戦略」というのは、これも何度も述べて来たように、要するに、尋常でない「恐怖」を、継続的かつ効果的に、生み出し続けるということに尽きる。その「恐怖」こそが、「捕食者」の最高の「資源」だからである。

分裂病者を追い込む「声」または「幻覚」にしても、そのような戦略的なものによって、貫かれており、それを真に受けたり、乗ってしまっては、「恐怖」も止めなく拡大される。しかし、一旦それが、「戦略」的なものであり、(人間的なもののように)「まとも」に受け止める必要のないものであることが分かれば、「恐怖」は、大幅に削減される可能性があるのである。

このように、「分裂病」については、「人間的」なものの延長上には理解できず、「非人間的」な存在という視点をもつことができなければ、とても対処の仕方がみえてくるものでない。それは、人間の「憑依霊」によるという視点によっても、同じことのはずである。

ただし、ある意味においては、それこそが、最も困難なことであるには違いない。それらは、一般には、人間の「憑依霊」以上に、馴染みが薄く、信じ難い存在だから、それを認めること自体が、大きな「恐怖」と「抵抗」を生むからである。

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