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2009年7月31日 (金)

「恋愛妄想」

誰もが、疑似的かつ一時的に、「分裂病」に近い状態を味わえる状況が2つある。一つは、LSDなどの「幻覚剤」の摂取、もう一つは、「恋愛妄想」である。

「症状」で言えば、「幻覚剤」の摂取は「幻覚」の面、「恋愛妄想」は「妄想」の面に多く関わる。

「恋愛妄想」と言っても、「分裂病」にいう意味の厳密な「妄想」ではなく、人が「恋愛」時に陥りやすいものとしての、一般的な「妄想」である。

「恋愛状態」というのは、誰もが、期待や不安、疑心暗鬼などで、心理的に不安定になり、通常の意識状態を変容させるものがある。そして、その一種「独特」の「意識状態」で、通常では考えられないような、「妄想」的思考をしてしまうことがある。それは、傍からみればまるで根拠がないようなことでも、容易に信じ込んでしまうだけのものになる。

たとえば、相手にとっては、特に意図もない自然な振る舞いでも、「このような振る舞いをしたのは、自分のことを嫌いになったからだ」とか、逆に、とっくに嫌われていることが、傍目には明らかなのに、「あれは自分のことが好きで、気を引いているのだ」などである。そのような「思考」は、一旦思い込んだら、容易には、「修正」が効かない。実際、そう「思う」ことで、その者の言動の多くの謎が、はっきりと解けたかのように、錯覚してしまうこともある。さらには、何ものかに「憑かれた」かのように、傍目にも「狂っ」ているとしか思えないような、突発的な行動をとってしまうことがある。

このような状況が、表面上、「分裂病」的状態とかなり似ているのである。

実際、「分裂病的状況」の場合も、そこに入っていく過程としても、恋愛妄想の場合とかなり似たものがある。つまり、まず、何事かの「出来事」(それは、人間関係上の些細な出来事であるのが普通だが)をきっかけに、追い詰められ、「意識状態」を変容させる状況があり、そこで、不安や、葛藤、疑心暗鬼などに苛まれる。そして、その深まりの中で、「声」を聞いたり、「妄想」を形成するようになるのである。

ただし、「分裂病」の場合は、その「妄想」の性質が明らかに異なっている。それは、一見して「奇抜」な内容で、通常「あり得ない」ことが明白であり、他者にとって、「了解」できるものではない。「恋愛妄想」にしても、分裂病の場合は、例えば有名な女優とか、面識もない者が、自分のことを好きで、テレビなどで、「テレパシー」で思いを伝えてくる、などといった内容になる。つまり、「分裂病」の場合は、もはや、通常の「外界」の認識そのものが、「崩壊」の状況にあり、「内部」と「外部」の境目も、曖昧になっている。だから、その「状況」を共有していない他者には、全体として、「了解」の基盤がないのである。

ところが、一般の「恋愛妄想」は、相手も、特定の「現実的」な相手である。また、「恋愛状態」というのは、誰でも、一度は経験のあるもので、「恋愛妄想」についても、多少「酷い」ものでも、多くの者にとって、十分「了解」の余地がある。また、そのようなものは、一時的なものであろうこと、時が経てば、いずれ「治まる」であろうことも、経験からいって、予測できるのである。また、そこでは、多少、「外界」の認識や「現実感」が、「揺らぐ」ことはあっても、全体として、その認識は、保たれている。

だから、それは、あくまで、「分裂病」の「疑似的」かつ「一時的」な体験に過ぎない。

ただ、そうは言っても、その「妄想」の形成過程に働いている「影響力」というのは、決して、分裂病の場合と「別」という訳ではない。そこには、「分裂病」の「妄想」の場合と類似のものが、一定の範囲で、働いているのも確かなのである。

「分裂病」の場合、そこに働いている影響力は、既にみたように、かなり複雑な要素が混在している。本人の「思考」ないし無意識的な「想念」(さらに本人から独立した「エレメンタル」)、または「捕食者の心」(寄生体)のほか、人間の他者の「エレメンタル」(生き霊)、さらに、各種の「精霊」、「捕食者的な精霊」などである。これらの、「影響力」が互いに絡み合って、結果として、「妄想」が生まれる訳だが、それを「継続的」に効果あらしめているものとしては、やはり「捕食者的精霊」の力が絶大といえた。

「恋愛状態」でもそれは同じで、その疑心暗鬼に囚われた、不安定な状態には、本人の「思考」、無意識的な「想念」、「捕食者の心」のほか、他者の「エレメンタル」(生き霊)、各種の「精霊」、「捕食者的な精霊」などが、さまざまに働きかける隙を生じる。

それで、混乱や、葛藤も激しく、全く「統一性」や「主体性」を欠いた「思考」や「感情」が、様々に交錯する。普段であれは、全く、思いもしないような内容の「思い」に、異様に囚われたりもする。それは、実際、もはや、「自己」の内部での閉じられた「思考」の動きというのではなく、外部的な働きかけに、振り回される状態になっているのである。


具体的に、厄介なのは、他者の「エレメンタル」(生き霊)で、それは、その恋愛の相手自身のものの場合もある。それは、恋愛感情をさらにかき立てるような、「歓心」を買うことを言ってくることがある。「エレメンタル」というのは、既に本人の心から独立したもので、様々な影響力(たとえば「捕食者」)の元にあるので、もはやその言うことが、本人の心を反映しているとはあまり言えない。ところが、それをまともに信じてしまった場合には、相手も自分を好いているのだ、という形の「恋愛妄想」を強力に形成してしまいやすい。

あるいは、他者の「エレメンタル」としては、その者の恋愛を邪魔しようとする者の影響も、強力に働くことがある。その場合、その「思い」はいわば雲のように作用して、その者を取り巻き、どうしても、ポジティブな思考、建設的な思考ができなくなる。

さらには、「精霊」や「捕食者」も、人間の感情や葛藤が強く発散される、「恋愛」という状況には、関わりたがるようである。「愛のキューピッド」ではないが、その高揚した恋愛感情を好むため、それを成就さようとする方向で働きかけるものもいれば、逆に苦悩と葛藤の状態を長びかせるため、それを阻止しようとする「捕食者的な精霊」もいる。

「捕食者的な精霊」の場合、その葛藤と、苦悩から、できるだけ多くの「エネルギー」を吸い上げるために、両極端の面(たとえば「うまくいく方」と「ダメになる方」)から様々に「誘惑」や「疑惑」をしかけて、その状態を逡巡させようとするようである。

「恋愛妄想」というのは、何しろ、このような各種の「外部的」な「影響力」に振り回されて、傍目にも分かるような、混乱状態に陥っているのである。その意味では、「分裂病」の場合と、見た目にも、はっきりと似たものがある。

だから、そのときの、通常は考えられないような、自分でも、信じがたいような、混乱した状態を思い返せば、ある程度は、「分裂病的状況」にある者の「混乱」も、推測がつく、ということがいえるのである。

ただ、繰り返せば、それは、あくまで、「恋愛」という状況に限られた、「疑似的」で、「一時的」なものに過ぎない。また、分裂病的状況では、「分裂気質」(または「霊媒気質」)ということもあって、このような外部的な働きかけについては、はっきりと「声」などの形で、聞くということが起こりやすいが、「恋愛」状態では、一般にそのようなことは、起こらない。そこでの外部的な働きかけは、ほとんど「無意識」レベルでなされ、本人には、理由の分からない「思考」の囚われというぐらいにしか、意識されないことが多いであろう、ということである。

そのため、基本的に、その「恋愛状態」が「冷めれ」ば、もはや、そのような外部的働きかけにも、振り回されないですむことになる。

しかし、逆に、「恋愛妄想」の「普遍性」は、人間という存在の本質にもかかわってくる。そもそも「恋愛」とは、「恋愛妄想」の「紡ぎ合い」のようなもので、要は、それが「合致」するか、しないかの問題に過ぎないといえる。つまり、人間は、男女両性に分けられることによって、必然的に、(飽くことのない、また完結することのない)「恋愛妄想」を「紡ぎ出す」ように強いられている。

そのような、言わば「強いられた」「妄想」こそが、人間の様々な行動の「原動力」になっているのは明らかである。しかし、それは単に「個人レベル」、「人間レベル」での話ではなく、「捕食者」などの存在をも巻き込みつつ、おおげさに言えば、「宇宙を廻して行く」原動力(資源)にもなっている訳である。

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