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2006年11月16日 (木)

シュタイナーの「悪魔論」について

私は、ルドルフ・シュタイナーについては、以前は、ほとんど本を読んだこともなく、何か晦渋なことを述べている神秘学者といったイメージしかなかった。また、実際、当時、適当な訳書もあまり出てなかったと思う。しかし、一連の体験の後、本を読んでみて、自分の体験に照らしても、とても納得のいくことが述べられているのが分かり、興味を持ち、何冊か読むことになった。

特に驚きは、シュタイナーの一種の「悪魔論」(というより、「進化から逸脱した存在の論」というべきなのだが)で、「アーリマン存在」と「ルシファー存在」という性質の異なる2系統があるというものだった。それが、体験のところでも述べたように、自分の接した、性質の異なる2種の攻撃的な存在と、驚くほどピッタリくるものだったのである。

私が知る限りで、もう一つ、鋭く踏み込んでいると思える「悪魔論」(これも、正しくは、「<捕食者>として人間を管理、支配する存在の論」)をあげれば、既に触れたカスタネダの師ドンファンのものがある。しかし、そこでは、このような二系統の区別までは述べられていないし、他にも、そのようなものを詳しく観察したものには、今までのところお目にかかっていないのである。

シュタイナーは、元々、「シュタイナー教育」のことではよく知られていたようだが、最近は、本来の「神秘学」の方でも大分知られるようになっているようである。訳書も十分読めるものが多くそろっているし、新書という形で、入門書も出ている。(講談社現代新書『シュタイナー入門』,ちくま新書『シュタイナー入門』)

その内容は、近代社会の一般的な物の見方からは、まだまだ大きく掛け離れていると言わざるを得ないが、かなり身近なものになってきているのは確かだろう。

ただ、シュタイナーの本は、決して難解ではないし、読みにくくもないのだが、ことをあまり単純化されたり、一面的に理解されることを嫌ったようで、明解な表現とは言いにくいものも多い。また、本も講演集など信じ難いほど多く、そのごとに、違った側面から述べるということをしているようである。それで、全体像がつかみにくいという面もある。

(あるいは、内容的な面よりも、ことさら倫理的な面が強調されているのが、とっつきにくいということもあるかもしれない。しかし、私のように、シュタイナーの考えからすれば、明らかに逸脱的な方法で、霊的なものに接することになった者にとっては、このような点を予め強調するのも理解できる。本当に、安易には近づけるものではないし、「危険」は、大きく口を開いて、待ち構えているからである。)

それにしても、主要著作は、ほぼ文庫という形で出ているし、おおまかな点を押さえるなら、これを読めば十分ではないかと思う。(ちくま学芸文庫『神智学』、『神秘学概論』、『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』など)

ただ、「アーリマン存在」などの「逸脱的存在の論」については、特にそれを主題に述べた本もあって、ここではそれらをも参照することになる。

シュタイナーの「逸脱的存在の論」は、主に二つの面からみることができると思う。一つは、まさに、人間とは異なる霊的存在としての「アーリマン存在」「ルシファー存在」そのものに着目するものである。これらは、人間と進化史上密接な関係を有するもので、ある意味では、人間の「創造」にも関わっている。それは、人間に自らの性向を「植え込ん」で、それを育て、同じような「逸脱的方向」に導こうとするものである。

もう一つは、現に進化史上、そのような性向をもつこととなった人間の内部のあり方に着目するものである。人間の進化の問題として、そのようなものと、どのように向き合い、対処していけばいいかという視点である。こちらは、「アーリマン存在」とか「ルシファー存在」という言い方に対しては、「アーリマン的なもの」とか「ルシファー的な性向」などと表現されることになる。

いずれにしても、このような「存在」をみるときに、この両者の視点は、欠かせないものだと思う。外部的な「存在」の面ばかりからみられれば、人間の現実から離れた、抽象的な議論に陥り易いし、逆に人間の内部的な面ばかりからみられれば、分かり切ったことの蒸し返しで、何ら本質的(全体的)な面が明らかにならない。常に、この両者をつなぐような視点をもって、臨むのが望ましいのである。(「分裂病的現実」についてみるときにも、この両視点が必要である)

シュタイナーの本では、イザラ書房『悪の秘儀』が主に、後者の視点から重点的に、「アーリマン的なもの」と「ルシファー的なもの」について述べている。

また、水声社『霊界の境域』は、「この感覚界と霊界を分かつ境界を越えるとき」に認識されるものを重点的に述べている。まさに、そのような「境界」でこそ、さ迷うことになる、分裂病的状況とも大きく関わるし、「アーリマン存在」や「ルシファー存在」を含めて、その状況で出会われるものが、簡潔に述べられている。

また、春秋社『カルマ論』は、肉体に影響を及ぼす「霊的身体」に、これらの存在がいかに作用して、病気等をもたらすかを述べたものである。そこには、分裂病的状況とも関わる、「幻覚」や「錯誤」もとり上げられている。また、「アーリマン存在」と「ルシファー存在」の、人間に対する関係がかなり詳しく述べられているので、参考になる。

前者の、「アーリマン存在」や「ルシファー存在」というのが、そもそも(宇宙進化的に)何ものなのかという点は、概ね『神秘学概論』に述べられている。「進化から逸脱する」ということの意味や、他の「霊的存在」との関係についても、ほぼ述べられている。

なお、私自身は、シュタイナーの「宇宙進化論」には、かなりの疑問もあって、全体として受け入れている訳ではないが、これらの存在と人間との関係については、十分納得できるものがあると思っている。そこで、シュタイナーの「宇宙進化論」には、あまり言及せずに、もっぱら人間との関係についてを重点的に紹介することになる。(興味がある人は、『神秘学概論』などで補ってほしい)

それでは、まずは、現に我々の内部にある、「アーリマン的なもの」とか「ルシファー的なもの」とはどういった性質なのか、という点からみていくことにしよう。できるだけ、身近で具体的なところから入って行くのがよいと思うからである。

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コメント

自分の接した、性質の異なる2種の攻撃的な存在と、驚くほどピッタリくるものだったのである。
と書かれていますが、ルシファー存在はどのような性質なのでしょうか?
私は一時期、アーリマン存在の霊聴体験ならありますが、
存在的には同じものと考えたほうが良いのでしょうか?

私が、身近に接した「アーリマン存在」と「ルシファー存在」については、その体験をかなり克明に振り返った記事に出てきます。特に、『13 「妄想」に振り回されること』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/13-b0e6.html)で、「アーリマン存在」を「アール」と、「ルシファー存在」を「ルーシー」と呼んでいます。

『「アール」のように威圧的ではないが、やはりそれに似た、独特の逆らいがたい響きで、何かと「命令」というよりも「けしかけてくる」存在』

と言っていますが、「アール」のように、やたらと攻撃的で、怖気づかせる存在ではないです。むしろ、一見近づきやすそうで、「誘惑的」に、行動を「けしかける」という感じです。『19 「させられ体験」-思い出しバージョン 』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/19-4f79.html)で、家を飛び出させる行動に駆り立てたのも、「ルーシー」ですし、記事『16 「夢幻的世界」へ』(http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/16-6c47.html)で、テレビ局に駆けこませようとしたのも、「ルーシー」です。

要するに、やってはいけない、とんでもないこと、非現実的な行動に駆り立てている訳で、やはり、「アール」と同様、「悪魔的」で「とんでもない」存在なのです。ただ、その「方向性」は、「アール」とは逆と言うことになります。

19の記事でも述べているとおり、「ルーシー」は、よく空を飛んでいるのを見たし、「ニャッ」と笑ったりもします。高慢というか、虚栄心が強いというか。ところが、「アール」が空を飛んだり、笑っているのを見たことはありません。こちらは、ある意味、生真面目なくらいに、「冷徹」なのですね。

「アーリマン存在」と「ルシファー存在」については、この記事の次の記事にも、対比させて、特徴を述べているので、参照にして下さい。

補足しますと、もちろん、当時は、このようなシュタイナーの「二系統の悪魔」論など知らなかったし、「アーリマン存在」とか「ルシファー存在」などと認識していたわけではありません。ただ、両者の性質の違いは明らかに認識していて、そのうえで、どちらも「悪魔」的な存在だとは思っていました。

それが、後に、シュタイナーの「二系統の悪魔」論を知ったときに、驚くほど「ピッタリ」と来る説明に出会ったということです。ただ、「アーリマン存在」については、その後、カスタネダの師ドンフアンの「捕食者」論を知ったときは、それ以上に「ピッタリ」来るものたったので、「跳びはね」(笑)ました。

それらは、どちらが正しいと言うよりは、観点の違いからの、把握の仕方の違いなのですが。いずれにしても、ちゃんと、誰かしら、こういった未知の存在について、深く知って、説明する人がいることには、それこそ驚かされますね。

おそらく、あなたの超感覚的認識へと得た原因は、
世界大戦でできた長期間にわたる音によって、
寺院のベール(物質界とアストラル界を分けるエーテル物質できた網)
が引き裂かれたことで、
アストラルエネルギーが流入したことが原因が、
精神の病気や低位サイキック能力が誇示されるようになったのだが、
現代人の多くは、これにあてはまる。
私も、一時期、精神的に病んでいるときに霊聴現象を得た。
だが、通常、私のように能力を失うというのは、ほとんどないケースと思われます。
アーリマン存在やルシファー存在をおそらく、退治はできるのでしょうが、
あれは、人間の陰の気で生まれてくるので、増殖してしまう。
シュタイナーは、どのように、生まれてくるかは説明してなかったと思う。

「あれは、人間の陰の気で生まれてくるので、増殖してしまう。
シュタイナーは、どのように、生まれてくるかは説明してなかったと思う。」

「人間の陰の気で生まれてくる」ものは、「エレメンタル」(想念形態)で、シュタイナーも、「アーリマン存在」「ルシフアー存在」は、それとは区別していました。ただし、その影響を受けて「増殖」というより、「増強」してしまうことは確かで、彼らに力を与えているのは、人間に外ならないことになります。「狂気」における「幻聴の声」もまた、「アーリマン存在」「ルシフアー存在」と人間の「エレメンタル」との交錯の上に、現れていると言えます。

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