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2005年12月

2005年12月27日 (火)

13 「妄想」に振り回されること

まず始めに出て来たのは、「あと10年!」という強力な言葉である。誰に言われたか、いつどのような状況で言われたかは「思い出せ」ないが、その飲みに行った時に起こったことの重要な手掛かりであることは、間違いないと思われた。また、その断定的で、「有無を言わせない」強烈な言葉の響きには、逆らいがたいものがあったので、これが何を意味するのか、真に受けて、考えざるを得なかった。

それは確かに、一見「人間の言葉」なのではある。しかし、人間の発するこういった言葉の場合、そこには何かしら感情的なものが入り込む。例えば、怒りや反感、恨み、妬みなどで、その感情的な部分を「分かる」ことで、どこか「身近」に引き寄せることができ、対処の仕方も出てくるものである。しかし、この言葉の場合、そういった「人間的」な感情は感じられない。ただ、その強烈な響きや、威圧感、逆らいがたい感じは特別のもので、その「得体の知れなさ」が恐怖を催させると同時に、真に受けるしかない気分にさせるのである。

その時点では、その言葉と逆らいがたい強烈な響きだけが、「思い出され」たのであって、ほかの要素は何も浮かび上がらなかった。しかし、後に(映像を含めて)「思い出し」て明らかになったところでは、この「あと10年!」という言葉は、飲みに行ったときに、待ち合わせの場所で、いきなり、5体ぐらいの人間の姿をした何者かに囲まれて、指を指されながら、合唱するように言われたのである。意表をつかれたこともあって、私は、ただ唖然としてたじろぐことしかできなかった。

それは、まさに、最初の「一撃」で、文字通り、一連の体験の「引き金」となったものである。その時の中心的な「存在」(ある一貫したキャラクターを持った意識ある存在であるかのように、その後もずっと出てきて関わることになるので、とりあえずそう呼ぶ。検討は後にする。)は、前の日記では、シュタイナーの「アーリマン」からとって、「アール」と名づけたものである。

それは、かなり長い間、試行錯誤しても決して「分から」なかった事態を、真に明るみに出す鍵であると思われた。どうしても「届か」なかったあるものに、やっと手が届き始めた思いであった。ただ、その時点で、私はこの体験が、「日常的な現実」のレベルのものではなく、「見えない」レベルの強力な力このように、「言われたこと」を真に受けて、それについてあれこれ詮索する傾向は、その後もしばらく続いた。そして、それが「妄想」的発想の根拠として大きく作用した。これまでは、具体的な「妄想」というのが、まだ形作られるには至らなかったが、それはそのための具体的な手掛かりがなかったことにもよる。既にみたように、起こっていることに(現実の延長線上で)理由を見いだそうとすることが、「妄想」への強い指向を生み、目からうろこが落ちるように「分かった」と思うことこそが、「妄想」の確信を生むのであった。「手掛かり」が見え始めたことは、まさに、そのような「妄想」の「材料」が提供されたということでもあった。

ただし、「言われたこと」というのは、この時点では、まだ明確に意識して聞いているのではなく、まだ半ばあるいはほとんど無意識で聞いているのである。つまり、まだ、「幻聴」(「声」)としては十分には意識されていないのである。幻聴を意識するというのは、相当に研ぎ澄まされた状態になくてはならず、かなり大変なことだと改めて思う。

しかし、その影響力という意味では、むしろ半ば無意識状態、軽く意識を捉えているぐらいの状態の方が、意識して聞いている時よりも、モロに受けやすい気がする。それは、催眠暗示などの場合と同じであろう。(逆に、全くの無意識で、意識に上る可能性すら薄いようなものは、意識に影響を与えることはできない。)

何しろ、この段階では、何かしらを「聞いている」感じはあったが、「幻聴」としてはまだ十分意識されていなかった。しかし、その半ば無意識的な幻聴の「声」に、「吹き込まれる」ような形での「妄想」が多く発生し、それに振り回されることが続いたのである。(森山の段階でいえば、第1段階あるいは第2段階への移行期に当たるだろう)

「あと10年!」という言葉は、始め「私の寿命」を意味していると思った。多少怖くはなったが、今このような状態にあるのに、あと10年もあるというのは、逆に長くも感じられた。しかし、直に、これはどうも「地球の寿命」を言っているようだと感じられる。それには、当時の世紀末的な気分も反映されていただろうが、実際、世相から言っても、少しもあり得ないことではなかった。が働いていることを、はっきり意識せざるを得なくなったのでもある。

また、その強烈な断定的な言い草は、「予言」というよりも、一種の「宣言」というか、自分らが「そうする」といった意味合いを込めているようにも感じられた。それもまた、恐怖を催させるもとだったが、私はその時点で、何か、途方もない「邪悪な力」と関わっているように感じざるを得なくなった。(なお、当時の10年後とは、2001年に当たる)

いずれにしても、この言葉によって、当初形の見えない「恐怖」としてあったものの「実体」が、漠然とながら見え始めたといえる。それは、相変わらず「未知」のものであり、ますます恐怖を膨らませるものでもあったが、重要な「糸口」が開かれたことは確かだった。

それにしても、この言葉の威力は、後々までずっと影響を引きずったし、後の「宇宙の死」につながる「世界」の崩壊の予兆ともなったと言える。

さらに、そこで、もう一つ、重要で「人騒がせ」な「言葉」を思い出す。それは「私、その本読み過ぎて頭がおかしくなったのよ」という(女性の)言葉である。飲みに行ったときのものではないが、やはりそのときの出来事と大きく関係すると思われた。

これは、後に「思い出し」たところでは、ある人の家で本棚にあった本に目を向けたときに、その人物の「背後」から、 聞こえたのである。この言葉は、先の「アール」のように威圧的とか、圧倒的ということはないが、やはり人間の言葉とは異質の独特の誘惑的な響きを持っている(やはり、強力に「意味ありげ」に聞こえ、真に受けてしまうところがある)。この言葉を発した「存在」も、後にずっと身近に関わることになるもので、私自身、ユングのいう「アニマ」と見立てて、そう名づけたものである。

しかし、当時は、状況の記憶が漠然としていたので、その人そのものが言ったものであるかのように思ってしまった(実際、多くの者が、そのように人間の背後からの「声」を、その人間そのものの声と錯覚してしまうのだと思う)。そこで、私は、この言葉に関しては、ほとんど「現実レベル」の「妄想」に近いものを持ってしまったのである。つまり、この人は、何か私の状態について、重要なことを知っているのではないか、という思いが起こったのである。それで、それがどんな本だったか、焦燥のもと、必死に「思い出そう」としたし、その人にそれを聞き出そうとも思ってしまったのである。

当時、私は少し「手掛かり」が見え始めたこともあって、このようなことは、絶対何かの本に書いてあるはずだ、という思いが起こっていた。「未知」のものを感じさせるとはいえ、これまでこのような体験をした人が、それを本に書いていない訳はないと思ったのである。だから、この言葉は、その重要なヒントであるかのように、作用してしまったのである。

ただ、この言葉に関しては、それを聞き出すようなことも思い止まり、その言葉にもそれほど囚わわれることはなくなった。というのは、冷静な判断ができたというよりも、次々に似たような言葉の「思い出し」や出来事が洪水のように押し寄せて来ていた(但し、当時は半ば無意識)ので、もはやそれにばかり囚われている状況ではなくなった、というのが本当である。

そして、その次には、実際に「行動」を起こす寸前にまで行ってしまう「妄想」が沸き起こる。それは、一種の「家出」というか、「この家を出て、何もかもを捨てて、(前の電話に出てきた)友人のところへ行く」というものである。突拍子もないようだが、このような「妄想」が出て来たのには、それなりに様々な状況が重なっている。だが、直接には、やはり半ば無意識に、また別の「存在」の「声」に、そのように「吹き込まれた」からといえるのである。

それは、前の「アール」のように威圧的ではないが、やはりそれに似た、独特の逆らいがたい響きで、何かと「命令」というよりも「けしかけてくる」存在の声で、前の日記ではシュタイナーの「ルシファー」からとって、「ルーシー」と名付けた。後に、その言葉を意識するようになると、それを真に受けて行動に移すようなことはほとんどなくなる(声に「アール」ほどの威厳というか真実味がないのも大きい)が、このときは、半ば無意識だったのと、強い焦燥にかられていたこともあって、実際にそうしようと家を出ることになったのである。

強い焦燥というのは、これは本当に途方もない、何か人類の存亡に関わるような、邪悪な何者かを相手にしているのだという意識が出てきたのと、それは、私に対しては、発狂に追いやって、精神病院に閉じ込めようとしているのだ、という思いが出てきたのがある。

両親ですら、そのような「力」に「使われる」可能性があり、ここにいることは危ないと思った。実際、私は極力そう見えないように振る舞っていたつもりではあるが、両親からすれば、いくらか「おかしい」ことは感じていたようである。また、それらの何者かが、背後から人を「使う」ことがあるのは、これまでに自分に起きた出来事を思い出す過程で、少しずつ明らかになっていたことでもあった。

しかし、実際には、そこで「吹き込まれ」たままに、焦燥のもと家を出て、街や駅の周辺を出歩くことの方が、よほど何かをしでかす危険が高かったのである。この時、意識レベルではまだはっきり幻聴を意識しないが、すでに継続して「声」をしかけられている状態にあり、意識状態も、催眠に近いほとんど「夢遊病」のような状態にあった。そこでは、まともな思考や意志は働かず、実質的には、第3段階の「させられ体験」の状態にあったといえるのである。

そこで、バスに乗って駅に行くつもりで、途中で降り、出歩くことになるのだが、とにかくパニック状態に近い焦燥で混乱していて、周りもまともに見えていない。そこでは、後に「思い出し」たところでは、本当にいろいろなことがあったのだが、意識レベルでどれだけそれらを自覚していたかは、あまりはっきりしない。

ただ、途中歩いてすれ違う人が、何故か皆「悟って」いる人に見え、私だけがこの地球で一人取り残されたかのように思えたこと、途中タクシーに轢かれそうになるが、その運転手の怒っている顔が、本物の「鬼」そのものに見えたことは、はっきり意識できたものだった。それ以外にも、先の「アール」や「ルーシー」に、いろんなことを「しかけられ」ていて、いやでも病院に連れて行かれることをしでかす可能性が、たくさんあったのである。しかし、何とか、そのようなことはせずに、最後には、駅の周辺をぐるくると何度も回ったが、ふと我に帰る瞬間があり、目が覚めたように、引き返して家に戻ることができた。

この体験は、まだ起こっていることを意識化できない段階での、一つのピークのような体験だったと思う。今思っても、ギリギリの状態だったし、まさに「発狂」そのものの状態を味わったとしか言いようがない。

その後も、家でいろいろなことがあったが、そこで私は、やはりアパートに戻って一人で向き合うべきだと考えた。それは、先の「家出」の場合と違って、自分なりに冷静に考えてのことである。

それは、基本的には、近くに人がいると、どうしてもこのような事態に巻き込んでしまう可能性があり、それはむしろ混乱を広げる、ということである。単に「病気」ということではなく、何か、実質的に、このような事態について知っていたり、慣れている人ならいいが、そうでない場合は、正直言って、近くにいることは、あまり「足し」にはならない。(食事その他、もちろん助けになる面はあるにはあるが、このような事態については、理解の基盤がないのだから仕方がない。そういう意味でも、「病院」とは別に、本人がそれと向き合うことをフォローできる環境の、中間的な施設が必要だというのである。)

私は、自分自身が、はた目には「おかしく」見えることがあるだろうこと、それは客観的には、「分裂病」といわれる状態であることは、既に自覚していた。

しかし、「病院」に入れられることを恐れる、といったこととは別に、医師に相談するとか診てもらうとかいうことは、もはやあり得ないことになっていた。それは、たとえ真摯な医師であっても、このような事態を理解してもらうことは、もはや絶望的に無理であることが、明白だったからである。私自身、まだこの時点で、何か理解を得た訳ではないが、少なくとも、既成の医学やその周辺で、理解できる性質のものではないことは、疑いようのないものになっていた。

ただ、相談するとしたら、後に紹介するユング派の臨床心理家とか、霊能者だろうとは思ったし、実際、相談することを考えた人はいる。が、結局は、それもしないことになった。それは、いくらか「見え出し」たこの時点で、「何とか自分で解決できるのではないか」という思いが強く芽生えていたことにもよる。

両親も、身体的にはある程度回復したとみていたようだし、私も元気であるように振る舞っていたので、アパートに戻ることに特に反対はしなかった。

そういう訳で、アパートに戻って、また張り詰めた状態で一人で居ることが続くことになる。それは、事態としては、当然ながら、さらに(「発展」ではなく)「深化」していくことを意味した。 

2005年12月22日 (木)

12 初めの「引き金」体験

既に述べたように、私の体験については、当初から意識された部分と、当初は無意識レベルで体験されていたが、後に「思い出す」という形で意識化されたものとがある。この「思い出す」というのは、「閾下知覚」といわれる、意識されなかった知覚の「周辺」が記憶に蘇るというのとは、大分異なる。「思い出す」ことがらは、単に知覚の周辺というのではなく、むしろそれを含みつつ(物理的現実の範囲を超えて)「背後」に広がる全体的な状況だからである。

(それは「共通の知覚とは異なる知覚」という意味で、「幻覚」であるのは本当である。また、「見えない世界」とか「霊的世界」、「異次元の世界」などの言い方もできようが、今はそのような「限定的」な表現は取らないでおく。但し、通常の「物理的現実」に収まる出来事でないことは、はっきりさせておかなくてはならない。)

実際、この両記憶は、後のものがより包括的で、明確なので、前者の記憶というのは、後者に解消されるようにして、大分希薄化しつつある。また、森山のいう第3段階当たりになると、この両者は、ぼぼ融合し、現にリアルタイム(但し、多少のラグがある場合も多い)で意識されているものが、ほとんど体験の「すべて」になる。

(この「思い出す」ということは、具体的にどういう状況なのかは、私の体験を一通り述べた後にもう一度取り上げてみたい。)

ただ、ここでは、無意識の過程、あるいは意識化の過程ということを明らかにしたいので、この両者をはっきり区別して述べなければならない。当初から意識された部分と、当初無意識であったが後に意識化された部分とを対比することで、幻覚や妄想が特に無意識レベルで、どのように形成されていたかが、明らかになるからである。

そこで、後者の「思い出し」による包括的な記憶はとりあえず置いて(必要な範囲で並行的に補充することもある)、まずは、前者の当初から意識された記憶をたどることから始めたい。それは、既に希薄化しつつはあるが、「妄想」や「幻覚」の形成過程という観点から、重要と思われる点については、十分明らかにできると思う。

まず、私の一連の体験にとって決定的な引き金となった出来事というのがある。それは、前者の記憶から言っても、後者の記憶から言ってもそうである。

それは、久しぶりに学生時代の友人と飲みに行った時のことである。当時(15年ほど前)、私はアパートに住み、仕事も止めて、ある資格の勉強をしていて、一人でいることが多かった。そのような「閉じこもり」がちな状態が、この時にも、その後の体験にも様々に影響したことは確かである。しかし、そのような環境が体験に及ぼす意味については、後にまとめて述べようと思う。

この日は、はっきりいつもと違う「違和感」のようなものを感じていた。電車で待ち合わせ場所に向かうときには、それはかなり強くなり、いやな「予感」と言っていいものになっていた。

ただ、当初の記憶をたどる限り、その飲んでいる場では、特に取り立てて何かがあったというほどの意識はなかった。「違和感」のようなものはずっと続いており、その場にうまく「入れ」ず、いつもとは違う振る舞いをしていたことは確かだが、取り立てて、何かしたという意識は、少なくとも意識レベルでは生まれなかったのである。

しかし、帰りに、電車に乗る頃には、何か「とんでもないこと」が起こり、また、私自身も、何か「とんでもないこと」をしでかした、といった思いが出てきていた。その時点では、特にそれを詮索するということはなかったが、ただ、エネルギーを使い果たしたかのような、強い虚脱感を感じ、また深く気分が落ち込んだ。ある種、「死」を宣告されたかのような気分に陥っていたのである。

その間、周りの者が何故か自分に異様に注目しているように感じられた。そして、電車の席では、前に座っている者が皆、「光り輝いて見える」ということがあった。それは、単なる比喩ではなく、実際、明らかに「光り」を発し、しかも、皆「天使」のようなほほ笑みを浮かべていたのである。それは、私を「祝福」しているかのようだたったが、私自身は、強い虚脱感と落ち込みの状態にあったので、全く状況にそぐわず、むしろ苛立たせられた。それで、以後周りを見ないように、うつむいたままいることにした。

この飲みに行く時の行きの「違和感」や、帰りの状態は、明らかに、『精神医学ハンドブック』でみた「妄想気分」に当たる。つまり、分裂病の「症状」としてみると、最も初めの入口である。

家に帰って、どれぐらいしてかは覚えていないが、身体の底から、何か強烈なエネルギーが込み上げて来て、体が震える、ということがあった。これは、一連の体験が本格的に始まることの幕開けとなった。

初めは、この飲みにいったときに、何か「とんでもないこと」が起こり、私自身も、何か「とんでもないこと」をしでかしたという思いが、強く確信めいたものとなって出てきた。それは無視することができないもので、何としてもそれを知りたいという思いが強くなった。

それで、そのときの友人に電話をかけて、それとなく「聞いてみる」ということをした。しかし、その友人は、特に取り立てて何もなかったというし、それは本心からののものであろうことは電話でも感じられた。しかし、「何か起こった」ということだけは、どうしようもなく確かなものとして既に生じていたので、私は納得が行かず、戸惑った。

(このように、「起こった」ことをそのときに居合わせた者に「聞く」ことがいいのかどうかは、微妙かもしれない。人によっては、気味悪がったり、病気の疑いをかけてくると思う。しかし、私は、このときの感触で、この「何か起こったこと」は、誰か他人に聞いて「分かる」性質のものではないというのを、それとなく感じ取ることができた、という意味では良かったと思う。結局、自分一人でそれに向かい合わなければならなくなった訳だが、しかし、以後、このようなことを誰かに聞いたり、問いただしたりということを、―しそうになったことは何度かあるが―しないで済んだからである。)

「何か起こった」ことは間違いないという思いは日に増し、それは得たいの知れない「恐怖」を感じさせるものになり始めた。しかし、普通に「思い出そう」としても、まるでピンと来るものが出てこないのである。

また、その頃、やはり外に出ると、人が自分に注目し、何か「言ってくる」ように感じられた。初めはまだ、具体的に何を言っているとか、言ってくるのが「確か」なことだとかは思えないが、周りの状況が「おかしい」ことははっきりしている。要するに、自分を取り巻く世界が、その飲みに行った時を機に、異様に、また私にとって親しくないものに、変化し始めたのである。それは、やはり、その時に「起こった」ことが関係していると思わざるを得なかった。

「おかしい」ということははっきり自覚し始めた。自分は病気、それも「分裂病」にかかったのではないかと思い、それがますます恐怖を煽った。「分裂病」に対しては、一度だけ簡単な解説書を読んだことがあって、興味は持ったが、よく「分からない」というのが本当だった。ただ、『ルポ精神病棟』という、精神病院の実態をルポした本を読んでいて、それは強烈に印象に残っていた。それが、恐怖を増すことや、後の「妄想」にもかなり影響した。

その後、いく程かして後、もう一つ、重要な契機となった出来事がある。それは、両親のいる実家にしばらく泊まる、ということである。しかし、それまでに起きたことは、当初の意識レベルでは、あまり具体的には思い出せない。

ただ、実家に帰る時点では、まだはっきり「幻聴」を意識していなかったし、「妄想」も特に具体的な形では現れていなかったのが確かである。

しかし、実家に帰る前、私は20日間ほど、食事も取らず(但し、毎日缶コーヒーを1,2本とタバコ2箱は必需品だった。睡眠については、眠れない時期もあったが、眠るとなると、10時間以上も死んだように眠った。)、ずっと張り詰めた状態にいて、本当に痩せほそろえていた。それが帰るきっかけになった訳だが、その間何をやっていたかというと、要するに、飲みに行ったとき、「何が起こったのか」について、「あーでもない。こーでもない」と、ずっと思いを巡らせていた訳である。あらゆる可能性を考えた気がするが、具体的に何を考えたかは、あまり思い出せない。

何しろ、これまでの経験や知識を総動員して考えても、その起こった「何か」がつかめないのである。何か途方もないことが起こったことだけは確信としてあり、実際それまでに経験のない恐怖によっても、それが肌で確かめられるのだが、その実態は、一向に明らかにならないのである。脳は限界状況的に酷使されていたし、実際、脳の中で「シュワー」という音がするのが聞こえたこともある。今思っても、その時期が一番「辛かった」と思う。

後に、ある程度「恐怖の実体」が見え始めてくるときも、「恐怖」という意味では、相当のものがあったが、むしろ形が見えてくることは、初めの「どうしようもない状態」からは、脱皮できることを意味した。

しかし、ここまで考え尽くしても「分からないことが分かった」ことは、その「起こった」ことが、通常の「現実レベル」での出来事でなかったことを、示唆するには十分だったとはいえる。無意識レベルでは、ほぼ当初から、それが「未知」のものであることは、十分感じ取られていたようだが、この辺りで、意識レベルでも、それが「未知」のものであることを感じ取り始めたことになると思う。

(私は、何か本当に「そうだ」と思えるものが出て来ない限り、それは「違う」ということで処理した。言い換えれば、いずれは、何か「それだ」というものが、見えてくるに違いないという直感があったので、それに「届かない」ものは、違うこととして処理できた。例えば、「組織」やその場に居たある者など「現実レベル」のものが、自分を「陥れようとしている」といった「妄想」的な発想も出て来たが、それは「違う」あるいは「あり得ない」という冷静な判断もできていた。但し、「現実レベル」ではない領域まで含めると、それは後にみるように、かなり怪しくなる。)

そういう訳で、実家に帰る訳だが、張り詰めていたものがいくらか緩んだことも関係するだろう。そこで、「起こったこと」の手掛かりが、いくらか見え始めたのである。

2005年12月14日 (水)

11 「3段階」の捉え方~意識化の過程

これらの3段階は、もちろん典型的なケースをもとにした、一つのモデル的な試みに過ぎない。が、表に現れた現象としてみる限り、多くの場合に、よく当てはまるのではないかと思われる。私自身の場合も、当初意識にのぼった部分を見る限り、実際ほとんどこのとおりに発展して行ったのである。

また、それぞれの段階の説明も、それなりに説得的なものがあると言える。少なくとも、「了解不能の脳病」というのとは、大きな違いである。

しかし、先に結論のようなことを言ってしまうと、これら妄想の発展段階として捉えられたものは、実際には、無意識に潜伏していたものが、より明瞭かつ具体的に意識化されてくる過程である、と言うべきなのである。つまり、各段階でみたものは、発展の結果新たに出てきたものなどではなく、元々無意識に潜伏していたものが、徐々に意識化されることによって,より具体的に捉えられた姿なのである。

従って、「発展」ではなく、「深化」というのが正しい。そして、それは、分裂病にとって本質的なものは、起こっていることがより明瞭に捉えられた、第3段階にこそ指し示されている、ということをも意味している。それは、形は「見えない」ながらも、第1段階からずっと基底にあって、様々に力を発揮し,方向づけを与えていたのである。

そこで、もう一度、第3段階として表現されたものの「状況」をみてみよう。「させられ・つつぬけ体験」というのは、既にみたように、端的に言えば、「自己と外界(内と外)の境界が揺らぎ、融合してしまう状況」を表現したものと言える。そして、そこでは、従来の「自己」は、何かしら圧倒的な「力」に、蹂躙され、あるいは支配されている。

また、「夢幻様状態」というのは、そのように自己と外界の融合した状況がいわば宇宙大にまで拡大し、それが、もはや「瀕死」の状態にある「自己」に対して、強烈に破壊的に作用する夢幻的な世界であると言える。

こういった状況は、言うまでもなく、それまでのその者の日常性や体験世界を大きく逸脱したものである。それは、紛いなりにも、自己と外界は分離され、区別されるものであることを前提にして、「世界」を組み立てていた者にとっては、「自己」と「世界」そのものの崩壊を「宣言」するごときものなのである。

そういった途方もない状況が、まだ幻聴も意識されない第1段階から、既に何らかの形で無意識には潜伏しており、意識をもかすめとろうとしていた、と考えられるのである。

それは、特に初めの段階では、形としては捉えがたいが、何か強烈な「切迫感」を伴う、「恐怖」として意識される。しかも、それは、既に何かしら、「未知なるもの」であること、「自己の崩壊を予兆させるもの」であることの「予感」を含んでいる。その、これまでに体験のない、「形の見えない恐怖」によって、常に「追い立て」られているような状態というのは、むしろ、幻聴や妄想として、ある程度形が見えてくる(形を与えられる)までよりも、いかんともしがたい「苦痛」なのである。

それで、その者は、焦燥にかられつつ、それが何であるのか、それまでのあらゆる経験や知識を総動員して問い詰めずにはいられない。しかし、一方では、そこには、理解しがたい「未知性」、自己を脅かす「崩壊の予兆」が、そこはかとなく「予感」されている。それで、その状況が、そのまま浮上することに対しては、意識の側の強い抵抗、防衛を引き起こすのである。

「妄想」というのは、そのような葛藤の場に生まれるのである。つまり、起こっていることに早く「形」、「理由」を見いだしたいという思いと、未知の状況がそのまま浮上することに対する防衛意識の葛藤の結果が、その者の「それまでの現実に無理やり当てはめて状況を解釈する」という、「妄想」への指向を生んだのである。

例えば、「組織に狙われる」などの「妄想」は、潜伏している、「未知の状況」、「自己と外界の融合するごときある全体的状況」が「自己」の崩壊を差し迫る、といった事態を、「現実」の領域に無理やり当てはめて、解釈されたものである。「組織」というのは、その「潜伏する状況」(それは、一種の「内的なつながり」の元に浮かび上がる)を、「現実」のレベルにおいては、それなりによく反映するものには違いないからである。

その意味では、「妄想」というのは、森山が言うように、段階的に「拡大」するのではなく、逆に、本来の状況が、無理に「宿小」されて出てきているものなのである。

それは実際、「無理」のものなので、「現実」にはあり得ない「誤り」としてはっきり反映されてしまう。だが、それでも、本人にしてみれば、「形の見えない恐怖」が続くことや、自己のそれまでの「現実」の崩壊を認めることよりは、まだしも「受け入れられる」ことなのである。

さらに、そのような「妄想」世界に閉じこもることは、非常に捩れた形ではあるが、一応とも、「現実」との接点を維持させるものだし、潜伏している状況が浮上することに対しては、一種の「防波堤」の役割をも果たすのである。森山は「常道化」というが、まさにそのような「常道的な行為」の繰り返しにより閉じられた世界が、その役目を果たすのである。

しかし、それにも拘わらず、その潜伏している「状況」は、表出しようとする力を弱める訳ではない。「妄想」は防波堤の役目をなすが、しかし、それは、破綻を秘めた危ういものでもある。もともと、「無理」に押し込められたものだからである。それは結局、意識の側の防衛や抵抗という葛藤を経つつも、概ね、徐々に明瞭に意識化されてくることになる。その過程が、第2段階の「妄想・幻聴」段階、第3段階の「させられ・つつぬけ」段階として、反映されているのである。

第3段階というのを、第1段階からの「妄想」が、より「非現実性」を増した「成れの果て」の姿のようにみていると、このようなことは異様に聞こえるかもしれない。しかし、実際には、まさにその「非現実的」なものがそのまま浮上するのを抑えるべく、無理やり「現実」に当てはめられたのが「妄想」であり、むしろその「妄想」が破綻することによって、本来の「非現実的」な「状況」が覆い隠せなくなったものが、第3段階なのである。

その意味では、第3階まで進むことは、「状況」そのものがより「露わ」になるだけでなく、それまでの「抵抗」や「防衛」を外して、「状況」に対する何ほどかの「受け入れ」を示したことをも意味すると言える。それは、なす術もない一種の「諦め」とも言えるけれども、その「あがくこと」を止めることの意味は大きいのである。それは、結果として、何かしら、「治癒的」な働きをすると思うし、もし再発した場合でも、もはや単純に同じ「あがき」を繰り返しはしないだろうからである。

(なお、森山は、症例には、第2段階、第3段階へと進行せず、第1段階の「パラノイア段階」のままずっと止まる場合が、かなりあることを指摘している。これは、まさに強力な「防波堤」の形成に成功した例だと言える。それは、破壊的ともいえる状況の表出をくい止めている点では、確かに「成功」には違いない。しかし、その分、「妄想」への固執は強力で、その後も、それを外すことなどはとてもできないことになろう。)

これらのことは、基本的には、私自身が「思い出す」ということを通して、初めは無意識であった部分が明らかにされたことに基づいている。特に、第1段階では、第2段階とされる「幻聴」の声が無意識レベルでははっきり聞かれていて、第3段階とされる「幻視」も伴っているのが明らかである。それが、第1段階の妄想的発想の根拠として強烈に作用しているのである。また、第2段階の幻聴も意識する段になると、無意識レベルでは、第3段階の「させられ・つつぬけ」体験や「幻視的世界」も既に十分感じ取られ、「自己の破滅や宇宙の崩壊」といった事態も、少なくとも「予兆」としては、十分感じ取られていることが明らかなのである。

そこで、次には、もう少し具体的に私自身の体験をとおして、「妄想」や「幻覚」がいかに形成されてくるかを見てみよう。ここに述べたことについては、さらに補充すべきこと、また森山の見方についても、いくつか言うべきことがあるが、それはその後にしよう。

2005年12月 8日 (木)

10 「症例」の紹介

このような3段階の発展段階を示す、一つの典型的なケースが、「症例A」として挙げられているので、その概略を紹介しておこう。

[対人恐怖段階]
大学卒業後アパート生活をしていたが、30過ぎ頃から、よく眠れなくなってきた。毎日酒を飲むようになった。不況が悪化する中、自分がリストラの対象なのではないかと疑念を持ち始めた。仕事の疲労、心労のため不眠も悪化し、自分が日中もアルコール臭をさせているという噂が社内に流されているように感じ始める。

[第1 パラノイア段階]
あるとき、上司に誘われて飲みに行く。遅くなったので、カプセルホテルに泊まるが一睡もできない。そのまま翌朝出勤すると、朝礼で事業報告をする予定だったのに、そこには上司3人しかいない。おかしい、これは自分をやめさせる筋書きだ、と思い込んで、そのまま会社を飛び出る。すると、途中の電車でも常に人に見張られ、付け狙われている。カメラ中継者が止まっているが、それは「会社の指示で自分を撮影するため」なのだと思い込む。

[第2 幻覚・妄想段階]
その後も家から出ると、人に付け狙われる。目指す駅で降りると、黒い車が止まっている。この頃から周囲の風景も変わり始め、他人との間に「現実感」がなく、白黒のような世界になる。付け狙われる感じは強くなる。家に帰ると、テレビまで自分の悪口を言っている。アナウンサーが、自分を誹謗・中傷してくる。毎日悶々とし、一睡もできなくなる。

[第3 つつぬけ・させられ段階(夢幻様状態)]
翌朝、助けを求めて父親宅に行く。そこで「宇宙人」が現れ、宇宙人が地球に侵入し、この宇宙人から監視されていると感じる。一方、日本の国家レベルで自分に何事かを隠していると思う。父も弟もマインドコントロールされ、自分も含めた3人が何かの実験台にされているとも思える。

たまらず「神」に助けを求める。無神論者の彼に「神」が感じられ、神は地球だと感じられた。その神とゲームをし、地球を賭けて負ける。何万年来の人類の歴史を自分が壊したと恐怖に襲われ、世の中のルールが破綻し、この世は終わると思う。その夜明け、精神科に行く。焦燥の極限で精神科に着くと、現れた医師が鳥に見え、「鳥類を代表して自分を捕まえに来た」と思う。以後、彼の記憶は全く途絶える。

しかし、その後、この者は、入院後3ヶ月後には、元気に退院したということである。

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