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2009年4月17日 (金)

「イニシエーション」としての側面

前に取り上げた「宇宙人」による虐待的な事件もそうだし、「分裂病的」な状況もそうだが、これらには表面上、明らかに「否定的」な側面がある。

「宇宙人」による虐待的な事件では、その恐怖やトラウマが、後遺症として残ることは多いだろうし、分裂病の場合は、その病状が後々まで尾を引くことが多いのは言うまでもない。

しかし、これも何度も述べたことだが、これらのことには、一方で、「イニシエーション」としての側面があるのも確かなことである。「イニシエーション」というのは、ここでは、一般的に、「広い」意味で受け取ってもらえばよい。

要するに、それは、これまでその者を規定していた「現実」とは異なる、「未知」または「新た」な「現実」に触れ、あるいは受け入れていくために、くぐり抜けなければならない「試練」というほどの意味である。

前回みたように、どんな文化であれ個人であれ、我々が日常的に抱えている「現実」や「世界」についての見方は、必ず、ある「限定」というか「枠組」を抱えている。それで、それに抵触したり、収まらないような「現実」に触れたり、襲われることは、それとの「葛藤」、あるいはそれが激しい場合には、「崩壊」という問題を引き起こす。そして、その過程では、混乱や抵抗など、様々な「否定的」な現れが生じる。その意味で、それらを乗り越えて、新たな「現実」を受け入れていくことには、必ず、一つの「試練」がつきまとうのである。

だから、前回見たような「異文化の衝撃」、あるいは普通に「カルチャーショック」というのも、ちょっとした「イニシエーション」にはなり得る訳である。かつて行われた、成人儀礼などは廃れたが、変わって今は、「海外旅行」などによる異文化の見聞が、一つの成人としての「イニシエーション」になっているようでもある。

しかし、実際には、一旦、身についた「現実」や「世界」についての「見方」や、「自己」としての「あり方」などは、容易なことでは覆るものではない。それが、文化によって、「集合的」に規定されている場合には、なおさらである。

つまり、実際には、「イニシエーション」というのは、必ずしも「成功」に終わるものではない。むしろ、全く、「イニシエーション」としての意味をなさなかったり、たとえ、それまでの「現実」の「崩壊」ということが起こったとしても、その否定的な現れだけが残るという意味で、「失敗」に終わる場合も多いのである

「イニシエーション」は、「死と再生」の過程といわれることもある。それは、それまでの「世界観」や「自己のあり方」の「崩壊」の側面を「死」として、新たな「現実」や「自己のあり方」の創造の面を、「再生」として捉えたものといえる。

だから、「イニシエーション」というのは、「死」の側面が十分に全うされて、それまでのあり方が根本的に変わる、ということと、「再生」の側面が果たされて、新たな「あり方」が創造される、という面の両面によって成り立っているといえる。そして、その「失敗」というのも、「死」の側面と「再生」の側面の両方にあり得ることになる。

「死」の側面についは、そもそも、「死」ということが、ほとんど起こらなかったり、様々な抵抗のために、十分に全うされないということが、考えられる。その場合は、そもそも、それまでの「自己のあり方」が「清算」されていない訳だから、新たな「あり方」の創造ということも、起こり得ないことになる。

「分裂病」の否定的な現れの多くは、実際、そのようなものといえる。これについては、それまでの自己又は世界の「崩壊」ということで、「死」の側面のみが起こり、「再生」の側面が起こらなかったもの、という捉え方もできるかもしれない。私も、かつては、そう捉えていたが、しかし、むしろ、実際には、上にみたように、「死」の側面がさまさまな抵抗や混乱のために、十分に全うされずに、滞ってしまったもの、とみた方がよさそうである。それは、「崩壊」とはいえても、旧来のものが「一掃」される、「死」とは言えない訳である。

それは、既にみたように、一旦、身についた「現実」や「世界」についての「見方」や、「自己」としての「あり方」などは、そう容易なことでは覆る(「死に切れる」)ものではないということである。後にみるように、それが、より根本的なレベルからの「イニシェーシュン」となるものほど、そのようなことは、起こり難いといえる。

また、それとは逆に、それなりに「死」の側面についてはなされたが、「再生」の側面について、むしろ、より問題のある「世界観」や「あり方」を植え付けられる、ということで、「失敗」とみなされるものもある。

たとえば、「軍隊」や「カルト」、あるいは一部「企業」などの「洗脳」があげられる。それらも、その者にそれまで身についた「見方」や「あり方」を、それなりのレベルでつき崩すとともに、新たな「見方」や「あり方」を植え付けていくものである。その過程で起こる「崩壊」も、広い意味の「イニシエーション」の一種と言ってよいし、実際に、そう呼ばれることもある。

ただ、その場合、新たな「見方」なるものは、結局は、それまでのものとは別の「世界観」というに過ぎず、そこでは、根本的な「変容」というよりも、一種の「取り替え」が起こっているに過ぎない。その場合、「死」の側面がなされたといっても、それは、やはり、そう深いレベルのものではあり得ない。そして、その新たに植え付けられた「世界観」や「あり方」が、より偏狭なもので、問題の多いものであれば、それも、やはり、そう遠からず、「崩壊」することになるに違いない。

これらのことは、、要するに、「イニシエーション」にも、深浅さまざまなレベルがあるということでもある。より根本的なレベルからの「死」と「再生」をもたらすものと、ある一部または一面において、「死」と「再生」をもたらすものということである。当然、前者のものほど、「成功」は起こりにくいものになる

たとえば、「未開社会」でも、「イニシエーション」には、誰もが「大人」になるために受ける「成人儀礼」としての「イニシエーション」と、特別の「シャーマン候補者」だけが受ける、シャーマンになるための「イニシエーション」がある。

前者は、「子供」としての「あり方」において「死」に、新たに「大人」としての「あり方」を身につけさせるものである。それは、根本的な「死」というよりも、一面における「死」を体験させるもの、または、一瞬における「死」をかいま見せるものといえる。

それに対して、後者は、もはや、一般の「人間」としては「死ぬ」ことを要求するもので、「精霊」により近い存在として、人間と関わりつつ、生きるためのものである。それは、より根源的なレベルでの変容をもたらす、「イニシエーション」といえる。そして、それには、「精霊」という存在が、大きく関わっている。

この場合、「精霊」には、「再生」の面、たとえば、「シャーマン」としての新たな「生き方」について、教えるという面もない訳ではないだろう。が、それは、主に、「死」をもたらす、「破壊力」に関わっている。それは、その者の、それまでの「世界観」や「自己」を、根底から解体してしまう「破壊力」を秘めているからこそ、「イニシエーション」の担い手になる、ということである。

初めに述べた、「宇宙人による虐待事件」や、「分裂病的状況」にも、多くの場合、この「精霊」が関わっていることは、何度か述べた。つまり、そのようなものは、「精霊」の強い破壊的な面の現れである、と同時に、それは、より根源的な「イニシエーション」にもなり得る、ということである。その破壊的な面も、ある特定の「見方」や、文化的な「世界観」に関わるというのではなく、シャーマンの場合と同様、ほとんど「人間」としての「あり方」の根本に関わるようなもの、といえる。

もちろん、それは、「成功」した場合のことで、そのようなものは、「失敗」の可能性も高く、その場合には、「破壊的」、「否定的」な現れも、より強烈になる。シャーマンの「イニシエーション」の場合も、恐らく、「失敗」の場合は、事実上、本当の「死」しか残されていないのと、同じである。

しかし、「精霊の破壊力」と言っても、このような「精霊」が、どのような意味で、「世界観」や「自己」の「死」をもたらすことになるのか、一般には、なかなか現実感をもって、受け止めにくいものだろう。そこで、次回は、この点をできるだけ具体的に、分かりやすく述べることにしたい。

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