13 「妄想」に振り回されること
まず始めに出て来たのは、「あと10年!」という強力な言葉である。誰に言われたか、いつどのような状況で言われたかは「思い出せ」ないが、その飲みに行った時に起こったことの重要な手掛かりであることは、間違いないと思われた。また、その断定的で、「有無を言わせない」強烈な言葉の響きには、逆らいがたいものがあったので、これが何を意味するのか、真に受けて、考えざるを得なかった。
それは確かに、一見「人間の言葉」なのではある。しかし、人間の発するこういった言葉の場合、そこには何かしら感情的なものが入り込む。例えば、怒りや反感、恨み、妬みなどで、その感情的な部分を「分かる」ことで、どこか「身近」に引き寄せることができ、対処の仕方も出てくるものである。しかし、この言葉の場合、そういった「人間的」な感情は感じられない。ただ、その強烈な響きや、威圧感、逆らいがたい感じは特別のもので、その 「得体の知れなさ」が恐怖を催させると同時に、真に受けるしかない気分にさせるのである。
その時点では、その言葉と逆らいがたい強烈な響きだけが、「思い出され」たのであって、ほかの要素は何も浮かび上がらなかった。しかし、後に(映像を含めて)「思い出し」て明らかになったところでは、この「あと10年!」という言葉は、飲みに行ったときに、待ち合わせの場所で、いきなり、5体ぐらいの人間の姿をした何者かに囲まれて、指を指されながら、合唱するように言われたのである。意表をつかれたこともあって、私は、ただ唖然としてたじろぐことしかできなかった。
それは、まさに、最初の「一撃」で、文字通り、一連の体験の「引き金」となったものである。その時の中心的な「存在」(ある一貫したキャラクターを持った意識ある存在であるかのように、その後もずっと出てきて関わることになるので、とりあえずそう呼ぶ。検討は後にする。)は、前の日記では、シュタイナーの「アーリマン」からとって、「アール」と名づけたものである。
それは、かなり長い間、試行錯誤しても決して「分から」なかった事態を、真に明るみに出す鍵であると思われた。どうしても「届か」なかったあるものに、やっと手が届き始めた思いであった。ただ、その時点で、私はこの体験が、「日常的な現実」のレベルのものではなく、「見えない」レベルの強力な力が働いていることを、はっきり意識せざるを得なくなったのでもある。
このように、「言われたこと」を真に受けて、それについてあれこれ詮索する傾向は、その後もしばらく続いた。そして、それが「妄想」的発想の根拠として大きく作用した。これまでは、具体的な「妄想」というのが、まだ形作られるには至らなかったが、それはそのための具体的な手掛かりがなかったことにもよる。既にみたように、起こっていることに(現実の延長線上で)理由を見いだそうとすることが、「妄想」への強い指向を生み、目からうろこが落ちるように「分かった」と思うことこそが、「妄想」の確信を生むのであった。「手掛かり」が見え始めたことは、まさに、そのような「妄想」の「材料」が提供されたということでもあった。
ただし、「言われたこと」というのは、この時点では、まだ明確に意識して聞いているのではなく、まだ半ばあるいはほとんど無意識で聞いているのである。つまり、まだ、「幻聴」(「声」)としては十分には意識されていないのである。幻聴を意識するというのは、相当に研ぎ澄まされた状態になくてはならず、かなり大変なことだと改めて思う。
しかし、その影響力という意味では、むしろ半ば無意識状態、軽く意識を捉えているぐらいの状態の方が、意識して聞いている時よりも、モロに受けやすい気がする。それは、催眠暗示などの場合と同じであろう。(逆に、全くの無意識で、意識に上る可能性すら薄いようなものは、意識に影響を与えることはできない。)
何しろ、この段階では、何かしらを「聞いている」感じはあったが、「幻聴」としてはまだ十分意識されていなかった。しかし、その半ば無意識的な幻聴の「声」に、「吹き込まれる」ような形での「妄想」が多く発生し、それに振り回されることが続いたのである。(森山の段階でいえば、第1段階あるいは第2段階への移行期に当たるだろう)
「あと10年!」という言葉は、始め「私の寿命」を意味していると思った。多少怖くはなったが、今このような状態にあるのに、あと10年もあるというのは、逆に長くも感じられた。しかし、直に、これはどうも「地球の寿命」を言っているようだと感じられる。それには、当時の世紀末的な気分も反映されていただろうが、実際、世相から言っても、少しもあり得ないことではなかった。が働いていることを、はっきり意識せざるを得なくなったのでもある。
また、その強烈な断定的な言い草は、「予言」というよりも、一種の「宣言」というか、自分らが「そうする」といった意味合いを込めているようにも感じられた。それもまた、恐怖を催させるもとだったが、私はその時点で、何か、途方もない「邪悪な力」と関わっているように感じざるを得なくなった。(なお、当時の10年後とは、2001年に当たる)
いずれにしても、この言葉によって、当初形の見えない「恐怖」としてあったものの「実体」が、漠然とながら見え始めたといえる。それは、相変わらず「未知」のものであり、ますます恐怖を膨らませるものでもあったが、重要な「糸口」が開かれたことは確かだった。
それにしても、この言葉の威力は、後々までずっと影響を引きずったし、後の「宇宙の死」につながる「世界」の崩壊の予兆ともなったと言える。
さらに、そこで、もう一つ、重要で「人騒がせ」な「言葉」を思い出す。それは「私、その本読み過ぎて頭がおかしくなったのよ」という(女性の)言葉である。飲みに行ったときのものではないが、やはりそのときの出来事と大きく関係すると思われた。
これは、後に「思い出し」たところでは、ある人の家で本棚にあった本に目を向けたときに、その人物の「背後」から、 聞こえたのである。この言葉は、先の「アール」のように威圧的とか、圧倒的ということはないが、やはり人間の言葉とは異質の独特の誘惑的な響きを持っている(やはり、強力に「意味ありげ」に聞こえ、真に受けてしまうところがある)。この言葉を発した「存在」も、後にずっと身近に関わることになるもので、私自身、ユングのいう「アニマ」と見立てて、そう名づけたものである。
しかし、当時は、状況の記憶が漠然としていたので、その人そのものが言ったものであるかのように思ってしまった(実際、多くの者が、そのように人間の背後からの「声」を、その人間そのものの声と錯覚してしまうのだと思う)。そこで、私は、この言葉に関しては、ほとんど「現実レベル」の「妄想」に近いものを持ってしまったのである。つまり、この人は、何か私の状態について、重要なことを知っているのではないか、という思いが起こったのである。それで、それがどんな本だったか、焦燥のもと、必死に「思い出そう」としたし、その人にそれを聞き出そうとも思ってしまったのである。
当時、私は少し「手掛かり」が見え始めたこともあって、このようなことは、絶対何かの本に書いてあるはずだ、という思いが起こっていた。「未知」のものを感じさせるとはいえ、これまでこのような体験をした人が、それを本に書いていない訳はないと思ったのである。だから、この言葉は、その重要なヒントであるかのように、作用してしまったのである。
ただ、この言葉に関しては、それを聞き出すようなことも思い止まり、その言葉にもそれほど囚わわれることはなくなった。というのは、冷静な判断ができたというよりも、次々に似たような言葉の「思い出し」や出来事が洪水のように押し寄せて来ていた(但し、当時は半ば無意識)ので、もはやそれにばかり囚われている状況ではなくなった、というのが本当である。
そして、その次には、実際に「行動」を起こす寸前にまで行ってしまう「妄想」が沸き起こる。それは、一種の「家出」というか、「この家を出て、何もかもを捨てて、(前の電話に出てきた)友人のところへ行く」というものである。突拍子もないようだが、このような「妄想」が出て来たのには、それなりに様々な状況が重なっている。だが、直接には、やはり半ば無意識に、また別の「存在」の「声」に、そのように「吹き込まれた」からといえるのである。
それは、前の「アール」のように威圧的ではないが、やはりそれに似た、独特の逆らいがたい響きで、何かと「命令」というよりも「けしかけてくる」存在の声で、前の日記ではシュタイナーの「ルシファー」からとって、「ルーシー」と名付けた。後に、その言葉を意識するようになると、それを真に受けて行動に移すようなことはほとんどなくなる(声に「アール」ほどの威厳というか真実味がないのも大きい)が、このときは、半ば無意識だったのと、強い焦燥にかられていたこともあって、実際にそうしようと家を出ることになったのである。
強い焦燥というのは、これは本当に途方もない、何か人類の存亡に関わるような、邪悪な何者かを相手にしているのだという意識が出てきたのと、それは、私に対しては、発狂に追いやって、精神病院に閉じ込めようとしているのだ、という思いが出てきたのがある。
両親ですら、そのような「力」に「使われる」可能性があり、ここにいることは危ないと思った。実際、私は極力そう見えないように振る舞っていたつもりではあるが、両親からすれば、いくらか「おかしい」ことは感じていたようである。また、それらの何者かが、背後から人を「使う」ことがあるのは、これまでに自分に起きた出来事を思い出す過程で、少しずつ明らかになっていたことでもあった。
しかし、実際には、そこで「吹き込まれ」たままに、焦燥のもと家を出て、街や駅の周辺を出歩くことの方が、よほど何かをしでかす危険が高かったのである。この時、意識レベルではまだはっきり幻聴を意識しないが、すでに継続して「声」をしかけられている状態にあり、意識状態も、催眠に近いほとんど「夢遊病」のような状態にあった。そこでは、まともな思考や意志は働かず、実質的には、第3段階の「させられ体験」の状態にあったといえるのである。
そこで、バスに乗って駅に行くつもりで、途中で降り、出歩くことになるのだが、とにかくパニック状態に近い焦燥で混乱していて、周りもまともに見えていない。そこでは、後に「思い出し」たところでは、本当にいろいろなことがあったのだが、意識レベルでどれだけそれらを自覚していたかは、あまりはっきりしない。
ただ、途中歩いてすれ違う人が、何故か皆「悟って」いる人に見え、私だけがこの地球で一人取り残されたかのように思えたこと、途中タクシーに轢かれそうになるが、その運転手の怒っている顔が、本物の「鬼」そのものに見えたことは、はっきり意識できたものだった。それ以外にも、先の「アール」や「ルーシー」に、いろんなことを「しかけられ」ていて、いやでも病院に連れて行かれることをしでかす可能性が、たくさんあったのである。しかし、何とか、そのようなことはせずに、最後には、駅の周辺をぐるくると何度も回ったが、ふと我に帰る瞬間があり、目が覚めたように、引き返して家に戻ることができた。
この体験は、まだ起こっていることを意識化できない段階での、一つのピークのような体験だったと思う。今思っても、ギリギリの状態だったし、まさに「発狂」そのものの状態を味わったとしか言いようがない。
その後も、家でいろいろなことがあったが、そこで私は、やはりアパートに戻って一人で向き合うべきだと考えた。それは、先の「家出」の場合と違って、自分なりに冷静に考えてのことである。
それは、基本的には、近くに人がいると、どうしてもこのような事態に巻き込んでしまう可能性があり、それはむしろ混乱を広げる、ということである。単に「病気」ということではなく、何か、実質的に、このような事態について知っていたり、慣れている人ならいいが、そうでない場合は、正直言って、近くにいることは、あまり「足し」にはならない。(食事その他、もちろん助けになる面はあるにはあるが、このような事態については、理解の基盤がないのだから仕方がない。そういう意味でも、「病院」とは別に、本人がそれと向き合うことをフォローできる環境の、中間的な施設が必要だというのである。)
私は、自分自身が、はた目には「おかしく」見えることがあるだろうこと、それは客観的には、「分裂病」といわれる状態であることは、既に自覚していた。
しかし、「病院」に入れられることを恐れる、といったこととは別に、医師に相談するとか診てもらうとかいうことは、もはやあり得ないことになっていた。それは、たとえ真摯な医師であっても、このような事態を理解してもらうことは、もはや絶望的に無理であることが、明白だったからである。私自身、まだこの時点で、何か理解を得た訳ではないが、少なくとも、既成の医学やその周辺で、理解できる性質のものではないことは、疑いようのないものになっていた。
ただ、相談するとしたら、後に紹介するユング派の臨床心理家とか、霊能者だろうとは思ったし、実際、相談することを考えた人はいる。が、結局は、それもしないことになった。それは、いくらか「見え出し」たこの時点で、「何とか自分で解決できるのではないか」という思いが強く芽生えていたことにもよる。
両親も、身体的にはある程度回復したとみていたようだし、私も元気であるように振る舞っていたので、アパートに戻ることに特に反対はしなかった。
そういう訳で、アパートに戻って、また張り詰めた状態で一人で居ることが続くことになる。それは、事態としては、当然ながら、さらに(「発展」ではなく)「深化」していくことを意味した。
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