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2006年2月 2日 (木)

16 「夢幻的世界」へ

「背後」の存在を、私は、「影」と呼ぶようになった訳だが、実は、「アール」も例の強烈な口調で、「カゲ(影)」と「ホンニン(本人)」という言葉で、私と背後の存在を呼び分けているようだった。とりあえず、私が「ホンニン」で、背後の存在が「カゲ」ということになる「はず」である。

特に、背後の存在を呼ぶときに、「カゲ!」と軽蔑したような口調で呼んでいたが、それは私から「影」と(非実在的なものであるかのように)みなされていることへの「皮肉」が込められているようでもあった。実際、前に言ったように、後には、むしろ背後の存在の方が「本人」で、私の方がそれに従属するだけの、「影」のごときものと認めざるを得なくなる。

これらの存在をユングのいう「元型的なイメージ」とは、解することができなくなったという意味で、一つの転換となった出来事がある。

それは、テレビの中にも、幻聴や幻視をみるようになるということから始まった。初めは、司会者や出演者の背後から、私を挑発するような「声」が聞こえるという、分裂病に典型的な「症状」のようなものだった。だが、そのうち、その背後の「声」は、映像を含むものになり、さらにその映像は、もはや番組の内容とは無関係にそれ自体で止めなく発展し始め、まさに「シュール」としか言いようのない、一つの「夢幻的世界」を映し出すようになったのである。それは、通常のテレビ映像をはっきり超え、恐らく幻覚剤による幻覚体験と同じように、目を見張るような極彩色で3Dのように立体的な映像である(但し、空間的には、テレビのブラウン管の範囲にきっぱり収まっている)。

そして、そこには明らかに、私の背後の存在も含めて、私を取り巻いていた存在たちが、関わっているのが、それらの「声」のやりとりで分かる。例えば、背後の存在が「何々を出すぞ」と言うと、即座にそのものが映像として出てくる。さらに、それに対抗するように、「アール」なども自分自身が(姿はテレビの出演者を借りているが)出て来て、とんでもないことを言ったり、何物かを出現させたりしている。

いわば、テレビ番組は、それらの存在に「乗っ取られた」かのような状態になり、まさに、それらの存在の世界をこちらの世界に映し出す「モニター」そのものとなっていたのである.

(その内容は、様々なものが混在していて、とても意味づけることは難しい。まさに「シュール」としか言いようがないが、ヘルマン・ヘッセの小説『荒野の狼』に出て来た、「魔術劇場」がこれととても似ている。SF的、宇宙的で引き込まれるものもあったが、とても直視できないほど「酷い」(グロテスクな)ものもあった。)

さらに、普通の映画の番組を見ていると、また番組の内容から離れて、出演者がアンドロイドのように顔を膨張させ始め、私を凝視したままずっと何かを迫るように動かなくなった。私は、とても直視できなかったが、このときは、心の奥から「人間じゃない」という言葉を発していた。そうすると、「アニマ」の声なのだが、「やっと分かった?」というように、「うん」と頷き、その映像も元に戻った。

私は、ここに来て、はっきりそれらの「存在」を、「イメージ的な投影」ではなく、一つの確固とした意識あるいは意志をもった「存在」と認めざるを得なくなった。さらに、このテレビ体験が、あまりにも「リアル」というか、現実そのものの領域のように思えたので、本当に「放送局の電波」そのものが「乗っ取られた」のではないかと疑ってしまった。そして、それらの存在は、そのようなテクノロジーをも左右できるし、内容の「宇宙的、SF的」なところから言っても、(邪悪な)「宇宙人」なのではないか、という風に思ってしまったのである。

私は、テレビ局に対して、何かアプローチをしなければならない、と焦燥を感じたが、その時、(けしかけることの得意な)「ルーシー」が、「テレビ局に行って来いよ!」とまた、強くけしかけてくる。つまり、テレビ局に行って、「この電波は乗っ取られたから、放送は中止せよ」とでも叫んで来いということなのである。

私は、一瞬、そうする気になってしまった(それほど衝撃的なものがあった)のだが、前に実家で「家出」をしたときとは異なり、「ルーシー」の「けしかけ」には気づいたし、かえって警戒することにもなり、それはしないで、様子をみることにした。ただ、私は再び、自分の見ている世界が「現実」のものなのか、自分だけが見ている世界なのか、混乱する状況におかれてしまった。

その後、(テレビをつけることもほとんどなくなったのだが)、しばらくは、そのような強烈な幻視的世界が出現することは落ち着いた。しかし、これらの存在は、「宇宙人なのか」などと考えていると、またすれ違う人の背後から、「ハハハ、宇宙人!」と嘲笑されることが続く。「アニマ」までが、「私の本性これよ」と、いわゆるグレイタイプ(しかし、目は非常に澄んでいたのが印象的)の宇宙人の映像を見せて、「からかう」ようなことをする。

ここに来て、いったんはユングのいう「元型的イメージ」ということで落ち着いたこれらの「存在」たちが、一体何であるのかということが、改めて問題となり始めた。「アニマ」などは、自分の無意識の現れとして理解することで身近なものとして引き寄せることができていた訳だか、改めて距離のようなものも意識せざるを得なくなった。(ただ、相変わらず「アニマ」と呼んでいたし、一緒にいることで気持ちが安らぐことには変わりはなかった。)

後にも検討するが、一般的な個人的な無意識の「投影」にしても、ユングのいう「元型的イメージ」にしても、決して、そういうものがないということではない。ただ、もはや、それに「尽きる」ということで納得するのは無理な状況になったということである。そして、私の場合、このように無意識の「投影」と理解しようとしたことには、はっきり一つの防衛的意味合いがあったと思う。つまり、「未知の他者」として現れているものを、何とか自分の身近なものに、さらには実在的でないものに引き寄せることで、「ショック」を和らげようとしたということである。

いずれにしても、これらは(物理的なものであるかのように現れることもあるが)、一つの「霊的存在」であることには疑いがなかった。そして、ここに来て、それらが、前に読んでいたカルロス・カスタネダのいう「精霊」なのではないかという考えが浮上した。

当時、「シャーマニズム」というものは少しだけ知っていたが、そこに出てくる「精霊」とか「霊的存在」というのには、既に近代人として陳腐なイメージをもってしまっていた。ただ、カルロス・カスタネダの場合、西洋人としてアメリカインディアンのシャーマンであるドンファンのいう「精霊」の世界を、自ら体験して、詳細に記述しているのである。

それは、何か陳腐なものというよりも、恐怖に満ちた「未知の力」として、訳の分からないままに具体的に描写されている。その描写は、今自分の体験している「世界」とかなりピタリと符合すると思えたのである。(それは、後になるほどさらにそうなってくる)

実際、それは「古い」どころか、「宇宙人」ともみなし得るほど、「宇宙的」な広がりと「現代的(テレビの例でみたように、高度なテクノロジーとも決して疎遠ではないと思わせる)」な要素にも満ちている。そのようなものとしてなら、「精霊」として理解することもできると思ったのである。(実際、今も改めて、分裂病(的)体験と「シャーマニズム」の特に「イニシエーション」の体験とは、最も近いのではないかと感じる。)

但し、カスタネダがほとんど「善悪」の観念抜きにそれらを描き出そうとしていたのに対して、私はどうしても、「善悪」とか「私に対して味方か敵か」という観点から、それらを見てしまうということはあった。それで、大枠的にいえば、「アール」及び「ルーシー」=「悪」または「敵」である「精霊」(悪魔)。「背後の存在」=「善」または「味方」である「精霊」(天使)。「アニマ」=中間的な「精霊」という区分けになって行ったのである。

一方では、想像力が非常に活性化し、それが独自に展開して、「宇宙的」あるいは「神話的」な内容のイメージとして現れるということが続くようになった。これは、それまでの、幻聴や幻視のように直接その場に他者のものとして現れるというよりも、私自身の心の奥から沸き上がって来ていることの自覚はあるもので、私は、その展開をただ受動的に見ているのである(「思い出し」というのは、過去の出来事に絡むのではあるが、むしろこれと近いものである。)

ただ、これらの内容もまた、「シュール」というか、多様な「意味」が折り重なるように圧縮されている感じで、容易には言語的に表現し得ないものがある。しかし、森山も第3段階の特徴として、「宇宙的、霊的内容の世界が必ず現れる」と言っているし、 ユングも分裂病の大きな特徴として、この「宇宙性」(または「神話性」)を挙げているので、やはり少しは触れておきたい。

まずは、「地球」ということが大きなテーマとして浮上してくる。「地球」にまつわるさまざまなイメージが展開するとともに、私自身がその「地球」そのものになる(一体化する)ことを味わうのである。これには、物理的な「音」が自分の内部から直接のように響くということがあり、それがさらに発展して、音が、もっと底の地球の内部からのように反響するようになって行ったということも関係している。そこで、私の世界は、まずは地球大に広がり、地球と同一化することをイメージ的に経験するのである。

そこでは、地球の地表をアスファルトで塗ることは、人の皮膚をタールで塗ることと同じで、皮膚呼吸を困難にさせ非常にまずいということ。ただ、今のところは、地表にはアスファルトで塗られていない部分の方がはるかに多いので、それは生死にかかわる問題ではないし、地球はその気になれば、いつでも、人が皮膚上をはうアリを払いのけるのと同じように人を払いのけることができる、ということがイメージ的に味わわれた。

ただ、問題は、石油の発掘などに利用されるボーリングで、これは、人体に見境なく穴を開けることと同じで、内部のエネルギー的な流れを大きく乱してしまうと感じられた。そして、そのエネルギー的な乱れが、私に地球の底の方から響いてくる不穏な音にも反映されていると思われた。

しかし、そこで、この辺が「微妙」というか「危ない」ところなのだが、私は、家の近くの人が庭で植木を植えるためか地面を一生懸命掘っていたのだが、その時、ふと、「地球がいやがっているから、止めてくれ」 と詰め寄りそうになってしまったのである(そうしていれば、まず頭がおかしいと思われるし、病院に連れて行かれた可能性もある。)

現実的にいえば、庭を掘るのと大規模なボーリングとはレベルが全然違うのだが、このときは、ちょうどそのような発想が出て来ていたときであり、その掘る音から本当に「痛み」を感じ、このような衝動に駆られてしまったのである。分裂病(的)状態では、これに近いこと、つまり、ある事態(それ自体は決して本質的に間違いではない)を自分に身近なレベルのものに即物的、あるいは視野狭窄的にあてはめてしまって、それに対して、衝動的に反応をしてしまう、ということが起こり易いのだと言える。

さらに、このようなイメージは、「地球」から「太陽」さらには、なぜか「土星」へと広がっていった。それぞれ、「神話的」な内容の「物語」が展開し、またそれと「同一化」したと感じることがあった。特に「太陽」では、自分が「太陽」であり、「アニマ」が「月」であるというイメージから、「太陽」と「月」を巡る様々な宇宙的出来事と、それが地球の歴史や現在の文化にも反映しているかのような内容のものが展開された。

また、太陽と同一化したと感じたときには、自分が意識を強く張り詰めると太陽が強く輝き、それを弱めると輝きが弱まるということをはっきり体感し、恐ろしくなるということがあった。

この点についても、これを「自分」なるものが「太陽」と同一化(拡大)した、あるいは、自分は太陽を支配できる、などと受け止めてしまうと、端的に「誇大妄想」となる。この状態では、日常性をかけ離れた様々な宇宙的イメージが現れ、それは連想などにより止めなく発展して行くので、「誇大妄想」の元はほとんど無限にあるといえる。第2段階の「幻聴」段階での「問題」が、「迫害妄想」であるとすれば、この第3段階の「夢幻様状態」での「問題」は、「誇大妄想」なのだと言える。

私自身、かなり「誇大妄想」的な発想も持ちかけたが、それは様々な存在との関わりで、自分自身が「影」に過ぎないことを思い知らされることなどを通して、そう長く続くものでもなかった。

実際には、この「同一化」は、むしろ「自分」という境界が揺らぎ、あるいは外されたことで、自己と外界があるレベルで「融合」した(ある意味、本来の「つながり」の状態が浮上した)と感じることから、「一時的」に起こるものといえる。それは決して単純な錯覚ではなく、そこには、確かに厳とした「リアリティ」、それも外界との区別が前提である「日常的リアリティ」よりも、直接的で強烈なものがある。ところが、一方で、それは、それまでの「自己」という拠り所を失っていることの、「補償」として作用する面もあるといわねばならない。

いずれにしても、それを端的に「自己」そのものの拡張と捉えるのは、「自己肥大」以外の何ものでもないことになる。そこで、このような微妙なイメージの受け止め方については、後にユングなどを参照しながら、再びとりあげたいと思う。

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