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2006年2月22日 (水)

19 「させられ体験」-思い出しバージョン

もう一つは、実家に帰ったときに、友人のところへ行こうとして、ある種夢遊病に近いような状態で、街を歩き回ったという体験についてである。これは、まさに、自分の意志というよりも、何かに操られるかのように行われたもので、分裂病の症状として「させられ体験」と表現されるものそのものといえた。

この時の状況は、まだ「起こっていること」を意識できていないが、その「見えない恐怖」がほとんどピークに達していた状況で、それも、何か人類の存亡に関わるような途方もなく邪悪なものとして浮かび上がって来ていて、どうしてよいか、パニック状態に近い焦燥状態にあった。それは、まさに操られるには、「もってこい」の状態であった訳である。

ここで、「(ある)友人のところに行かなければ」という思いが生じて来たのだが、これ自体は、それまでに断片的に「思い出さ」れたことなどから私自身が発想してしまったもので、私の思いつきであるのは確かなようである。しかし、そこで強い焦燥を感じていると、それに乗っかるように(躊躇すると、それを打ち消すような仕方で)、「ほら」「早く行けよ」「全部捨てて行け」(最後には)「親にバカと言って出ろ」などと、せかすようにけしかけていたのは、「ルーシー」だったのである。

このように、初め家を出るまでは、「ルーシー」が「言葉」でけしかけていたが、家を出ると、今度は、「アール」が、それを引き継ぐような形で、私の近くにずっといて、強烈な意志で支配しようとする。「思い出し」によれば、「アール」は、私の左斜め後方、5メートルぐらいのところ(と、はっきり空間的に把握できる)にいて、私を強烈な意志で取り巻いているのが分かる。それが強まると、時には、「アール」の意志が(私の意志と一体化したかのように)私自身の腹の中からのように出てくるといった状況もあった。私は、そういったことを意識はできていないのだが、何かの理由で、自分の通常の意志がほとんど働かず、パニック状態が異様に強まってくるのは感じている。

無意識レベルでは、そういった何者かに支配(操作)されているかのような状況を十分感じていて、「格闘」しているのだが、意識レベルでは、「とにかく友人のところに行かなければ」という思いに囚われていて、それを止められない。元々焦燥とパニック状況に近い状態であったが、さらに、無意識と意識の強烈な葛藤が加わって、廻りなどもほとんど見えない状況であった。

実際、そこは何度も通ったことがある場所だったにもかかわらず、バスの中でも、今どこを通っているのかよく分からなくなり、途中で降りて街中を歩き回ることになった。そこでは、タクシーには轢かれそうになる(その運転手の怒っている顔が、本物の鬼に見えたことは前に述べた)し、何故かすれ違う人が「悟っ」ている人に見えて、自分だけがどこかの別の惑星に入れられたかのような感覚を味わった。

何しろ、ここでも、「夢幻様世界」に近いものが既に現出していたのである。そして、「思い出し」によれば、さらにちょっとした事件があって、車椅子の人がいたのだが、その人が私の顔を見ながら、急に車道の方を向いて、飛び出すかのような格好をする(本当にそうしていいのだという意志がみえる)。その時、空には「ルーシー」が飛んでいて(「アール」が飛んでいるのは見たことがないが、「ルーシー」はよく空を飛んでいる)、私をじっと見ているのである。

私がどうするか試している様子だが、私は、この時、背後の存在の助けもあったと感じる(意識では状況がつかめないままあっけにとられている状態だったので)が、その車椅子の人を手と目で制して、止めさせることができた。すると、「ルーシー」はニタッと笑って飛んで行ってしまった。車椅子の人もそのまま何事もなかったかのように、真っすぐ行ってしまった。

それを見ていると、背後からは、「あれは治っているな」という声が聞こえた。これは恐らく、車椅子の人は本当は治っているのに、車椅子のままでいるということだろうと思う。もっと言えば、「ルーシー」のけしかけがあったらしいとはいえ、直ぐに反応して車道に飛び出す格好をしてしまうところからしても、ほとんど(いつでも)「死にたがっている」ということも窺われる。

これについて、「ルーシー」の意図はよく分からないが、これは私がタクシーに轢かれそうになった後でもあるし、お前もこのように(自ら)「車道に飛び込めば」という示唆であったかもしれない。何しろ「ルーシー」は、皮肉を込めた冗談めいた仕方で、よく分からない示唆をするのが好きのようである。当時は、この出来事をほとんど意識しなかったが、「思い出し」てみると、いろいろ示唆深い出来事ではあった。

その後も、無意識との葛藤や、「アール」の意志による支配などの影響もあろうが、ほとんど意識は朦朧として定かでないまま、意識レベルでは、「とにかく行かなければ」という思いのまま、歩き続けていた。私は、何かとんでもないことをしでかしそうな状態でもあったのだが、特に何も起こらずに済み、結局は、既に述べたように、駅の周辺当たりを何度もぐるぐる回るうちに、ふと我に帰る瞬間があって、そのまま家に戻ることになったのである。

「我に帰った」というのは、確かに、家を出たときからずっと、自分を覆っていたものがふと解けたような感じで、一応本来の意識が戻ったのだといえる。ただし、それは、それ以前からずっと続いていた、「訳の分からない状況」から解放されたことを意味するのではもちろんない。少なくとも、「友人のところに行けば何か事態が変わる」というような、非現実的な発想にとりつかれている状態からは、解放されたということである。

「思い出し」によって明らかになった状況を含めれば、このような体験は、まさに「させられ体験」そのものといえる。森山が言うように、通常は「させられ体験」も第3段階のものとされるが、それは「操作」する何者かが、ある程度明確に意識される段階で、「操作される」という意識も表面化し易いからだろう。しかし、このように、「操作される」「させられる」という意識は伴わなくとも、実質上は、「させられ体験」そのものといえる場合も、かなりあると思われる。

ところで、霊的な事柄について少し知っている人は、このような体験からは、恐らく「憑依」ということを連想するのではないかと思う。精神医学的にも、この「憑依」という現象は、『祈祷性精神病』や既にみた『解離性障害』などとして、くみ入れられている。実際、そこには、かなり重なる部分があるとみられる。

しかし、ここにみた「させられ体験」は、このような「憑依」とは異なるし、恐らく、分裂病にいう一般的な「させられ体験」もそうである、ということを少し述べておきたい。

確かに、私のように、この体験に、何か外部的な「存在」の「意志」や「力」が関わるとみる場合、その点のみを捉えれば、「憑依」の場合と共通性はあるといえるかもしれない。しかし、具体的には、それはかなり根本的に「憑依」の場合とは異なるのである。

「憑依」とされる現象は、恐らく普通は、自己の内部の抑圧された「コンプレックス」が、一時的に意識と入れ替わるように表出するというものだろう。何か外部的な「存在」が関わることがあるとしても、それはいわゆる「迷える霊」が、一時的に人の身体を占拠して、思いを吐露するといったものと思われる。(それがその者の「コンプレックス」と通じるものであれば、結局両方の要素を併せもつことになる。)

ところが、「させられ体験」では、私自身の意識は(外部から「けしかけ」や「意志」の支配を受けることはあっても)身体の内部にいて、一応なりとも連続性を保っているのが明らかで、何か別の意識や人格に身体を乗っ取られるということはない。また、別の面から言うと、「させられ体験」では、そもそも「自己」そのものが危機に瀕していて、言わば恒常的に「意志」や「主体性」を奪われて、何事も「させられる」ように感じるということに重点がある。その意味で、一時的に人格が転換するごとき「憑依」とは、質が異なるのである。

実際、「させられ体験」の多くは、(外部的な「けしかけ」などがあるにしても)ほとんど自ら「マインドコントロール」されるように「させられ」てしまっている場合が多いと思われる。その者の内部では、操作する「何者か」の影響力が、既に極度に肥大していると思われるからである。

(私のこの例では、例えば端的に「命を奪う」とか、「精神病院に入れられることをさせる」とかの、直接的な意図を感じないでもない。しかし、この例でも、結局は、私の強い焦燥感と最初の非現実的な発想に「ひっかけ」るようにして「操作」が始まっているので、一種の「マインドコントロール」といえる面が強い。そして、後に、それらの存在の働きかけを意識できるようになると、ほとんどそれは、効果を発揮しなくなるのである。)

つまり、それらの「存在」は、直接個々人の身体や意志を乗っ取ったり、支配することに関心がある訳ではなく、やはり、それは「自己」が失われる過程における一つの付随的な現象(ちょっとした「ちょっかい」なのか、あるいはもっと積極的な意図はあるかもしれないが)とみた方がいいと思う。

何しろ、この点は結局、それらの「存在」が人間とどのような関係に立っているのか、とか、人間が分裂病になる(させる)ということは彼らにとってどのような意味をもつのか、という本質的な問題とならざるを得ない。もし後に、機会があれば、こういった問題にも触れてみたいとは思っている。

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