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2005年11月13日 (日)

8 「解離性幻聴」との相違

精神医学的には、「幻聴」には、分裂病性のものと解離性のものがあるとされるので、その違いにも一応触れておきたい。

解離」とは、「耐えられない記憶やそれに伴う一連の事件の内容を、現在の記憶を持つ意識の状態と切り離し、それを思い出したり苦しんだりしなくてすむための大切なメカニズム」とされている。(和田秀樹著『多重人格』(講談社現代新書))

トラウマを受けたときに、それを自己の記憶から切り離すといったことが、典型的なものだろう。これが極端になったときには、「解離性同一性障害」(「多重人格」)のように、いくつかの切り離された人格をもたらすことにもなる。

これは、一見、分裂病と紛らわしいが、解離の場合には、互いの「人格」はそれぞれあるまとまりをもっている。ただ、互いの人格同志が切り離されている(普通は互いを認識しない)という意味で、分離がある訳である。ところが、分裂病の場合は、全体として、一見してまとまりを欠くことになる。

「解離性幻聴」とは、そのような自分から切り離された「人格」の声を聞くことだと言える。これは、分裂病の幻聴の特徴としてあげたものとは大分異なると思われる。特に、分裂病の場合に最も特徴的であった、「声」に「操作される」とか「支配される」という要素は、ほとんどないと思われる。

何しろ、分裂病の幻聴の声は、明らかに自分とは別の「他者」の声として認識されるのである。ところが、解離性の幻聴の場合は、どこか自分に近い(紛らわしい)ものとして認識されるのではないかと思う。ただし、その切り離された「人格」の声が執拗に攻撃してくる、といったことはあるだろう。しかし、その場合でも、分裂病のように、それが「誰かに迫害されている」というような妄想の根拠として働くことはないと思われる。

「幻聴」の特徴の違いという点については、これくらいにしよう。むしろ、分裂病の場合と解離の場合とは、全体として、「ある状況に対する防衛のしかたの違い」といった観点からみると、興味深いのである。

解離の場合は、現実的な虐待などの「目に見える」状況に対する防衛という要素が強い。それに対して、分裂病の場合は、まず「目に見えない」状況に対する防衛として起こる。

この「目に見えない」ものを「目に見える」ものであるかのように人に語る(現実に誰かに迫害を受けているなどとして)と、妄想という誤りになってしまう訳である。というよりも、そもそも、その「目に見えない」状況そのものの存在が、まず多くの者に理解されない(本人にも容易には理解できない)。それで、(そのような反応をすることが)「了解不能」の病いという風に思われてしまう。

まず、そのように、「状況」そのものの相違ということがある。しかし、それを一応おいて、防衛の仕方としてみても興味深い点がある。

解離の場合は、分身の術ではないが、ある意味柔軟に自分を切り離すことによって、全体としての「自己」の崩壊を防いでいるように思える。ところが、分裂病の場合は、そのような防衛の仕方は効かず、全体としての「自己」そのものが、崩壊の危機にさらされている。そこで、幻覚や妄想の世界に入り込むことが、それを直接に被ることからの、一種の防衛の役目を果たすことになるのである。

この違いには、恐らく元々の気質ということも関係しているだろう。分裂気質の場合、自我がいわば硬直で、柔軟性には欠け、解離のような対応は苦手なのではないかということである。

しかし、それはあるにしても、やはり、「状況」そのものの相違が大きく関係していると言うべきである。

私の理解では、分裂病の「見えない状況」に対しても、初めは、無意識的に「解離」のような対応をしているのである。つまり、それを意識しないで済むような意識状態へと移行することによって、何とか対応しているのである。それで、その場合には、この「見えない状況」そのものが意識に上るということがなく、まだ危機の状況は表面化しない。

ところが、この「見えない状況」の威力が増し、強烈に浮上してくると、もはや意識にも捉え得るものとなる。そこで、初めは何かよく分からないながらも、強烈な危機意識が発生する。しかし、その時点では、もはやそれは、「解離」という方法では対処し得ないものとなって出て来ているのである。そこで、それに対するのに、幻覚や妄想といった分裂病特有の問題が発生してくるのではないかと思う。 

しかし、ここで述べた「見えない状況」というのは、これから、幻覚と妄想の形成過程などとして、追々明らかにしていくところである。解離との相違も、またその時に改めて触れられることになるだろう。  

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コメント

 すばらしくよくまとめてくれていますが、一箇所、少し別のケースもあるのでいいでしょうか。
解離性の幻聴の場合は、自分に近いもの、というところが、ちょっとそのようなものもありますが、そればっかりではないです。
 数日前、試験に落ちて、エレベーターの中から、あざ笑う男の声が響きました。またその翌日、パン屋で勉強していたら、機械のぶんぶんいう音が、左手から聞こえ、うるさくてしばらく勉強ができませんでした。幻聴と気がついたので、叫んだりはしませんでしたが。しばらくすると、やみました。
 ほかに、解離性幻聴は、名前を呼ぶ声で、おもわず、ハイと返事したり、見知らぬ男が悪口をいったり、鈴の音などもあります。
 特徴は、あなたがおっしゃるように、わたしたちは、「自覚できる」というところが違います。

 とにかく、自分に近い音や声だけではないので、解離性の音も、そこはバラエティなので、お伝えしたいです。

「自分に近いもの」というのは、統合失調の場合、全くの「他者」であるというはっきりした感覚があるので、それとの対比で、解離の場合、そこまでの「他者」的な感覚はないものと思い、言っています。でも、仰る通り、解離の場合も、「異性」とか、大人であれば「子供」や「幼児」など、全く、自分と性質の違うものが、「解離した人格」として現れる場合もあるので、「他者」としか思えないような場合もあるのだろうと思います。

一方で、「統合失調」の場合も、「幻覚」(幻聴)であることが、自覚できる場合も結構あるので、「ぎりぎり」のところは、互いに交錯したり、容易に区別できない面があると思っています。

いずれにしても、「統合失調」という「病気」と「解離性障害」という「病気」が、厳然と区別できる形で、「実体」として存在しているわけではないことには注意したいです。

記事『ページビュー数ベスト5/「解離性幻聴」との相違について』( http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-13da.html)でも述べたように、この記事は、常にランクが高く、「統合失調」と「解離」の相違に興味を持つ人が多いことを窺わせます。

実際、現在の精神医学では、この区別は実質的に無理と言うべきで、曖昧なまま「病名」をもらう人も多いことと思います。

また、実質的にも、記事に述べたように、両者の区別は一応可能ですが、互いに、交錯する部分も多く、共通の部分も含みます。(統合失調の者が、「他者」の声だけを聞くわけではなく、解離の者が、「解離した自己」の声だけを聞くわけではない)それで、厳密な区別に拘ることは、本来無意味です。いずれにしろ、現れているものに即した、対処の方法を身につけていくしかありません。

こういったことを、全体として分かりやすく総括する記事を、いずれ書いておきたいと思います。

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