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2008年11月 2日 (日)

「世間」との「折り合い」

「世間」との関係で、分裂病者または分裂病的状況が意味するものについて述べて来た。そこで、この点でも、一つの「まとめ」のようなことをしておきたい。

要するに、「分裂病者」の「問題」は、一般的に見えやすい形で表現する限り、「世間」なのである。「解離性障害」などの場合、浮かび上がってくる、特定の者との「人間関係」というのではなく、いわば、「人間」との「関係」そのものである。あるいは、「集団性」ということであり、それへの「適応」ということである。

もちろん、そこには、親などとの「問題」がないわけではない。しかし、それは、概ね、親との「個人的」な関係というよりも、親が「体現」する「世間」との関係での問題と、捉えられるはずである。あるいは、具体的に、その者も、特定の者との関係で、発病のきっかけが生じたかもしれない。が、やはり、それも、特にその者との関係というのではなく、多くの者が体現する「世間」との問題が、その者を通して、具現化したものというべきである。

彼は、そのような「世間」に、ずっと「違和感」を抱き続け、「受け入れ」難かった訳だが、分裂病的状況では、それが、ごまかし様のないものとなる。「世間」は、今や、捕らえ所のない抽象的なものではなく、はっきりとした、具体的な姿をとって、彼に迫る。それは、もはや、全く未知の「他者」、あるいは恐るべき「敵」と化して、彼を襲う。だが、それは、彼の「問題」そのものが、明確にその「姿」を露わにした、ということなのである。

もはや、「問題」は切迫し、何らかの「折り合い」をつけない限り、一方的に「食い殺される」状況にまで至った。しかし、ここで「折り合い」をつけるとは、単に「屈服」したり、「妥協」するということなのではない。もはや、多くの者と同じようには、単純な「折り合い」、「みせかけ」の「折り合い」が、期待できる状況ではないのである。ことは、根本からなされない限り、意味がない状況に至っている。

しかし、「世間」はいまや、その「本性」を包み隠さず、その恐るべき「実質」を露わに、、彼に迫って来ている。それは、相手の「実質」を知ったうえで、根本から「折り合い」をつける、このうえない(望んでも得られない)チャンスということでもある。

彼が、そこで、防衛的な反応で拒否しないなら、いやでも、そこに、「捕食者」といった「みえざる存在」を、「見る」(または「予感する」)ことになる。それは、確かに、未知で、手に負えない存在だが、今や、「折り合い」をつけるべき「相手」として、このうえもなく、具体的で、明確なものとなったのである。

そこで、根本的な「折り合い」とは、そのような相手の「実質」を知りつつ、それを「超える」といった意味合いである。そのうえで、それと距離をとりつつ、「接する」ことができるようになることである。

端的に言えば、「世間」との「折り合い」とは、「捕食者」との「折り合い」以外ではあり得ない。「捕食者」こそが、「世間」の背後にある、「実質」的な存在だからである。また、現実的にも、現に、その「捕食者」の「攻撃」を受ける状況に立ち至った以上、それとの関係を抜きに、「折り合い」などということは考えられないはずである。

逆に言えば、「捕食者」との「折り合い」ということが、もし適うならば、自ずと、「世間」との「折り合い」ということも、つくようになるということである。

繰り返すが、それは、決して、容易なことではない。既に見たように、それは、日本人にとっての、「みえざる」「神」そのものを相手にするに等しいのである。これは、一神教圏の人が、絶対とされる「神」を「乗り越え」ようというのと、ほとんど同じことなのである。だから、それなりの自覚と気概を必要とする。

しかし、望んでか、望まずしてか、そのような状況に「首」を突っ込むことになった以上、もはや、それを避けて通ることはできないということである。あるいは、一旦、その「渦中」から逃れることができたとしても、その問題を本当に解決しない限り、そこから、真に解放されることにはならないということである。

*私自身、「捕食者」との「折り合い」は、かなり適うようになったとはいえ、現在進行中の問題である。それは、一朝一夕に適うものではない。ほとんど、「ライフ・ワーク」のようなものと思っている。いずれ、こり点についても、述べるかもしれない。

「捕食者」そのものについては、「対処法」を初め、これまで散々述べてきたし、「まとめ」もしているので、検索などにより参照して下さい。

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