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2008年7月10日 (木)

『魂の体外旅行』-「ルーシュ」の生産

3のロバート・モンロー著 『魂の体外旅行』(日本教文社)について。

意識または霊的身体が肉体を抜け出る、「体外離脱」という現象は、偶発的には、「臨死体験」などで、よく起こることが知られている。しかし、ロバート・モンローは、これを意志的に行うことで、さまさまな体験をした者である。後に、「ヘミシンク」という音響効果を使って、類似の意識体験を誘発する方法を編み出したことでも有名である。

この本では、モンローが、体外離脱中に体験した、さまざまな事柄が述べられている。その内容は、用語などが新奇で、分かりづらいものもある(翻訳の問題もあるかもしれない)。が、これも、「補食者」の場合と同じく、これまでの既製の観念に縛られないという意味では、望ましい面もあろう。

その中に、「インスペックス」と呼ぶ知的生命体を通して「知っ」たこととして、「ルーシュ」の話が出てくる。

ここでも、やはり、人間という存在が、「補食」の対象として前面に出てくる。ただ、これまでは、「捕食者」という特定の「存在」に注目していたのに対し、この話では、そのような「補食」のシステムが、宇宙全体でどのような意味をもつかが問題とされる。実際、「補食」ということを問題にする限り、どうしても、このようなことも、問題とせざるを得ないはずである。

宇宙の「補食」のシステムとは、要するに、全体として、宇宙または宇宙に生きる生命体が活動して行くために、必要とされる「エネルギー循環」のことにほかならない。「ルーシュ」というのは、その宇宙全体を動かして行くための、効率の良い「燃料」というほどの意味である。そして、宇宙全体にとって、その「ルーシュ」生産の要となるのが、人間という、肉体と意識を有する存在なのである。

物理的にも、宇宙は本来、「エントロピー増大」の法則で、放っておけば、「熱的死」といわれる「一様」な状態に至るとされる。よく、部屋を掃除しないで放っておけば、乱雑さが増すこと。一滴のインクを水に垂らせば、一様に溶け込んでしまうことにたとえられる。そのような状態を阻止するには、その法則に逆らって、それなりの「仕事」がなされなければならない。

これは、あくまでたとえだが、「ルーシュ」というのは、この場合の「仕事」に相当するものといえる。つまり、宇宙全体の活動状態(低エントロピー状態)を維持するための、一種の「犠牲」的な労力ということである。人間は、そのような役目を負わされている、というよりも、むしろ、そのためにこそ創造されたということにもなる。

カスタネダのドンファンも、「捕食者」は、宇宙の本質的一部であり、人間は、意識ある存在として、宇宙そのものの探索のための道具となる、ということが述べられていた。しかし、ここでは、もっと端的かつ具体的に、宇宙全体が人間に対してなしたことが述べられている。

―「誰か」と呼ばれる、「宇宙の創造に関わる者」たちは、様々に、宇宙の活動のために効率の良い「ルーシュ」の生産方法を試した。が、その結果、結局、人間から、苦痛と葛藤のエネルギーを抽出することが、その最も効率の良い方法であることが判明したという。それは、初め、人間同士の争いから、良質の「ルーシュ」が採取されることから分かった。次に「誰か」は、自らの一部を人間に注入したみた。すると、人間は、それとの完全な「一体性」を求めて、より強く葛藤し、さらに良質の「ルーシュ」が採取された。さらには、「男女」を分断することによって、いわば引き裂かれた人間から、さらに良質の「ルーシュ」が採取されることとなった。

そのような、様々な試行の結果、現在は、この「誰か」を見習った(あるいは「任された」)「ルーシュ」の「収集役」が、「地球の管理者」として、独自に、効率的な収集を行っているという。それは、「愛」「友情」「家族」「欲望」「憎しみ」…「国家」「戦争」「飢餓」などを通して、行われる。―

要するに、人間を、より「分裂」した状態におき、「達成不可能な欲望」を植え込むど、苦痛や葛藤が、より強烈で深刻であるほど、宇宙全体にとって、効率の良い「ルーシュ」となるというのである。そのようなことを通して、宇宙全体に、活動状態維持のための、「燃料」が供給されるということである。

また、「補食者」ということでは、ここでは、現在の「ルーシュの収集役」または「地球の管理役」として登場しているものが、それに当たるだろう。しかし、もちろん、すべての宇宙の存在が、「補食者」的であるということなのである。

これらは、一見奇異に聞こえるが、前回みたように、宇宙一般の霊的存在にとって、人間の苦痛から発する感情エネルギーが、「食糧」または「資源」となるということであれば、その延長上に、理解できることではあるはずである。かなり、一面的ではあるが、要するに、突き詰めればそういうことになるということは、否定できないと思われる。

カスタネダと同様、モンローも、この話を聞いて、強いショックを受けて、しばらくは、立ち直れなかったという。確かに、このような話は、ショックには違いないだろう。が、冷静に考えると、それは、決して「補食」というシステム全体に関わるものではないことが分かる。我々は、現に他の動植物に対して「補食者」として立っているのであり、「補食」というシステムがあること自体は、疑いようのない現実として受け入れている。だから、その点について、いまさらショックを受ける理由はない。

それは、要するに、我々が「補食」の頂点に立つものではなかった、ということに関わるのであって、逆に言えば、それは、単に、我々が(「井の中の蛙のように」)補食の頂点に立つと思い込んでいたことの、反動に過ぎないともいえるのである。

また、この話にも、我々人間自身が、いわば「創造された」「創造者」なのだという話が出てくる。このようなシステムの創始者である「誰か」とは、まさに、その一部を注入された、一種の「分身」でもある、「我々自身」ということにもなるのである。決して、人間が、一方的、他律的に、「被害者」的な立場にいるものとばかりは、いえないのである。

我々自身もまた、現在、高度にシステム的な、産業社会を築いているが、これは、まさにここで述べられた、宇宙的「ルーシュ」生産システムの「ミニチュア」版のようなものともいえる。まさに、我々自身、同様なことをしでかしてもいるのである。

(そのシステムの中では、一見些細で意味のない仕事も、全システムの存続に、何らかの意味で貢献しているのが明らかである。それと同じように、この宇宙の中で、さまざまに苦悩し、葛藤することは、全体としての宇宙の存続に、大いに貢献していることになる!)

ただ、この話では、結局、その「ルーシュ」による「宇宙のエネルギー循環」は、何のためになされるのか――端的には「宇宙の存在目的」――ということには触れられていない。あるいは、そのようなものはどうあれ、何しろ、宇宙の活動状態が維持されなければならないから、そうされているだけなのだというのが、本当のところなのかもしれない。

しかし、やはりモンローから指導を受けた、ブルース・モーエンという人が、「ヘミシンク」を通して、体験した話として、この点について、興味深いことを述べている。(『死後探索4―人類大進化への旅』ハート出版)

それによると、初め、「創造者」である「存在者」は、自分の回りを取り巻く、得たいの知れない「大いなる未知」に恐れを抱いた。「存在者」は、その探索をしたいと思い、自らの一部を「分身」としてさまざまに集めたものを創造して、そこに飛び込ませた。ところが、それらは、「大いなる未知」に突入すると、崩壊してしまって、戻ってくることがなかった。

そこで、「存在者」は、さまざまな実験を繰り返すが、結局、それらの分身は、「無条件の愛」をもって、全体を「統一」していない限り、そこで崩壊せずに、帰ってくることができないことが分かったという。

かなり単純化された、「物語」のようなものではあるが、非常に示唆的ではある。「存在者(創造者)」を取り巻く「大いなる未知」とは、これまで述べてきた、「虚無」または、ドンファンのいう「無限」そのものと解される。「創造者」は、自らにとっても「未知」で、恐怖の対象である、「虚無」または「無限」の探索のために、人間その他の生命を創造した、ということになる。

しかし、その過程で、そのためには、「無条件の愛」を獲得させることが、必要なことが判明した。そこで、まずは、「無条件の愛」の獲得に向けて、いわば進化的に、迂遠な道をとらざるを得なくなったという風にも解される。

そうすると、先にみたような、「ルーシュ」生産のシステムは、まさに、この「無条件の愛」獲得に向けて、宇宙が回って行くための、外的条件のようなものといえる。しかし、それとともに、最終的には、そのシステム自体が、そこに至るめの、よくできた(あるいは、極端に迂遠な?)方策ともみなし得る。「無条件の愛」自体が、最終的には、最良の「ルーシュ」となる可能性があるからである。

しかし、それはもちろん、あくまで、「創造者」自身の「大いなる未知」の探索を、全うするために作られたシステム、ということである。

「虚無」への侵入や崩壊という、まさに分裂病の原点ともいえるような事柄が、宇宙的な創造の根本的な原因として出てくる訳である。多くの者にとっては、まったく、奇妙奇天烈な視点かもしれないが、私自身は、これまで聞いたものの中でも、最もと言ってよいほど、説得的なものを感じる。

それはともかく、いずれにしても、「補食者」という捉え方を、本当になそうとするなら、その背景となる「宇宙全体」のシステムのことにも、思いを寄せることが必要になるのは、確かなことのはずである。

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コメント

無明庵EOの著作がこの問題について詳しく論じています。
人類より遥かに進化した生命たちも宇宙の外にある無を恐れて、唯盲目的に生きる意志に従って、宇宙を維持し続けることしか考えていないそうです。

「スピリチュアリズム」は、「神」を根源的なものと捉えていて、宇宙の外(根源)にある「虚無」そのものへの視点を欠いており、大きく限定されたものです。また、チャネリングその他の「宇宙存在」による情報も、根源的な「虚無」に対する視点はありますが、それを深く掘り下げたり、乗り越えたりしているものはお目にかかれず、根源的には、「虚無」に対する恐れに動機づけられて、宇宙を維持し、活動している(活動病に陥っている)というのは、確かなことに思われます。

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